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君の欠片を
プロローグ:九十九くんへ
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「おかえり」
家に帰ると、母が声をかけてくれた。
キッチンで夕飯の調理に取り掛かりながら、声だけをこちらに向けて投げかける。
昨日もそうだった。一昨日も、その前も。もう何年もずっと変わらない、いつも通りの光景。
「ただいま」
私もそちらに目を向けず声だけで返事をして、階段を登り、自分の部屋に向かう。
これも、いつもと何も変わらない、何年も同じように繰り返したやり取りなのに。
今日だけは、いつもと変わらないはずの母の声が、いつもより温かく感じてしまったから。いつも変わらない挨拶の中に、いつも変わらない愛情があることに気がついてしまったから。
少しだけ返事の声が上ずってしまった恥ずかしさを誤魔化すように、早足になってしまう。
今までずっと見えていたはずなのに、どうして気づかなかったのだろう。
仲はいいけれど、距離感が近すぎない家庭でよかったと思う。
面と向かって言われていたら、私はきっと、また泣き出してしまっていただろう。
そして、どうしたの、学校でなにかあったの、なんて聞く母に、何でもないとしか答えられず、でも泣き止むことも出来ず、困らせてしまうのだ。
高校生にもなって、道端で、大声で嬉し泣きしてしまったことも、ずっと身近にあった母の温かみに触れて、泣きそうになっていることも。
思春期の私にとって、親に知られてしまうのはあまりにも恥ずかしすぎることだった。
部屋に入って鞄を置く。セーラー服を脱いで部屋着に着替える。ちらりと、机の上に視線をやると、写真立てが二つ、並んでいる。
片方は、中学生になったばかりの頃に親友と撮った写真。もう片方は、クラスメイトと体育祭のときに撮った写真。
どちらにも写っている、肩の少し下まで伸ばした黒いミディアムヘアの少女。顔つきに特徴はなくパッとしないのに、表情だけは人一倍幸せそうだなと、我ながら思う。
私は失敗した。その責任を、自分で背負うことも出来なかった。もう二度と同じ失敗をしないように、という気持ちと、でもどうすれば、という気持ちがごちゃ混ぜになって、ずっと目眩を起こしているような感覚だった。
無理矢理に行動した結果は、どれも空回った。私のしたことは余計なことばかりで、誰の何にもならなかった。
そう、思っていた。そうじゃなかったことを今日、初めて知った。私のしたことが大切な人の支えになっているって、教えてもらった。
写真立てを手に取る。体育祭が終わったあと、大野さん、小川さんと三人で記念に撮った写真。
私達の後ろ。イベントの余韻も何もなく、そそくさと帰ろうとしている男子生徒の後ろ姿が背景に溶け込んでいる。
これを撮ったときには写っていることにも気が付かなかったけど、私がこんな風に思えたのは彼のお陰であると、そう思うと、一層この写真が宝物のように感じられた。
次は君とも、こんな風に写真を撮れるかな。次は被写体と背景ではなく、隣に並んで。
そうなれたらいいなと思う。だからこそ、やらなければならないことがある。
写真立てを置いて椅子に座り、机の引き出しを開ける。奥の方に押し込められてしまっていたため探し出すのに少々手間取ったが、なんとか取り出すことが出来た。
昔、親友に手紙を送ろうと思い買った、淡い青色のレターセット。最初の一通目が戻ってきてしまったので二通目以降は出しておらず、まだたくさん余っている。
そのうちの一枚を取り出し、シャーペンでメッセージを書き込む。
『九十九くんへ
後夜祭の時間、教室で待っています
人見一透』
我ながら簡素なものだと思う。文化祭当日までにこれを彼の下駄箱か、机の中に入れておくのだ。
まるでラブレターだな、と思うと途端に照れくさくなるけれど。
彼ならきっと、変な受け取り方はしないだろう。いつものように無表情で、大して興味もなさそうにやってきて、なんだ? なんて、視線だけで淡白に伝えてくるのだ。
想像すると、自然に口の端が緩む。
私は、私がしたことの答えを貰って報われた。私と関わって、一緒に生きてくれた人の中にしか存在しない私の欠片を届けてもらった。
そのきっかけをくれたのは、他でもない彼だ。
だから、彼が私にしてくれたことの答えを、私は彼に返すのだ。私も彼に報いたいから。
私も、私の中にしか存在しない彼の欠片を、彼に返したい。
彼は驚いてくれるだろうか。彼の抱えた心の靄を、晴らすことはできるだろうか。
私が拾った彼の欠片は、彼の心に届くだろうか。
家に帰ると、母が声をかけてくれた。
キッチンで夕飯の調理に取り掛かりながら、声だけをこちらに向けて投げかける。
昨日もそうだった。一昨日も、その前も。もう何年もずっと変わらない、いつも通りの光景。
「ただいま」
私もそちらに目を向けず声だけで返事をして、階段を登り、自分の部屋に向かう。
これも、いつもと何も変わらない、何年も同じように繰り返したやり取りなのに。
今日だけは、いつもと変わらないはずの母の声が、いつもより温かく感じてしまったから。いつも変わらない挨拶の中に、いつも変わらない愛情があることに気がついてしまったから。
少しだけ返事の声が上ずってしまった恥ずかしさを誤魔化すように、早足になってしまう。
今までずっと見えていたはずなのに、どうして気づかなかったのだろう。
仲はいいけれど、距離感が近すぎない家庭でよかったと思う。
面と向かって言われていたら、私はきっと、また泣き出してしまっていただろう。
そして、どうしたの、学校でなにかあったの、なんて聞く母に、何でもないとしか答えられず、でも泣き止むことも出来ず、困らせてしまうのだ。
高校生にもなって、道端で、大声で嬉し泣きしてしまったことも、ずっと身近にあった母の温かみに触れて、泣きそうになっていることも。
思春期の私にとって、親に知られてしまうのはあまりにも恥ずかしすぎることだった。
部屋に入って鞄を置く。セーラー服を脱いで部屋着に着替える。ちらりと、机の上に視線をやると、写真立てが二つ、並んでいる。
片方は、中学生になったばかりの頃に親友と撮った写真。もう片方は、クラスメイトと体育祭のときに撮った写真。
どちらにも写っている、肩の少し下まで伸ばした黒いミディアムヘアの少女。顔つきに特徴はなくパッとしないのに、表情だけは人一倍幸せそうだなと、我ながら思う。
私は失敗した。その責任を、自分で背負うことも出来なかった。もう二度と同じ失敗をしないように、という気持ちと、でもどうすれば、という気持ちがごちゃ混ぜになって、ずっと目眩を起こしているような感覚だった。
無理矢理に行動した結果は、どれも空回った。私のしたことは余計なことばかりで、誰の何にもならなかった。
そう、思っていた。そうじゃなかったことを今日、初めて知った。私のしたことが大切な人の支えになっているって、教えてもらった。
写真立てを手に取る。体育祭が終わったあと、大野さん、小川さんと三人で記念に撮った写真。
私達の後ろ。イベントの余韻も何もなく、そそくさと帰ろうとしている男子生徒の後ろ姿が背景に溶け込んでいる。
これを撮ったときには写っていることにも気が付かなかったけど、私がこんな風に思えたのは彼のお陰であると、そう思うと、一層この写真が宝物のように感じられた。
次は君とも、こんな風に写真を撮れるかな。次は被写体と背景ではなく、隣に並んで。
そうなれたらいいなと思う。だからこそ、やらなければならないことがある。
写真立てを置いて椅子に座り、机の引き出しを開ける。奥の方に押し込められてしまっていたため探し出すのに少々手間取ったが、なんとか取り出すことが出来た。
昔、親友に手紙を送ろうと思い買った、淡い青色のレターセット。最初の一通目が戻ってきてしまったので二通目以降は出しておらず、まだたくさん余っている。
そのうちの一枚を取り出し、シャーペンでメッセージを書き込む。
『九十九くんへ
後夜祭の時間、教室で待っています
人見一透』
我ながら簡素なものだと思う。文化祭当日までにこれを彼の下駄箱か、机の中に入れておくのだ。
まるでラブレターだな、と思うと途端に照れくさくなるけれど。
彼ならきっと、変な受け取り方はしないだろう。いつものように無表情で、大して興味もなさそうにやってきて、なんだ? なんて、視線だけで淡白に伝えてくるのだ。
想像すると、自然に口の端が緩む。
私は、私がしたことの答えを貰って報われた。私と関わって、一緒に生きてくれた人の中にしか存在しない私の欠片を届けてもらった。
そのきっかけをくれたのは、他でもない彼だ。
だから、彼が私にしてくれたことの答えを、私は彼に返すのだ。私も彼に報いたいから。
私も、私の中にしか存在しない彼の欠片を、彼に返したい。
彼は驚いてくれるだろうか。彼の抱えた心の靄を、晴らすことはできるだろうか。
私が拾った彼の欠片は、彼の心に届くだろうか。
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