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ダレンが部屋の準備をする間、エディスは、リックに兵営の案内をして貰う事となった。
「エディス様は、お幾つの時に飛竜を捕獲されたんですか?」
リックは、十七だと言った。
騎士団では、十五から従騎士として所属する事が出来るから、彼も、来年の正騎士合格を目指して励む一人だろう。
鼻の頭のそばかすが幼く見せるが、キムと同年代だと思うと、つい、親しみを覚えてしまう。
「十五です。ラングリード家では、十五の年になると、飛竜を捕まえに森に入ります」
「…え。森に入るんですか?!」
「入る、と言っても、深くまでは行きませんよ。そうですね、森の端から一キロ位まででしょうか。私達は、庭と呼んでいますが」
「庭…?」
顔中に疑問を貼りつかせながら、リックはうんうん考え込んだ後、
「あ」
と言った。
「申し訳ありません、エディス様。自分、まだまだ修行中の従騎士ですし、エディス様は先輩なんですから、どうぞ、もっと砕けたお言葉でお話し下さい」
「…そう?じゃあ、弟達と話す時みたいにしようか」
エディスと並ぶと、リックの視線は余り変わらない。
だが、ヒョロヒョロとしていて、筋肉が十分に育っていないのが判る。
「東域の騎士は凄いですね…先日、キム様が助っ人に来て下さった時にもお話ししましたけど、一つしか違わないのに、ムッキムキのバッキバキ。何を食べたら、あんな風になれるんですか?」
「う~ん…特別なものはないと思うけど、魔獣の肉はよく食べるかな。食べるだけではなくて、よく寝るのも大きいかもしれないね。訓練して食べて寝て。その繰り返しだよ」
「あ~…やっぱり、訓練、大事ですよね…」
「そうだね。訓練しないで強くなる騎士はいない。ラングリードと言うだけで、生まれた時から強いと思われがちだけどね」
そう苦笑するエディスが東域騎士団の訓練に混ぜて貰うようになったのは、八歳の時。
訓練だけなら、能力さえあれば受ける事が出来るから、ラングリード兄弟は皆、幼い頃から騎士団に出入りしている。
その時点で既に、十歳の少年と同じ位の身長はあったので、体格に恵まれていたのは事実だろう。
けれど、たくさん怪我を負ったし、手合わせでは数えきれない位に負けた。
それなのに、一歩、騎士団の外に出ると、何をしても「ラングリード一族だから」で納得されてしまう、と嘆いていたのは次兄イネスだ。
七人兄弟で、それぞれ性格も違えば特技も違う。
にも関わらず、一緒くたに「ラングリード兄弟」とまとめられてしまう事を殊更に嫌がっているイネスは、脳筋兄弟の中で最も知性派だった。
「じゃあ、飛竜を捕まえるのも、簡単じゃなかったり…?」
「東域に飛竜が多いと言っても、簡単ではないな。出会えるまでに、森に入って早くても二週間、遅いと三ヶ月はかかるから」
「えぇ!じゃあ、その間は…」
「野宿だよ」
「深淵の森で野宿ですか?!魔獣がいつ出て来るか、判らないのに」
「人がいる状況に、飛竜を慣れさせる必要があるんだ。興味を抱いて顔を出してくれるようになったら、ひたすら交渉。納得してくれるまで、言葉を尽くす」
「他の騎獣とは全然違う…」
「うん。私が知る限り、力で服従させるのではなく、言葉で説得する騎獣は飛竜だけだ。飛竜乗りが少ないのは、それも理由だね。何しろ、手に入れるまでにかかる時間と労力が尋常じゃない。うちは、一人が欠けた所で、他の兄弟が魔獣討伐隊の穴を埋められるから出来る部分もあるから」
騎獣としての飛竜が欲しければ、一人で深淵の森に向かうしかない。
一対一で向き合って、初めて、飛竜の信頼を得られる。
エディスも十五の年に、一人で森に入り、三週間目でポチが出て来てくれた。
会う度に言葉を掛けて、漸く、頷いてくれたのがそこから更に二週間後だ。
兄弟全員が自分の飛竜と出会えたのは、確固たる信念の元、粘り続けたからに他ならない。
「環境はあるんでしょうけど…それについていけるのが凄いなぁ…」
リックは茫然とした後に、そう言えば、と口を開いた。
「環境と言えば、副団長の机の上、ご覧になりました?」
「ん?あぁ、何だか書類が山積みになってたね。あの整理をお手伝いすればいいのかな?」
「自分もお手伝いはしてるんですけど、どうにも量が多くって。騎士団の書類と、副団長個人の書類がごちゃ混ぜになっちゃってるんで、お気をつけ下さい」
「…もしかして、副団長殿って片付けが苦手…?」
因みにエディスは、整理整頓が好きだ。
現在では結婚して家を出た兄弟が多いが、子供の頃は大変だった。
家族の人数が多いと、どうしたって、持ち物が入り乱れてしまう。
その為、持ち物には全て、記名しなければならないと言う家庭内ルールになっていた。
記名しそびれた物は、他の誰かの物になっても文句は言えない。
洗濯物の量も膨大で、ある程度成長した後の服のサイズは、エディス以外似たり寄ったりだから、下着や靴下まで、全員の服に、イニシャルの縫い取りをしていた。
そこまでしても、行方不明になるものがたくさんあるので、整理整頓を徹底するようになったのだ。
「得意では、ないですね。でも、いつもはあそこまで大変な事にはなってないんです。この所、地竜を撃退するのに忙しかったのもあって、色々と後回しになっちゃったみたいで」
「あぁ…うちからの助っ人が必要な位だったもんねぇ…」
東西南北、それぞれの騎士団は、深淵の森に面して兵営を設置している。
基本は、対面する深淵の森から溢れ出る魔獣の討伐をして過ごすわけだが、一騎士団では手に余る状況になると、人員に余裕のある他の騎士団が戦力を貸し出す。
今回の場合で言えば、地竜の相手で大変だった西域騎士団に、東域騎士団長であるトマスを始め、ラングリード兄弟が貸し出されたわけだ。
幾ら東域が落ち着いている時期だったとは言え、団長自ら長期に渡って助太刀に行く程の相手なのだから、相当な苦労があっただろう事は、想像に難くない。
「それもありますけど…副団長のやる気のなさもあって」
「やる気?」
彼は、真面目な騎士に見えたのだが。
「副団長が整理しないといけない個人の書類って…」
ここで、リックが声を潜めた為、エディスは自ずと前のめりになる。
「お見合い用の身上書なんです」
秘密を話すように、小声で告げられた内容に、エディスは目を丸くした。
お見合い用の身上書?
「副団長って、ほら、イケメンじゃないですか?」
打って変わって、普通の大きさの声で投げやりに語るリックに、エディスは辛うじて頷いた。
イケメンの定義はよく判らないが、ジェレマイアは確かに、整った顔立ちをしていると思う。
「おまけに、あの若さで副団長だし。史上最年少らしいですよ。団長だって、副団長になったのは三十過ぎてかららしいですから。その上で、次期公爵でしょう?もうねぇ、めっちゃモテるんです、腹立つ位に」
「まぁ、そうだろうね」
「自分は従騎士ですし、平民なんで、騎士団を離れている時の副団長の事は噂でしか知らないんですけど…王都の夜会では、ヤバいみたいですよ」
「ヤバい?」
「そうです。例えば、副団長が社交辞令で、A嬢とB嬢が揃っている所で、『今夜もお美しいですね』と言ったとするでしょう?」
ジェレマイアの真似をしたつもりなのか、貴公子らしい言い回しでリックが言うのに、エディスは吹き出しそうになるのを堪えた。
「そうすると、A嬢とB嬢が、『ジェレマイア様は、わたくしにお声掛け下さったのよ!キーーー!』とキャットファイトします」
リックは、なかなかに芸達者なようだ。
裏声で、唇を戦慄かせて「キーーー!」と言う姿の背後に、着飾ったご令嬢の幻影が見える。
ジェレマイアより、ご令嬢の物真似の方が上手だ。
「キャットファイト」
「副団長に声を掛けられると、ご令嬢だけでなくご夫人方まで、自分に気があるんじゃないか、と勘違いして大変な事になるんで、副団長は、夜会に出てもご婦人とは世間話すらしないらしいですよ」
「それは…御気の毒に…」
ジェレマイアは、名高いユーキタス公爵家の令息。
次期公爵で、現時点で既に騎士団の副団長。
その上、見目の良い男だ。
ご令嬢方は、例え社交辞令であっても、個人的に言葉を交わす機会があったら、自分の事を好ましく思ってくれているのではないか、と思いたくなってしまうのだろう。
「その結果が…お見合い用の身上書?」
だが、貴族のマナーとして、お見合いのような私的な用件は、個人の屋敷に送る筈だ。
騎士団は仕事の場であり、国土と国民を守る公的な場なのだから。
「そうなんです。忙しすぎて帰宅する余裕がないのもありますけど、副団長が、屋敷に届く身上書をガン無視してるもので、こちらにまで送られてくるようになっちゃって…」
ユーキタス公爵家は、ウェルト領の領主でもある為、領内に屋敷がある。
また、王都にも、屋敷を賜っているのだそうだ。
そのどちらにも身上書が届いているのだが、ジェレマイアが返事をしない結果、確実に本人の目に留まるであろう騎士団宛に、身上書を送る者が増えているのだと言う。
恐らく、身内に騎士がいないご令嬢方なのだろうな、と、エディスは考える。
騎士達はただ、兵営に駐留しているわけではない。
そこで、命のやり取りをしているのだ、と言う現実を知らないのだとしか思えない。
…まぁ、そんな場所で、トマスも婚約相手を見つけて来たわけだけれど。
「つまり、副団長殿は、ただでさえ乗り気ではないお見合いの身上書を多忙な中に送り込まれて、整理するのが面倒で後回しにしていた結果が、あれ、と」
「その通りです」
神妙な顔のリックに、エディスは苦笑する。
「だけど、副団長殿は公爵家のご子息でしょう?男性側から働きかけたわけでもないのに、一方的にお見合いを持ち込まれるもの?」
家格が同格以上でなければ、縁談を受け付けていない男性に、女性側から一方的に見合いを持ち込む事は出来ない筈だ。
ラングリード家は、貴族としては最下位の男爵家。
エディスがこれまで、何十回となく臨んだお見合いは全て、縁談を希望する男性とのものだ。
それでも、結婚が決まらないのだから…諦めの境地にも至ると言うものだろう。
そう言えば、西域騎士団所属の騎士とも何人かお見合いしたが、彼等はその後、「女性相手に敵前逃亡しただなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。こんな軟弱な精神では、魔獣討伐など出来ない」と、退団してしまったと風の噂で聞いたような。
…今回の婚約が破棄されたとしても、騎士相手のお見合いはもう、絶対にしない。
いや、やっぱり、結婚を諦めた方がいいか。
「それがまた、問題で…」
「うん?」
「副団長のお母上は、早く結婚して欲しくて、お見合いに乗り気らしいんです」
「あぁ…」
息子であるジェレマイアは断っているのに、母親がよい縁談を求めて、あちらこちらで声を掛けている、と言う事か。
息子の将来を案じているのだろうが、残念ながら、すれ違ってしまっている。
親子間の話し合いが足りないとしか思えない。
「…でも、リック、いいの?副団長殿の個人情報を、こんなにペラペラと私に話して」
「あぁ、自分も流石に、誰彼構わず話すわけじゃないですよ?団長に、『ラングリードには、何でも話していいぞ』って言われてるんです」
「…ユーキタス団長殿に?」
それはまた、何でだろうか。
そこまで、ラングリード家を買ってくれていると言う事なのだろうとは思うが、何の目的もないとは思えない。
「副団長、今年、二十五になったんですよ。でも、今は無理、って言ってるのに大量のお見合いが持ち込まれたものだから、そもそも結婚自体、嫌になっちゃったみたいで」
「あぁ…」
そうか、ジェレマイアはオリバーとカーティスの間の年齢なのか。
エディスは、弟達の顔を思い浮かべた事で、一層、ジェレマイアの苦境を身近なものとして感じた。
オリバーもカーティスも、昨年、婚約し、今年、結婚予定だ。
婚約者と共にいる時の幸せそうな顔を知っているから、余計に同情してしまう。
大貴族家の子息なのだし、いずれは結婚する気はあっただろうに、今はタイミングではない、と言っているにも関わらず、大量のお見合い案件を押し付けられたのでは、嫌にもなる。
その中にいいお相手がいたとしても、うんざりした気持ちでは、見つけ出すのは難しかろう。
団長が、何処からかエディスの仲人としての実績を聞き及んで、息子の幸せな婚約者を見つけるべく、協力を求められていると言う事だろうか?
だが、騎士団の兵営には女性がいないから、エディスの能力は役立ちそうにないのだが。
「…ま、いずれ、何を求められているのか判るだろうから、今は置いておこうか。リック、ポチに会ってみる?」
「!はい!是非!」
「エディス様は、お幾つの時に飛竜を捕獲されたんですか?」
リックは、十七だと言った。
騎士団では、十五から従騎士として所属する事が出来るから、彼も、来年の正騎士合格を目指して励む一人だろう。
鼻の頭のそばかすが幼く見せるが、キムと同年代だと思うと、つい、親しみを覚えてしまう。
「十五です。ラングリード家では、十五の年になると、飛竜を捕まえに森に入ります」
「…え。森に入るんですか?!」
「入る、と言っても、深くまでは行きませんよ。そうですね、森の端から一キロ位まででしょうか。私達は、庭と呼んでいますが」
「庭…?」
顔中に疑問を貼りつかせながら、リックはうんうん考え込んだ後、
「あ」
と言った。
「申し訳ありません、エディス様。自分、まだまだ修行中の従騎士ですし、エディス様は先輩なんですから、どうぞ、もっと砕けたお言葉でお話し下さい」
「…そう?じゃあ、弟達と話す時みたいにしようか」
エディスと並ぶと、リックの視線は余り変わらない。
だが、ヒョロヒョロとしていて、筋肉が十分に育っていないのが判る。
「東域の騎士は凄いですね…先日、キム様が助っ人に来て下さった時にもお話ししましたけど、一つしか違わないのに、ムッキムキのバッキバキ。何を食べたら、あんな風になれるんですか?」
「う~ん…特別なものはないと思うけど、魔獣の肉はよく食べるかな。食べるだけではなくて、よく寝るのも大きいかもしれないね。訓練して食べて寝て。その繰り返しだよ」
「あ~…やっぱり、訓練、大事ですよね…」
「そうだね。訓練しないで強くなる騎士はいない。ラングリードと言うだけで、生まれた時から強いと思われがちだけどね」
そう苦笑するエディスが東域騎士団の訓練に混ぜて貰うようになったのは、八歳の時。
訓練だけなら、能力さえあれば受ける事が出来るから、ラングリード兄弟は皆、幼い頃から騎士団に出入りしている。
その時点で既に、十歳の少年と同じ位の身長はあったので、体格に恵まれていたのは事実だろう。
けれど、たくさん怪我を負ったし、手合わせでは数えきれない位に負けた。
それなのに、一歩、騎士団の外に出ると、何をしても「ラングリード一族だから」で納得されてしまう、と嘆いていたのは次兄イネスだ。
七人兄弟で、それぞれ性格も違えば特技も違う。
にも関わらず、一緒くたに「ラングリード兄弟」とまとめられてしまう事を殊更に嫌がっているイネスは、脳筋兄弟の中で最も知性派だった。
「じゃあ、飛竜を捕まえるのも、簡単じゃなかったり…?」
「東域に飛竜が多いと言っても、簡単ではないな。出会えるまでに、森に入って早くても二週間、遅いと三ヶ月はかかるから」
「えぇ!じゃあ、その間は…」
「野宿だよ」
「深淵の森で野宿ですか?!魔獣がいつ出て来るか、判らないのに」
「人がいる状況に、飛竜を慣れさせる必要があるんだ。興味を抱いて顔を出してくれるようになったら、ひたすら交渉。納得してくれるまで、言葉を尽くす」
「他の騎獣とは全然違う…」
「うん。私が知る限り、力で服従させるのではなく、言葉で説得する騎獣は飛竜だけだ。飛竜乗りが少ないのは、それも理由だね。何しろ、手に入れるまでにかかる時間と労力が尋常じゃない。うちは、一人が欠けた所で、他の兄弟が魔獣討伐隊の穴を埋められるから出来る部分もあるから」
騎獣としての飛竜が欲しければ、一人で深淵の森に向かうしかない。
一対一で向き合って、初めて、飛竜の信頼を得られる。
エディスも十五の年に、一人で森に入り、三週間目でポチが出て来てくれた。
会う度に言葉を掛けて、漸く、頷いてくれたのがそこから更に二週間後だ。
兄弟全員が自分の飛竜と出会えたのは、確固たる信念の元、粘り続けたからに他ならない。
「環境はあるんでしょうけど…それについていけるのが凄いなぁ…」
リックは茫然とした後に、そう言えば、と口を開いた。
「環境と言えば、副団長の机の上、ご覧になりました?」
「ん?あぁ、何だか書類が山積みになってたね。あの整理をお手伝いすればいいのかな?」
「自分もお手伝いはしてるんですけど、どうにも量が多くって。騎士団の書類と、副団長個人の書類がごちゃ混ぜになっちゃってるんで、お気をつけ下さい」
「…もしかして、副団長殿って片付けが苦手…?」
因みにエディスは、整理整頓が好きだ。
現在では結婚して家を出た兄弟が多いが、子供の頃は大変だった。
家族の人数が多いと、どうしたって、持ち物が入り乱れてしまう。
その為、持ち物には全て、記名しなければならないと言う家庭内ルールになっていた。
記名しそびれた物は、他の誰かの物になっても文句は言えない。
洗濯物の量も膨大で、ある程度成長した後の服のサイズは、エディス以外似たり寄ったりだから、下着や靴下まで、全員の服に、イニシャルの縫い取りをしていた。
そこまでしても、行方不明になるものがたくさんあるので、整理整頓を徹底するようになったのだ。
「得意では、ないですね。でも、いつもはあそこまで大変な事にはなってないんです。この所、地竜を撃退するのに忙しかったのもあって、色々と後回しになっちゃったみたいで」
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基本は、対面する深淵の森から溢れ出る魔獣の討伐をして過ごすわけだが、一騎士団では手に余る状況になると、人員に余裕のある他の騎士団が戦力を貸し出す。
今回の場合で言えば、地竜の相手で大変だった西域騎士団に、東域騎士団長であるトマスを始め、ラングリード兄弟が貸し出されたわけだ。
幾ら東域が落ち着いている時期だったとは言え、団長自ら長期に渡って助太刀に行く程の相手なのだから、相当な苦労があっただろう事は、想像に難くない。
「それもありますけど…副団長のやる気のなさもあって」
「やる気?」
彼は、真面目な騎士に見えたのだが。
「副団長が整理しないといけない個人の書類って…」
ここで、リックが声を潜めた為、エディスは自ずと前のめりになる。
「お見合い用の身上書なんです」
秘密を話すように、小声で告げられた内容に、エディスは目を丸くした。
お見合い用の身上書?
「副団長って、ほら、イケメンじゃないですか?」
打って変わって、普通の大きさの声で投げやりに語るリックに、エディスは辛うじて頷いた。
イケメンの定義はよく判らないが、ジェレマイアは確かに、整った顔立ちをしていると思う。
「おまけに、あの若さで副団長だし。史上最年少らしいですよ。団長だって、副団長になったのは三十過ぎてかららしいですから。その上で、次期公爵でしょう?もうねぇ、めっちゃモテるんです、腹立つ位に」
「まぁ、そうだろうね」
「自分は従騎士ですし、平民なんで、騎士団を離れている時の副団長の事は噂でしか知らないんですけど…王都の夜会では、ヤバいみたいですよ」
「ヤバい?」
「そうです。例えば、副団長が社交辞令で、A嬢とB嬢が揃っている所で、『今夜もお美しいですね』と言ったとするでしょう?」
ジェレマイアの真似をしたつもりなのか、貴公子らしい言い回しでリックが言うのに、エディスは吹き出しそうになるのを堪えた。
「そうすると、A嬢とB嬢が、『ジェレマイア様は、わたくしにお声掛け下さったのよ!キーーー!』とキャットファイトします」
リックは、なかなかに芸達者なようだ。
裏声で、唇を戦慄かせて「キーーー!」と言う姿の背後に、着飾ったご令嬢の幻影が見える。
ジェレマイアより、ご令嬢の物真似の方が上手だ。
「キャットファイト」
「副団長に声を掛けられると、ご令嬢だけでなくご夫人方まで、自分に気があるんじゃないか、と勘違いして大変な事になるんで、副団長は、夜会に出てもご婦人とは世間話すらしないらしいですよ」
「それは…御気の毒に…」
ジェレマイアは、名高いユーキタス公爵家の令息。
次期公爵で、現時点で既に騎士団の副団長。
その上、見目の良い男だ。
ご令嬢方は、例え社交辞令であっても、個人的に言葉を交わす機会があったら、自分の事を好ましく思ってくれているのではないか、と思いたくなってしまうのだろう。
「その結果が…お見合い用の身上書?」
だが、貴族のマナーとして、お見合いのような私的な用件は、個人の屋敷に送る筈だ。
騎士団は仕事の場であり、国土と国民を守る公的な場なのだから。
「そうなんです。忙しすぎて帰宅する余裕がないのもありますけど、副団長が、屋敷に届く身上書をガン無視してるもので、こちらにまで送られてくるようになっちゃって…」
ユーキタス公爵家は、ウェルト領の領主でもある為、領内に屋敷がある。
また、王都にも、屋敷を賜っているのだそうだ。
そのどちらにも身上書が届いているのだが、ジェレマイアが返事をしない結果、確実に本人の目に留まるであろう騎士団宛に、身上書を送る者が増えているのだと言う。
恐らく、身内に騎士がいないご令嬢方なのだろうな、と、エディスは考える。
騎士達はただ、兵営に駐留しているわけではない。
そこで、命のやり取りをしているのだ、と言う現実を知らないのだとしか思えない。
…まぁ、そんな場所で、トマスも婚約相手を見つけて来たわけだけれど。
「つまり、副団長殿は、ただでさえ乗り気ではないお見合いの身上書を多忙な中に送り込まれて、整理するのが面倒で後回しにしていた結果が、あれ、と」
「その通りです」
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「だけど、副団長殿は公爵家のご子息でしょう?男性側から働きかけたわけでもないのに、一方的にお見合いを持ち込まれるもの?」
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ラングリード家は、貴族としては最下位の男爵家。
エディスがこれまで、何十回となく臨んだお見合いは全て、縁談を希望する男性とのものだ。
それでも、結婚が決まらないのだから…諦めの境地にも至ると言うものだろう。
そう言えば、西域騎士団所属の騎士とも何人かお見合いしたが、彼等はその後、「女性相手に敵前逃亡しただなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。こんな軟弱な精神では、魔獣討伐など出来ない」と、退団してしまったと風の噂で聞いたような。
…今回の婚約が破棄されたとしても、騎士相手のお見合いはもう、絶対にしない。
いや、やっぱり、結婚を諦めた方がいいか。
「それがまた、問題で…」
「うん?」
「副団長のお母上は、早く結婚して欲しくて、お見合いに乗り気らしいんです」
「あぁ…」
息子であるジェレマイアは断っているのに、母親がよい縁談を求めて、あちらこちらで声を掛けている、と言う事か。
息子の将来を案じているのだろうが、残念ながら、すれ違ってしまっている。
親子間の話し合いが足りないとしか思えない。
「…でも、リック、いいの?副団長殿の個人情報を、こんなにペラペラと私に話して」
「あぁ、自分も流石に、誰彼構わず話すわけじゃないですよ?団長に、『ラングリードには、何でも話していいぞ』って言われてるんです」
「…ユーキタス団長殿に?」
それはまた、何でだろうか。
そこまで、ラングリード家を買ってくれていると言う事なのだろうとは思うが、何の目的もないとは思えない。
「副団長、今年、二十五になったんですよ。でも、今は無理、って言ってるのに大量のお見合いが持ち込まれたものだから、そもそも結婚自体、嫌になっちゃったみたいで」
「あぁ…」
そうか、ジェレマイアはオリバーとカーティスの間の年齢なのか。
エディスは、弟達の顔を思い浮かべた事で、一層、ジェレマイアの苦境を身近なものとして感じた。
オリバーもカーティスも、昨年、婚約し、今年、結婚予定だ。
婚約者と共にいる時の幸せそうな顔を知っているから、余計に同情してしまう。
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その中にいいお相手がいたとしても、うんざりした気持ちでは、見つけ出すのは難しかろう。
団長が、何処からかエディスの仲人としての実績を聞き及んで、息子の幸せな婚約者を見つけるべく、協力を求められていると言う事だろうか?
だが、騎士団の兵営には女性がいないから、エディスの能力は役立ちそうにないのだが。
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エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
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