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第6部

第八章 月下の巨獣④

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「……くそ、やっぱ固有種ってのは何すっか分かんねえな」


 アッシュは苛立ち混じりの声でそう呟く。
 月夜に照らされる静かな廃墟。
 現在、アッシュの愛機である《朱天》は大きな廃屋の陰に隠れていた。
 あの予想外の不意打ち。どうにか、胸部装甲――要は、操縦席への直撃だけは防ぎきったが、愛機の損傷は大きかった。
 三層からの装甲は、あちこち切り裂かれて崩れ落ち、両腕両足には数本の刀剣が未だ突き刺さったままだ。それを《朱天》が自分で一本ずつ抜いているのである。
 刀剣を抜くたびに、バチバチッと火花が散った。


「……参ったな。二人揃って迂闊だったか」


 と、オトハが嘆息して言う。


「まさか、あんな生物的にあり得ない隠し技を持っていたとはな」

「まったくだ。内臓とかどうなってんだよ。あのクマさんは」


 アッシュもかぶりを振って、オトハに同意した。
 刀剣が移動できるのは承知していたが、あそこまで自由自在とは思わなかった。
 見た目は熊でも、内臓の位置などはまるで違う生物なのかもしれない。


「まあ、何にせよだ」


 ガランガラン、と。
 愛機の右腕に刺さっていた最後の刀剣を《朱天》に放り捨てさせ、アッシュは呟く。


「おかげで結構不利になっちまったな。さてどうすっか……」


 《朱天》の損傷はかなり重い。四肢や尾はまだ正常に動くので、このまま戦闘続行も可能だが、長引くとどんどん状態が悪くなるのは明白だ。
 対するあの魔獣は、刀剣をすべて射出して戦闘能力自体は相当落ちているだろうが、大きな負傷はしていない。戦況はかなり押されていた。


(……流石にまずいか)


 アッシュはわずかに眉をしかめた。
 敵との相性が悪かろうが、どれほど機体が損傷しようが、アッシュ自身は負けるつもりなど毛頭ない。最後に勝てばいいし、その自信もある。
 しかし、すでに相当な時間を費やしてしまった。


(もう無理にでも決着を急ぐしかねえな)


 ここは多少の危険を冒してでも決戦に持ち込むしかない。
 そうアッシュが覚悟した時だった。


「……なあ、クライン」


 不意に、オトハがポツリと呟いた。
 アッシュは視線を彼女に向けた。


「何だよ。オト。ここで《鬼刃》に交代はナシだぜ。転移陣は流石に目立つからな。《鬼刃》を召喚しても多分あの熊は交代する前に襲い掛かってくるぞ」

「それは分かっているさ。固有種の知能の高さは私もよく知っている」


 オトハは苦笑してそう返した。
 それから小さな声で「それに……」と言葉を続け、


「お前に言わせれば、今日の私は『姫』なのだろう? 『騎士』の活躍の場を奪うような無粋な真似はしないさ」

「……ははっ、そうかよ」


 周囲を警戒しつつ、アッシュは微かに口角を崩した。
 すると、オトハもふっと笑い、


「しかしな、クライン。英雄譚では存外『姫』にも見せ場はあるものだぞ」

「へえ。そうなのか」


 アッシュは少し目を丸くしてそう呟く。
 それに対し、オトハは「ああ、そうだ」と答えた。
 そして彼女は、少しいたずらっぽい笑みを浮かべて――。


「……なあ、クライン」


 ギュッと青年の背中を抱きしめる。
 少しばかり驚くアッシュ。
 それを感じ取り、オトハはますます笑みを深めた。


「お前、知っているか?」


 そして紫紺の髪の『姫』は、『騎士』の青年にこう告げるのだった。


「こういった危機に『姫』が『騎士』に武器を授けるのは結構定番なんだぞ?」



       ◆



 月明かりの下。黒き巨獣は敵を探していた。
 周囲は木片や石畳で出来た瓦礫の山と、廃棄された屋敷の街。
 それらをさらに踏み砕きながら、魔獣は唸り声を上げて漆黒の『殻』を探す。
 すべての『牙』を放つのは一度限りの切り札だったが、上手く成功した。
 今こそ追い打ちをかけるべき時だ。
 ほとんどの魔獣は鼻が良い。特に固有種のそれはずば抜けている。
 本来ならば、どこに隠れても見つけるのは容易だった。
 しかし、彼の鼻は、中々敵を補足することが出来なかった。
 何故ならあの『殻』に限らず、すべての『殻』はどうも匂いが強烈すぎるのだ。
 いくら鼻が良くとも悪臭の前では鈍る。
 そのため、魔獣は鼻だけではなく目でも敵の姿を探していた。

 と、その時だった。


「……ぐるうううううう」


 家屋の一角でいきなり眩い光が溢れだしたのだ。
 この光景に、魔獣は見覚えがあった。
 確か、あの『殻』が、仲間の『殻』を呼ぶ時の光だ。
 今更仲間を呼ばれては堪らない。
 魔獣は邪魔な障害物をすべて薙ぎ払いつつ、光の元へと駆け出した。
 そしてそこで見つけた敵の姿。
 光の中からは棒のようなモノが出現しているが、仲間の『殻』の姿は見えない。
 これは好機だ。魔獣は爪を剥き出しにして敵に右腕を振り下ろした!

 ――が、


『……おっと。危ねえな』


 その敵は出現した棒を片手に、瞬時に後方へ跳んだ。
 魔獣の右掌は虚しく空を切り、代わりに石畳を打ち砕いた。
 黒い魔獣は唸り声を上げ、敵の姿を見据える。
 すると――。


『さて。あんま得意じゃねんだが、やってみっか』


 その敵――黒い鎧機兵は、手に持った武器をすうっと横に薙いだ。
 それは、とても美しい武器だった。
 反りの入った刃が、蠱惑的にも感じる不思議な大太刀。
 月明かりに照らされるその刀身は、荒ぶる魔獣さえも魅了した。

 その刀の名は『屠竜』。
 煉獄の王にして女神の神敵。三つ首の魔竜――《悪竜》ディノ=バロウスの尾の骨を削って造り出したと伝わる最強の大太刀だ。

 この苦難を前にして『姫』が『騎士』に授けた武器である。


「……ぐるううゥ」


 唸り声を上げる魔獣。本能から危険だと察したのだ。
 黒い巨獣は四肢を地面につくと、静かに前傾に構えた。
 対する漆黒の鎧機兵も両手で柄を握りしめて、下段に『屠竜』を構える。
 そうして、星々と月光に照らされた廃墟にて。
 魔獣と鎧機兵は、静かに対峙した――。









(やれやれ。剣はマジで苦手なんだけどなぁ)


 愛機の中でアッシュは苦笑する。
 とは言え、折角オトハが貸してくれた武器だ。
 戦況が不利なのも事実なので、ここは有効活用しなければいけない。


「……クライン」


 その時、オトハが口を開いた。


「剣が得意じゃないのは知っているが、そこまで苦手意識を持つ必要はない。『屠竜』は本当に特別なんだ。使ってみるとよく分かるぞ」

「そうだな。まあ、やってみるよ」


 言って、アッシュは苦笑を浮かべる。
 ここで無駄に尻込みしても仕方がないことだ。
 それに、眼前の魔獣は、その元の姿は《悪竜の使徒》。
 この『屠竜』で戦うことは、あの男にとっても本望かもしれない。
 アッシュは《朱天》の足を一歩前に踏み出させた。


『さあ、かかってきな。元《悪竜の使徒》さんよ』


 と、呟いた瞬間だった。
 魔獣が咆哮を上げ、大きく跳躍したのは。
 そして落下の勢いと、全体重を乗せて右の爪を振り下ろす!
 対し、《朱天》は軌道を逸らそうと『屠竜』を素早く横に薙いで――。


『………はあ?』


 思わずギョッとした。
 横に払った刃は軌道を逸らすどころか、容易く魔獣の右腕を両断したのだ。
 いきなり腕を失い、「ごああァ!?」と絶叫を上げる魔獣。


「お、おいおい!? 何だこれ!? 全然斬った感触がしなかったぞ!?」


 この神刀の鋭さは知っていたが、ある意味ゾッとするような手応えだった。
 一方、オトハは腰に手を当て、自信満々にたゆんっと胸を反らす。


「ふふん。だから言っただろ。『屠竜』は特別だと」

「いやいや無茶苦茶だろ!? 鋼みてえな体毛を持つ固有種の腕なんだぞ!?」

「ふん。勢いの乗った『屠竜』を止めることなど誰にも出来ないさ。それよりクライン。気をつけろ。奴が来るぞ!」

「お、おう……」


 再びアッシュの腰に手を回して胸を押し当てるオトハの警告に対し、アッシュはまだ少し動揺した声色で答えた。
 片腕となった魔獣は涎を撒き散らしながら、《朱天》を睨みつけている。
 明らかに怒り心頭の気配だ。
 しかし、流石に警戒したのだろう。迂闊には近付かない。
 魔獣はその場で左腕を振った。
 狙いは近くにあった民家。砕け散った瓦礫が《朱天》に襲い掛かる――が、


『おいおい、小細工してんじゃねえよ』


 アッシュは全く動じない。
 《朱天》に左腕を構えさせると、恒力の塊を掌から打ち出したのだ。
 《黄道法》放出系闘技――《穿風》だ。
 不可視の衝撃波は、あっさりと瓦礫を駆逐した。
 しかし、それは魔獣にとっても想定内だったのだろう。
 瓦礫を粉砕した瞬間に、魔獣は突進。左の腕を振り上げていた。


『……それも甘えェよ』 


 が、その奇襲にもアッシュは動揺しなかった。
 無造作に左腕を狙って『屠竜』を薙ぐ――。


「がああああああああああ――ッ!?」


 絶叫を上げる魔獣。これで黒き巨獣は両の腕を失った。
 両断面からは赤い血が溢れ出て、白い石畳を真紅の海に変えていた。


「……ここまでだな」


 と、アッシュが淡々とした声で呟く。
 すでに形勢は逆転した。この魔獣にもはや勝ち目はない。
 それでも逃げ出さないのは、逃げても無駄だと魔獣の本能で悟っているのか、それとも人間であった時の『仲間を逃がしたい』という意志の影響なのか――。
 いずれにせよ、後はトドメを刺すだけだった。
 アッシュの意志に従い、《朱天》はゆっくりと間合いを詰めていく。

 ――が、その時だった。


「……少し待ってくれ。クライン」


 不意にオトハが、どこか神妙な声でアッシュを止めた。
 アッシュは眉根を寄せる。少しばかりオトハの様子がおかしかった。


「……オト? どうしたんだ?」


 アッシュは困惑した声で彼女の名を呼ぶ。
 すると、彼女は躊躇いながらも――。


「なあ、クライン……」


 囁くような声で、青年にこう願うのだった。


「このままトドメを刺すのは簡単だ。だが、せめてトドメだけは全力を尽くしてやってくれないか。あの男は敵ではあるが、仲間を逃がすためだけに人間を捨てたんだ」


 戦士として情けをかけて欲しい。
 そんな彼女の願いに、アッシュは少し複雑な眼差しを見せた。
 正直なところ、アッシュは、あの男にいい感情を抱いていなかった。
 アッシュにとって不可解な言葉だけを残した事もあるが、何より、あの男はオトハをこの上なく危険な目に遭わせたのだ。ジラール並みに許せる相手ではない。
 今回のアッシュの焦燥は、ジラール事件でユーリィを失った時にも匹敵する。

 ――そう。あの男は断じて許せる相手ではない……のだが。


「……う~ん、そっか」


 ポツリ、とアッシュは呟く。
 とは言え、今日の自分はオトハの『騎士』だ。
 『姫』の願いを無下には出来ない。
 自分の確執よりも、今日はオトハの気持ちを優先すべきだろう。
 それに、改めて思い出した。
 昔からオトハは戦士ではあるが、同時に優しい女性でもあることを。


「……まあ、そうだな」


 結局、アッシュは彼女の願いを承諾した。


「命を奪うんだ。なら、せめて全力でトドメを刺してやるよ」

「……ありがとう。クライン」


 オトハはアッシュの背中を抱きしめ、微笑んだ。
 アッシュは苦笑を浮かべる。


「けど、全力を出すんだ。操縦席が少し暑くなるけど我慢しろよな」

「ふん。それぐらい分かっているさ」

「それと、今回の《朱天》の修理費、お前に請求するからな」

「……えっ!?」


 と、そんなやり取りをする二人。
 そして、ゆっくりと『屠竜』を下ろした《朱天》の両眼が光った。
 同時に四本の角がすべて鬼火を宿し、莫大な星霊がアギトの中に吸い込まれる。
 すると、唐突に《朱天》の全身が震え始めた。続けて漆黒の機体から、わずかに発光する真紅の色が滲み出し、瞬く間に《朱天》の全身を紅く染め上げた。

 グウオオオオオオオオオオッ――!!

 真紅の《朱天》は雄々しい咆哮を上げる。
 恒力値・七万四千ジン。
 かくしてアッシュの愛機《朱天》は全力を解放した。


『そんじゃあ、終わらせるぜ』


 アッシュの呟きと同時に、赤熱化した鎧機兵は『屠竜』を片手に歩き始める。
 すると、景色を歪めるほどの高温で周囲の木片が次々と発火する。真紅の鎧機兵が歩くたびに、その跡には炎の道が生まれた。
 その異様な光景を前にして、魔獣も流石に怯えを隠せなかった。


「ぐるううぅ……」


 魔獣は唸る。生存本能が告げていた。
 勝ち目はない。逃亡も出来ない。
 しかしそれでも、生き延びるためにはこの敵を殺すしかない、と。


「ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!!」


 魔獣は立ち上がり、咆哮を上げた。
 そして牙を剥き出しにして《朱天》に襲い掛かる!
 両腕は使えない。シンプル極まる捨て身の咬みつきだった。
 が、対する《朱天》は一切焦らず悠然と『屠竜』を上段に構えて――。


『じゃあな。《悪竜の使徒》さんよ』


 渾身の力で刀身を振り下ろす!
 そして最強の大太刀は、凄まじい結果を示した。
 大気が斬り裂かれ、空間そのものが軋みを上げる。巻き起こる剣圧は刀身が触れたモノだけではなく、直線状にあるモノすべてを切り裂いたのだ。
 魔獣の動きが牙を剥いたまま、ピタリと止まる。

 ズズズズ……と。
 黒き魔獣はゆっくりと、その巨体を二つに分かれさせた。

 そして、ズズゥンと左右に倒れ込む。
 大量の血が舞い散り、静寂に包まれる廃墟。
 魔獣との死闘に、完全な決着がついた瞬間だった。


「………ふう。やれやれだ」


 敵の死を見届けた真紅の鎧機兵は、おもむろに構えを解いた。
 それから、アッシュはもう一度小さく嘆息して呟く。


「これでようやく終わりだな」

「……ああ。ただ、流石に他の連中は逃がしたか」


 と、オトハが残念そうに言う。


「まあ、そいつは仕方がねえよ。それにしても……」


 アッシュは絶命した魔獣の遺骸に目をやった。


「……こいつは、死んでも元の姿には戻れねえんだな」


 少しだけ哀れむように呟く。
 情報をまるで引き出せなかったのは不本意ではあるが、死してなお人間に戻れないことには流石に憐憫の感情を抱く。


「そうだな。だが、こいつ自身が選んだ道だ。後悔はないだろう」


 と、オトハも魔獣の遺骸を見やり、ポツリと呟く。
 しかし、すぐに「まあ、それよりも」と言って、アッシュの背中に尋ねた。


「これからどうする? とりあえず騎士団の到着を待つのか?」

「ああ~、そうだな」


 オトハにそう言われて、アッシュは周囲を見渡した。
 大部分の廃屋は無事だが、魔獣が通った跡はまさに無残だ。それに加え、今は漆黒に戻っているが、先程までの赤熱化で一部だが黒煙を上げている場所もある。
 まぁ火事にまでは発展しないだろうが、総合的に見ると実に凄惨な光景だった。


「おし。とりあえず逃げようぜ」


 アッシュは即断した。


「いくら取り壊し予定の区域でも、弁償とかの話になったら笑えねえ。状況は後でガハルドのおっさんにこっそり伝えて便宜を図ってもらおう」

「……まあ、それがいいだろうが、お前も大概エイシス団長を利用しているな」


 と、オトハがジト目で言う。
 なにせガハルドはアリシアの父。頼り過ぎるのはあまり面白くない。
 しかし、アッシュは苦笑を浮かべて、


「どっちもどっちだろ。あのおっさんも時々暗躍するし。頼れるなら頼るさ」


 そんなことを宣った。
 オトハはただ嘆息するだけだ。


「とにかく。ここで騎士団とは出くわしたくねえ。さっさと逃げようぜ。……っと、ララザの奴、近くにいるといいんだが……」


 そう言って、キョロキョロ周囲を見渡すアッシュ。
 どうやら彼はここに来るのに愛馬で駆けつけたらしい。
 オトハは眉をしかめた。この惨状で果たして無事なのだろうか。


「お前の馬、大丈夫なのか? 多分、戦闘に巻き込まれているだろう」


 と心配するのだが、アッシュはニカッと笑って、


「ははっ、大丈夫さ! ララザは利口なんだぜ。きっと、ヤバいと感じてどっかに逃げているはずさ。『DX』の名は伊達じゃねえよ」

「……いや、前から聞こうと思っていたんだが、その『DX』とは何なのだ?」


 そんなやり取りをするアッシュ達。
 と、その時、視界の端で走り寄ってくる『DX』な馬。
 アッシュは「ほらみろ」と言って不敵に笑った。オトハは目を丸くする。
 まさか、この猛威の中で生き抜くとは――。


「……信じられん馬だな。本当に自主避難していたとは……」

「はは、だから『DX』なんだよ。ユーリィも『DX』は特別だって言ってたぞ」


 と、アッシュは、実は自分でも理解していない説明をする。
 そして二人は《朱天》の胸部装甲ハッチを開けて外に出た。

 かくして、予想外の紆余曲折の果てに――。
 ジラールの脱獄から始まったこの事件は、ようやく終息を迎えたのだった。
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