27 / 50
お嬢さん、ちょっとお手伝いいただけますか?
しおりを挟む
町の中心にある広場は、休日を思い思いに過ごす人々で賑わっていた。
露店もいくつか出ていて、開放感たっぷりだ。
大きな噴水の前を陣取って始めたリュカの大道芸も、あっという間に大勢の観客に囲まれた。
途中、リュカはにっこり笑って、一番前で見ていたアレットの手を取った。
「さあ、素敵なお嬢さん。ちょっとお手伝いいただけますか?」
「え? わたし? どうして……」
戸惑う彼女を強引に引っぱってきて、観客の前に立たせる。
「お嬢さん、しばらく、じっとしていてくださいねー」
朗らかにそう言って、トランクの中から瓶を一本取り出し、コルクの栓を抜いた。
そして、頭に被っていた帽子を手に取って裏返すと、その中に、瓶に入っていた水を観客によく見えるように高い位置から注ぎ入れる。
自分の手元を見つめているアイスブルーの瞳が、戸惑いと不安に揺れている。
取り囲む観客たちの眼差しが、期待に満ちて熱い。
それらを充分に堪能してから、悪戯っぽくにっと笑い、水を注いだ帽子のつばを両手で持った。
「キャーッ!」
帽子を素早くアレットに被せると、彼女は甲高い悲鳴を上げて身をすくめた。
観客たちも、思わず大きく息を飲む。
そして、一瞬の静寂——。
「…………あら?」
ずぶ濡れになるはずなのに、水が流れてこない。
アレットが不思議そうに顔を上げると同時に、リュカが得意げに、彼女の頭から帽子を取り去った。
とたんに舞い散るたくさんの紙吹雪。
弾けるような観客の笑い声と歓声に、手を振って応えていると、彼女がちょっと拗ねた上目遣いで見上げてきた。
それがまた愛らしくて口元が緩む。
調子に乗ったリュカは、その後もアレットを相手に奇術を仕掛けていく。
彼女がいちいち素直でかわいい反応をしてくれるから、即興で合わせていくのが楽しい。
二人の微笑ましい絶妙な掛け合いに、観客たちから笑いや、冷やかし、歓声が上がった。
彼女との時間の最後の仕上げは、さっき紙吹雪をまき散らした帽子の中から取り出した、小さなピンクの花束。
それをうやうやしい仕草で手渡して、「ありがとう」と頬に軽く口づける。
観客から大きな拍手と、ひやかしの口笛が上がった。
花束を手にしたアレットは、頬に触れた熱を手で押さえ、赤い顔をしながら元いた場所に戻った。
いつも最後に披露することにしている玉と短剣のジャグリングで、この日の公演も無事に幕を閉じた。
丁寧なおじぎの後も、チップを弾んでくれるお客さんや、駆け寄ってきて腕にぶら下がる子どもたちに、愛想を振りまくことは忘れない。
観客を楽しい気分のままに見送って、ようやく本当の意味での芸は終わるのだ。
徹底した仕事ぶりを少し離れた場所から見守っていたアレットたちは、ようやく人波が引いてから、リュカのもとに駆け寄る。
「アレット、さっきはありがとう。俺、すっごい楽しかった!」
彼女に気付いたリュカは、まだ演技を終えた高揚感を抱えたまま、これ以上ないほどの眩しい笑顔を彼女に向けた。
「わたしも楽しかったわ。最初、水をかけられると思って、本当にびっくりしちゃった。あれ、どうやってるの? あと、ほら、箱に入れた玉がなくなっちゃったりとか……」
「くくっ……」
彼女の紅潮した頬を見ると、思い出し笑いが口から漏れる。
観客の前に引っぱり出して、奇術を仕掛けたときのアレットの反応は、本当に可愛くて。
彼女を巻き込んでの演技は楽しくて……。
これまで味わったことのない、幸せな時間だった。
「ねぇ、笑ってないでよ」
「ごめん。だって、君って……すごく……」
どうにもくすくす笑いを止められなくなり、リュカはその場をごまかすために、後ろの噴水まで移動して腰掛けると、どこからともなくオレンジを取り出した。
突然、空中から現れたその果実に、アレットは一瞬目を奪われてから、思い出したかのように口を尖らせる。
「でも、急にお客さんの前に引っぱっていくなんて……ひどいわ。先に言ってくれれば良かったのに」
「先に言ったらつまらないよ。いきなりやるから、いいんだ。はははっ」
なんというかもう、くすぐったくてたまらない。
さっき短剣を突き刺したオレンジの傷に爪を立てて、皮を剥き始めると、あたりに甘酸っぱい香りが広がった。
『リュカ、すごかったー!』
『たいしたもんだな』
『ああ、まったくだ。どれだけ、目を凝らしても、タネがわからなかった』
亡霊たちも、大道芸を純粋に楽しんでいたようで、感心した様子で口々に褒めてくれた。
アレットを相手に、ちょっと調子に乗りすぎた自覚があったから、ロイクには文句を言われそうだと内心ビクビクしていたが、彼の口からも賞賛の言葉しか出てこなかった。
ほっとしながら、皮を剥き終わったオレンジを半分に割り、傷のついていない方をアレットに渡す。
自分の分を小房に分けて口に放り込む。
「午後からもう一回ここで公演して、夕方は結婚パーティに呼ばれてる。だから多分、帰りは遅くなるよ」
「分かったわ。頑張ってね」
オレンジを食べ終えたアレットが、亡霊たちと一緒に帰っていく。
少し歩いて振り返った彼女に、リュカは笑顔で右手を大きく振った。
露店もいくつか出ていて、開放感たっぷりだ。
大きな噴水の前を陣取って始めたリュカの大道芸も、あっという間に大勢の観客に囲まれた。
途中、リュカはにっこり笑って、一番前で見ていたアレットの手を取った。
「さあ、素敵なお嬢さん。ちょっとお手伝いいただけますか?」
「え? わたし? どうして……」
戸惑う彼女を強引に引っぱってきて、観客の前に立たせる。
「お嬢さん、しばらく、じっとしていてくださいねー」
朗らかにそう言って、トランクの中から瓶を一本取り出し、コルクの栓を抜いた。
そして、頭に被っていた帽子を手に取って裏返すと、その中に、瓶に入っていた水を観客によく見えるように高い位置から注ぎ入れる。
自分の手元を見つめているアイスブルーの瞳が、戸惑いと不安に揺れている。
取り囲む観客たちの眼差しが、期待に満ちて熱い。
それらを充分に堪能してから、悪戯っぽくにっと笑い、水を注いだ帽子のつばを両手で持った。
「キャーッ!」
帽子を素早くアレットに被せると、彼女は甲高い悲鳴を上げて身をすくめた。
観客たちも、思わず大きく息を飲む。
そして、一瞬の静寂——。
「…………あら?」
ずぶ濡れになるはずなのに、水が流れてこない。
アレットが不思議そうに顔を上げると同時に、リュカが得意げに、彼女の頭から帽子を取り去った。
とたんに舞い散るたくさんの紙吹雪。
弾けるような観客の笑い声と歓声に、手を振って応えていると、彼女がちょっと拗ねた上目遣いで見上げてきた。
それがまた愛らしくて口元が緩む。
調子に乗ったリュカは、その後もアレットを相手に奇術を仕掛けていく。
彼女がいちいち素直でかわいい反応をしてくれるから、即興で合わせていくのが楽しい。
二人の微笑ましい絶妙な掛け合いに、観客たちから笑いや、冷やかし、歓声が上がった。
彼女との時間の最後の仕上げは、さっき紙吹雪をまき散らした帽子の中から取り出した、小さなピンクの花束。
それをうやうやしい仕草で手渡して、「ありがとう」と頬に軽く口づける。
観客から大きな拍手と、ひやかしの口笛が上がった。
花束を手にしたアレットは、頬に触れた熱を手で押さえ、赤い顔をしながら元いた場所に戻った。
いつも最後に披露することにしている玉と短剣のジャグリングで、この日の公演も無事に幕を閉じた。
丁寧なおじぎの後も、チップを弾んでくれるお客さんや、駆け寄ってきて腕にぶら下がる子どもたちに、愛想を振りまくことは忘れない。
観客を楽しい気分のままに見送って、ようやく本当の意味での芸は終わるのだ。
徹底した仕事ぶりを少し離れた場所から見守っていたアレットたちは、ようやく人波が引いてから、リュカのもとに駆け寄る。
「アレット、さっきはありがとう。俺、すっごい楽しかった!」
彼女に気付いたリュカは、まだ演技を終えた高揚感を抱えたまま、これ以上ないほどの眩しい笑顔を彼女に向けた。
「わたしも楽しかったわ。最初、水をかけられると思って、本当にびっくりしちゃった。あれ、どうやってるの? あと、ほら、箱に入れた玉がなくなっちゃったりとか……」
「くくっ……」
彼女の紅潮した頬を見ると、思い出し笑いが口から漏れる。
観客の前に引っぱり出して、奇術を仕掛けたときのアレットの反応は、本当に可愛くて。
彼女を巻き込んでの演技は楽しくて……。
これまで味わったことのない、幸せな時間だった。
「ねぇ、笑ってないでよ」
「ごめん。だって、君って……すごく……」
どうにもくすくす笑いを止められなくなり、リュカはその場をごまかすために、後ろの噴水まで移動して腰掛けると、どこからともなくオレンジを取り出した。
突然、空中から現れたその果実に、アレットは一瞬目を奪われてから、思い出したかのように口を尖らせる。
「でも、急にお客さんの前に引っぱっていくなんて……ひどいわ。先に言ってくれれば良かったのに」
「先に言ったらつまらないよ。いきなりやるから、いいんだ。はははっ」
なんというかもう、くすぐったくてたまらない。
さっき短剣を突き刺したオレンジの傷に爪を立てて、皮を剥き始めると、あたりに甘酸っぱい香りが広がった。
『リュカ、すごかったー!』
『たいしたもんだな』
『ああ、まったくだ。どれだけ、目を凝らしても、タネがわからなかった』
亡霊たちも、大道芸を純粋に楽しんでいたようで、感心した様子で口々に褒めてくれた。
アレットを相手に、ちょっと調子に乗りすぎた自覚があったから、ロイクには文句を言われそうだと内心ビクビクしていたが、彼の口からも賞賛の言葉しか出てこなかった。
ほっとしながら、皮を剥き終わったオレンジを半分に割り、傷のついていない方をアレットに渡す。
自分の分を小房に分けて口に放り込む。
「午後からもう一回ここで公演して、夕方は結婚パーティに呼ばれてる。だから多分、帰りは遅くなるよ」
「分かったわ。頑張ってね」
オレンジを食べ終えたアレットが、亡霊たちと一緒に帰っていく。
少し歩いて振り返った彼女に、リュカは笑顔で右手を大きく振った。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる