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第四章 破鏡重円
第36話 別人
しおりを挟む偽物の七瀬が、本物の首筋に噛み付いた。
「やめろっ!!!」
首筋から鮮明な赤い血が肩をつたい、制服のブラウスを歪に染めていく。
偽物の七瀬は、ニヤニヤと笑みを浮かべ、本物の首筋に噛み付いたまま、緋色の瞳で何もできずにいる俺を見上げる。
俺はその日、初めて妖怪が人を食らう姿を見た。
「やめろ……っ!! やめろ…………やめてくれ……っ!!」
必死に鏡を叩いて、叩いて、叩いて…………何をしても鏡の向こうに手が届かない。
恐怖と、込み上げる怒り。
何もできない絶望感。
(俺はこのまま、ただ七瀬が……食われるのを見ていることしかできないのか!?)
————そう思った時だった。
俺を見上げていた緋色の瞳が、あの気持ちの悪い目が、恐怖に怯えたものに変わった。
偽物の動きがピタリと止まり、その代わり、首筋を噛まれていた本物の七瀬が、先ほどまで恐怖に震えていた七瀬葵が、偽物の頭を右手で鷲掴み、その頭を潰そうと力を込めている。
逃れようとする偽物は首筋から顔を離し、その手を振り払おうとしたが、その手から逃れることはできなかった。
本物の七瀬は、偽物の頭を持ったまま、もう片方の手を床について、立ち上がる。
両手両足をばたつかせて、抵抗する偽物。
その偽物に向かって、本物は何かをしているようだが、こちら側からは後ろ姿しか見えず、涙を流している偽物の顔はものすごく怯えている。
(なんだ……? 一体何が起きてる…………?)
本物の七瀬は、偽物の体を、自分の背後にものすごい速さで投げつけた。
「————……アアアアアアアアアああああああ」
偽物が直撃した鏡が大きく音を立て割れ、鏡の向こう側から偽物が叫びながら飛び出してきた。
反射的に避けたが、投げ出された偽物の指が俺の左頬をかすめ、傷がつく。
直撃していたら、おそらく俺は死んでいた。
「まったく……このアタシを喰らおうなんぞ、愚かなことを……————」
七瀬葵は、噛まれた場所を手で抑えながら、鏡の中から出てきて、左右に首を倒し、バキバキと鳴らす。
そして、首筋を抑えていた手を離すと、じわじわと偽物がつけた歯型は消えてゆく。
傷一つない綺麗な肌に戻った。
「さてと…………どうしてやろうかね。アタシの体を傷つけやがって…………ただじゃおかないよ? 覚悟しな」
しかし、鏡の中から出てきた七瀬葵は、この床に転がっている偽物とも、先ほどまで俺の手を握っていたとも違う。
(これは、一体、誰だ?)
姿形は、七瀬葵そのものなのに、まるで別人だ。
その時、俺の脳裏に刹那の言葉がよぎる。
————『七瀬さん、多分普通の人間じゃないわよ』
「あと、そこの使えない男…………陰陽師か?」
「は……はい!!」
「こいつはアタシの獲物だよ。手出ししたらぶっ殺すからね」
(おい、おい!! 何がなんで、どうなってる!?)
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