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ファーストステージ
第一章の終わり
しおりを挟む翌日朝一番に羽津宮は青梅部長に挨拶に行くと、いつもと変わらない青梅部長の返事が帰って来た。
「部長、昨日はごちそうさまでした。本当に色々な意味で元気になれました。有り難うございます」
「そうかそれは良かった。旨かったろ。あの店、わしの隠れ家だからな、部の奴らには言うんじゃ無いぞ。はっはっは」
羽津宮は少し昨日部長が言っていた推薦の事を期待していたが、その話は出なかった。
深く酔われていたようだし、覚えていたとしても昨日の今日でそれは無いか、と納得した。
その日は羽津宮の期待をよそに何と言う事も無く過ぎて、期待外れに終わった。
仕事が終わった羽津宮はすぐにモモさんの所へ向かった。
「モモさん。モモさん」
「なんだよここだ」
「どこ行ってたの」
「どこ行ってたのってか、そりゃあ良いや。どうした」
「昨日部長と2人で飲みに行ったんだよ」
「おっ。でどうだった」
「うん」
2人は歩きながらテント前のいつものベンチまで待切れない様子で話し始めた。
「やっぱりモモさんの言った通りだったよ」
羽津宮は昨日は話した内容を思い出せる限りはなした。
「そうか、やっぱりな。でっ後押ししてやるって言ったんだな」
「うん推薦してやるって」
「そうか、で今日はどんな感じだった」
「うんそれが何も、いつも通りって感じ」
「そうか・・・まぁ上手く行ってなによりだ。よくやった」
「上手く行ったかな」
「あぁ、多分な。ここからしばらくは様子を見んとな。会社の事だ、そんなに急に事が運ぶ事もあるめぇ」
「そうだよね」
「兎に角、その青梅にはこれまで通り変わらない態度でいけ。仕事はこれまで以上に気合い入れろよ。酒に誘われたら必ず行け。そしてそこでは法則通りだぞ。親しくなったからと言って絶対に法則を外れるな。いいな」
「うん」
それから2ヶ月程は何と言う事無く過ぎて行った。部長とも数回飲みに行ったが世間話が主で、それほど真剣な話も無く、楽しい酒の場で終わった。
そんな平和な空気が漂う毎日が過ぎたある朝、驚きの辞令が張り出されていた。
[羽津宮竜之介、移動。来期より販売促進部から編集部へ・・・・]
それを見た羽津宮は一瞬自分の事とは思わず、素通りしそうになったが目の裏にかすかに残った羽津宮と言う文字の残像に気が付いて、もう一度それに目をやった。
やっとそれが自分の事と認識すると、ざわつく販促部のなか羽津宮は青梅部長の元へ走った。
「ぶっぶ部長・・・あっあれ」
「おう、時間がかかってすまんな。言っただろ。推薦しておくと」
「えっっえ・・覚えていらしたんですか」
「ああ、ワシは酔っても記憶は無くさんのでな」
「では・・・」
「来期からお前が行きたがっていた編集部だ」
「本当ですか」
「ワシも酒の席であんな事を思わず言ってしまって、お前が調子に乗ったりせんかと心配したが、そんな事も無く仕事に打ち込んでるお前を見て安心したよ」
「いやだって、あっすいません。本当だなんて思うはず無いじゃ無いですか」
「ああ、そうか。はっはっは。だが、ここからはお前の努力次第だぞ。しっかり頑張れ。約束忘れんなよ」
「はいがんばります」
販促部はまだざわついていた。
堀越や越野、後輩達が部長の目も気にせず集まって来て大騒ぎを始める。
「きゃぁあぁああ、やったじゃぁああん。やったね編集部って。良かったね」
「先輩いぃぃぃぃぃ、何なんですかぁぁぁ僕嫌ですよ」
「ちょっとちょっと、待ってよ。僕だってまだ実感ないんだから」
「先輩、編集へ移動願いだしてたんですか。自分はもっともっと先輩に教えてもらいたかったですよ」
「越野君、ダメ。羽津宮君はずっと編集部に行きたくて頑張って来たんだから」
「わかりますけど、寂しいです。受けた恩だって全然返せて無いし。僕絶対先輩のために働きたかったんですよ」
青梅部長が優しく皆に話し始めた。
「越野、そう言う気持ちがあるなら、お前自身が羽津宮に負けない位の責任を持って仕事をする事だ。羽津宮が教えた事を忘れるな」
「はい青梅部長。先輩、自分は羽津宮先輩が編集した作品を待ってます、そして発刊されたらピーアール全力で頑張ります・・・だから頑張って下さい」
羽津宮が教えた後輩達はみな涙ぐんでいる。それを見ると青梅部長が羽津宮に向かって話しかけた。穏やかで、闘志のみなぎるような凛々しい顔に羽津宮も身が引き締まる。
姿勢を正し部長の方へ向く。言葉を聞くのでは無く。受け取ると言った方が良いだろう、羽津宮と青梅部長の周りの雰囲気が心無しか厳かになる。
「羽津宮、見ろ、この後輩や同期達の熱さ、これがお前のやって来た成果だ。これまで販促部は表面的には和気藹々としていたが、どこか冷めた物があった。各々自分の事だけやっていれば良いとな。だが良い仕事ってのはこう言うチームワークがあってこそだとワシは思う。それは部署を越えてもそうだ、編集部と他の部署ともこう言う熱いつながりがあればグローバル出版はより良い会社になるだろう。羽津宮頑張ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
「さあさあ、みんな仕事だぞ。頑張れよ」
部長が販促部に響く程の声で叫んだ。
その姿は部長に就任した頃の青梅とは感じが変わっていた。部下を育てる優しさと威厳の満ちたその姿はとても大きく見える。
補佐が指定席と言われた頃の面影はまるで無かった。
羽津宮はその姿を見てきっとこれが本当の青梅部長の姿なのだろうと思い、心から尊敬の念を込めて深く頭を下げた。
その日、当然のように堀越と陣が芋粥屋へ行こうとやってきたが、さすがに3人でと言う訳には行かないムードで、後輩が盛り上がる流れに乗って大きな居酒屋に流れ込んだ。
編集部へ移動になっただけにもも関わらずお祝ムードなのには訳があった。
勿論羽津宮自身が編集部へ行きたがっていた事もあるが、それには編集社ならではの理由がる。
それは編集社に入社を希望する人間の殆どが編集に憧れて、編集社を希望しているからである。
毎年入社して来る新入社員のおそらく半分以上が編集部を希望するだろう、しかし希望通りそこに就ける者はわずかで、まさに編集社の花形と言える部署なのである。
しかしその誇りからか他の部署を見下げる傾向があり社内では煙たがられているのも事実であった。その傾向はすでにグローバル出版の伝統と言って良い程定着しており、誰もが仕方が無いと感じていた程である。それ程編集部は特別だったのだ。たかが移動と言ってもお祝ムードになるのも無理は無かった。
陣が嬉しそうに話し掛ける。
「羽津宮やっぱりお前は凄いわ。大したもんや。オレがお前の立場やったら一年前のあの時終わってたな。それを1年で巻き返すなんて出来る事ちゃうぞ」
「ありがとう。でも2人が居てくれたおかげだよ」
「何ゆうてんねん。それはお互い様や。オレも同期に羽津宮って言うライバルが居てくれたおかげで頑張れんねん」
陣にライバルと言われる事は、彼を心から尊敬している羽津宮にとって褒め言葉であった。
「私もライバルでしょ。忘れないでよね」
「堀越がライバル。ペットやなくて」
「ペットってなによぉお。そんなに油断してると陣君も仕事奪われちゃうよ。私だって最近評判良いんだから。へへっへ」
それも事実だった。陣の活躍に隠れて噂は派手では無かったが堀越のコメントも評判が良かったのだ。女の子らしい変な文体とヘタウマなイラストがウケて話題になっていたのだ。
「そやけど・・お前の反則ちゃうか。秋葉のメイドカフェの女の子見たいな文章を出版社の人間が書いてええのか」
「いいんだもん。私だけの特権なんだから陣君まねしないでよ」
「できるか」
3人の話を楽しそうに聞いていた後輩達も話に入って来る。
「良いですね、同期の友情って。自分達4人もそうありたいです」
「君たちは大丈夫よ、なんたって羽津宮君が厳しく教え込んだんだもん。ねぇえええ。頑張りたまえ」
「でもこれから販促部に羽津宮先輩居なくなっちゃうじゃないですか。これからは堀越先輩に厳しく教えてもらわないと」
「あちゃ・・・どうしよう。やぁん私ったらこんなに慕われて。これからはアネゴとおよび」
「あっあっアネゴって。そんなキャラか。お前に付いて行ったらどこに向かうかわからんくなるわ。4人とも気をつけろよ」
「っはっはは、はいわかりました」
「なんでよぉ。そんな元気な返事して。教えてあげないんだから」
「あっいえ、すみません。宜しくお願いします。羽津宮先輩、一緒できるのは後少しですが最後まで宜しくお願いします」
「そっか、後少しなんだね。後一ヶ月程で移動なんだな。なんだか今年1年あっという間だったよ」
「必死やったからやろ。来期から楽しみやの、羽津宮の本領発揮か。そやけど編集部は癖者ぞろいやぞ、まるで戦場や」
「おどかさないでよ」
「ほんまやって。オレ結構内情詳しなったし、仕事始まったら教えたるわ。派閥争い激選区やぞ」
「そうなんだ、やっぱり凄いんだね」
「ああ、あいつら本気で自分達がグローバル出版の中心やと思っとるしな」
「そうだろうね・・・そう思う気持ちわからなくは無いよ」
「おいおい、羽津宮染まんなよ。染まってしもたらもう飲みに付きあわへんど」
「そんな事絶対ないよね。私達3人はずっと仲間なんだからねぇぇ」
「うん。絶対変わらないよ」
「おう、信じてるぞ」
入社して2年目の春を目前に羽津宮は同期の仲間と頼れる後輩と共に、こうして飲んでいる事をしみじみ嬉しく感じていた。
本当ならば1年前の春に終わっていた人生の、その先にこうして立っているのだ。不思議な気持ちになる。
もしモモさんと出会わなければここに居なかったのだ、感謝の気持ちでモモさんとの1年を思い返していた。
彼から受けた恩を1つ1つ大切に心に仕舞い込む。その作業はまるで両親が撮りためた幼い頃の自分の写真を整理するような感覚だった。モモさんの自分に向けたその愛情の深さと存在の大きさを改めて実感させられる。
その実感が無限に大きく膨らんだ瞬間、これまで気付かなかった疑問がその中心に突然現れ、怪しく笑いかけた。
羽津宮はそれからとっさに目をそらした。
目をそらした理由がその疑問を押し鎮めて行く、「きっとその疑問の答えは自分では出す事が出来ない。そしてそれは無駄な疑心暗鬼へ自分を導くだけだ。こんな事は考えない方が良い」と。
羽津宮は考えるのを止め、飲み会へ意識を戻し仲間との時間を楽しんだ。
その楽しい時間は終電の時間が迫り、無理矢理終わりを告げる。
いつもより飲み過ぎた羽津宮は家に着くなりベットへ倒れこんで、腕で目を覆う。酔いで目が回りもうろうとする中、消したはずの言葉の残像が頭痛を酷くさせた。
「なぜモモさんは、いや。城戸桃次郎は、なぜ自分にこんな事をするのだろう・・・なぜ・・」
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