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幸せな思い出、そして
第64話 滑るお口と甘える私
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最後に私達は、展望台のようになっている高閣に登って、庭園を上から見渡した。ここで最後の写真を撮って、二人で見せあったら今日は終了だ。
そう思うと、なんだか名残惜しい。不安なことも、心配なこともあるけれど、それでも先輩と歩くのはとても楽しかった。
勿体ぶってゆっくりしようかと思ったけれど、撮りたいものがそこにあったので、すぐにシャッターを押してしまった。紅葉の下で会ったカップルと違ってちゃんと許可は取れなかったけれど、カメラを向けて手を振ったら振り返してくれたので、どこかに公開したりしなければ大丈夫だと思う。
「あの老夫婦にしたの? 最後の写真」
「はい。先輩は?」
「私ももう撮ったよ。ねえ、一透ちゃん」
じゃあ、見せ合おうか。そう言わなかったので、先輩ももう少しだけ、ゆっくりしたいと思ってくれてるのかな。
「一透ちゃんは今日、どうしてこんなところに一人でいたの? あんまり高校生が放課後に一人で来るところじゃないでしょ」
それは先輩だって、と一瞬思ったけれど、先輩はちゃんとしたカメラを持っているし、夏に会った時の進藤くんみたいな、一人での部活動だろう。
私は簡潔に説明した。前に友達と別の庭園に出かけて楽しかったので、写真を撮るついでに下見して、また今度誘うつもりでいるということ。
「もしかして、デート?」
「はい」
おおっ、と先輩が驚いた。
「一透ちゃん、彼氏いたんだ」
「いえ、いませんよ」
「え?」
「え?」
先輩が不思議そうにするので、私も同じように返してしまう。
「彼氏じゃない子と、デートしたの?」
「はい」
「一応聞くけど、男の子だよね」
「はい」
「その子から誘われたの?」
「いえ、別の子の仲介で」
先輩は、私の理想の女性像、みたいに言ってもいいくらい、素敵で完璧な人に見えていたけど。
こうして混乱しているところはあまり年の変わらない女の子、という感じで、なんだか親しみを感じて余計に素敵に見える。これがギャップ萌えというやつだろうか。
しばらく変な顔で疑問符を浮かべていた先輩は、突然ふふふ、と楽しそうに笑い出した。
「一透ちゃんって面白いね。これでも人間観察には自信があるつもりだったんだけどな。一透ちゃんだけは、いまいち読みきれないや」
そうだろうか。どれだけ見ても人のことなんて全然理解しきれない私に言わせれば、私なんて分かりやすい方だと思う。
不思議そうな顔をしていると、一層先輩は面白そうに笑う。心が見えていても、私には先輩の気持ちはよくわからないけど、でも、それが嫌だとは思わない。
知りたいって手を伸ばそうとするのも、大切なやり取りなのだと知っているから。
「もしかして、それってハジメ君、って人だったりする?」
急に彼の名前が出てきて、少し驚いた。
「いえ、九十九くんです」
嘘をついているつもりはなかった。でも、先輩が勘違いをすると分かっていて、説明もしなかった。
私はただ、私だけは、彼をそう呼ぶことも、彼がそう呼ばれることを認めるようなことを言うことも、したくなかった。
「ふふ。また、外しちゃった」
だけど、そう笑う先輩に、罪悪感が湧かなかったわけでもなく。
どうして九十九くんの名前が出てきたのかも、聞けなかった。
「ねえ、一透ちゃん。連絡先交換しよっか」
先輩が何も気にせずそう言って、私と連絡先を交換してくれたのも、嬉しいけれど、ちょっとだけ罪悪感。
先輩は、そんなことまるで関係ないみたいに、交換したばかりの私の連絡先を眺めて、ふふふと笑った。
それから、私達は写真を見せあった。私は自分の写真ももう一度確認したかったので、お互い機材を交換して見合うのではなく、片方ずつ、二人で一緒に振り返る形にした。
まずは、私から。最後に撮ったものから順に巻き戻るように見ていく。
最後に撮ったのは、こちらを見上げて手を振ってくれた老夫婦。冬の様相を見せ始めた木々の隙間から漏れる光に照らされた二人の、仲睦まじく手を繋いで歩く様子は、先輩にはどう見えるだろうか。
私は、芸術的だ、とか、幻想的だ、とか思って撮ったわけではない。ちょっと綺麗に撮れたとは思うけど、それ以上に、私の将来にもこんな光景があればいいなと、そう思って撮った。
先輩の心は、私のスマホの設定を戻してくれたときに過去の写真を見たのと、同じような感情をしていた。慈しむような、でも、羨ましそうな。
合掌造りの建物で撮った写真を見た時は、九十九くんに見せるための写真を見たときの進藤くんと、同じようなリアクションをした。似たような感情で笑う姿を見ていると、なんだか二人の、目には見えない絆を感じる。二人は所謂、師弟関係なのだろうか。
途中途中の古民家の写真には、撮り方のアドバイスをしてくれて、紅葉の下で撮ったカップルの写真を見た時は、老夫婦の写真を見た時と同じ感情をした。
一緒に行動し始めてから、最初に撮った写真。お団子にカメラを向ける先輩の写真を見た時、冬紗先輩の心は大きく変化した。常に楽しい気持ちで塗りつぶそうとしているんじゃないか、なんて、余計な心配だったみたいに。
私が感じるそれを、なんと表現すればいいのか。上手く言えないけれど、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にするのであれば。
夢を見つけたときの自分を、見つめているようだった。
「……次は、私の番だね」
少ししてからそういった先輩の心は、もう殆ど元の楽しそうなものに戻っていたけれど、さっきの熱は、まだ少しそこに残っていた。
先輩が見せてくれるカメラの画面を眺めながら、もう私はすっかり安心しきっていた。やはり私は、そういうときにこそ過ちを犯す。
先輩が撮った写真は、素敵なものばかりだった。殆ど人は映っていなくて、風景なんかが中心で、そのどれもが私には真似できない技巧を用いられて撮られている。
だけど、なんだか。
「余命があまり無い人が撮ったみたい……あ、でもこれは――」
画面から先輩に目を移して、私は固まった。どうしてそんなことを言ってしまったのか。どうして、口から転げ落ちて、相手の顔を見るまでそれに気が付けないのか。
先輩は、一瞬驚いた顔をして、それからこれまでと何も変わらない笑みを浮かべた。でもその心は、これまでのどれとも違っていた。
軋む音は、聞こえなかった。それが引きちぎれる音も。なのに、その心は、その先で見たものと酷似していた。
絶望して何もかもを諦めてしまった、かつての親友の心と、同じ。
「すみません、先輩、私――」
「一透ちゃんは」
喋りだすと同時、また楽しそうなものに戻ったけれど。私にはそれはもう、見えたとおりには思えなくて。『楽しい』というラベルで包んで隠しているように見えた。
「一透ちゃんは、本当に、読み切れないね」
先程同じことを言ったときと、まるで変わらない声色でそう言って、先輩は立ち上がった。
「帰ろっか」
閉園時間が迫る庭園を、固まる私の手を引いて先輩は歩く。柔らかくてきめ細かい先輩の手は、かつて同じように私の手を引いてくれた九十九くんの手と、正反対に感じる。
なぜだか何も、伝わってこないところまで。
---
先輩と別れた帰り道、気づくと私は、九十九くんに電話をかけていた。
「なんだ」
「…………」
「……? おい」
「…………」
「一透?」
考えが、何も纏まらなかった。先輩の心のことも。今、自分が何で九十九くんに電話してしまったのかも。彼に何を言えばいいのかも。
「……ごめん、大丈夫。ちょっと声が聞きたくて、急に電話しちゃった。ごめんね」
だけど、彼の声を聞いたら少しだけ楽になって、ようやくそれを絞り出す事ができた。
「今どこだ」
なのに。声を聞けただけで、今は十分だったのに。駆けつけてくれようとしているらしい。なにやらガサゴソと準備するような音が聞こえてくる。
返せたと思っても、対等になれたと思っても、やっぱり私は彼に甘えているな。
「もうすぐ家に着くから、大丈夫」
電話の向こうの音が止まる。きっと、何を言おうか考えてくれている。でももう、十分もらった。
「九十九くん」
だからきっと、かける言葉はこれで間違いじゃない。
「また明日ね」
「……ああ」
彼の返事を聞いてから、通話を切った。通話時間を告げるシステムメッセージですら、彼とのやり取りが結びつくと、なんだか温かく感じる。
そう思うと、なんだか名残惜しい。不安なことも、心配なこともあるけれど、それでも先輩と歩くのはとても楽しかった。
勿体ぶってゆっくりしようかと思ったけれど、撮りたいものがそこにあったので、すぐにシャッターを押してしまった。紅葉の下で会ったカップルと違ってちゃんと許可は取れなかったけれど、カメラを向けて手を振ったら振り返してくれたので、どこかに公開したりしなければ大丈夫だと思う。
「あの老夫婦にしたの? 最後の写真」
「はい。先輩は?」
「私ももう撮ったよ。ねえ、一透ちゃん」
じゃあ、見せ合おうか。そう言わなかったので、先輩ももう少しだけ、ゆっくりしたいと思ってくれてるのかな。
「一透ちゃんは今日、どうしてこんなところに一人でいたの? あんまり高校生が放課後に一人で来るところじゃないでしょ」
それは先輩だって、と一瞬思ったけれど、先輩はちゃんとしたカメラを持っているし、夏に会った時の進藤くんみたいな、一人での部活動だろう。
私は簡潔に説明した。前に友達と別の庭園に出かけて楽しかったので、写真を撮るついでに下見して、また今度誘うつもりでいるということ。
「もしかして、デート?」
「はい」
おおっ、と先輩が驚いた。
「一透ちゃん、彼氏いたんだ」
「いえ、いませんよ」
「え?」
「え?」
先輩が不思議そうにするので、私も同じように返してしまう。
「彼氏じゃない子と、デートしたの?」
「はい」
「一応聞くけど、男の子だよね」
「はい」
「その子から誘われたの?」
「いえ、別の子の仲介で」
先輩は、私の理想の女性像、みたいに言ってもいいくらい、素敵で完璧な人に見えていたけど。
こうして混乱しているところはあまり年の変わらない女の子、という感じで、なんだか親しみを感じて余計に素敵に見える。これがギャップ萌えというやつだろうか。
しばらく変な顔で疑問符を浮かべていた先輩は、突然ふふふ、と楽しそうに笑い出した。
「一透ちゃんって面白いね。これでも人間観察には自信があるつもりだったんだけどな。一透ちゃんだけは、いまいち読みきれないや」
そうだろうか。どれだけ見ても人のことなんて全然理解しきれない私に言わせれば、私なんて分かりやすい方だと思う。
不思議そうな顔をしていると、一層先輩は面白そうに笑う。心が見えていても、私には先輩の気持ちはよくわからないけど、でも、それが嫌だとは思わない。
知りたいって手を伸ばそうとするのも、大切なやり取りなのだと知っているから。
「もしかして、それってハジメ君、って人だったりする?」
急に彼の名前が出てきて、少し驚いた。
「いえ、九十九くんです」
嘘をついているつもりはなかった。でも、先輩が勘違いをすると分かっていて、説明もしなかった。
私はただ、私だけは、彼をそう呼ぶことも、彼がそう呼ばれることを認めるようなことを言うことも、したくなかった。
「ふふ。また、外しちゃった」
だけど、そう笑う先輩に、罪悪感が湧かなかったわけでもなく。
どうして九十九くんの名前が出てきたのかも、聞けなかった。
「ねえ、一透ちゃん。連絡先交換しよっか」
先輩が何も気にせずそう言って、私と連絡先を交換してくれたのも、嬉しいけれど、ちょっとだけ罪悪感。
先輩は、そんなことまるで関係ないみたいに、交換したばかりの私の連絡先を眺めて、ふふふと笑った。
それから、私達は写真を見せあった。私は自分の写真ももう一度確認したかったので、お互い機材を交換して見合うのではなく、片方ずつ、二人で一緒に振り返る形にした。
まずは、私から。最後に撮ったものから順に巻き戻るように見ていく。
最後に撮ったのは、こちらを見上げて手を振ってくれた老夫婦。冬の様相を見せ始めた木々の隙間から漏れる光に照らされた二人の、仲睦まじく手を繋いで歩く様子は、先輩にはどう見えるだろうか。
私は、芸術的だ、とか、幻想的だ、とか思って撮ったわけではない。ちょっと綺麗に撮れたとは思うけど、それ以上に、私の将来にもこんな光景があればいいなと、そう思って撮った。
先輩の心は、私のスマホの設定を戻してくれたときに過去の写真を見たのと、同じような感情をしていた。慈しむような、でも、羨ましそうな。
合掌造りの建物で撮った写真を見た時は、九十九くんに見せるための写真を見たときの進藤くんと、同じようなリアクションをした。似たような感情で笑う姿を見ていると、なんだか二人の、目には見えない絆を感じる。二人は所謂、師弟関係なのだろうか。
途中途中の古民家の写真には、撮り方のアドバイスをしてくれて、紅葉の下で撮ったカップルの写真を見た時は、老夫婦の写真を見た時と同じ感情をした。
一緒に行動し始めてから、最初に撮った写真。お団子にカメラを向ける先輩の写真を見た時、冬紗先輩の心は大きく変化した。常に楽しい気持ちで塗りつぶそうとしているんじゃないか、なんて、余計な心配だったみたいに。
私が感じるそれを、なんと表現すればいいのか。上手く言えないけれど、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にするのであれば。
夢を見つけたときの自分を、見つめているようだった。
「……次は、私の番だね」
少ししてからそういった先輩の心は、もう殆ど元の楽しそうなものに戻っていたけれど、さっきの熱は、まだ少しそこに残っていた。
先輩が見せてくれるカメラの画面を眺めながら、もう私はすっかり安心しきっていた。やはり私は、そういうときにこそ過ちを犯す。
先輩が撮った写真は、素敵なものばかりだった。殆ど人は映っていなくて、風景なんかが中心で、そのどれもが私には真似できない技巧を用いられて撮られている。
だけど、なんだか。
「余命があまり無い人が撮ったみたい……あ、でもこれは――」
画面から先輩に目を移して、私は固まった。どうしてそんなことを言ってしまったのか。どうして、口から転げ落ちて、相手の顔を見るまでそれに気が付けないのか。
先輩は、一瞬驚いた顔をして、それからこれまでと何も変わらない笑みを浮かべた。でもその心は、これまでのどれとも違っていた。
軋む音は、聞こえなかった。それが引きちぎれる音も。なのに、その心は、その先で見たものと酷似していた。
絶望して何もかもを諦めてしまった、かつての親友の心と、同じ。
「すみません、先輩、私――」
「一透ちゃんは」
喋りだすと同時、また楽しそうなものに戻ったけれど。私にはそれはもう、見えたとおりには思えなくて。『楽しい』というラベルで包んで隠しているように見えた。
「一透ちゃんは、本当に、読み切れないね」
先程同じことを言ったときと、まるで変わらない声色でそう言って、先輩は立ち上がった。
「帰ろっか」
閉園時間が迫る庭園を、固まる私の手を引いて先輩は歩く。柔らかくてきめ細かい先輩の手は、かつて同じように私の手を引いてくれた九十九くんの手と、正反対に感じる。
なぜだか何も、伝わってこないところまで。
---
先輩と別れた帰り道、気づくと私は、九十九くんに電話をかけていた。
「なんだ」
「…………」
「……? おい」
「…………」
「一透?」
考えが、何も纏まらなかった。先輩の心のことも。今、自分が何で九十九くんに電話してしまったのかも。彼に何を言えばいいのかも。
「……ごめん、大丈夫。ちょっと声が聞きたくて、急に電話しちゃった。ごめんね」
だけど、彼の声を聞いたら少しだけ楽になって、ようやくそれを絞り出す事ができた。
「今どこだ」
なのに。声を聞けただけで、今は十分だったのに。駆けつけてくれようとしているらしい。なにやらガサゴソと準備するような音が聞こえてくる。
返せたと思っても、対等になれたと思っても、やっぱり私は彼に甘えているな。
「もうすぐ家に着くから、大丈夫」
電話の向こうの音が止まる。きっと、何を言おうか考えてくれている。でももう、十分もらった。
「九十九くん」
だからきっと、かける言葉はこれで間違いじゃない。
「また明日ね」
「……ああ」
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