上 下
50 / 50

契約なんかしなくても分かってもらえるんだな

しおりを挟む
 淡いグリーンのカーテンの隙間から、眩しい朝日が入り込んでくる。
 あんなにうるさかった小鳥のさえずりが、だんだん小さくなってきた。

 昨晩、ラファエルにさんざんいじられて、ベッドに戻ったときにはどっと疲れていた。
 その後ようやく眠りについたのだが、寝付いたのが明け方近くだったから、夜が明けてもまだまだ眠い。
 朝日を避けて、シーツに丸く包まる。

 さっきから時間をおいて、何度も部屋の外で人の気配がする。
 足音を気にしながらドアに近寄り、しばらくすると諦めたようにそっと去っていく。

 それがアレットだということが分かるから、リュカは妙な幸せに浸りながらまどろんでいた。
 だけど、いつまでも放っておくのはかわいそうだ。

「アレット、いいよ。入っておいでよ」

 声を掛けると、アレットがドアを少し開けて、隙間から顔をのぞかせた。

「リュカ、あの……」
「おはよ」

 寝不足のあくびをかみ殺しながら、ベッドに起き上がる。

「おはよう。ごめんなさい、起こしちゃった?」
「いや……。もう、すっかり朝だもんな。どうかしたの?」
「朝起きたら、このクロスが首にかかってたんだけど……。これ、リュカが?」

 アレットが、握っていた右手を開いてみせた。
 掌には、銀色に輝く小さなクロスが乗っている。

「ああ……それは、俺じゃないよ。ラファエルがくれたんだ」
「ラファエル?」
「そう、一応、大天使の……悪魔みたいな奴だけどね。そう言えばそのクロス、夕べ、ちゃんと見てなかったな。ちょっと見せて」

 その言葉に、アレットがベッドに近づいてきて、クロスを乗せた右手を出した。
 リュカは手を伸ばすと、そのクロスを手に取るのではなく、彼女の手首をつかみ、ぐいっと引っぱった。

「わ、きゃ……」

 よろけてベッドの端に倒れるように座り込んだ彼女の手から、笑いながらクロスを取り上げる。

「あれ? ……これ」
「そう。リュカのクロスとそっくりでしょ?」

 リュカが、自分のクロスを首から外して、ベッドの上に二つを並べて置いた。

 カントルーヴのボトニーと呼ばれるリュカのクロスは、先端がクローバー型で、中央のサファイアの周りに翼の意匠があしらわれた大型のものだ。
 アレットが持っていたクロスは、隣と比べて、サイズはふたまわりほど小さく、サファイアのかわりにムーンストーンが埋め込まれている以外は、そっくりだった。

「確かに、そっくりだな……。なるほど、魔除けのムーンストーンを使っているのか。それにしても、俺のと同じデザインなんて、あいつにしては気が利いてる……のか?」

 そう言いながら、小さなクロスを取り上げて彼女の胸元に合わせてみた。
 神秘的な白い輝きが埋め込まれたクロスは清楚な雰囲気で、アレットにとてもよく似合っている。

「リュカとお揃いね」
「そうだな……」

 声を弾ませて、すごく嬉しそうにしているアレットを見ながら、リュカは複雑な思いに捕われた。
 二人のお揃いのものが、ラファエルがくれたものだということが、なんだか面白くない。

「くそ……いつか俺が……」

 リュカはぼそぼそと呟くと、アレットの左手の薬指をちらりと見た。

 しかし、いくら気に入らなくても、このクロスを使わない訳にはいかない。
 そもそも自分がラファエルに頼んで、授けてもらったものなのだ。

 リュカは、あきらめて軽くため息をついた。

「このクロスはお守りだよ。俺が近くにいないときは、必ず身につけていて。これがあると、亡霊や悪霊が君に近づけないんだ」

 そう説明しながら、ムーンストーンのクロスをアレットの首にかけてやると、彼女の髪が細い鎖の下敷きになった。

「あ、待って、俺にやらせて」

 髪を直そうとしたアレットを止めると、首元にそっと手を差し入れ、鎖の下から亜麻色の柔らかな髪を丁寧に救い出していく。
 彼女がくすぐったそうに首をすくめるのが楽しい。
 髪を全部外に出してしまうと、今度は乱れた髪を長い指で丁寧に梳いていく。

 やがて、すっかり綺麗に整えられた艶やかな髪に、リュカ満足そうに目を細めた。

「はい、綺麗になったよ」

 そう言うと、アレットの肩を抱き寄せ、軽く口づける。

「さて……と、今日の朝ご飯は何?」

 恥ずかしそうに頬を染めるアレットに微笑みかけながら、ベッドから降り、大きく伸びをする。

「あ……うん。そば粉のガレットを焼こうと思ってるんだけど」
「え? ガレット……」
「リュカ、前にガレット好きだって言ってたわよね。違ったかしら?」

 その言葉に驚いて、まだベッドに座っているアレットを見下ろした。

 そば粉のガレットは、ベリアルに提示した、彼女との追加契約の最初に挙げたものだ。
 彼女は、この話をあのとき聞いていなかったはず。
 以前に自分が話した、こんな些細なことでも憶えていてくれると思うと、すごく嬉しい。

 そう言えば、着ているドレスも淡いピンクだ。
 自分の好みに合わせてくれていると思うのは、うぬぼれだろうか。

「ははは……。契約なんかしなくても分かってもらえるんだな」
「契約? なんのこと?」

 アレットがリュカを見上げて、怪訝な顔をする。

「なんでもない、こっちの話。ちょうどガレットが食べたかったんだ。うれしいよ」

 この先ずっと続いていくはずの、二人の日々の最初の朝だ。

「行こう。もう、お腹がぺこぺこだよ」

 笑顔でアレットの手首を取り、引っぱるようにしてベッドから立たせる。
 そして、そのまま指を絡めて手を握ると、二人で部屋から出て、階下に降りていった。


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...