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第12部

第三章 迷い猫③

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 その時、三人は、クライン工房に向かう停留所へと進んでいた。


「へえ。リノちゃんは学生じゃないんだ」


 と、サーシャが言う。
 彼女の隣にはアリシアと、市街区で出会ったリノの姿がある。
 驚くべきことに、コウタの正妻を名乗る少女である。
 さらにその隣には蒼いゴーレムの姿もあった。
 彼女のことは、流石に最初は訝しんだ。


「(この子の話は、ルカから聞いてないわよね?)」

「(うん。けど、コウタ君達のことも、私達や先生のことまで知っているし、知り合いなのは確かみたいだね)」


 と、アリシアとこっそり相談した結果、少なくとも彼女がコウタの知り合いであると判断したのだ。
 そして、彼女はクライン工房へ行きたがっていた。
 その目的は一つ。


『コウタの正妻として、義兄上にご挨拶に行くのじゃ!』


 とのことだ。
 サーシャ達も丁度、クライン工房に向かっている途中。だったら一緒に行こうという話になって、今に至るのである。


「うむ。そうじゃな」


 リノが答える。


「わらわは学校とやらに行ったことがない。一度行ってみたいとは思うがの」

「……ヒメハ、アキッポイ。ジュギョウ、ムリソウ」


 と、蒼いゴーレムが言う。リノは「何を言うか!」とポコンと兜を叩いた。
 その様子にアリシアは呆れたように目を細め、サーシャはクスクスと笑った。


(けど、凄いなあ、コウタ君)


 改めてサーシャは思う。
 ルカから聞いた話だと、あの少年に想いを寄せるのは、メルティア、リーゼ、アイリの三人。今回の来訪者で、ミランシャとシャルロットを除く全員だ。
 その上、こんなとんでもない美少女も加わるということらしい。いや、リノの話では他にも少し年上だが、リノの目から見ても中々の美女がもう一人いるとのことだ。


(総勢五人かぁ。流石は先生の弟さんだ……)


 少し遠い目をしてそう思う。
 まあ、兄にはまだ敵わないかもしれないが。


「けどさ、リノちゃん」


 今度はアリシアが口を開く。その表情は少し困惑した様子だ。


「正妻をアピールするってことは、リノちゃんはハーレム肯定派なの?」


 つい最近まで自分達の間でも命題になった事柄を問う。
 対し、リノといえば、


「ん? そうじゃが、何か問題があるのか?」


 躊躇うこともなくそう言い放った。
 すでにそれを受け入れているアリシアとサーシャでも頬を引きつらせる。


「そ、そうなの。躊躇いがないわね」


 アリシアがそう言うと、リノはどこか苦笑めいた笑みを見せた。


「まあの。古来より『英雄、色を好む』と言うしの。『英雄』の傍らに多くの女がいるのはむしろ当然じゃ。それが『英雄』というものじゃろう。まあ、それに」


 そこで、彼女は苦虫を噛み潰すような表情を浮かべた。


「わらわは、その事例をよく知っておるからの。実体験として」

「実体験って?」


 少し興味深そうにサーシャが尋ねる。
 すると、リノは大きく溜息をつき、


「わらわの父上の話じゃ。わらわの父上もまた『英雄』でのう。必然というべきか、わらわには実母を含め、十一人も母上がおるのじゃ」

「「――十一人!?」」


 サーシャとアリシアは、愕然とした声を上げた。


「何それ!? どっかで聞いた話なんだけど!?」

「ん? 何じゃ? そんな話が他にもあるのか?」


 リノは一瞬不思議そうに首を傾げるが、


「まあ、よいか。話を戻すが、わらわの父は気に入った女を見つけると、何がなんでも自分のモノにする男なのじゃ。時には強引なぐらいにの。おかげで今では十一人にまで膨れ上がった訳じゃな」

「え? それって『英雄』の話? ただの節操なしじゃないの?」


 と、アリシアがもっともなことを言うが、リノは苦笑を浮かべて。


「確かに節操なしではあるが、それでも、父は母達に一切の隠し事はしておらん。口説き落とす前でも、他に妻がいることさえ隠さん。すべてをさらけ出してなお、彼女達の心を奪ったのじゃ。そういう意味では、やはり『英雄』じゃろう」

「「……………」」


 アリシアとサーシャは、無言になった。
 何となく、となる人物の顔が思い浮かぶ。二人の父の友人だという人物だ。
 ただ、流石に同一人物とは思わない。
 十一人の妻という符号も一致するが、リノの容姿を見るほどに、どうしてもあの人物から、こんな極上の美少女が生まれるとは思えなかったのだ。


「(世の中、似た人はいるものね)」

「(うん。確かに)」


 と、二人は納得した。
 そんな中、リノは話を続けた。


「しかし、それを言うのなら、義兄上にしても同じことであろう。お主らは二人とも義兄上の女ではないのか?」

「「……え」」


 いきなりそんなことを指摘され、サーシャとアリシアはキョトンとした。
 ――が、すぐに二人して顔を赤らめて。


「い、いや! それはっ!」

「そ、そのっ!」


 二人して激しく動揺する。
 サーシャもアリシアも耳を真っ赤にして、パタパタと両手を振っていた。
 その様子に、リノは小首を傾げた。


「なんじゃ? その様子では、二人とも義兄上にはまだ抱かれておらんのか? もしや二人とも生娘なのか?」

「直球で聞かないでよ!?」


 アリシアが叫ぶ。サーシャの方はヘルムを被って、顔を覆っていた。


「ふむ。すでに出会って、そこそこの月日なのじゃろう? これほどの美少女達にまだ手を出さぬとは……義兄上は父上に比べると随分と消極的じゃのう。コウタの兄ならば、間違いなく『英雄』の相だと思うのじゃが……」


 そんなことを呟く。すると、いつもは穏やかなサーシャが少しだけムッとした。
 ヘルムをカポッと脱いで、リノを見つめる。


「……先生は、リノちゃんのお父さんとは違うよ」


 サーシャは言う。


「先生は優しい人なの。いつも相手を気遣う人なの。その人だけじゃなく、周囲の人達のことも。強引な真似なんてしない。だからきっと……」


 そこで彼女は視線を落とした。


「私達が横暴な手段で奪われそうにならない限り」


 ポツポツ、と語る。


「アッシュは私達を求めたりしない。ただ、私達を見守るだけだと思う」

「……サーシャ」


 アリシアが、幼馴染の名を呼んだ。
 それは、アリシアも思っていたことだった。
 かつてオトハは言った。
 自分達が誰かに奪われそうになった時、アッシュは貪欲に自分達を求めてくると。
 しかし、それは裏を返せば、そんな状況にでもならない限り、今の関係は決して前に進まないということだ。


「オトハさんはいい。ミランシャさんも、シャルロットさんも」


 サーシャの呟きは続く。
 オトハ達は、きっとアッシュに対等だと思われている。恐らく三人の内の誰かは、いつかは彼と恋人関係になる可能性もあると思う。


「けど、私達は、アッシュにとって……」


 サーシャ、アリシア、ルカ。そしてユーリィ。
 彼女達は、アッシュにとっては守るべき者達だ。
 その関係は、月日が経っても、きっと変わらないような気がする。
 奇しくも今、アッシュの本当の名を知る者と、知らない者。
 それが、これからの未来を示唆しているような気がした。


「………」


 無言になるサーシャ。アリシアもまた視線を落として沈黙した。
 ずっと、思っていたのだ。
 結局、自分達は、彼にとって、か弱い子供に過ぎないのではないかと。
 足を完全に止めて黙り込む二人。
 すると、リノが「ふ~む」と呟いた。


「悩みは分かるが、重要な点がずれているような気がするのう」

「「………え?」」


 サーシャとアリシアは、眉根を寄せた。
 リノは言葉を続ける。


「そもそも、危機を待つ必要がどこにあるのじゃ?」

「……え?」


 サーシャは目を丸くした。アリシアは目を瞬かせている。


「重要な点は、奪われそうになることではない」


 ようやく見えてきた停留所に向けて、リノは駆け出す。
 そして呆気にとられるサーシャ達の方へと、くるりと振り向いた。


「重要なのは、義兄上がお主らを奪われたくないほどに大切に思っていることであろう。その想いがなければ、切っ掛けがあっても何も動かん」

「そ、それはそうだけどさ」


 アリシアが言う。


「アッシュさんは生真面目な人なのよ。よほどのことがない限り、私達に手なんか出さないだろうし、ましてやハーレムなんて……」

「なんじゃ? なんだかんだ言っても、お主らもハーレムを前提にしておるのか?」


 リノは、「アハハ」と笑う。
 サーシャとアリシアは「「むむむ」」と唸った。


「なら、なおさらじゃ」


 リノは言う。


「つまらぬことで悩むな。生真面目人間にハーレムを築かせるようなことなど、真っ当な思考や手段で叶うはずもあるまい。ならば――」


 そこで、猫のような少女は楽しそうに笑う。


「早々に抱かれてしまえ」

「「え」」


 サーシャ達は唖然とする。


「何度も言うが危機を待つ必要などない。結局、鶏が先か、卵が先かの話じゃ。ならば、さっさと義兄上に抱かれて義兄上の女になってしまうことじゃな」


 リノは、さらに続ける。


「迷うな。お主らの本気を見せよ。義兄上でなければ、お主らを幸せにできないことをはっきりと示してやればよい」

「え? 何それ?」


 アリシアが、困惑した声を上げる。サーシャの方は声もなかった。
 リノはくるくると回りながら、言葉を続ける。


「下衆な輩に奪われる危機を待つ。それ自体が受け身になりすぎじゃ。お伽噺の乙女ではあるまいし。お主らがこれから歩もうとしているのは茨の道なのじゃぞ。ならば、良識など捨ててしまえ。全身全霊、心も体も策略も使ってぶちあたるのじゃ」


 そこで、彼女は妖しく微笑んだ。


「言質を取れ。外堀を埋めよ。包囲せよ。退路を絶て」


 少女は語り続ける。


「受け身になるな。思い切れ。本音をぶつけよ。良識も常識も粉砕するのじゃ。それが道を切り拓くということじゃ」


 あまりにも堂々と語る年下の少女に、アリシアは茫然とした。
 ただ、サーシャの方は深く俯き、


「……うん」


 こくん、と頷く。


「うん。そうだね!」


 サーシャは拳を上げて固めた。


「受け身になっちゃダメなんだ! 私やってみる! 思い切ってやってみる!」

「え? サ、サーシャ……?」


 俄然、とんでもないやる気を見せる幼馴染に、アリシアは顔を強張らせた。
 かくして、怒涛の道を覚悟する少女。
 その結果がどうなるのか。
 それは、未来を知る者しか分からないことだった。
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