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第14部
第八章 譲れない願い④
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闘技場の舞台に入る門の一つ。
赤門の待機室にて、シャルロットは緊張していた。
他に人はいない。
ここは試合直前の選手が案内される個室だ。
精神を集中させるためか、無駄な装飾もない簡素な部屋だった。
そんな誰もいない静かな部屋で、シャルロットは自分の脈でも図るように手首を掴んで、じっと見つめていた。
数秒の時間を空けて瞳を閉じる。
(まさか、こうも早くミランシャさまと当たるとは……)
相手はかの《七星》の一人。
自分よりも遥かに格上の相手。紛れもない最有力の優勝候補者である。
そんな相手と一回戦でぶつかるとは。
運がなかったと言ってしまえばそれまでの話か。
(ですが、遅かれ早かれでもありますね)
トーナメントである以上、いつかはミランシャとも当たっていたはずだ。
ならば、余力が最もある内に最大の敵と戦えることは僥倖と考えてもいいか。
シャルロットは、まだ勝利を諦めてはいなかった。
確かに、実力差はあるだろう。
ミランシャは《七星》であると同時に、現役の騎士でもある。
それも、勇猛で知られる皇国騎士団の上級騎士だった。多少の実戦経験はあっても本職はメイドに過ぎない自分とは、戦闘経験においても大きな開きがあることだろう。
戦闘能力では及ばない。
けれど、あるじさまに対する想いならば、負けているつもりはなかった。
あるじさまのためならば、この恥ずかしい衣服を着ることだって辞さない覚悟だ。
しかし、改めて思うが――。
(……どうも、私は皆さまに少し侮られているような気がします)
メイドという職業柄か、どうも周囲には控え気味のように思われている節がある。
確かに、それは真実かもしれない。
常に、主人を立てるように心がける。
それがメイドというものだ。
だが、それはあくまでメイドとしての心構え。
一人の女としては別だった。
あるじさまに関してならば、話は全く別物だった。
彼と離れ離れになって、どれほどの寂しさを抱えてきたことか。
彼に逢いたいと、どれほど深く想い続けてきたことか。
そうして数年もの時を経て――。
(……あるじさま)
ようやく、逢えた。
数奇な運命と共に、ようやく逢えたのだ。
けれど、やっと逢えたというのに。
自分はまだ、彼に存分に甘えていない。
あるじさまから、まだお情けをもらっていない。
すでに、自分の願いも想いも覚悟も告げているというのに。
この国に来てから、すでに何度も工房には寝泊まりしているというのに。
彼は、一度も夜伽を命じてくれなかった。
そのことは、ずっと不満だった。
表面は平然を装いつつも、ずっと不満に思っていたのだ。
そして訪れた今回の機会。
絶好の機会だと思った。
この機会を利用して、今度こそ、身も心もあるじさまのものとなるのだ。
(三人目になるのは私です)
密かに、そう決意していた。
そもそも自分は唯一の『ステージⅡ』だ。ミランシャたちからは散々特例とか言われてきたが、唯一の『ステージⅡ』の到達者なのである。
だからこそ、三人目は、自分こそが相応しいのである。
「……ミランシャさま」
シャルロットは、瞳を開いて呟く。
「年功序列の重さというものを、ここでお教えいたしましょう」
静かな決意と共に。
彼女は、グッと拳を固めた。
一方、その頃。
ミランシャはミランシャで、静かに瞑想していた。
シャルロットがいる場所と対になる部屋で。
背中を煉瓦造りの壁に寄りかけて、赤い瞳をずっと閉じている。
(最初の対戦相手が、まさかのシャルロットとはね)
シャルロットは、ミランシャにとって最も親しい友人とも言える。
勝気なミランシャと、控えめなシャルロット。
恐らく相性がいいのだろう。何となく気が合うのだ。
アリシアとサーシャの関係に似ているのかもしれない。
しかし、仲が良いからこそ気付くこともある。
シャルロットは控えめに見えて、実は相当頑固なところがある。
絶対に退かないところがあるのだ。
特に彼に関しては。
(恐らく全力で来るでしょうね)
ミランシャは、ゆっくりと瞳を開いて苦笑を零した。
格上だろうが関係ない。
自分の望みを叶えるために、全霊をかけて挑んでくるだろう。
シャルロットは、絶対に三人目の座を諦めてなどいない。
同じ男を愛した女同士であり、同時に親しい友人でもあるからこそ、彼女の気持ちをはっきりと感じ取れる。
「だけど、アタシも負けてられないのよ」
そう呟き、ミランシャは小さく嘆息した。
ミランシャは元々、コウタをアッシュに会わせるという任務でこの国に訪れていた。
それが終われば報告のためにも、一度皇国に帰国しなければならない。
こればかりは、拒否することも出来ない。
だが、シャルロットは違う。
彼女は、この国に残る予定なのだ。
そのために、今はクライン工房にも毎日通い、食事の用意から家事全般をオトハから引き継いでいるらしい。今やクライン工房専属の住み込みメイドさんだった。
こう言っては何だが、年齢的にも容姿的にも立場的にも、シャルロットは誰よりも有利な状況にある。仮に三番目になれなくても、四番目か五番目には入れるはずだ。
一度帰国しなければならないミランシャとは違うのである。
(アタシはこの機会を逃したら、下手すると九番目ってこともあり得るし)
はあァ、と深い溜息をつく。
ただでさえ、ライバル視していたオトハに大差をつけられてヘコんでいるというのに、ユーリィやルカにまで先を越されたら、この上なく落ち込むことになるだろう。
しかし、帰国してしまうと、その可能性が大いにあるのだ。
ユーリィたちもいつまでも子供ではない。心も体も日々成長しているのだから。
メンバーの中で、最も不利な立場にあるのがミランシャなのである。
(アタシはアシュ君が好き)
その想いに一切の揺らぎはない。
たとえ、どれほど離れたとしても、想いだけはどこへでも翔んでいける。
彼との絆が消えることなんてあり得ない。
そう確信している。
けれど、この身に付いたしがらみを消すのは容易ではないだろう。
次にこの国に来られるのは一体いつになることやら……。
だからこその三人目の座。今回の機会なのだ。
(……この機会に、アタシはアシュ君に愛される)
彼の女となる。
それは、ミランシャにとって目的の前段階だった。
もはや、それだけで満足するつもりはなかった。
(……アタシは)
頬を染めて、そっと自分の腹部に片手を添える。
自分がこの国に戻ってくる理由。
それが欲しかった。
愛する弟に祝福されて。
横暴な祖父を黙らせるような強烈無比な理由を。
この国に戻ってきても当然であるという理由を宿すのだ。
それこそが、今回の機会を利用した彼女の真の目的なのである。
「だからこそ負けられないよ」
ふうっと少し火照ってきた顔を片手で扇ぎつつ、ミランシャは呟く。
「悪いけど、シャルロット」
ミランシャは、パンと拳で手の平を打ち付けた。
「アタシには負けられない理由があるの。ここは容赦なく勝たせてもらうからね」
そう言って、彼女は待機室のドアを――その先の相手を見据えた。
そして――。
『レディース&ジェントルメーーーン! 大変長らくお待たせいたしました! これより第一回戦・最終試合を行います!』
司会者は、実況席から声を張り上げた。
『それでは選手入場です!』
そう告げると同時に、それぞれの門から女性が歩いて出てくる。
色違いの操手衣を纏った、真紅と藍色の対照的な二人の女性。二人の大腿部には鎧機兵召喚用の短剣の鞘が装着されている。
「「「おおおおおおおおおおおおおおお―――ッッ!」」」
本日最後の試合。
会場の熱気もピークに至っていた。
そんな中、彼女たちは静かな眼差しで互いの姿を見据えていた。
そこだけが、熱気から除外されている。
まるで世界に二人しかいないような、静謐な眼差しだった。
数秒後、彼女たちは同時に瞳を閉じた。
互いの姿を、その瞳に焼きつけた証のように。
かくして。
二人の女傑の戦いの幕が、切って落とされるのである。
赤門の待機室にて、シャルロットは緊張していた。
他に人はいない。
ここは試合直前の選手が案内される個室だ。
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そんな誰もいない静かな部屋で、シャルロットは自分の脈でも図るように手首を掴んで、じっと見つめていた。
数秒の時間を空けて瞳を閉じる。
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ならば、余力が最もある内に最大の敵と戦えることは僥倖と考えてもいいか。
シャルロットは、まだ勝利を諦めてはいなかった。
確かに、実力差はあるだろう。
ミランシャは《七星》であると同時に、現役の騎士でもある。
それも、勇猛で知られる皇国騎士団の上級騎士だった。多少の実戦経験はあっても本職はメイドに過ぎない自分とは、戦闘経験においても大きな開きがあることだろう。
戦闘能力では及ばない。
けれど、あるじさまに対する想いならば、負けているつもりはなかった。
あるじさまのためならば、この恥ずかしい衣服を着ることだって辞さない覚悟だ。
しかし、改めて思うが――。
(……どうも、私は皆さまに少し侮られているような気がします)
メイドという職業柄か、どうも周囲には控え気味のように思われている節がある。
確かに、それは真実かもしれない。
常に、主人を立てるように心がける。
それがメイドというものだ。
だが、それはあくまでメイドとしての心構え。
一人の女としては別だった。
あるじさまに関してならば、話は全く別物だった。
彼と離れ離れになって、どれほどの寂しさを抱えてきたことか。
彼に逢いたいと、どれほど深く想い続けてきたことか。
そうして数年もの時を経て――。
(……あるじさま)
ようやく、逢えた。
数奇な運命と共に、ようやく逢えたのだ。
けれど、やっと逢えたというのに。
自分はまだ、彼に存分に甘えていない。
あるじさまから、まだお情けをもらっていない。
すでに、自分の願いも想いも覚悟も告げているというのに。
この国に来てから、すでに何度も工房には寝泊まりしているというのに。
彼は、一度も夜伽を命じてくれなかった。
そのことは、ずっと不満だった。
表面は平然を装いつつも、ずっと不満に思っていたのだ。
そして訪れた今回の機会。
絶好の機会だと思った。
この機会を利用して、今度こそ、身も心もあるじさまのものとなるのだ。
(三人目になるのは私です)
密かに、そう決意していた。
そもそも自分は唯一の『ステージⅡ』だ。ミランシャたちからは散々特例とか言われてきたが、唯一の『ステージⅡ』の到達者なのである。
だからこそ、三人目は、自分こそが相応しいのである。
「……ミランシャさま」
シャルロットは、瞳を開いて呟く。
「年功序列の重さというものを、ここでお教えいたしましょう」
静かな決意と共に。
彼女は、グッと拳を固めた。
一方、その頃。
ミランシャはミランシャで、静かに瞑想していた。
シャルロットがいる場所と対になる部屋で。
背中を煉瓦造りの壁に寄りかけて、赤い瞳をずっと閉じている。
(最初の対戦相手が、まさかのシャルロットとはね)
シャルロットは、ミランシャにとって最も親しい友人とも言える。
勝気なミランシャと、控えめなシャルロット。
恐らく相性がいいのだろう。何となく気が合うのだ。
アリシアとサーシャの関係に似ているのかもしれない。
しかし、仲が良いからこそ気付くこともある。
シャルロットは控えめに見えて、実は相当頑固なところがある。
絶対に退かないところがあるのだ。
特に彼に関しては。
(恐らく全力で来るでしょうね)
ミランシャは、ゆっくりと瞳を開いて苦笑を零した。
格上だろうが関係ない。
自分の望みを叶えるために、全霊をかけて挑んでくるだろう。
シャルロットは、絶対に三人目の座を諦めてなどいない。
同じ男を愛した女同士であり、同時に親しい友人でもあるからこそ、彼女の気持ちをはっきりと感じ取れる。
「だけど、アタシも負けてられないのよ」
そう呟き、ミランシャは小さく嘆息した。
ミランシャは元々、コウタをアッシュに会わせるという任務でこの国に訪れていた。
それが終われば報告のためにも、一度皇国に帰国しなければならない。
こればかりは、拒否することも出来ない。
だが、シャルロットは違う。
彼女は、この国に残る予定なのだ。
そのために、今はクライン工房にも毎日通い、食事の用意から家事全般をオトハから引き継いでいるらしい。今やクライン工房専属の住み込みメイドさんだった。
こう言っては何だが、年齢的にも容姿的にも立場的にも、シャルロットは誰よりも有利な状況にある。仮に三番目になれなくても、四番目か五番目には入れるはずだ。
一度帰国しなければならないミランシャとは違うのである。
(アタシはこの機会を逃したら、下手すると九番目ってこともあり得るし)
はあァ、と深い溜息をつく。
ただでさえ、ライバル視していたオトハに大差をつけられてヘコんでいるというのに、ユーリィやルカにまで先を越されたら、この上なく落ち込むことになるだろう。
しかし、帰国してしまうと、その可能性が大いにあるのだ。
ユーリィたちもいつまでも子供ではない。心も体も日々成長しているのだから。
メンバーの中で、最も不利な立場にあるのがミランシャなのである。
(アタシはアシュ君が好き)
その想いに一切の揺らぎはない。
たとえ、どれほど離れたとしても、想いだけはどこへでも翔んでいける。
彼との絆が消えることなんてあり得ない。
そう確信している。
けれど、この身に付いたしがらみを消すのは容易ではないだろう。
次にこの国に来られるのは一体いつになることやら……。
だからこその三人目の座。今回の機会なのだ。
(……この機会に、アタシはアシュ君に愛される)
彼の女となる。
それは、ミランシャにとって目的の前段階だった。
もはや、それだけで満足するつもりはなかった。
(……アタシは)
頬を染めて、そっと自分の腹部に片手を添える。
自分がこの国に戻ってくる理由。
それが欲しかった。
愛する弟に祝福されて。
横暴な祖父を黙らせるような強烈無比な理由を。
この国に戻ってきても当然であるという理由を宿すのだ。
それこそが、今回の機会を利用した彼女の真の目的なのである。
「だからこそ負けられないよ」
ふうっと少し火照ってきた顔を片手で扇ぎつつ、ミランシャは呟く。
「悪いけど、シャルロット」
ミランシャは、パンと拳で手の平を打ち付けた。
「アタシには負けられない理由があるの。ここは容赦なく勝たせてもらうからね」
そう言って、彼女は待機室のドアを――その先の相手を見据えた。
そして――。
『レディース&ジェントルメーーーン! 大変長らくお待たせいたしました! これより第一回戦・最終試合を行います!』
司会者は、実況席から声を張り上げた。
『それでは選手入場です!』
そう告げると同時に、それぞれの門から女性が歩いて出てくる。
色違いの操手衣を纏った、真紅と藍色の対照的な二人の女性。二人の大腿部には鎧機兵召喚用の短剣の鞘が装着されている。
「「「おおおおおおおおおおおおおおお―――ッッ!」」」
本日最後の試合。
会場の熱気もピークに至っていた。
そんな中、彼女たちは静かな眼差しで互いの姿を見据えていた。
そこだけが、熱気から除外されている。
まるで世界に二人しかいないような、静謐な眼差しだった。
数秒後、彼女たちは同時に瞳を閉じた。
互いの姿を、その瞳に焼きつけた証のように。
かくして。
二人の女傑の戦いの幕が、切って落とされるのである。
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