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まさか! 早すぎる
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薄暗い通路は、真っすぐ進んだ先で突き当たりになっていた。
その片側に、縦横に細く光が漏れている箇所がある。
「あそこが入り口か」
リュカは足音を潜めて駆け寄ると、左手でクロスを握り、右手を扉に当てた。
扉の向こう側に、過去の儀式で生じた強烈な空間の歪みを感じる。
自分の中に入り込んでくる邪悪な気に耐えながらさらに探ると、伯爵とミリアンの霊気も感じ取れた。
そこにアレットもいるはずだ。
儀式が始まっているのかどうかまでは分からないが、今の所、扉の向こうには何の動きも感じられない。
彼女はまだ無事だ。
『リュカ』
扉の隙間から中をのぞこうとすると、足元から声がした。
黒い姿は暗がりに溶けてよく見えないが、金色の眼が光っている。
「ロイク! 無事だったか……。よくやった!」
リュカがしゃがみ込んで、黒猫の頭や身体を少し乱暴になで回した。
ロイクは目を細め自慢げな表情を見せたが、半面、毛は逆立っており、身体ががくがくと震えている。
今は犬ではなく、扉の向こうの空間の歪みに反応しているのだろう。
「よくここまで来れたな。……あ、そうか。亡霊だから、壁でも床でもすりぬけられるのか。俺はすごく苦労したんだぜ」
そう言いながら、黒猫を抱き上げて肩に乗せた。
扉を細く開けて、中をうかがい見ると、甘い香の香りが漂ってきた。
蝋燭のゆらゆら揺れる明かりの中に、床に描かれた魔法円が不気味に浮かび上がっている。
その中心に黒く長いローブをまとった人影。
右手に短い杖、左手に開かれた黒い本。
顔はフードに隠れているが、きれいに巻かれた茶色の髪が、胸の上に降ろされている。
マノンに間違いない。
「……我、汝を召喚する。我の呼び声に応えよ……神の姿に倣い、彼の意思の……」
聞こえてくる呪文の詠唱に、耳を澄ませる。
「これは、第一の呪文……。儀式はまだ、始まったばかりのようだな」
悪魔召還の呪文は、予備的な呪文に始まり、いくつかの段階に別れている。
悪魔呼び出しの第一の呪文はかなり長く、早ければこの段階で召還が始まるが、可能性としては低い。
悪魔召還は簡単ではないのだ。
数日かかる場合もあるし、それでも召還できない場合もある。
第一呪文の前半なら、おそらく、まだ少し時間の余裕があるだろう。
少しほっとしながら、部屋の様子を確かめる。
部屋の四隅にも燭台が置かれているが、部屋全体は非常に薄暗い。
眼を凝らすと、扉から一番遠い壁際に、人が仰向けに横たえられているのが見えた。
「アレット……」
思った通りだ!
リュカが両手を強く握りしめ、唇を噛んだ。
彼女の両手は縛られ、胸の上に置かれている。
足首も縛られているようだ。暗くてよく分からないが、床に描かれた魔法円の位置や方向から考えても、彼女の背中の下には、魔法三角が描かれているはずだ。
「アレットは、眠らされてるようだな」
とりあえず、彼女は今のところ無事だ。
怪我などもなさそうだ。悪魔の器として捧げる身体を、傷付ける訳はない。
『伯爵とミリアンはどうしたんだ。姿が見えない。ミリアンが暴れれば、儀式をめちゃくちゃにもできるはずなのに』
ロイクが、もっともな疑問を口にした。
「二人は、アレットの中に縛り付けられているようだ。自由には動けない。結構な術者だな、あのマノンって女」
苦々しい表情でそう答えながら、マノンの呪文の詠唱に耳をそばだてる。
そろそろ召還する悪魔の名前が呪文に現れる頃だ。
「……おお、汝、悪魔ベリアルよ……偉大なる闇の国の炎の王、敵意の天使、不正の器、出で参れ。……直ちに、この円の前へと……」
「なっ!」
リュカが息を飲んだ。
上級の悪魔だろうとは予想していたが、まさかベリアルとは!
ベリアルは天界で上級第一位の天使の地位にありながらも、自らの意思で魔界へと堕ちていった堕天使だ。
魔界においては、魔界の王サタンに次ぐ地位にあるとされる。
「ベリアル……。そうか、だから……」
『ベリアル?』
「ああ。闇の国の王、虚偽と詐術の貴公子とも呼ばれる大悪魔さ。奴を呼ぶには、必ず生け贄が必要なんだ。だけど、人の命を捧げたとしても、結局は欺く。言葉巧みに術者を操り、最終的には術者の魂をも奪うんだ」
ラグドゥースの神父が、数十年おきに、若い娘が行方不明になる事件が起きていると話していたが、ベリアルが絡むのであれば納得できる。
術者に生け贄を要求し、さんざん利用したあげく、用済みとなった術者を消す。
過去から、おそらく伯爵の時代からずっと、この場所で同じ惨劇が繰り返されてきたのだ。
『どうするんだ?』
「召還にはもう少し時間がかかるだろうから、タイミングを見て、踏み込……む……? まさか、そんな!」
歪んだ状態で安定していた空間が、ゆっくり渦を巻くように動き始めた。
燃え盛る炎と、車輪のきしむ音がかすかに聞こえ始める。
ベリアルは燃え上がるチャリオットに乗って現れると言われている。
悪魔の召還が始まったのだ。
「まさか……。早すぎる。くそっ!」
リュカは左手にクロスを握りしめると、右手を扉につけたまま呪文を唱え始めた。
アレットの中に縛り付けられている亡霊たちを、解き放つ。
「深遠なる闇より生まれし見えざる鎖。神聖なる光の前に、その力を無に返さん。束縛された哀れな者たちを解放せよ!」
呪文の終わりと同時に、扉を荒々しく開け放ち、見張りの男から奪った短剣をアレット目がけて投げた。
その片側に、縦横に細く光が漏れている箇所がある。
「あそこが入り口か」
リュカは足音を潜めて駆け寄ると、左手でクロスを握り、右手を扉に当てた。
扉の向こう側に、過去の儀式で生じた強烈な空間の歪みを感じる。
自分の中に入り込んでくる邪悪な気に耐えながらさらに探ると、伯爵とミリアンの霊気も感じ取れた。
そこにアレットもいるはずだ。
儀式が始まっているのかどうかまでは分からないが、今の所、扉の向こうには何の動きも感じられない。
彼女はまだ無事だ。
『リュカ』
扉の隙間から中をのぞこうとすると、足元から声がした。
黒い姿は暗がりに溶けてよく見えないが、金色の眼が光っている。
「ロイク! 無事だったか……。よくやった!」
リュカがしゃがみ込んで、黒猫の頭や身体を少し乱暴になで回した。
ロイクは目を細め自慢げな表情を見せたが、半面、毛は逆立っており、身体ががくがくと震えている。
今は犬ではなく、扉の向こうの空間の歪みに反応しているのだろう。
「よくここまで来れたな。……あ、そうか。亡霊だから、壁でも床でもすりぬけられるのか。俺はすごく苦労したんだぜ」
そう言いながら、黒猫を抱き上げて肩に乗せた。
扉を細く開けて、中をうかがい見ると、甘い香の香りが漂ってきた。
蝋燭のゆらゆら揺れる明かりの中に、床に描かれた魔法円が不気味に浮かび上がっている。
その中心に黒く長いローブをまとった人影。
右手に短い杖、左手に開かれた黒い本。
顔はフードに隠れているが、きれいに巻かれた茶色の髪が、胸の上に降ろされている。
マノンに間違いない。
「……我、汝を召喚する。我の呼び声に応えよ……神の姿に倣い、彼の意思の……」
聞こえてくる呪文の詠唱に、耳を澄ませる。
「これは、第一の呪文……。儀式はまだ、始まったばかりのようだな」
悪魔召還の呪文は、予備的な呪文に始まり、いくつかの段階に別れている。
悪魔呼び出しの第一の呪文はかなり長く、早ければこの段階で召還が始まるが、可能性としては低い。
悪魔召還は簡単ではないのだ。
数日かかる場合もあるし、それでも召還できない場合もある。
第一呪文の前半なら、おそらく、まだ少し時間の余裕があるだろう。
少しほっとしながら、部屋の様子を確かめる。
部屋の四隅にも燭台が置かれているが、部屋全体は非常に薄暗い。
眼を凝らすと、扉から一番遠い壁際に、人が仰向けに横たえられているのが見えた。
「アレット……」
思った通りだ!
リュカが両手を強く握りしめ、唇を噛んだ。
彼女の両手は縛られ、胸の上に置かれている。
足首も縛られているようだ。暗くてよく分からないが、床に描かれた魔法円の位置や方向から考えても、彼女の背中の下には、魔法三角が描かれているはずだ。
「アレットは、眠らされてるようだな」
とりあえず、彼女は今のところ無事だ。
怪我などもなさそうだ。悪魔の器として捧げる身体を、傷付ける訳はない。
『伯爵とミリアンはどうしたんだ。姿が見えない。ミリアンが暴れれば、儀式をめちゃくちゃにもできるはずなのに』
ロイクが、もっともな疑問を口にした。
「二人は、アレットの中に縛り付けられているようだ。自由には動けない。結構な術者だな、あのマノンって女」
苦々しい表情でそう答えながら、マノンの呪文の詠唱に耳をそばだてる。
そろそろ召還する悪魔の名前が呪文に現れる頃だ。
「……おお、汝、悪魔ベリアルよ……偉大なる闇の国の炎の王、敵意の天使、不正の器、出で参れ。……直ちに、この円の前へと……」
「なっ!」
リュカが息を飲んだ。
上級の悪魔だろうとは予想していたが、まさかベリアルとは!
ベリアルは天界で上級第一位の天使の地位にありながらも、自らの意思で魔界へと堕ちていった堕天使だ。
魔界においては、魔界の王サタンに次ぐ地位にあるとされる。
「ベリアル……。そうか、だから……」
『ベリアル?』
「ああ。闇の国の王、虚偽と詐術の貴公子とも呼ばれる大悪魔さ。奴を呼ぶには、必ず生け贄が必要なんだ。だけど、人の命を捧げたとしても、結局は欺く。言葉巧みに術者を操り、最終的には術者の魂をも奪うんだ」
ラグドゥースの神父が、数十年おきに、若い娘が行方不明になる事件が起きていると話していたが、ベリアルが絡むのであれば納得できる。
術者に生け贄を要求し、さんざん利用したあげく、用済みとなった術者を消す。
過去から、おそらく伯爵の時代からずっと、この場所で同じ惨劇が繰り返されてきたのだ。
『どうするんだ?』
「召還にはもう少し時間がかかるだろうから、タイミングを見て、踏み込……む……? まさか、そんな!」
歪んだ状態で安定していた空間が、ゆっくり渦を巻くように動き始めた。
燃え盛る炎と、車輪のきしむ音がかすかに聞こえ始める。
ベリアルは燃え上がるチャリオットに乗って現れると言われている。
悪魔の召還が始まったのだ。
「まさか……。早すぎる。くそっ!」
リュカは左手にクロスを握りしめると、右手を扉につけたまま呪文を唱え始めた。
アレットの中に縛り付けられている亡霊たちを、解き放つ。
「深遠なる闇より生まれし見えざる鎖。神聖なる光の前に、その力を無に返さん。束縛された哀れな者たちを解放せよ!」
呪文の終わりと同時に、扉を荒々しく開け放ち、見張りの男から奪った短剣をアレット目がけて投げた。
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