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私の隣は、心が見えない男の子

第132話 あなたで良かったわ

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 お風呂から出てきた一条さんには、本気の目で叱られた。

 同性でも越えてはいけないラインがあるのだ。もしも逆の立場なら。私は……嫌じゃないな。快く迎え入れるだろう。

 うん。やはり何が嫌か嫌じゃないかは、それぞれの価値観で測らなければならない。

「あなたは積極的なのか奥手なのか、よく分からないわね」

「そうかな」

 九十九くんのことを言っているのだろうけど、別に奥手なつもりはない。慣れない感情に戸惑ってしまうから、慣れようとしているところなのだ。

「疑問を呈したいなら話くらいちゃんとしてあげなさい」

 ベッドに勢いよく身を投げ出し、枕に顔を埋めて拗ねたポーズをとる。むしろ何度失敗しても諦めずに話しかけていることを褒めて欲しい。

「一条さんは、いいの? また前みたいに戻っちゃうかもしれないのに」

「ならないでしょう」

 私も、そう思ってはいる。九十九くんが私を差し置いたりはしないといったのは、私さえいればいい、ということではなく、私との関係を前提に他の人との関係も維持する、という意味だろう。

 一条さんのお陰で出来た縁だって、一つひとつ、彼は大切にするはずだ。でも、それは、一条さんの望む形だろうか。

「そんな顔しないでよ。いいのよ、本当に。構ってあげなきゃいけない人。本名で呼んであげなきゃいけない人。私が貼ったレッテルは、彼が自分で剥がした。その結果、皆、前よりよほど接しやすそうだわ」

 彼のことを本名で呼ぶ人は随分減った。でもあまり、余所余所しくなった人がいるようには見えない。

 何だか前より、ちゃんと友達になっているように見えた。きっと、一条さんにも。

「本当に、余計なお世話だったわ。今更になってこれ以上口を出すのは、野暮ってものよ」

「一条さんは、いいの?」

「しつこいわよ」

「一条さんはまだ、名前で呼んでるでしょ」

 一条さんが目を見開く。今だから分かる。一条さんだって、九十九くんや皆にとっての幸せだけ考えていたわけじゃないんだ。

 だって、一人でも同じ班に入ろうとした。飛行機の中だって、それ以外の時だって、九十九くんの側にいることが多かった。きっと私と同じくらい、いつも彼を見てた。

 それに、九十九くんは一度も、一条さんにはあだ名でいいって言っていない。

 それはきっと、言わされているのでも、そう呼ぶべきだと思っているのでもなく、心から呼んでくれているのだと彼が気づいているからだ。

「本当は、誰より九十九くんと仲良くなりたかったのは、一条さんなんだよね」

 一条さんは自分のベッドから立ち上がると、私のベッドに腰かける。横になる私の側、私に背を向けるようにして。

「年の離れた、姉と兄がいるのよ」

 一条さんの背中に目を向ける。思えばこんな風に、彼女の個人的な話を聞くことはなかったかもしれない。私の話は沢山するのに。

「二人とも、立派な人でね。私の憧れなの。思えばあいつを、姉さん達に重ねていたのかも知れないわね」

「そっくりなの?」

「全然。姉さん達はあんなに不器用じゃないわ。でも、人のことばかり考えているところは、少しだけ似てるかもね」

 彼女の声は、いつも鋭く真っ直ぐだった。こんなに柔らかい声を聞いたのも初めてだ。

「私は自分の価値観にこだわりすぎることがあって、失敗ばかりして、ちっとも姉さん達みたいになれないのに。姉さん達ならこうしただろうなと思うことを、彼が実現してしまうから。きっと、羨ましかったのね」

 理想があって、でも自分では届かなくて、なのに彼にはそれが出来て。彼女の始まりは、私とよく似ている。

「それだけよ」

 だから、それは嘘だよね。

「九十九くんと仲良くなりたかったんだよね。もっと近づいて、彼のことを知りたかったんだよね」

「そういうのじゃないわ」

「私も、はじめはそうだったから。わかるよ」

 あなたが九十九くんの側にいるとき、どんな顔をしているのかも。

「私と二人で出かける時、あいつはあなたのアルバイト先を選んだのよ」

 夏休みのあの日。私ばかりがショックを受けたような気がしていたけれど。そうだよね。一条さんだって、気にしていないはずがない。

「それであいつ、言ったのよ。あなたはどちらか片方の幸せでも、道徳的な正しさだけでもなくて、二人にとって一番良いものを探してくれるんだって、笑顔で。だから――」

 あの日何を話していたのか、今の今まで知らなかったけれど、あの笑顔の真相を、一条さんから教えてくれた。そして、振り返って。

「あなたで良かったわ」

 私の目を見て、そう伝えてくれた。九十九くんがするみたいに、心からの言葉を届けてくれた。

「一条さん」

「何かしら」

「美法ちゃん、って呼んで良い?」

「好きになさい」

 仕方がないわねって、子どものわがままを聞くように、笑いかけてくれる。

「美法ちゃん」

「何かしら」

「今日は、一緒に寝よ」

「調子に乗らない――あっ、こら!」

 ベッドに引き倒して、強く抱きしめる。柔らかい。いい匂いがする。

「もう、手のかかる妹でも出来た気分だわ」

 私より小さな体のお姉ちゃんは、優しく私の頭を撫でてくれた。

「んふふ。おやすみ、美法ちゃん」

「はいはい。おやすみ、一透」

 シングルベッドは二人で寝るには流石に狭かったけど、なんだか家のベッドよりも安心して眠れたのは、きっと、腕の中の柔らかさのお陰だろう。
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