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さらなる悲劇
箱ごと消去するのは、無理なんだよ
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『そこだよ、そこ! 机の下の右側奥』
「何もないわよ?」
それを証明するために、ティルアは机の下の床を手で大きく払って見せた。
『あっ!』
「な、なによ。急に大きな声を出さないで」
『……そうか、そういうことか。ちょっとどいて』
彼が割り込むように机の下を覗き込み、片手を伸ばす。
そして、拾い上げたなにかを両手で持つと、驚いたような呟きを漏らした。
『まさか、こんなものがこっち側にあるなんて……』
こっち側——それはつまり、ユーリウスがいる、魔術で消去されたものだけが存在する世界だ。
ティルアの目からは、そこにある物はユーリウスの姿以外、何も見えない。
何もない空間を抱え持つような彼の両手は、掌がゆるい弧を描いている。
左右の指先は届かない大きさだ。
「なに、それ。丸いもの?」
『正確には、正五角形の箱だよ。水色の綺麗な紙が貼ってあって、何か高級なお菓子でも入っていそうな……』
そう言いながら彼は、その箱を自分の耳元で振った。
『何か入ってるみたいだ。開けてみるよ』
「うん」
見えない箱の蓋を慎重に開ける指先を、じっと見つめる。
『あぁ、これは多分、チョコレートだ』
蓋を箱の底に滑り込ませると、彼は中身を一つ取り出した。
彼の指が、苺を一粒摘まみ上げたような形を取る。
「え? チョコレート? ちょっと待って!」
消去された側の世界には、過去に消去された様々な物が、当時の姿のまま散らばっている。
だから、この部屋にあっても、それがクリスタのものとは限らないのだが、ティルアにはぴんとくるものがあった。
部屋の隅に積み上げた教科書やノートを、上から順に確認する。
その中ほどに、きらきらした紙片が挟まった一冊があった。
「あった!」
本の山を崩さないように、そして破かないように慎重に抜き取ったのは、銀色に繊細な緑の蔦模様が描かれた甘い匂いがする二つ折りの紙。
先日、図書館でクリスタの教科書を落としたときに拾った紙と同じものだ。
「もしかして、これじゃない?」
紙片を見せると、ユーリウスが目を見張った。
『そう! その紙に包まれたチョコレートだよ』
「じゃあ、それはクリスタのものだわ。大事に隠していたのかしら?」
たかがお菓子の包装紙をしおりにして、大切に使っていたのだ。
誰にも触れられないように、消去呪文で隠していたとしても不思議はない。
『いや……違う』
「どうして? クリスタが消去したんじゃないの?」
『箱が大き過ぎるんだ。彼女が消去できるのは林檎半分がやっとだって、言っていただろう? 重さはそれくらいしかないんだけど、多分、この大きさは……』
彼は軽く眼を伏せて、大きく息を吸った。
『デイレ!』
あっ! と思って、ティルアはとっさに見えない箱の下に手を差し入れた。
しかし、ユーリウスの掌の間からは、何も落ちてこない。
「あら?」
『な? 俺ですら、箱ごと消去するのは、無理なんだよ』
そして彼は、同じ呪文をもう一度繰り返した。
今度は、ティルアの掌に、銀色の紙に包まれた一粒がぽとりと落ちてきた。
よく見ると、中身は花をかたどられているらしく、包み紙に花びらのような模様がレリーフ状に浮かび上がっている。
おそろしく高級そうな品だ。
「ああ、同じ包み紙。やっぱりこれは、クリスタのチョコなのよ」
『でも、消したのは別の人間だ。おそらく彼女は、この箱を机の上に置いていたんだ。それを消去したら、机をすりぬけて下に落ちた』
ティルアはすっかり片付けられた机に目を向けた。
机に向かって真面目に勉強する、クリスタの後ろ姿が目に浮かぶ。
彼女は勉強の合間に、机の上に置いた瓶からお気に入りのクッキーを一つ取り出しては、ゆっくり味わって食べていた。
このチョコレートも、同じように大事に食べていたのかもしれない。
「じゃあ、誰が消去したの? どうして?」
『この箱を消去できる人間は限られる。俺が消去できない大きさなんだから、生徒ではないはずだ。最低でも、林檎一個を消すほどの魔力がないと……。そう考えると、九歳のあんたしか思いつかないな』
「はぁ? 何言ってるのよ。あたしのはずがないじゃない!」
『あんたじゃないとしたら、フリーデル・クラッセン?』
「!」
思わぬ名前を出されて、言葉に詰まる。
『フリードリヒ・クラッセンの息子なら、これくらいの箱を消せてもおかしくないよな。俺より優秀なんだから』
「それは、そうかもしれないけど」
『生徒じゃないとしたら、先生か? 学院長なら林檎ぐらい消せるはずだし、他にも何人かいるはずだ。先生方なら、調査でこの部屋に入っただろうから、消去する機会もあった』
「でも、どうしてチョコの箱を消去したんだろう」
掌の上の小さな包みを指先でつついてみたが、特に変わった点はない。
ただ、自分と同じ孤児で貧乏学生だったクリスタが、お小遣いで買うには高級すぎる。
「何もないわよ?」
それを証明するために、ティルアは机の下の床を手で大きく払って見せた。
『あっ!』
「な、なによ。急に大きな声を出さないで」
『……そうか、そういうことか。ちょっとどいて』
彼が割り込むように机の下を覗き込み、片手を伸ばす。
そして、拾い上げたなにかを両手で持つと、驚いたような呟きを漏らした。
『まさか、こんなものがこっち側にあるなんて……』
こっち側——それはつまり、ユーリウスがいる、魔術で消去されたものだけが存在する世界だ。
ティルアの目からは、そこにある物はユーリウスの姿以外、何も見えない。
何もない空間を抱え持つような彼の両手は、掌がゆるい弧を描いている。
左右の指先は届かない大きさだ。
「なに、それ。丸いもの?」
『正確には、正五角形の箱だよ。水色の綺麗な紙が貼ってあって、何か高級なお菓子でも入っていそうな……』
そう言いながら彼は、その箱を自分の耳元で振った。
『何か入ってるみたいだ。開けてみるよ』
「うん」
見えない箱の蓋を慎重に開ける指先を、じっと見つめる。
『あぁ、これは多分、チョコレートだ』
蓋を箱の底に滑り込ませると、彼は中身を一つ取り出した。
彼の指が、苺を一粒摘まみ上げたような形を取る。
「え? チョコレート? ちょっと待って!」
消去された側の世界には、過去に消去された様々な物が、当時の姿のまま散らばっている。
だから、この部屋にあっても、それがクリスタのものとは限らないのだが、ティルアにはぴんとくるものがあった。
部屋の隅に積み上げた教科書やノートを、上から順に確認する。
その中ほどに、きらきらした紙片が挟まった一冊があった。
「あった!」
本の山を崩さないように、そして破かないように慎重に抜き取ったのは、銀色に繊細な緑の蔦模様が描かれた甘い匂いがする二つ折りの紙。
先日、図書館でクリスタの教科書を落としたときに拾った紙と同じものだ。
「もしかして、これじゃない?」
紙片を見せると、ユーリウスが目を見張った。
『そう! その紙に包まれたチョコレートだよ』
「じゃあ、それはクリスタのものだわ。大事に隠していたのかしら?」
たかがお菓子の包装紙をしおりにして、大切に使っていたのだ。
誰にも触れられないように、消去呪文で隠していたとしても不思議はない。
『いや……違う』
「どうして? クリスタが消去したんじゃないの?」
『箱が大き過ぎるんだ。彼女が消去できるのは林檎半分がやっとだって、言っていただろう? 重さはそれくらいしかないんだけど、多分、この大きさは……』
彼は軽く眼を伏せて、大きく息を吸った。
『デイレ!』
あっ! と思って、ティルアはとっさに見えない箱の下に手を差し入れた。
しかし、ユーリウスの掌の間からは、何も落ちてこない。
「あら?」
『な? 俺ですら、箱ごと消去するのは、無理なんだよ』
そして彼は、同じ呪文をもう一度繰り返した。
今度は、ティルアの掌に、銀色の紙に包まれた一粒がぽとりと落ちてきた。
よく見ると、中身は花をかたどられているらしく、包み紙に花びらのような模様がレリーフ状に浮かび上がっている。
おそろしく高級そうな品だ。
「ああ、同じ包み紙。やっぱりこれは、クリスタのチョコなのよ」
『でも、消したのは別の人間だ。おそらく彼女は、この箱を机の上に置いていたんだ。それを消去したら、机をすりぬけて下に落ちた』
ティルアはすっかり片付けられた机に目を向けた。
机に向かって真面目に勉強する、クリスタの後ろ姿が目に浮かぶ。
彼女は勉強の合間に、机の上に置いた瓶からお気に入りのクッキーを一つ取り出しては、ゆっくり味わって食べていた。
このチョコレートも、同じように大事に食べていたのかもしれない。
「じゃあ、誰が消去したの? どうして?」
『この箱を消去できる人間は限られる。俺が消去できない大きさなんだから、生徒ではないはずだ。最低でも、林檎一個を消すほどの魔力がないと……。そう考えると、九歳のあんたしか思いつかないな』
「はぁ? 何言ってるのよ。あたしのはずがないじゃない!」
『あんたじゃないとしたら、フリーデル・クラッセン?』
「!」
思わぬ名前を出されて、言葉に詰まる。
『フリードリヒ・クラッセンの息子なら、これくらいの箱を消せてもおかしくないよな。俺より優秀なんだから』
「それは、そうかもしれないけど」
『生徒じゃないとしたら、先生か? 学院長なら林檎ぐらい消せるはずだし、他にも何人かいるはずだ。先生方なら、調査でこの部屋に入っただろうから、消去する機会もあった』
「でも、どうしてチョコの箱を消去したんだろう」
掌の上の小さな包みを指先でつついてみたが、特に変わった点はない。
ただ、自分と同じ孤児で貧乏学生だったクリスタが、お小遣いで買うには高級すぎる。
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