アート・オブ・テラー

星来香文子

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 大きな物音がして、葉月のスマートフォンとの通話が切れる。
 伊沢はすぐに須見下に連絡した。

 須見下はすぐに引き返し、たまたま近くにいた非番の刑事も引き連れて、伊沢の部屋に向かう。

 部屋の中から、大きな物音が聞こえている。
 誰かが暴れているような、そんな音だった。
 悲鳴のような、叫び声のようなものも聞こえる。
 須見下は美月が葉月に危害を加えているのかと思った。

 ドアを勢いよく開けると、ココが勢いよく飛び出して来た。
 ひどくおびえている。
 非番の刑事が猫を抱き上げ、須見下は警戒しながら中に入る。

「葉月ちゃん!!」

 部屋の中はめちゃくちゃになっていた。
 ダイニングテーブルの椅子を、振り回している。

「やめてよ、葉月!! 痛い……痛いってば」

 美月は頭から血を流し、美月の方が葉月から逃げようとしていた。

「私たち姉妹でしょう!? なんで、こんなことするの?」
「違う!! あんたなんて、お姉ちゃんじゃない!! こんなの、お姉ちゃんじゃない!! 返して……私のお姉ちゃんを返して!!」

 テーブルの上に置かれたプリンが入った紙袋は床に落ちて、染み出た甘い匂いバニラエッセンスの香りと血の匂いが室内に充満している。

「葉月ちゃん、やめるんだ!!」

 須見下が止めに入って、ようやく椅子から手を離した葉月は、大粒の涙を流しながらわんわんと泣いた。
 まるで幼い子供のように、何度も何度も……

「お姉ちゃんを返して……私のお姉ちゃんを返して」

 そう言って、泣いていた。



 *


 頭に怪我を負った美月は、手錠をかけられた後、救急車で警察病院に運ばれる。
 意識が朦朧としている中、うわごとのように「葉月ならわかるでしょう? 私の気持ち、姉妹だもの。お祖父様とパパの血を引いた、二階堂家の双子の姉妹だもの」と言っていた。

 葉月の方も、怪我をしているようだったので念のため帰って来た伊沢が連れ添って病院へ。
 幸い葉月はかすり傷程度の軽傷だったが、美月は頭を負傷しているため入院が必要だった。

「ごめんなさい……私……許せなくて…………あんなの、お姉ちゃんじゃないって————」

 落ち着いてから改めて事情聴取を受けた葉月は、二人の間で何が起きたか、言葉を絞り出すように語った。
 少しだけ記憶は曖昧な部分はあったが、葉月が美月を攻撃したのは正当防衛ということで罪には問われなかった。
 直接手を下した殺人鬼は影山で間違いない。
 しかし、美月はそれに協力……というより、むしろ美月が主犯である可能性が高い。
 葉月が暴れたのは、自分の身を守るために、そして、これ以上自分の心を傷つけないために葉月が取った行動だった。

 先に逮捕された影山は、犯行の全てを自供した。
 彼はネットで偶然知り合った美月に、被害者たちの遺体を提供し、その創作活動に感銘を受けたという。
 離れにあった十二枚の絵も、美月に見せてもらったようで、地下室に指を残していたのは、コレクションのつもりだったようだ。
 影山は左薬指を切断しているあの絵には、他の誰のものにもならないという少女の意志が込められているのだと、美月から聞いた。
「たった一人を愛しなさい」と、そんなメッセージを絵から受け取ったらしい。

 この事件で最初に逮捕された満島レオンは、一切殺人には関わりがない。
 影山はなぜ、執事のレオンが罪を被って死んだのかは知らないと言っていた。

 美月の方は、精神鑑定の結果、反社会性パーソナリティ障害————須見下の読み通り、サイコパスと診断された。
 母親の珠美は一度面会に来たが、父親の和章は一切面会にも現れないし安否の確認すらない。
 また、章介には買春と犯人隠避等の容疑で逮捕状が出ている。
 もう二度と会うことはないだろう。

 美月は未成年ということでテレビや新聞にその名前が乗ることはなかったが、名前が出た影山の方は、相当叩かれてた。
 叔父で捜査第一課長だった時枝は辞職。
 関わった全ての人物の家に家宅捜索が入ることになり、二階堂家の個人情報もあっという間にネット上に広まった。

 被害者および加害者の情報、さらに、各界の大物による数々の犯罪が暴かれ、ワイドショーでは連日この事件を取り上げる。
 パパ活女子の実態、未成年の売春、未成年による犯罪、インターネットを通して知り合うことの危険性、自分の子供がサイコパスである場合どう接すれば良いかなど、さまざまな問題について議論する。
 二階堂家に対する誹謗中傷も後を絶たない。
 前代未聞のこの連続殺人事件は、世界中で報道された。


 そして、美月の入院している病室窓を外から見上げる一人の男がいた。
 目立つ金髪を黒に染め、全くの別人としてアメリカに旅立つ前に、一目、美月の姿を見たいと病院まで来たが、警備が厳重だったため諦めるしかなかった。

「そろそろ行かないと、飛行機に間に合いませんよ」
「……わかってます」

 満島レオンだ。
 彼は、生きている。
 各界の大物たちによる犯罪に気づいていた検察から司法取引を持ちかけられ、二階堂家の情報をすべて提供。
 死を偽装し、別人として新たな人生を生きることを選んだ。

 誰よりも有能なこの男が、ただ無実の罪を被って死ぬわけがない。
 珠美のことは愛していたが、絶対に二階堂家の嫁の座を諦めないこともわかっていたし、美月が犯罪に手を染めていることにも気づいていた。
 章介が美月の犯行に気づいていながら、自分に罪を被せようとしていたことも、何もかも……

「ごめん、美月……君のためにしてあげられることは、これくらいしかなかったんだ」

 そう呟いて、レオンは空港に向かった。
 彼はもう二度と、日本の地を踏むことはないだろう。

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