【完結】百年に一人の落ちこぼれなのに学院一の秀才をうっかり消去しちゃいました

平田加津実

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消えたユーリウス

へぇ……かわいい

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「…………もう少し、練習しよっかな」

 どうせなら少しでも楽しい気分になれるようにと、羽の山から、いちばん美しい鮮やかな水色の羽を選び出し、机の中央に置いた。

「デイレ!」

 真剣に呪文を唱えてみても、やはり、水色の羽は消えなかった。

「デイレ! デイレ! デイレーっ!」

 やけくそのように叫んでみても、結果は同じ。

「お願いだから消えて。デ・イ・レ」
「今度消えなかったら、ばらばらに引きちぎるんだからね! デイレ!」

 羽をなだめたりすかしたり、脅したりしながら三十回ほど同じ呪文を繰り返した時、突然、羽がぴょんと跳ねた。

「え?」

 ぴちゅぴちゅ、ぴちゅ……。

 高く澄んだ声でさえずり始めたそれに二人が目を丸くしていると、山になっていた他の羽たちも目覚めたように、もぞもぞと動きだす。
 そして次の瞬間、一斉に机の上から飛び立った。

「あ、待って!」

 慌てて手を伸ばすが、すばしっこくて捕まえられない。

「やだー! もう、どうしたらいいの?」

 命を得た羽たちは群れを作り、それぞれ違った鳴き声を上げながら、たった一枚だけの羽を羽ばたかせて楽しげに教室中をぐるぐると飛び回る。
 やがて、開けっ放しになっていた窓を見つけると、自由を求めて外へと逃亡した。

「ダメよ、待って! 行かないで!」

 慌てて窓から身を乗り出して叫んだときには、もう、羽たちの群れを視界に捕らえることはできなくなっていた。

「……消えたわよ。しかも、ありったけ全部」

 後ろの鬼教官のご機嫌を窺うように、そろりと振り向くと、彼は腹を押さえて俯いていた。
 こちらに向いた肩がふるふると震えている。

 また怒鳴られるのかとティルアは肩をすくめたが、返ってきたのは意外な反応だった。

『だから、それは違うって言って……る……くくっ……。ど……うして、そうなるんだよ。逆に難しいだろう……はははっ』

 え? 笑ってる?

 呆れすぎて、彼の中の何かが壊れてしまったのかもしれない。
 不思議なものを見る思いで、ティルアは何度も瞬きした。

 彼が十歳の同級生だった頃から思い起こしてみても、笑っているところなど見たことがなかった。
 けれど、周囲の年上たちにいつも虚勢を張っているような傲慢で生意気な彼も、こんなふうに笑うと普通の十五歳の少年だった。

「へぇ……、か」

 思わず漏れてしまった声に気付いたユーリウスが、ぱっと顔を上げた。

『な、何見てるんだよ! 早く練習しろよ!』

 目が合ったとたん、大声で怒鳴られた。
 一瞬合った視線はあっという間に外され、そっぽを向いた頬と耳が赤く染まる。

 ティルアは、さっき無意識に口にしそうになった言葉を、はっきりと実感した。

 ——かわいい。

 うっかり笑ってしまったところを見られて、きっと、照れくさかったのだ。
 そう思うと、慌てて取り繕うように怒鳴る姿もまた、かわいい。

『早くやれって、言ってるだろ!』

 思わず惚けた顔で彼を見ていたら、また怒鳴られた。
 ここまでくると、もう、いきがっている子どもにしか見えなかった。

「でも、羽が全部消えちゃったから、無理」

 肩をすくめて言い訳したら、即座に足元にぶわりと羽が出現した。
 今回は、さっきよりも若干多い。
 百三十枚ぐらいはありそうだ。

『これで、いくらでも練習できるだろう』
「こんなに要らないって分かっているのに、どういう意地悪なのよ?」
『うるさい! 早くやれって言ってるだろ!』
「はいはい……」

 ティルアは吹き出しそうになるのをこらえながら、羽を両手で集めて机に載せた。
 しかし、その後は何度試しても、呪文は全く何の反応も起こさなかった。

 いつの間にか、教室の中は薄暗くなり、時計塔から夕食の時間を知らせる鐘の音が響いてきた。

「もう、こんな時間?」
『くそっ。また、収穫なしかよ!』
「でも、今日は二回も発動したんだから、少しは進歩したかも」
『あんな誤作動、数にはいるかよ。夕食の後に、あんたの部屋で続きをやるからな。その羽をポケットに入れて持っていけ』
「はぁ……」

 どうやら今晩も、夜遅くまで魔術の練習をさせられるらしい。

 ティルアはうんざりしながら羽をポケットに詰め込んだ。
 あれから一枚も羽は減っていないから、制服の二つのポケットはぱんぱんになってしまった。

「ユーリも食堂に行く?」

 来ないと知りつつ、一応聞いてみる。

『あんな気持ち悪い場所、行くかよ』

 案の定、吐き捨てるような答えが戻ってきた。

 消去された後、彼は常にティルアにつきまとっていたが、食堂にだけは一度ついてきて以来、決して立ち入ろうとはしなかった。

 なんでも食堂は、人参やセロリ、豆などの食材が、床を埋め尽くしているのだという。
 ティルアには好き嫌いはないし、そもそも消去呪文が使えないから無理なのだが、嫌いな食べ物をこっそり消去する生徒は多いらしい。

『百年以上分の好き嫌いが積もり積もっているんだ。まじで、足の踏み場もないんだぜ? 鳥の羽ならいいけど、食べ物は踏みたくない』

 これが、彼が食堂に立ち入らない理由だった。

「ねぇ、本当にお腹は空かない? 大丈夫?」
『腹は全然減らないし、喉も乾かない。どうせこっち側には、食堂に落ちてる誰かの食べ残しか林檎の芯ぐらいしかないんだから、腹が減らないのはかえってありがたいさ』

 しかし、いくら彼が「腹が減らない」と言っても、もうこれで五日以上、飲まず食わずのはずなのだ。
 見たところ特に変わった様子はなさそうだが、彼の身体が心配になってくる。

「あたしに消去呪文が使えたら、小さく切ったパンぐらいなら送ってあげられるのに」
『そんなもの、いらない。多分、ここは時間が止まっているんだ。落ちている人参だって、何十年前に捨てられたのか分からないのに、腐ったりひからびたりしたものは一つもない。紙くずだって白いままで全く劣化していない。俺の身体も同じなんだろう』
「そう……なの?」
『ああ。きっと、こっちにいる限り成長することはないし、年も取らない。食事も睡眠も必要ない。すげぇよな。俺は永遠に生き続けるんだ。ここで。一人で』

 吐き捨てた言葉に、ティルアはぞっとした。

 彼はたった一人、時間が止まった捨てられた世界にいる。
 ティルア以外の誰一人、彼の存在に気付かない。
 いつまで、この状態が続くのかも分からない。
 最悪の場合、ティルアや周囲の人々が年老いて死んでしまった後も、彼は少年の姿のまま、永遠の時間をさまようことになるのだ。

 ユーリウスは避ける必要のない机の間をゆっくりと歩くと、自由を手に入れた羽たちが飛び立った窓から、遠くを眺めた。

 彼の華奢な背中が、強い不安と焦りと立ち上らせている。

「ユーリ……。あの……」

 かける言葉が見つからない。
 自分が何を言っても、慰めにすらならないのだから。

『もう行けよ。食いっぱぐれるぞ』
「でも……」

 彼をこのまま置いていくことが躊躇われて、足が動かなかった。
 さっき、ついうっかり彼をかわいいなどと思ってしまったから、なおさらだ。

『早く行けって言ってるだろ!』
「わ、分かった! なるべく早く食べてくるから、ユーリはあたしの部屋で待ってて! 後で、もっとちゃんと練習するから!」

 原因を作ったのは自分。
 状況を長引かせているのも自分だ。
 彼を救い出せるのも……あたし一人。

 ティルアは羽がいっぱいつまったポケットを押さえて、教室の外へ走り出した。
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