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<27/ルーカス>

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 リリエンヌが退室したのを見届けると、マーティアスが口を開いた。
「…外見上の特徴と生まれた時期から、まず私の子だと思ってはおりますが…もう一点、ご報告が」
「何だ」
 まだ、何かあるのか。
「ロザリンド様は、処女おとめではございませんでした」
 …。
 ……。
「な?!」
 余りにも想定外の言葉に、一瞬、思考が固まる。
 貴族、王族の結婚で、女性の処女性が求められるのは、血統で家を継ぐからだ。
 処女、つまり、他の血統の子供を孕んでいない、と言う確証が、血統の保全に必要だからなのだ。
 下位貴族はともかく、高位のものになる程、厳格に処女性を求める。
 確かに、婚前にマーティアスがロザリンドと関係を持った以上、初夜の段階でロザリンドは処女ではないだろう。
 だが、それ以前に、マーティアスと関係を持った時点で既に処女ではないとは、どう言う事だ。
「…婚姻前に、検査を受けた筈では」
「検査を行った医師に、タウンゼント家の息が掛かっているのでございましょう」
「あぁ…」
 否定は、出来ない。
 彼等は何処まで、王宮の深部に食い込んでいるのか。
 セオドアが不安視する筈だ。
「私以外に、ロザリンド妃殿下のお相手をした者が誰かは存じ上げません。ですが…恐らくは、タウンゼント一族の者かと」
「…だろうな」
 マーティアスの言葉から察するに、ロザリンドの個人的な企みではなく、タウンゼント公が噛んでいるようだ。
 タウンゼント一族の濃い血を引く者を玉座につける事が、タウンゼント公の野望なのだとすれば、一族の中で有望な者を、ロザリンドを使って取り込もうとしているのだとも考えられる。
 考え込む俺を見て、マーティアスは頭を深々と下げた。
「ルーカス殿下にはお手数をお掛けしますが、セドリック殿下に、私の意図する所をご理解頂けるよう、願っております」   
「セディは、端からアルバートの出自を疑っていたようだからな。材料が増えたと喜ぶだろう。それに、アルバートの引き取り先が決まっているのであれば、安心して動ける」
「監視の目がございますので、表だって動く事は叶いませんが、私に出来る事でしたら、何なりとお申し付けください」
「そうさせて貰う」
 応えてから、ふと、気になって尋ねる。
「アルバートは確かに、お前そっくりの色を持つ赤ん坊だ。ロザリンドは、そこから父親がセディではない、と疑われると考えなかったのか?」
「…出産に立ち会った助産師や、乳母達は青い顔をしておりましたが…妃殿下には、動揺されたご様子は見受けられませんでした」
 赤ん坊の顔を見に来る事などない、と思われる程に、セディとロザリンドの距離は遠いのだろうか。
『いいよ、私がローズを引き受ける』
 そう、あっさり言ったセディ。
 だが、セディがロザリンドと夫婦としての交流を深めようとしていた気配はない。
 …いや、リリエンヌを手酷く拒絶した俺が、セディに何か言えるわけもない。 
「怪しまれぬうちに、戻る事と致します」
 マーティアスは、辞去の挨拶をした後、俺の顔を見て、ふ、と笑った。
 燃える赤髪、夏空の青い瞳、整った容貌は、セディのように甘くも、俺のように冷たくもない。
 精悍な顔立ちは、如何にも騎士らしい。
 ロザリンドが執着するのも、判る。
「リリエンヌ妃殿下のような方が、子の母であれば、と望まずにはいられません」
「お前…」
 こいつが、リリエンヌを熱の籠った視線で見ていたと感じたのは、やはり勘違いではなかったか。
 リリエンヌを子供の母親にしたい、つまりは、自分の妻にしたいと言う事だろう?
 思わず睨みつけると、マーティアスは、リリエンヌの前では誠実そのものだった顔に、何か思い詰めたような表情を浮かべた。
「…ルーカス殿下が、リリエンヌ妃殿下を大切になさっているようで、安堵致しました」
「…何?」
「私は、タウンゼント家配下の人間。口にする事は許されませんでしたが、以前より、ロザリンド様ではなく、リリエンヌ様をお慕いしておりました。ロザリンド様の苛烈なご性格を間近で見ていた事もあるのでしょう。人々の声に左右されず、微笑んでおられるお姿に、どれだけ力を頂いた事か。社交界で、人形姫と呼ばれている事は存じております。けれど、微笑みを浮かべ続けるのは、あの方の強さなのだと、私は思うのです。…ロザリンド様を通じて聞こえてくるご夫婦仲が芳しいものではなかっただけに、リリエンヌ様のお気持ちを案じておりましたが…杞憂と判って安心しております」
 …この饒舌さは、本気だな。
 いつの間にか、『妃殿下』ではなく、名で呼んでいる事を不快に感じる。
 だが…そうか。
 リリエンヌの微笑みに感じる物は、受け取る相手によって様々だと言う事か。
「お前は、学園でもリリエンヌと在学期間が重なった事はない筈だ。何故、リリエンヌの事を知っている」
「近衛に所属していた時期に、殿下方の茶会の護衛を何度か命じられているのですよ」
 記憶を辿ったが、遠巻きに護衛する近衛の顔等、覚えていなかった。
「リリエンヌ様は、茶会の場では一言も話されない事が多かった。ですが、茶会への行き帰りに護衛につくと、必ず、『今日はお願い致します』『有難うございました』と、声を掛けて下さいました。王宮で護衛の任に就いた機会は数えきれませんが、他の方に、そのようにお声掛け頂いた事はございません。私は…あの方をお守りしたくて、近衛に残りたかったのです」
 ぎり、と、マーティアスが拳を握る。
 己の意思を無視したタウンゼント家と、横暴な申し出を撥ねつける事の出来なかった自分への、憤りだろうか。
「顔と名を覚えて頂けなくともいい。お側で、お守りする事が出来れば、それで良かった。アルバート殿下の事も…正直に申し上げれば、いずれ明るみに出ようとも、リリエンヌ様に害が及ばないのであれば、自ら申し出るつもりはございませんでした」
「それは、つまり…お前は、リリエンヌに害が及ぶ可能性がある、と判断したと言う事だな?」
「さようで。先日の面会以降、ロザリンド妃殿下の苛立ちは増すばかりです。更に、どんなお話があったのかは存じ上げませんが、王妃殿下との茶会以降、一層ご機嫌を損なわれ、腹心の者達も恐れて近づきません」
 アルバートの生育環境が心配だ、と面会の理由を述べたのは、リリエンヌの心証をよくする為か。
 リリエンヌは明らかに、マーティアスとアルバートの今後を気に掛ける様子を見せていた。
 一本気な男かと思っていたが、意外に策を弄するタイプのようだ。
「殿下。どうぞ、リリエンヌ様をお守りください」
「…お前に案じられるまでもない。リリエンヌは、俺の妻だ」
 敢えて、殊更に『妻』と呼ぶと、マーティアスは挑戦的な笑みを浮かべる。
「えぇ、判っておりますよ。…リリエンヌ様を愛せない方ならば、連れ去ろう等と、そのような事は思っておりませんので、ご安心ください」
 絶対に安心出来ない口調でそう言うと、マーティアスは今度こそ、本当に部屋を辞した。



 セディに話したい事があると告げたものの、互いに多忙で時間が取れないままに迎えた、花祭りの日。
 花祭りは、ハークリウス王国の祭事の中でも、重要なものの一つだ。
 王族は全員、白い礼装に身を包み、花車に乗って街中をパレードする。
 集まった観衆は花弁を空に撒いて、豊穣を願い、恵みに感謝するのだ。
 礼装には、決まった形があるわけではなく、色しか指定されていない。
 王族女性が纏ったデザインが次の流行を作る事から、デザイナー達の売り込みは激しいものがある。
 元は、母上が、市場の活性化の為に、様々なデザイナーを起用した事がきっかけらしい。
「…っ」
 王宮の車寄せで、リリエンヌを待っていた俺は、現れたリリエンヌの姿に息を飲んだ。
 陽光の中にありながら、リリエンヌは、月下に遊ぶ妖精のようだった。
 胸元を緩やかに覆った生地が、胸の直ぐ下で切り替えられ、スカート部分は足元にすとんと流れ落ちている。
 生地の質感とデザインが相まって、リリエンヌの華奢な体を強調していた。
 唯一、装飾らしいものと言えば、妖精の羽根に見える背中の大きなリボンだけだ。
 小振りな金剛石を連ねた華奢な作りの首飾りが、歩を進める度に陽光をちかりと反射する。
「ルーカス様。本日はよろしくお願い致します」
 いつもは下ろしている事の多い髪を、今日は、複雑に編み込んでうなじを見せているからか、普段よりも落ち着いて見える。
 日の光に輝く銀髪には、白百合が飾られていた。
「…あぁ」
 綺麗だ、と、言わなければならない。
 だが、世辞として言うのであれば幾らでも言える称賛の言葉が、心から思った時には声にならない事を、初めて知った。
「…よく、似合っている」
 辛うじて言葉を絞り出すと、リリエンヌは驚いたように一瞬目を見開いて、小さく微笑んだ。
「有難うございます。ルーカス様も、白の礼装が黒髪によく映えておいでです」
 何か、もう一言。
 口を開こうとした時に、背後から刺を隠そうともしない声がした。
「あら、リリエンヌ様。相変わらず、お召し物の映えない慎ましいお体ね。痩せていればいいわけではありませんのよ?」
 ロザリンドだ。
 噎せ返るような強い香水の匂いに、うんざりしながら振り返ると、彼女は、出産前と変わらず、大きな胸と細い腰を強調するデザインのドレスを纏っていた。
 よく手入れされた肌を、惜し気もなく曝け出したドレスは、夜会ならばともかく、昼の祭事には露出過多に思われる。
 だが、計算し尽されているのだろう、露出は多いながらも下品には見えないから、注意するのも難しい。
 背後に控える侍女がショールを持っている所を見ると、一枚羽織る事で完成するデザインなのだろうが、敢えて羽織らずに現れるのは、何か意図があるのか。
「ローズ。君が産後も美しい体形を維持している事はよく判ったから、上に一枚、羽織ってくれないか。目に毒だよ」
 後から来たセディが柔らかく声を掛け、侍女から受け取ったショールを肩に掛けてやると、ロザリンドは、笑って受け取った。
 …何故、最初からそうしないんだ。
「皆、揃ったようだね」
 ゆっくりと歩いて来た父上達の姿を確認して、花車の上に上る為の階段が下ろされた。
 花車の正面に両親、右側面にセディとロザリンド、左側面に俺とリリエンヌが立ち、集まった人々に手を振る予定だ。
 角度の急な階段の為、リリエンヌに手を貸そうと振り返ると、ロザリンドの背後からリリエンヌを熱い眼差しで見つめるマーティアスと、目が合った。
「…リリエンヌ。階段に気をつけろ」
 その眼差しを不快に感じて、リリエンヌの腰に腕を回して抱き寄せる。
 ふわ、と、甘い香りが漂った。
 今日は髪に白百合を飾っているから、その香りだろう。
 クローディアスに触れる時、リリエンヌは香水をつけていないから、新鮮に感じる。
 腕の中にすっぽりと納まる小さな体。
 抱き寄せられたリリエンヌは、戸惑うように俺を見上げた。
 脇腹に触れた熱が、リリエンヌが妖精などではなく、生身の体なのだとまざまざと実感させる。
「…ルーカス様…?どうなさいました?」
 居心地悪そうに身動ぎし、俺にしか聞こえない小声で囁くリリエンヌに、これ程に距離を詰めたのは初めてだと気づく。
 だが、手を離してやる事は出来ず、俺は無表情を保つしかなかったのだった。


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