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第3部

第八章 妖しの《星》③

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「ぐおぉ!?」

 野太い呻き声が廊下に響く。腹部を容赦なく蹴り抜かれ、白目を剥いて倒れ込む男には一瞥もせず、アッシュはサーシャの手を引いて走り続ける。
 そこは遊覧船・《シーザー》の一階。すなわち甲板が在る場所だ。

「サーシャ! 急ぐぞ!」

「はい!」

 二人は大食堂の隣を通り向け、廊下の端にある出口へと辿り着く。
 アッシュは勢いよくドアを開けた。
 月の光が目に映り、潮風が頬に触れる。ようやく甲板に出たのだ。
 通常の帆船の二倍以上はありそうな甲板。前方には船首。横側には数隻の救命ボートが設置してあるのが確認できる。しかし、港へと続く桟橋だけは取り外されていた。

「……流石に、ここまで騒いでんのに桟橋をそのままにしておくはずもねえか」

 アッシュが苦笑を浮かべると、サーシャが不安そうに眉を寄せた。

「あの、先生。どうすれば……」

「ん? いや、問題ねえよ。ここまでくれば後は《朱天》を喚べばいい」

「あっ、そうですね」

 なるほど、とサーシャは思った。
 確かにこの甲板なら鎧機兵を召喚するのに充分な広さがある。
 アッシュは腰に差していた小太刀を鞘から引き抜く。本来この小太刀は《朱天》の武装のみを召喚するものなのだが、今回は事前に武装させており、後は《朱天》の名を呼ぶだけで機体そのものを召喚できる。

(……ん? けど、考えてみりゃあ、今回はハンマーはいらなかったよな)

 同じく腰に差したままのハンマーに片手を添え、アッシュはそんな事を思った。
 当然のように持ってきてしまった。もしかすると、かなり職人であることが身についてきているのかもしれない。
 まあ、ともあれ今は脱出することが優先だ。

「そんじゃあ、《朱天》を喚ぶか」

『ええ。お待ちしておりますので、ぜひとも喚んでください』

「「――ッ!」」

 突如上空から届いた声に、アッシュとサーシャは息を呑む。
 そして二人揃って月光が輝く天を仰いだ。

「……なに、あれ……」

 目を剥いたサーシャが、呆然と呟く。
 遊覧船の最上階。その屋根の上に「そいつ」はいた。
 全長は四セージルほど。胸部に黒い太陽と逆十字の紋章を刻んだ藍色の鎧を纏い、右手に柄の長い銀色の戦鎚を携える――恐らくは鎧機兵。「恐らく」が付くのは、その姿があまりにも異形だったからだ。
 上半身はまだいい。従来の機体には必ずあるはずの尾はないが、まだ人型だ。
 異形なのは下半身である。
 月光を背に佇むその鎧機兵は、腰から下が四足獣のような形状をしていたのだ。簡単に言えば、虎から人の上半身が生えているのような姿だ。
 かつてサーシャは人型ではない鎧機兵を見たことがあるが、この機体のインパクトはそれ以上だ。どこか歪すぎて背筋に悪寒を感じる。
 その時、遥か上にいる鎧機兵がいきなり飛翔した。
 無論、空を飛べる訳ではない。当然の如くその機体は落下してきた。

「え? きゃ、きゃああ――」

「サーシャ!」

 アッシュが鋭い声を上げ、サーシャを庇うように抱き寄せる。
 その直後、超重量の物体が甲板に降り立ち、強い風が吹き荒れた。
 だが、振動はない。猫科を思わすその形状通り軽やかに降り立ったようだ。
 そして、異形の鎧機兵が語り出す。

『ふふふっ、お待ちしていましたよ。クラインさん』

「……ボルド=グレッグ。わざわざ待ってくれたのかよ」

 怯えるサーシャを抱きしめつつ、アッシュがそう呻く。

『ええ。ここならば必ずお会いできると思っていましたので。私の愛機・《地妖星》と共にお持ちしておりました』

 言って、異形の鎧機兵――《地妖星》が戦鎚を横に薙いだ。
 恒力値・三万七千五百ジン。《黒陽社》の最高傑作と呼ばれる九機の一機だ。

「……ふん。相変わらず不細工な機体だな」

『それは酷い。あなたの《朱天》も充分異形ですよ。まあ、それはさておき……』

 と呟くボルドに合わせて《地妖星》がサーシャの顔を見つめた。
 そしてまじまじと観察した後に、今度はアッシュの顔を見やる。

『しかし、クラインさん。随分とその少女を大切にしているようですが、もしかして彼女はあなたの恋人だったのですか?』

 いきなりそんなことを言い出すボルドに、アッシュは眉をしかめ、サーシャは頬を赤く染めた。確かにアッシュは今、サーシャを抱きしめるように庇っている。見ようによっては恋人に見えるだろう。サーシャの鼓動が少し高鳴る。
 しかし、アッシュの方は平然とした面持ちで、

「いきなり何を言い出すのやら……。この子は俺の弟子だぞ」

 はっきりとそう告げる。サーシャは明らかにがっくりと肩を落とした。
 だが、がっかりしたのはボルドの方も同様らしく、

『おや、お弟子さんだったのですか。もし恋人ならば喜ばしい事だと思ったのですが……』

「なんで俺に恋人が出来るのが喜ばしいんだよ。お前は俺の父親か」

 と、アッシュが呆れた口調で告げる。
 すると、ボルドは《地妖星》の中でふふっと笑い、

『いえいえ。どうも報告ではあなたは未だ《彼女》のことを――』

「……それこそ余計なお世話だ。つうか、お前が言うと嫌味にしか聞こえねえぞ」

 怒気と殺気を宿した声でアッシュが呟く。
 自然とサーシャを抱きしめる手の力も強くなる。サーシャが眉根を寄せた。
 ボルドは額に手を当て嘆息する。

『まあ、確かに嫌味に聞こえますね。先代の頃の話とはいえ、所詮、私も先代第5支部長と同じ穴のムジナですし』

「ああ、先代も今代も関係ねえ。お前らは今も変わらず村とあいつとの仇だ」

 絶対に許すことなどない。アッシュはそう宣戦布告した。
 そして、その言葉こそ、ボルドの望んでいたものでもある。

『ふふ、ごもっともです。では……』

「ああ、さっさと始めようぜ」

 言ってアッシュは困惑した表情を浮かべるサーシャから離れ、小太刀を抜いた。
 そして愛機の名を呟く。
 途端、甲板に光の紋様が描かれ、鎧機兵を指定座標へと転送させる転移陣が現れる。そこからゆっくりと現出するのは漆黒の鎧機兵――《朱天》だ。
 ボルドは現れた時に述べた通り、ただ戦闘の時を待っていた。
 アッシュは《朱天》の胸部装甲を開くと、サーシャの方へ振り向く。

「サーシャ。こっち来るんだ」

「……え?」

 キョトンとするサーシャ。アッシュは言葉を続ける。

「お前を一人には出来ねえよ。俺と一緒に《朱天》に乗るんだ」

「で、でも……」

 サーシャは少し躊躇った。
 自分が乗っては足枷になるのではないかと思ったのだ。
 対し、アッシュは苦笑を浮かべ、かぶりを振る。

「お前を放置する方が気になって戦いに集中できねえよ。早くおいでサーシャ」

 最後の言葉は、とても優しい口調だった。
 サーシャはなお戸惑いながらも、こくんと頷いた。
 そして二人は《朱天》に搭乗した。操縦シートの上、アッシュが前、サーシャが後ろに座った状態だ。流石に少し狭いが仕方がない。
 いずれにせよ、戦闘準備は完了だ。

『……待たせたな。ボルド=グレッグ』

『いえ、たいして待っていませんよ。ではいよいよ……』

 主の高揚に応えるように《地妖星》が戦鎚を横に振るった。
 それに対して、《朱天》も左手を突き出し、右の拳を固めた。

『いきますよ。クラインさん!』

『来やがれ! ボルド=グレッグ!』

 同時に甲板を蹴る《朱天》と《地妖星》。
 そして二機は正面から激突し、轟音が甲板に響いた――。
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