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ギュスターヴの伝言(1)

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 テーブルの上に、様々に着色されたウッドビーズがたくさん散らばっている。
 それを一つ一つ吟味しながら、朝食の後のお茶をモニクと楽しんでいると、ジュールが慌ただしく部屋に入ってきた。
 今朝の彼はいつもの制服の上に、長いマントを身につけている。

「あれ? 出かけるの?」
「ああ。急な話だが、俺はこの後、シルヴェストル殿下のお供で城外に出なければならない。入り口の見張りを増やしておくから、俺のいない間は、この部屋から一歩も出るな」
「えーっ! 今日はシモンの三つ編みの端に、ビーズをつけてあげようと思ってたのに。この赤、シモンにすごく似合うと思わない?」

 レナエルはつやつやした赤のビーズをつまみ上げると、彼に見せた。

 三日前、彼の愛馬の手入れをするダヴィドにつき合った時、レナエルは馬のたてがみに、たくさんの細い三つ編みを施した。
 後でそれに気付いたジュールは激怒したのだが、三つ編みを振り乱して走る姿がより勇猛に見えると周囲から絶賛され、結局そのままになっていた。

 彼は頭痛をこらえるように額を押さえ、溜め息をついた。

「これ以上、余計なことをするな。とにかく、今日はここでじっとしていろ」

 脅迫状が届いた日以降、レナエルの城内での自由は、以前よりも厳しく制限されていた。

 彼の従騎士であるダヴィドは、セナンクール本店に薬を買いにきた男の後をつけて、二日前に王都を発った。
 その上、ジュールと王太子が一緒に出かけるのであれば、この城にレナエルの秘密を知る、腕の立つ者はいなくなる。
 つまり、レナエルは部屋に閉じこもるしかない。

「でも、ルカに会いに行くくらい……」
「馬鹿か! 馬に細工されていたことを忘れたのか!」

 頭ごなしに怒鳴られて、しゅんとする。

「ダヴィドがうまくジネットに接触できれば、今日あたり、彼女から連絡があるだろう。もし何かあれば、戻ってから聞く」

 その言葉に、一旦しおれたレナエルの表情が、ぱっと明るくなった。




 じっとしているのが苦手なレナエルにとっては、病気でもないのに一日を室内で過ごすのは苦痛でしかない。
 部屋の中をうろうろと歩き回ったり、用もないのに姉に呼びかけたりしながら退屈な時間をつぶしていると、扉の外で揉めているような声が聞こえてきた。

 見張りの男たちの制止を振り切るように、聞き覚えのある叫び声がする。

「レナ、いるのだろう? ギュスターヴだ。大事な話がある。部屋に入れてもらえないか」
「え? ギュス?」

 不安そうなモニクに大丈夫だと声をかけ、内側から扉を開けた。

 扉の向こうには、軽く息を切らしたギュスターヴと、困惑顔の見張りの男たちがいた。
 見張りたちは、誰も部屋に入れないようにとジュールに厳命されているはずだ。
 しかし、第二王子の筆頭騎士の突然の訪問に、どうして良いか困っていたようだ。

「この人は、通しても大丈夫だから」

 レナエルは見張りたちにそう言って、ギュスターヴを部屋に招き入れた。

 彼は部屋に足を踏み入れると、モニクをちらりと見た。

 彼がわざわざここを訪れたのは、ジネットに関する話をするために違いない。
 部外者には、聞かれない方が良いだろうと考え、彼女には席を外してもらった。

 扉が閉まり、二人きりになると、彼はレナエルの両肩をがしっと掴んだ。

「ジネットの居場所が分かったのです!」
「まさか! ……ジジはどこにいるの?」

 レナエルは姉の居場所が分かったことより、彼に先を越されたことに衝撃を受けた。

「オクタヴィアン辺境伯の元です」

 しかし、彼の口から出てきたのは、とっくに候補から外れた場所だった。
 ジネットは片道二日の、おそらくアルラ湖周辺にいる。
 薬を買いに来た者も、ちょうど二日後にセナンクール本店に到着したから、少なくとも、かかる日数には間違いがない。
 王都から三日以上もかかる、北の辺境の地であるはずがなかった。

「でも、辺境伯領へは二日で行けない……」

 ほっとして、つい呟いてしまった言葉に、彼がすっと目を細めた。

「二日?」
「ううん、何でもない。オクタヴィアン辺境伯領は北の国境なんでしょ? そんな遠くにいるのか……って思って」

 レナエルが慌てて言い訳する。

「……いえ、説明が悪かったですね。辺境伯領ではないのです。彼の別荘に監禁されているのです」
「別荘? どこにあるの?」
「アルラ湖の西岸にあります。そこにジネットが監禁されていることは間違いありません」
「アルラ……湖?」

 彼が挙げた、最有力候補地と完全に一致する地名に、絶句した。
 呆然としているレナエルの両肩に手を置いたまま、彼は説明を続ける。

「ジネットを誘拐したのは、辺境伯のオディロン。彼は私の伯父だ。あの国境の紛争地帯を守る彼が、どうしてこんなことをしでかしたのか……。太陽神の杯などに興味を持つような男でもないのに。……私には、到底理解できない」

 離れた場所でも瞬時に連絡を取れる能力は、あらゆる緊迫した局面を有利に動かす鍵になるのだと、ジュールは評した。
 紛争地帯を守る者だからこそ、レナエルたち双子の能力を欲したのだと考えると、そこには何の疑問もない。

 しかし、自分たちの特殊な能力のことをギュスターヴは知らない。

 彼は悔しげに唇を噛み、琥珀色の瞳を伏せた。
 肩に置かれた手に力が入り、痛いくらいだ。

「私はこれから、アルラ湖に向かいます。彼……オディロンをなんとか説得する。もし、それが無理なら、この剣にものを言わせてでも、必ずジネットを取り返します」

 彼はようやくレナエルの肩から手を離した。
 そして、右手を腰の長剣の柄に掛け、苦悩に満ちた表情ながらも力強く宣言した。

「どうぞ、すべて私にお任せください。必ずや、彼女を私の手で奪い返してみせましょう」

 彼は、レナエルの前に膝を折った後、くるりと踵を返して扉に向かった。
 その濃紺の背中は、大きく力強かった。
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