クレイジー・マッドは転生しない

葉咲透織

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ポンコツ美少女探偵が行く! 解決編②

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 放課後、俺たちはまっすぐ被服室へ向かった。今日は週イチの定例会の日ではないが、クラスの人間の目がない場所となると、一般生徒からは存在を忘れられている、この特別教室しか心当たりがなかった。

 使用されていないとはいえ、誰でも入っていい一般教室とは違い、鍵がかかっている。そしてその鍵の持ち主といえば。

「お嬢様と男子生徒を、二人きりにさせるわけないだろうが」

 ですよねー。知ってました! 鍵を借りるだけではなく、仙川がついてくるのは想定の範囲内だ。

 瑞樹先輩は、呼べば来るかもしれないが、呉井さんが「瑞樹さんには迷惑をかけるわけにはいきません」と遠慮していたので、やめた。後日、ペンケース事件の捜査結果は報告したいと思う。

 早く解決に導きたい。そのためにも、柏木にきちんと話を聞く必要があることを、呉井さんもわかっている。

 彼女は緊張した面持ちで、被害を受けた手帳の拍子を撫でていた。カバー自体に損傷はなかったので、中身を入れ替えれば大丈夫だったのは、不幸中の幸いである。四月始まりのが安く買えました、と強がって微笑んでいた。

 指定の時間ちょうどに、被服室の扉がノックされた。俺が出ようとすると、呉井さんに袖を引いて止められる。その隙に、仙川がドアに向かった。

「恵美の仕事ですから」

 俺は彼女の言葉に従って、椅子に座り直した。確かに、あんな文面で呼び出した張本人がいきなり目の前に現れては、柏木の怒りは爆発するだろう。長身の仙川によるブラインドで、多少勢いが削がれてくれていればいいけど。

 そんな俺の希望は、すぐさま打ち砕かれるのだった。仙川によって中に通された柏木は、スマートフォンを突きつけてくる。

「いったいこれはどういうことよ!?」

 画面には、俺が送った脅迫文とぬいぐるみの写真。

『人質は預かった。返してほしければ、今日の十五時半、被服室まで来い』

 わざわざぬいぐるみが「助けてぇ~」って言っているように、涙のスタンプまで写真に貼りつけて加工した。こんなものに釣られるかよ、と思うが、そこはほら、オタクを隠したいけどぬいぐるみを持ち歩きたいというジレンマを抱き、欲求に従ってしまう柏木だ。オタクってちょろい。

「早く返して」

「落ち着いてください、柏木さん。まずは座って、私たちのお話を聞いていただけますか?」

 俺には猛烈な勢いで荒れ狂う柏木も、丁寧な呉井さんの言葉には、いったん落ち着きを取り戻す。渋々ではあったが、彼女は椅子に座った。

「話って?」

 腕を組んで踏ん反りがえった偉そうな態度。俺にはわかる。呉井さんの背後にそっと控えた仙川が、お嬢様を馬鹿にされたという怒りと屈辱で、わなわなと震えているのが。仙川は男に厳しく、女にはそこそこ優しく、呉井さんにはただただ甘い対応をするのだが、さすがに柏木の態度は、限度を超えているようだ。

 早期決着を決めなければ。首を絞められるのは勘弁だ。

「まず先に言っとくけど、俺と呉井さんは、柏木のことを信じてるから」

 柏木は一瞬、不意をつかれた表情になった。

 彼女は結局、授業には出席しなかった。俺からの脅迫メールを見て、放課後になってこそこそと登校してきた。柏木は、俺たちからの糾弾に怯えつつも、大切な物を取り返しにきたのだ。

「だから、正直に教えてほしいんだ。昨日、何があったのかを」

 柏木は昨日、俺たちより先に、あの惨状を発見した。ただ、それだけにしては不自然だった。俺たちに気づかないほど、慌ててどこかへ逃げる必要なんてない。彼女は何かを知っている。いや、関与している可能性もある。

「柏木さん。お願いいたします」

 被害者である呉井さんは、頭を下げた。それでも柏木は、言い渋っていた。

「被害に遭ったのはわたくしの手帳ですが、もしかしたら大切な物が傷つけられていた可能性もあるのです。犯人は、許しません」

 苦しそうに胸を押さえた呉井さんだが、言葉は強い。柏木はまるで、自分が許さないと言われたかのように怯えた反応を見せる。

「何か知っていることがあるのならば、教えてください。悪いようにはいたしませんから」

 怒りや焦りを滲ませつつも、呉井さんはそっと、柏木の手を取った。しっかりと目と目を合わせ、慈愛の微笑みを浮かべている。

 まるで、聖女だ。

 魔王の暗躍する異世界ではなくとも、呉井さんの美しさ、優しい心は、そう呼ぶにふさわしい。

 見惚れているのは俺だけではない。ちらりと振り返れば、仙川は敬愛するお嬢様の姿を頷きながら見守っている。一歩間違えれば狂信者の目をしている。

 あ、違う。失礼なことを言いました。一歩間違えれば、じゃないですね。紛うことなき狂信者以外の何者でもなかったですね。

 俺の視線を感じ取った仙川は、鬼のような形相で「私じゃなくて、目の前の円香お嬢様を見ろ、崇めろ」と、俺の顔の向きをアイアンクローで変えようとする。痛いんだって、馬鹿力!

 目の前でそんなどうしようもない攻防が繰り広げられていることなど、柏木の目には入らない様子だ。自分の手を握り、真っ直ぐに訴えかけてくる美少女に釘付けである。柏木の頬は紅潮しており、俺としては、「百合もいいな」という不謹慎な感想を抱いた。美少女が見つめ合っているのは、非常に絵になる。

 柏木が落ちたのは、それからすぐのことだった。

「本当に、あたしのこと、信じてくれるの……?」

 彼女の目から落ちた涙を、呉井さんは傷ひとつない指先で拭い、力強く頷いた。

「あたし、中学時代はオタクだったの」

 いや今もオタクだろ。

 咄嗟にそうツッコミかけた俺の足を踏みつけたのは、仙川だった。背の高い彼女は、見た目は細身の女性とはいえそこそこの重量級。全体重を乗せられて、声にならない悲鳴を上げ、俺は沈黙を保つことに成功した。

 そういえば仙川は、スクールカウンセラーなのだった。呉井家の使用人の方がどちらかといえば本業だろうが、この学校に採用されたということは、臨床心理士とかの資格を持っているはずだ。初めて、仙川がいてよかったと思った瞬間である。彼女は話を聞くプロでもあるのだ。

「そりゃ、今だってこんな風にぬいぐるみこっそり持ち歩いたりして、オタクなんだけどね。もっともっと、見るからにオタ喪女~って感じだった」

 モジョとは? と呉井さんが口を挟みそうな気配を察知したので、俺はこっそり彼女の耳に、「モテない女のこと」と吹き込んだ。そして仙川によってぐりぐりと甲を抉られる攻撃に、どうにか耐えた。

「そんなだから、なかなか友達できなくってさ。同じオタ仲間はいたけど……あたし、腐女子ではないからちょっとそこからも浮いてたんだよね」

「柏木さんは、立派な婦女子ですよ?」

 呉井さんの疑問は、非オタあるある。というか、昨今オタクじゃなくても腐女子っていう単語くらいは知っているんだけどね。たまにバラエティとかでアイドルがBL萌えを叫んだりしていることもあるし。

 柏木は一瞬、呉井さんがオタク女子が全員腐っていると言いたいのだと思い、口をへの字にひん曲げた。慌てて俺が、「呉井さんが言っている、女の人全般を指す婦女子じゃなくてね……後で教えるよ」とフォローする羽目になる。なんだ、という表情で柏木は、

「本当に呉井さんは、オタク知識がゼロな人なんだね」

 と感心したのか呆れたのか、どちらともとれるような口ぶりで言った。

「まぁいいや。それで、高校入学を機に、あたしは変わろうって思ったの。同じ学校の子がだーれもいないこの学校で」

 柏木の告白は、特に意外でもなんでもなかった。彼女は俺と同じだった。オタクである中身は変えられないけれど、外見は取り繕うことができる。まぁ、俺の場合は極端すぎて、呉井さんに目を付けられ、他のクラスメイトには遠巻きにされているんだけど。笑えない。

 漫画を買っていたお金でファッション雑誌を買い、カラオケではアニソンではなくて人気の女性シンガーの曲を歌えるように、家で必死に練習をする。最初は誰が誰だか区別がつかないアイドルだって、顔と名前を一致させ、ドラマを見ては「やばかったよね~」と感想を言い合う。

 訂正しよう。柏木と俺は、同じではなかった。

 俺は、髪を染めて外見をガラッと変えれば、オタク臭さは自然と抜けると思っていた。逆に言えば、俺がやったことは、髪を染めただけ。インパクトは計り知れないが、ただそれだけの話。

 対して柏木は、ずっと努力をしていた。初めてコンタクトを入れたときの緊張や、わざわざメモを取りながら恋愛ドラマを見て、イケメン俳優をチェックしたり、恋バナを振られてもいいように、設定を作り上げたり。

 男と女の違い、と一言で言ってしまえばそれだけの話かもしれない。男同士の付き合いよりも、女同士の方が煩わしいことが多いし、女の方が勘が鋭いから。俺なら途中で挫折して、「そんならオタクでいた方が楽だわ」と元の木阿弥になってしまいかねない。

 でも、柏木は立派にやり遂げた。中学時代には見ているだけだった、クラスの上位グループに、違和感なく溶け込んだ。

 彼女はやるならとことん突き詰めるタイプだった。オタク趣味だけではなく、擬態のためのテクニックすら、彼女はマニアックに追求した。ある意味真性のオタクだと言ってもいい。

 柏木は、ぽつぽつとコマ切れに話していたかと思うと、怒涛の勢いで喋ることもあった。聞いていると、誰かとの交流のシーンはつまらなさそうに、逆に脱オタを極めるために努力したあれこれについては、楽しそうに話しているのがわかった。

 最初は誰かと仲良くなりたい、高校での同級生になじみたいという目的があってやっていたことが、最終的には逆転した。オタクらしい態度で一般的な女子高生の知識を得ることが楽しくなってしまった柏木を、俺は尊敬すらした。

「呉井さんや明日川と、スマホでやり取りするようになって、顔知ってる人とオタトークするのが楽しくて、油断してたあたしが悪いんだ」

 柏木は、SNSではオタクであることを隠していなかった。匿名だが、顔写真を掲載していないオープンアカウントで、同じ作品やキャラクターのファンとリプライを送り合うことを、楽しんでいた。

「これ、見てほしいんだけど」

 個別にやり取りできるダイレクトメッセージを、柏木は俺たちの前に開示した。適当な数字を羅列したままのアカウント名に、アイコン未設定の何者かのアカウントから送られてきたメッセージを読んで、息を飲んだ。

「ぬいぐるみに手作りの洋服着せて、写真を撮ったの。もちろん、顔は映らないように配慮した。でも、気づいてなかったんだけど、制服が映り込んでて……」

 謎のアカウントは、「柏木なつめだな」と名指しでメッセージを送信してきた。そのときの柏木の恐怖を考えると、いたたまれない気持ちになる。何も返信できないままの柏木に、そのアカウントは立て続けにメッセージを送りつける。

『ギャルのフリをしているキモオタ女』

 罵倒され、柏木は悩んだ。

『ばらされたくなければ、呉井円香に嫌がらせをしろ』

 という文面を見た瞬間、思わず拳を握っていた。隣を見れば、呉井さんも唇を噛みしめている。

 呉井さんのことが嫌いなのは、仕方がないことだと思う。俺とて、今までの人生の中で、「こいつどっかで死んでくんないかな」と脳裏をよぎった相手の一人や二人いる。万人を許すことができる博愛精神を、凡人の俺は持ち合わせていない。

 許せないのは、柏木を脅しつけて自分の手を汚さないことだった。たぶん、相手は男だと思う。メッセージの口調もそうだが、女はこういうことをする奴は少ないと思う。周りに圧力をかけて、自分の意見に同意させ、集団で悪意をぶつける。そんなイメージがある。

 相手の男は、表立って呉井さんに嫌悪の感情をぶつける勇気もなく、愚痴を言うことができる友人もいない、ひとりぼっちの寂しい奴だろう。頭の中に一人ひらめく人物がいたが、憶測で物を言うのはやめておこう。

「めちゃくちゃ悩んだ。でもあの日、音楽室に忘れられた呉井さんの筆箱を見て、魔が差した。あれは、あたしのせいです。本当に、ごめんなさい」

 頭を下げた柏木は、顔を上げて言い募る。

「でも、手帳をぐちゃぐちゃにしたりなんてしない。あの日、あたしが教室に忘れ物を取りに行ったときには、もうああなってた。信じてもらえないかもしれないけど!」

「信じますわ」

 即答した呉井さんは、続いて俺の顔を見る。俺も慌てて、何度も繰り返し頷いた。柏木は、しくしくと泣いた。

 柏木が落ち着くまで、俺も呉井さんも黙って見守っていた。しばらく泣き続けた柏木は、ごしごしと目元を擦り、最後にひとつ、大きくしゃくりあげた。

「あたしも、この事件の真相が知りたい。だから、できることがあったら言って」

 このとき呉井さんは、ぞっとするほど美しく笑っていた。





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