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第一章 王弟殿下と後宮の事故物件

第1話 宦官にはなりたくない

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「暑い……死ぬ……腹減った」

 その日は、俺の十三回目の誕生日でした。

 父は、まだ帰ってきません。
 去年の冬に母が死に、「父一人、子一人でこれから頑張って行くぞ」と意気込んでいたあの男は、やっと定職に就いて働き出したと思ったら、全く家に帰って来なくなったんです。
 家にかろうじて残っていた米も、腐りかけた野菜もとっくの昔に底をついてしまって……
 俺は気を失いかけて、何度か三途の川を見たような気さえしています。

 それでもなんとかしなければと、母が残した畑を耕してみたり、できることは色々やりましたが、今年は特に暑い日が続いていたので、さすがにもう疲れてしまいました。
 それに母が亡くなる前まで働いていた書店での写本の仕事も、店主が禁書を販売していたとしてしょっ引かれたせいで、失ってしまいましたし、稼いだ金はすぐにあのクソに「倍にして返す」と言って持って行かれ、それっきり。

 食べ物も、金も、多分もうすぐ水も無くなってしまう。
 こんな生活に飽き飽きして、それでもどうにか生き延びるしかないか……と、何か食べられるものを探しに、家を出たその時でした。

「おい、お前、この家の子供か?」
「……そうですが?」

 とても人相の悪い男たちが三人、俺の前に立ちふさがりました。
 一人は丸々と太った大男。
 一人は右目に大きな傷のあるこんがり焼けた肌の筋肉質な男。
 その二人を引き連れたもう一人の一番偉そうな髭の男は、俺の顔をじろじろ見ていたかと思うと、いきなり俺の前髪を無理やり掴んで、荒々しく引っ張って……

「ほぉ……まぁ、小汚いが、顔の作りは悪くない。洗えば使えるな。どちらに売り飛ばすのが得かねぇ……」
「え……?」

 正直、何が起きているのかはすぐに理解できました。
 あのクソがまた借金でもこしらえたのだと。
 すでに姉は借金取りに連れて行かれ、妓楼に売り飛ばされていましたから、俺も同じようにどこかに売り飛ばされるのだと悟りました。
 こんな最低な生活から抜け出せるなら、それでもいいかと、この時はもう俺は抵抗する気力もなかったんです。

「————よし、決めた。あそこにしよう」

 そうして、売り飛ばされた俺が連れてこられたのは人身売買を行なっている闇商人の大きな屋敷でした。
 俺以外にも同じように売られた子供達が十数人いて、男も女も関係なく一斉に風呂に入れられました。
 体の汚れをきれいに落とした後、着るようにと用意されていたのは、薄い羽織一枚。
 下穿きは用意されてはいなくて、裸の上に一枚布切れを羽織っただけ。
 今が夏でよかったですよ。
 これが冬だったら、寒さで凍え死んでいたかもしれません。

 体についていた泥も垢も全部綺麗に洗い流したせいもあって、足元はスースーしていましたが、涼しく爽快でした。

「ほら、飯だよ。さっさと食いな」

 久しぶりの食べ物が嬉しくて、泣きながら与えられた握り飯を食べていると、そこへ身なりのいい大人達が何人もやってきて、まだ食べているのに一列に立たされました。
 見た目がよっぽど悪い者や男は別の部屋に連れて行かれましたが、俺は最後の五人に残されて……
 俺以外の四人は、目鼻立ちがはっきりとした顔つきの女の子。
 大人になればそれなりに優遇されるだろうなと思えるほど、容姿が整ってるというのは、子供の俺の目から見てもわかるくらいです。

「さぁ、残った皆さんはこれから後宮のとして働いてもらいます」

 年配の女性が来て、笑顔でそう言ったので、俺は自分の耳を疑いました。
 どこかの家の奴婢にでもされるのだろうと思っていたのに、まさかの後宮の下女。
 
 いやいや待て。
 下女って……俺は、男だぞ!?
 
 そりゃぁ、ほかの同じ年頃の男子と比べたら、上背もないし体も細いと自覚しているけれど、女と間違われるとは思ってもいませんでしたよ。
 貧乏で新しい衣も買えませんでしたし、髪の手入れなんてしたこともなかったですから、綺麗になった自分の顔が女と間違われるような作りをしているなんて、自覚もありませんでした。

「ま、待ってください……!!」

 せめて、声変わりでもしていれば男だとわかってもらえたかもしれなかったんですが……
 年配の女はこちらをまったく見もせず、母くらいの年の別の女が俺の前に膝をついて、俺を女物の衣に、着替えさせようとしていました。

「————もう決まったことよ。恨むなら、自分を売った親を恨むことね」

 俺にだけ聞こえるような、小さな声でそう言ったんです。
 きっとこの人も、俺と同じように親に売られ、下女になったのだろうと思いました。
 着替えさせるのにその下女に脱がされて、そこでやっと、気づかれました。

「え……? あなた、男の子だったの!?」
「え!?」
「なんですって!?」

 その場にいた全員が、俺の股間と顔を何度も見比べて、驚いた表情をしていました。
 あまりに恥ずかしくて、俺は手で隠そうとしたのですが、よく見せろと年配の女にその手を払いのけられて、じっくり見られました。

「……こりゃぁ、たまげた。男だったのか……こんな女みたいな顔で……————これじゃぁ、下女にはなれないね」
「宦官の方に回しますか?」
「そうだねぇ……まぁ、とりあえず、保留。こういうのが好きな物好きなお方もいるからねぇ。一応、声をかけておいて。買い手がないようだったら、その時でいいわ」

 そうして俺は、その物好きなどこかの誰かに売られるはずでした。
 ところが、買い手が見つかるまで、しばらくその屋敷で暮らしていたある日、買い手が何かの罪で捕まったらしく、話は頓挫。
 結局、俺は宦官なる事になって、宮廷に連れて行かれました。

「これを、き……切るんですか!? 本当に!?」
「当たり前だろう……宦官になるんだから。なに、大丈夫、痛いのは最初だけさ」
「いや……でもっ!! そんなことしたら、死んでしまいます! 無理です! 無理無理無理無理!!」

 大きな鋏を持った醜男に、無理やり脚を大きく開かされ、椅子に縛り付けられてしまって、身動きが取れませんでした。
 
 あんな大きな鋏で、ちょん切られたら死ぬ。
 絶対死ぬ。
 どこへ売り飛ばされようと、たらふくご飯が食べられれば、それでいいと思っていたけれど、痛いのはやっぱり嫌だ。
 死にたくない。

「死にはしないさ。多分……」
「多分!?」
「俺が切った男はね、だいたいみんなちゃんと今も生きてるから。他の奴は下手くだから失敗することも多いが、俺は大丈夫。ほら、これでも噛んでいなさい。間違って舌を噛み切ってしまわないようにね」
「んぐっ……!!」

 どうにか言いくるめて、考え直してもらおうとしましたが、口の中に布を突っ込まれました。

 どうしよう。
 いやだ……いやだ……!!
 宦官になんて、なりたくない!!

「大丈夫。ほら、動くな。間違えて変なところまで切ってっしまったらどうする?」

 ああ、もう、無理なのか……
 俺の人生、これで終わるのか……
 短い人生だったなぁ……

 そう諦めかけたその時です。

「————待ちなさい」


 このお方が現れたのは……————

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