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第4部

幕間一 父と娘

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「なん、だと……?」

 アラン=フラムは呆然と目を見開いた。
 そこは王城区にある、フラム邸の食卓の間。傍には使用人である五十代後半の女性――ナターシャ=グラハムが静かに佇み、長机の両端には当主であるアランと、彼の一人娘であるサーシャ=フラムが座っていた。

「い、今、何と言ったんだ……サーシャ?」

 カシャン、と手に持ったフォークを食器の上に落とし、アランが呟く。
 対し、サーシャは少しもじもじとして。

「えっとね、先生達と一緒に皇国に行きたいの。一ヶ月ほど」

 と、そんなロクでもない事を告げてくる。
 アランは青ざめた。我が娘は一体何を言っているのだ……。

「行きも帰りも鉄甲船を出してくれるそうでね、旅費はないの。宿泊先はミランシャさんの家……先生のお友達の家に泊めてくれるって」

「そ、そういう話ではないッ!」

 アランはドンと机を叩いた。
 卓上の料理の数々がガタンと震えた。

「……旦那様」

 傍に控えるナターシャが眉をひそめる。
 食事中に声を荒らげてはいけない。視線のみで彼女は訴える。

「いや、すまない、ナターシャさん。しかしだな……」

 ナターシャはアランが若い頃からの付き合いだ。家政婦ではあるが、彼にとっては姉のような女性でもある。すなわち、頭の上がらない人物だった。
 アランはとりあえずナイフを食器の上に置いた。

「……お父様。ダメですか?」

 と、上目遣いで尋ねてくるサーシャ。
 アランはふうと嘆息する。

「ダメに決まっているだろう。そもそも私はラッセルの時だって反対だったのに、ナターシャさんに押し切られて……」

 そこでアランはハッとする。目を剥いて横に振り向くと、恰幅のいい女性はくつくつと笑っていた。どうやら今回もサーシャは彼女を味方につけているらしい。
 アランは、すでに孤立無援になっていることを知った。

「だ、だが今回はダメだぞ! 外国なんて認められるか! 学校はどうする!」

「それならオトハさ――タチバナ教官が、海外研修扱いにしてくれるように学校に交渉してくれたよ。もしかしたら今後の留学とかのテストケースになるかもって」

「完全に根回ししてるな!? でもダメなものはダメだぞ!」

 しかしアランは引かない。
 何が悲しくて愛娘を異国に送り出さねばならないのだ。
 ましてや男連れなど――。

「父さんは絶対に反対だからな!」

 気炎を吐くアラン。すると、ナターシャが一歩近付き、

「旦那様。可愛い子には旅をさせろとも言います」

「だがな、ナターシャさん。サーシャはまだ十六歳なんだ。外国など早すぎる」

「旦那様。若い感性だからこそ得られるものもあります」

 と、二人の保護者が言い合っていると、

「もういい! 許してくれないなら、お父様とは口をきかないから!」

 ガタンッと椅子を倒してサーシャが立ち上がった。
 途端、アランの顔が青ざめる。

「ま、待ちなさい、サーシャ!」

「知らないっ! お父様なんて大嫌いっ!」

 言って、サーシャは食事も残し部屋から出て行ってしまった。
 残されたアランは呆然とし、ナターシャはあららと口元を押さえていた。
 そしてアランはおぼつかない様子で椅子から立ち上がると、ふらふらと何かを求めるように部屋のドアに向かった。

「……旦那様?」

「す、すまないナターシャさん。食事は片付けておいてくれ。今日はもう食欲がない」

 そう告げてアランは部屋から出ると、よろめく足取りで二階の自室前に戻った。
 そしてカチャとドアを開けて室内に入り、すぐさま後ろ手で閉めると、

「うう……エレナアアアァ!」

 ぶわっと滂沱の涙を流して、机の上に飾ってある写真を手に取り、

「サ、サーシャがッ! サーシャが、私を嫌いだと言うんだああああ!」

 ベッドにダイビングしつつ、写真に映った亡き妻に語りかける。
 早くに妻を亡くし、ナターシャの協力もあったとはいえ、基本的には男手一つで育ててきた愛娘だ。「嫌い」と言われた時のダメージは計り知れない。

「エ、エレナァ……。私は一体どうすればいいんだ。もしこのまま、サーシャがずっと私を嫌いになったら……」

 そう思うだけでゾッとする。まるで世界に終焉が訪れたような気分だ。
 しかし、可愛い娘を旅に出すのには抵抗がある。しかも海を越えるほどの旅だ。

「ぐぐぐ……」

 写真を手に、鬼の形相で呻くアラン。
 その後、ベッドの上でアランは一睡もせず悩み続けた。
 そして翌朝。朝食の席にて。
 目に隈を作ったアランは、ポツリとサーシャに告げた。

「……飲み水には気をつけなさい。それと知らない人には付いていくんじゃないぞ」

「お父様! ありがとう! 大好きっ!」

 そう叫んで、父に抱きつく娘。
 ……サーシャに嫌われるよりは、ずっとマシだ。
 結局、アランもまた、アッシュと同じく妥協したのだった。
 なお、エイシス家においても、悩み苦しんだ父がいたことは語るまでもない。
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