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第14部

第二章 レディース・サミット3④

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「トウヤ。トウヤ」

 何やら、アッシュの運命が大きく決定しそうになっている傍らで。
 アッシュ当人も、なかなか困った状況になっていた。

 ――ぎゅむう、と。
 大きな双丘が、押し付けられる。
 レナが、パイプ椅子に座るアッシュの胸に腕を回して、しがみついているのだ。

「いや、あのな、レナ」

 アッシュは、彼女の頭を掴んで引き剥がそうとするが、全然離れようとしない。
 もちろん、アッシュが本気で力を込めれば離れるだろうが、それをすると、レナが怪我をしてしまいそうなので出来ない。

「いい加減、しがみつくのはやめてくれ」

「――イヤだ!」

 レナは即答した。

「まだ抱きつき足りないんだ!」

「いや、お前な」

 アッシュは困惑した。レナに、こんな抱きつき癖があっただろうか?
 すると、レナの仲間――キャスリンと名乗った女性が、コホンと喉を鳴らした。
 ちなみに、他の仲間――ダインとホークスという名前の仲間たちもこの場にいて、アッシュ同様にパイプ椅子に座っていた。

「すまない。トウヤ君」

 キャスリンは言う。

「団長……レナは、この国に来るまで、君は死んでしまったものと思っていたからね。君が生きていて、もう嬉しくて嬉しくて仕方がないのさ。久しぶりに主人と出会った子犬の反応のようなものと思ってくれ。しかし」

 そこでキャスリンは立ち上がり、レナの背後まで忍び寄った。

「流石に話が始まらないな。いい加減にしたまえ。レナ」

 そう言って、少し強めにレナの胸の下辺りからアバラまでを手でなぞった。
 途端、レナは「ひゃんっ!?」と目を剥いた。思わず手を離して仰け反る。
 そんなレナを、キャスリンは両腕で掴んで捕獲した。

「レナはここが弱いんだ。胸の下辺りからなぞると硬直する。何度もなぞると驚くぐらい大人しくなるんだ。今後のために憶えておくといいよ」

 そんなことを告げてから、キャスリンは、レナを軽々と肩に担いだ。
 これはキャスリンが怪力ではなく、レナが非常に軽いのだろう。
 キャスリンは、レナを強引にパイプ椅子に座らせた。

「レナ。ステイ」

「オレは犬じゃねえ!」

 歯を見せて、怒るレナ。
 キャスリンは少しホッとする。完全にいつものレナだった。

「元気いっぱいだね。良いことだ。けど、そろそろ会話に入らせてくれ。君だってトウヤ君がどうしてここにいるとか聞きたいんじゃないのかい?」

「う……」

 レナは、言葉を詰まらせた。
 すると、アッシュが、

「そういやレナ。お前ってそんな口調だったか? 確か、昔は自分のことを『オレ』とは言ってなかったような……」

 あやふやな記憶を探ってそう尋ねる。と、

「おう! この前までは『あたし』だったけど、妹の口調がうつったんだ!」

「へ? 妹さん?」

 そこで、アッシュは一つ思い出す。

「そういやお前、行方不明の妹さんを探してたよな。つうことは……」

「うん!」

 レナは、ニカっと笑った。

「やっと見つけたんだ! 聞いて驚けよ! 妹は結婚してたんだ!」

「へえ~」

 アッシュは目を丸くした。

「そいつは吉報だな。良かったじゃねえか」

「おう! 今や伯爵夫人さまだ!」

「伯爵夫人が『オレ』なんて言ってんのか!?」

 どうやら妹の方も、かなり破天荒な人物のようだ。

「おう! オレの妹だしな! そんでトウヤ」

 レナは、少しだけテンションを落として、アッシュに問う。

「お前の方こそどうしたんだ? クライン村に何があったんだ? どうしてこんな遠い国で職人なんてしてるんだ?」

 その問いかけに、アッシュは表情を真剣なものにした。
 レナはもちろん、ダインやホークス。キャスリンも神妙な顔つきになる。

「……店主、殿」

 その時、ホークスが口を開いた。

「俺たちは……席を外した、方がいいか?」

「いや。ホークスさんだったな。気遣ってくれてありがとな。けど、いいよ」

 アッシュは、ホークスに頭を下げてから、話し始めた。
 クライン村の結末について。
 村人はほとんど殺され、生き残ったのは三人だけ、と。
 レナは尋ねる。

「じゃあ、生き残ったのは、サクとコウタと、お前だけなのか?」

 奇しくも、目の前の青年も含めて、面識のある人間ばかりだった。

「……ああ。そうなるな」

 アッシュは内心で皮肉気に笑った。
 本当の意味で生き残ったのは、コウタ一人だけだ。
 アッシュとサクヤは、一度命を落としている。
 しかし、レナに、アッシュの心情までは分からない。

「あ、あのさ」

 足を内股に、指先を絡めて不安そうに尋ねる。

「サクも生きてんなら、やっぱりトウヤとサクって……」

 当時、二人は恋人同士だった。
 ならば、もう結婚している可能性は高い。

「……いや」

 それに対し、アッシュはかぶりを振った。

「クライン村が潰された日。俺たちはバラバラになったんだ。コウタとも……サクとも再会したのはつい最近だ。俺は二人とも死んでいると思っていたぐらいだ」

「え、そうなのか……。じゃあ、サクとは……」

 レナは、ぱあっと表情を輝かせた。

「おう。サクか」

 アッシュは、ニカっと笑って告げた。

「実は、サクもコウタも、今この国にいるんだよ」

「……そうなのか……」

 続く台詞に、レナは少しだけ表情を曇らせた。
 コウタはいい。あの子はレナも可愛がっていた。
 しかし、サクヤは……。

「……トウヤは」

 今でも、サクヤのことが好きなのか?
 そう尋ねるつもりだったが、アッシュは別の質問だと捉えた。

「俺か? 俺も村が潰れた後は色々あったな。村のことを忘れないために、自分の名前を変えたり。傭兵になったり騎士になったりな。そんで今はこの店の店主をしてる」

「……そういや、元騎士って肩書だったっすね」

 と、ダインが呟く。彼は露骨に不機嫌そうだった。
 まあ、あれだけ、レナが甘える姿を見せつけられては当然か。
 それに対し、キャスリンは、苦笑を浮かべた。

「まあ、拗ねないでくれ。ダイン君。今後の方針は後で考えよう。それよりトウヤ君。君には傭兵の経験もあったんだね」

「ああ。二年間ぐらいな。それよりキャスリンさん」

 そろそろ『トウヤ』と呼ぶのは、やめて欲しい。
 そう願おうとしたのだが、それは、レナの声にかき消されてしまった。

「マジかっ!? トウヤは傭兵だったのかっ!」

 ガタンッ、とパイプ椅子を倒して、アッシュに詰め寄ってくる。
 アッシュも流石に気圧された。

「お、おう。昔な……」

「そっかあ! そっかあ!」

 レナは、キラキラと瞳を輝かせた。
 そんな団長の様子に、団員たちはすぐさま現状を察した。

「(うわ。これって)」

「(……う、む。団長、スカウト、する気だな……)」

「(いや!? どこの馬の骨かも分からない野郎なんすよ!?)」

 三人は小声で語り合う。
 一方、レナは嬉しそうに何度も頷き、

「そっか、そっかあ……うんうん! よし!」

 それから、よいしょっ、とアッシュの膝の上に馬乗りになった。
 密着に等しい距離で、正面から向かい合わせになる姿勢だ。
 あまりにも当然のように移動してきたので、アッシュであっても反応できなかった。
 レナの見た目が、ユーリィやルカと同世代にしか見えない油断もあった。

「お、おい、レナ?」

「……ん? もう互いの近況は報告しただろ?」

 レナは、小首を傾げた後、ニカっと笑った。

「そんじゃあ続きだ! こっからは無制限アンリミテッドハグタイムだ!」

「何だそりゃ!?」

 思わずアッシュはツッコんだ。

「……店主、殿」

 その時、ホークスが口を開いた。

「俺たちは……席を外した、方がいいか?」

「何の気遣いだ!? キャスリンさん! レナを引き剥がしてくれ!?」

 アッシュは一度助けてくれたキャスリンに救いを求めたが、

「キャス。二日間ホークスと一緒に特別休暇。ボーナス付きだ」

「すまないね。トウヤ君。しばらくレナを甘えさせてくれ。何なら、そのまま二階にお持ち帰りにしてもいいから」

「――キャスさん!? オイラとの約束は!?」

「仕方がないじゃないか。こうして本命が生きているんだし」

 肩を竦めるキャスリン。
 ダインは茫然とした。アッシュも愕然とした。

「いやいやいや! これ、見た目的にヤべえし!?」

「トウヤ。早く。早く。早く」

 レナが、瞳を輝かせて言う。
 自分の太股の上に両手を置いて、自分からは抱きつこうとはしない。
 まるで撫でられるのを待つ子犬のように、「早く。早く」を繰り返す。
 ちなみに、完全に忘れ去られているかもしれないが、この時、クライン工房の二階にはメルティアとゴーレムたちが隠れていた。人見知りのため、未だ出られずにいるのだ。
 静かに息を潜める中、メルティアは真剣な様子でメモを取っていた。

無制限アンリミテッドハグタイム。自分からは抱きつかない。これは盲点でした」

 と、ブツブツ呟いている。
 兄の危機は、弟の危機にも直結しそうだった。

「トウヤ! 早く。早く。早く」

 緋色の瞳を、さらに輝かせるレナ。
 抱きやすさを考えてか、ジャケットを脱いで、パサリと後ろに落とす。

「お、おい。レナ……」

 アッシュは、顔を強張らせた。
 今やレナの姿に、ふさふさの尻尾と犬耳の幻影が見えるような気がしてきた。
 しかし、そんな状況を打破してくれる者が現れた。
 ――いや、正確に言うのなら、根こそぎ破壊する者か。

「……何をしてるの?」

 その声は、作業場の入り口付近から聞こえてきた。
 レナ、そしてキャスリンたちも入り口の方に目をやった。
 もちろん、アッシュもそちらに目を向ける。
 そして――。

「ユーリィ……。メットさん……」

 喉を鳴らして、二人の名を呟いた。

 ――そう。冷気すら宿して。
 この上なく虚ろな目をした、愛娘と愛弟子がそこにいたのだ。
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