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イネスとウォルトに、騎士団内部の引継ぎを行った二日後、エディスとジェレマイアは連れ立って王都のユーキタス邸へと旅立った。
馬車ならば一週間の道程だが、ポチなら三時間、ヴァージルなら五時間だ。
流石に、夜会で日帰り強行軍と言うわけにはいかないので、夜会当日を含めて二泊三日の滞在予定になっている。
ヒポグリフよりも飛竜の方が、足が速い。
飛竜は空を飛ぶが、ヒポグリフは跳躍するように駆ける。
後ろ半身の馬の脚で地面を蹴りつけ、前半身の鷲の翼で滞空時間を稼ぐのだ。
エディスは、ヴァージルの速度に合わせてポチを飛ばしながら、考え込んでいた。
確かに、ジェレマイアは良くしてくれている。
けれど、夜会でエディスの婚約を発表すると言う事は、これまでのように騎士服の礼装を着用するわけにはいかない。
ユーキタス邸に滞在する以上、そして同じ夜会に参加する以上、ジェレマイアがエディスの性別を認識するのは、時間の問題だ。
これまでのジェレマイアが、そのままのエディスを受け入れてくれたとは言え、女性と判ってもなお、今のように接してくれるものなのか、自信がなかった。
いや、婚約者に気を遣わせたくない、と、エレオノーラ達に家名で呼ぶよう求めていたのだから、今後は名を呼び捨てる等、許されるわけもない。
きっと、ジェレマイアの婚約者は、彼が他の女性と会話しているだけでも遠慮してしまうような、繊細なご令嬢なのだ。
ジェレマイアは、そんな彼女に不要な心配をさせたくないだろう。
「エディス?」
耳元で聞こえたジェレマイアの声に、エディスは沈みこんでいた思考の淵から顔を上げた。
騎獣で飛ぶ時は、風に妨害されないよう、魔法で周囲に防護障壁を張る。
ジェレマイアは自身の風魔法で、己の声をエディスの耳元まで飛ばして来たのだろう。
器用な事をする。
「疲れたか?」
エディスも風魔法は使えるが、ジェレマイアのような使い方は出来ない。
言葉で伝えられない分、首を横に振って、否を示す。
「体調でも悪いのか?」
否。
「…先日から、何か、考えているようだが…もしかして、婚約に対して、何か思う所があるのか?」
直ぐには、首を横に振れなかった。
この、『婚約』が指すのが、ジェレマイアのものに対してなのか、エディスのものに対してなのか、判断がつかなくて。
ジェレマイアの婚約に対して、思う所など、ありはしない。
だって、結婚を躊躇していた彼自身が、前向きに決めた事なのだから。
他人であるエディスが、言える事など、何もない。
けれど、エディスの婚約は…。
ジェレマイアは、何かを言おうと口を開いたようだが、上手く言葉を探せなかったのか、黙り込む。
「…そうか」
その後、数時間。
二人は会話もなく、王都へと到着したのだった。
「あぁ、良く来たね」
初めて会ったティボルトは、淡い金髪に琥珀色の瞳を持つ穏やかな紳士だった。
従兄であるナイジェルと、色合いこそ異なるものの、よく似ている。
「すまないね、思っていた以上に公爵家の執務が滞ってしまっていて、なかなか兵営に帰れないでいるんだ」
普段の家政は妻に丸投げしているのだが、当主の決裁の必要なものだけでも膨大で。
そう、眉を下げて謝罪するティボルトは、『西の賢人』の異名を知っていても、西域騎士団歴代最強の魔法騎士には到底見えない。
「どうだ、うちのエディスは可愛いだろう」
ユーキタス邸の住人であるかのように、当然の顔でエディスとジェレマイアを出迎えたトマスに、ティボルトはお道化たように肩を竦める。
「別に、疑ってはいなかったさ」
親し気な二人に、ジェレマイアは呆れたような視線を向けると、打って変わって労るような声で、エディスに声を掛けた。
「疲れただろう?部屋を用意させてあるから、風呂でも入って、寛ぐといい。侍女をつける」
「入浴は有難いですが、一人で入れます」
どうせ、女性だと言う事は直ぐにバレる。
そう判っていても躊躇するエディスに、
「普段、一人で入ってんだ。たまには、人の手でリラックスするのもいいんじゃねぇか?」
のんびりと声を掛けたのは、トマス。
「…父さん…よそ様のお宅なのに…」
「いいんだよ。自宅と思って寛いでおくれ」
ニコニコしているものの、流石に団長と言うべきか。
圧の強い二人の父親に逆らえず、エディスは頷いた。
エディスにつけられた侍女は、二人。
引き締まった体躯に、隙のない身のこなしは、何かの訓練をしている事を伺わせる。
エディスが躊躇しつつも浴室に入ると、たっぷりと湯気が立つ浴槽に迎えられた。
「これから、エディス様のお世話をさせて頂きますサラです」
「同じくナナです」
「よろしくお願いします」
これから、とは、夜会での身支度も彼女達がしてくれると言う事か。
頭を下げたエディスに、サラ達は慌てた。
「お止め下さい、私共に頭をお下げになるなど!」
しかし、公爵家に勤めるような侍女ならば、男爵家のエディスよりも上の爵位の家の息女である可能性が高い。
「私達は、エディス様がお越しになると言う事で、こちらにお仕えする事になったのです」
「ユーキタス夫人のお付きの方ではないのですか?」
「はい」
何と言う事だ。
わざわざ、エディスの婚約発表の為だけに人員確保してくれたとは。
ティボルトなのかジェレマイアなのかは判らないが、配慮が有難いだけに、今後の関係を思うと胸が重苦しくなる。
躊躇しつつ、浴用ガウンを脱いだエディスは、薔薇の香油の垂らされた浴槽に、そっと体を滑り込ませた。
サラ達は、流石、プロと言うべきか、何も言わずにエディスの肌を磨き始める。
「エディス様、こちらのお怪我は…」
首筋の切り傷は、最も新しいものだ。
まだ、かさぶたが目立っている。
「あぁ、ヴァージルの嘴が少し引っ掛かってしまって」
「まぁ!それは大変でしたね。大きなものではございませんし…夜会のドレスは首元の隠れるデザインですから、問題はないと思いますが」
ドレスの話をすると言う事は、サラ達は最初から、エディスの性別を知っていたと言う事だ。
既にドレスを確認し、コーディネートまで考えてくれていたらしい。
トマスが、彼女達に頼んでおいてくれたのだろうか。
そもそも、ドレスを用意したのは、誰なのだろう。
「左腕の傷跡は、少々、目を引きそうですね」
「ドレスと同色のロンググローブを用意致しましょうか。それとも、お色は白に?」
サラとナナが、エディスの体の傷跡を確認しながら、二人で話し合っている。
「コルセットでお腹周りを締める必要はありませんけれど…」
「素晴らしい腹筋ですわね。憧れます」
「髪は、どう致しましょうか」
「でしたら、髪飾りは、」
ダメだ、全然ついていけない。
婚約者に対する礼儀として、身綺麗にしなくてはいけないとは思うものの、どうせ似合わないのだ、と言う投げ遣りな気持ちが先だってしまう。
ドレスに着られているように見えるだけなら、まだいい。
人を恐怖に陥れるのでは、道化にすらなれない。
騎士の習慣で、烏の行水が馴染んだ身からすれば、永遠にも思える時間、浴室で磨き抜かれた後、半ばぐったりとしたエディスは、用意されていたドレスを見て、頬を引き攣らせた。
往生際が悪いのは、判っている。
だが。
「まぁ、エディス様。ご用意したドレスはお気に召しませんでしたか?」
シンプルで品のいいものだったとは、思う。
けれど、ドレス姿でジェレマイアの前に立つ勇気は、なかった。
「…この後、騎獣の様子を見に行こうと思うから…」
言い訳をしながら、普段通り、騎士の練習着を身に着けると、そそくさと部屋を後にする。
サラ達に言った以上、厩舎を訪れないわけにもいかず、エディスは、ポチ達がいる厩舎へと足を向けた。
「…ポチ」
擦り寄せられたポチの頭を両腕で抱き締めて、暫くじっとしていると、隣の房からヴァージルも首を出し、エディスの髪を慰めるように啄む。
想定外の展開だった。
確かに、トマスは婚約解消が前提ではない、と言っていたけれど、まさか、本当に結婚を申し込まれるなんて。
婚約破棄を望む一方で、貴族令嬢の役目を果たす為に結婚したい、と思っていたのも、本当だ。
だから、潔く、お受けしなくては。
でも。
「…どうすれば、いいのかな…」
ポツリ、と呟いた所で、背後で足音がした。
「…エディス」
「ジェレマイア?」
振り返ると、ジェレマイアが立っていた。
厩舎の入り口を背にしているので、逆光でその表情は見えない。
「どうかしましたか?」
「…ん」
ジェレマイアは、そのまま無言でエディスに近づくと、エディスの背を抱くように、緩く腕を回した。
抱き締める、と言う程には力は籠っておらず、かと言って、気にせずに済む程の距離ではなく。
「ジェレマイア…?」
「黙って」
突然、近づいた熱に、戸惑う。
身動ぎすれば、逃れるのは簡単だろう。
けれど、エディスは、指先一つ動かせなかった。
肩口に顔を伏せられた為、ジェレマイアの表情が見えない。
「エディスは俺に、『騎士にとって、心通わせる配偶者がいる、と言うのは大切な事』と言ったな?」
「…はい」
「『待っている人がいると思うからこそ、生きて帰ろうと言う気持ちがより強くなる』と言ったな?」
「…はい」
「きっかけは何であれ、心を重ねればいいのだと。…だから俺は、結婚に踏み切る事が出来た。正確には、父に勧められた婚約が、俺自身が心から望むものとなった」
「はい…」
何だろう。
ジェレマイアは、何を言おうとしている?
「…エディスにとっては、違うのか?」
あぁ、彼も知っているのだ、と、エディスは思った。
ジェレマイアは、エディスもまた婚約した事を、知っているのだ。
「…よく…判りません」
エディスは、躊躇しつつ、そう言った。
「…そうか」
少し沈んだ、ジェレマイアの声。
そうだろう、と、エディスは思う。
偉そうな高説を垂れていても、結局、エディスが語っているのは理想論。
自分自身の話では、ないのだから。
「…今は、それでもいい。だから…少しずつ、心を寄せていけばいいのではないか?」
「えぇ…そうですね」
まだ見ぬ婚約者の事を、心通わせる相手として、帰りたい場所として、思えるのだろうか。
エディスの声に不安が滲むと、ジェレマイアがエディスを抱く腕に力が籠る。
そのまま、互いに黙り込んだまま、ゆっくりと日が沈んで行った。
馬車ならば一週間の道程だが、ポチなら三時間、ヴァージルなら五時間だ。
流石に、夜会で日帰り強行軍と言うわけにはいかないので、夜会当日を含めて二泊三日の滞在予定になっている。
ヒポグリフよりも飛竜の方が、足が速い。
飛竜は空を飛ぶが、ヒポグリフは跳躍するように駆ける。
後ろ半身の馬の脚で地面を蹴りつけ、前半身の鷲の翼で滞空時間を稼ぐのだ。
エディスは、ヴァージルの速度に合わせてポチを飛ばしながら、考え込んでいた。
確かに、ジェレマイアは良くしてくれている。
けれど、夜会でエディスの婚約を発表すると言う事は、これまでのように騎士服の礼装を着用するわけにはいかない。
ユーキタス邸に滞在する以上、そして同じ夜会に参加する以上、ジェレマイアがエディスの性別を認識するのは、時間の問題だ。
これまでのジェレマイアが、そのままのエディスを受け入れてくれたとは言え、女性と判ってもなお、今のように接してくれるものなのか、自信がなかった。
いや、婚約者に気を遣わせたくない、と、エレオノーラ達に家名で呼ぶよう求めていたのだから、今後は名を呼び捨てる等、許されるわけもない。
きっと、ジェレマイアの婚約者は、彼が他の女性と会話しているだけでも遠慮してしまうような、繊細なご令嬢なのだ。
ジェレマイアは、そんな彼女に不要な心配をさせたくないだろう。
「エディス?」
耳元で聞こえたジェレマイアの声に、エディスは沈みこんでいた思考の淵から顔を上げた。
騎獣で飛ぶ時は、風に妨害されないよう、魔法で周囲に防護障壁を張る。
ジェレマイアは自身の風魔法で、己の声をエディスの耳元まで飛ばして来たのだろう。
器用な事をする。
「疲れたか?」
エディスも風魔法は使えるが、ジェレマイアのような使い方は出来ない。
言葉で伝えられない分、首を横に振って、否を示す。
「体調でも悪いのか?」
否。
「…先日から、何か、考えているようだが…もしかして、婚約に対して、何か思う所があるのか?」
直ぐには、首を横に振れなかった。
この、『婚約』が指すのが、ジェレマイアのものに対してなのか、エディスのものに対してなのか、判断がつかなくて。
ジェレマイアの婚約に対して、思う所など、ありはしない。
だって、結婚を躊躇していた彼自身が、前向きに決めた事なのだから。
他人であるエディスが、言える事など、何もない。
けれど、エディスの婚約は…。
ジェレマイアは、何かを言おうと口を開いたようだが、上手く言葉を探せなかったのか、黙り込む。
「…そうか」
その後、数時間。
二人は会話もなく、王都へと到着したのだった。
「あぁ、良く来たね」
初めて会ったティボルトは、淡い金髪に琥珀色の瞳を持つ穏やかな紳士だった。
従兄であるナイジェルと、色合いこそ異なるものの、よく似ている。
「すまないね、思っていた以上に公爵家の執務が滞ってしまっていて、なかなか兵営に帰れないでいるんだ」
普段の家政は妻に丸投げしているのだが、当主の決裁の必要なものだけでも膨大で。
そう、眉を下げて謝罪するティボルトは、『西の賢人』の異名を知っていても、西域騎士団歴代最強の魔法騎士には到底見えない。
「どうだ、うちのエディスは可愛いだろう」
ユーキタス邸の住人であるかのように、当然の顔でエディスとジェレマイアを出迎えたトマスに、ティボルトはお道化たように肩を竦める。
「別に、疑ってはいなかったさ」
親し気な二人に、ジェレマイアは呆れたような視線を向けると、打って変わって労るような声で、エディスに声を掛けた。
「疲れただろう?部屋を用意させてあるから、風呂でも入って、寛ぐといい。侍女をつける」
「入浴は有難いですが、一人で入れます」
どうせ、女性だと言う事は直ぐにバレる。
そう判っていても躊躇するエディスに、
「普段、一人で入ってんだ。たまには、人の手でリラックスするのもいいんじゃねぇか?」
のんびりと声を掛けたのは、トマス。
「…父さん…よそ様のお宅なのに…」
「いいんだよ。自宅と思って寛いでおくれ」
ニコニコしているものの、流石に団長と言うべきか。
圧の強い二人の父親に逆らえず、エディスは頷いた。
エディスにつけられた侍女は、二人。
引き締まった体躯に、隙のない身のこなしは、何かの訓練をしている事を伺わせる。
エディスが躊躇しつつも浴室に入ると、たっぷりと湯気が立つ浴槽に迎えられた。
「これから、エディス様のお世話をさせて頂きますサラです」
「同じくナナです」
「よろしくお願いします」
これから、とは、夜会での身支度も彼女達がしてくれると言う事か。
頭を下げたエディスに、サラ達は慌てた。
「お止め下さい、私共に頭をお下げになるなど!」
しかし、公爵家に勤めるような侍女ならば、男爵家のエディスよりも上の爵位の家の息女である可能性が高い。
「私達は、エディス様がお越しになると言う事で、こちらにお仕えする事になったのです」
「ユーキタス夫人のお付きの方ではないのですか?」
「はい」
何と言う事だ。
わざわざ、エディスの婚約発表の為だけに人員確保してくれたとは。
ティボルトなのかジェレマイアなのかは判らないが、配慮が有難いだけに、今後の関係を思うと胸が重苦しくなる。
躊躇しつつ、浴用ガウンを脱いだエディスは、薔薇の香油の垂らされた浴槽に、そっと体を滑り込ませた。
サラ達は、流石、プロと言うべきか、何も言わずにエディスの肌を磨き始める。
「エディス様、こちらのお怪我は…」
首筋の切り傷は、最も新しいものだ。
まだ、かさぶたが目立っている。
「あぁ、ヴァージルの嘴が少し引っ掛かってしまって」
「まぁ!それは大変でしたね。大きなものではございませんし…夜会のドレスは首元の隠れるデザインですから、問題はないと思いますが」
ドレスの話をすると言う事は、サラ達は最初から、エディスの性別を知っていたと言う事だ。
既にドレスを確認し、コーディネートまで考えてくれていたらしい。
トマスが、彼女達に頼んでおいてくれたのだろうか。
そもそも、ドレスを用意したのは、誰なのだろう。
「左腕の傷跡は、少々、目を引きそうですね」
「ドレスと同色のロンググローブを用意致しましょうか。それとも、お色は白に?」
サラとナナが、エディスの体の傷跡を確認しながら、二人で話し合っている。
「コルセットでお腹周りを締める必要はありませんけれど…」
「素晴らしい腹筋ですわね。憧れます」
「髪は、どう致しましょうか」
「でしたら、髪飾りは、」
ダメだ、全然ついていけない。
婚約者に対する礼儀として、身綺麗にしなくてはいけないとは思うものの、どうせ似合わないのだ、と言う投げ遣りな気持ちが先だってしまう。
ドレスに着られているように見えるだけなら、まだいい。
人を恐怖に陥れるのでは、道化にすらなれない。
騎士の習慣で、烏の行水が馴染んだ身からすれば、永遠にも思える時間、浴室で磨き抜かれた後、半ばぐったりとしたエディスは、用意されていたドレスを見て、頬を引き攣らせた。
往生際が悪いのは、判っている。
だが。
「まぁ、エディス様。ご用意したドレスはお気に召しませんでしたか?」
シンプルで品のいいものだったとは、思う。
けれど、ドレス姿でジェレマイアの前に立つ勇気は、なかった。
「…この後、騎獣の様子を見に行こうと思うから…」
言い訳をしながら、普段通り、騎士の練習着を身に着けると、そそくさと部屋を後にする。
サラ達に言った以上、厩舎を訪れないわけにもいかず、エディスは、ポチ達がいる厩舎へと足を向けた。
「…ポチ」
擦り寄せられたポチの頭を両腕で抱き締めて、暫くじっとしていると、隣の房からヴァージルも首を出し、エディスの髪を慰めるように啄む。
想定外の展開だった。
確かに、トマスは婚約解消が前提ではない、と言っていたけれど、まさか、本当に結婚を申し込まれるなんて。
婚約破棄を望む一方で、貴族令嬢の役目を果たす為に結婚したい、と思っていたのも、本当だ。
だから、潔く、お受けしなくては。
でも。
「…どうすれば、いいのかな…」
ポツリ、と呟いた所で、背後で足音がした。
「…エディス」
「ジェレマイア?」
振り返ると、ジェレマイアが立っていた。
厩舎の入り口を背にしているので、逆光でその表情は見えない。
「どうかしましたか?」
「…ん」
ジェレマイアは、そのまま無言でエディスに近づくと、エディスの背を抱くように、緩く腕を回した。
抱き締める、と言う程には力は籠っておらず、かと言って、気にせずに済む程の距離ではなく。
「ジェレマイア…?」
「黙って」
突然、近づいた熱に、戸惑う。
身動ぎすれば、逃れるのは簡単だろう。
けれど、エディスは、指先一つ動かせなかった。
肩口に顔を伏せられた為、ジェレマイアの表情が見えない。
「エディスは俺に、『騎士にとって、心通わせる配偶者がいる、と言うのは大切な事』と言ったな?」
「…はい」
「『待っている人がいると思うからこそ、生きて帰ろうと言う気持ちがより強くなる』と言ったな?」
「…はい」
「きっかけは何であれ、心を重ねればいいのだと。…だから俺は、結婚に踏み切る事が出来た。正確には、父に勧められた婚約が、俺自身が心から望むものとなった」
「はい…」
何だろう。
ジェレマイアは、何を言おうとしている?
「…エディスにとっては、違うのか?」
あぁ、彼も知っているのだ、と、エディスは思った。
ジェレマイアは、エディスもまた婚約した事を、知っているのだ。
「…よく…判りません」
エディスは、躊躇しつつ、そう言った。
「…そうか」
少し沈んだ、ジェレマイアの声。
そうだろう、と、エディスは思う。
偉そうな高説を垂れていても、結局、エディスが語っているのは理想論。
自分自身の話では、ないのだから。
「…今は、それでもいい。だから…少しずつ、心を寄せていけばいいのではないか?」
「えぇ…そうですね」
まだ見ぬ婚約者の事を、心通わせる相手として、帰りたい場所として、思えるのだろうか。
エディスの声に不安が滲むと、ジェレマイアがエディスを抱く腕に力が籠る。
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