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<24/リリエンヌ>

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 何が起きたのか、判らない。
 何故、目の前にこの人が…っ。
「先触れもなく突然の訪問、ご無礼をお許しください。ですが、私がリリエンヌ妃殿下にお目通りすると判れば、何処から横槍が入るとも知れず、妃殿下にご迷惑をお掛けする事となってしまいます。どうか、平にご容赦ください」
 私の目の前で、綺麗な騎士の礼を見せるのは、アレン・マーティアス卿だ。
「…どうぞ、お顔をお上げになって。アレン・マーティアス卿」
「…私の名を、ご存知でしたか」
 ハッとしたように、マーティアス卿が顔を上げる。
「えぇ。タウンゼント家を支えるマーティアス子爵家の方でしょう?近衛騎士にも比肩する剣の腕をお持ちと伺いました」
 前世のゲーム知識でね(小声)。
「近衛騎士団長を務められるルーカス殿下の妃である妃殿下に、そのように仰って頂けるとは、この上ない名誉でございます」
 マーティアス卿は、儀礼的な堅苦しいものではない、親しみを自然と感じさせる笑みを浮かべた。
 あぁ、この笑顔にやられる婦女子は多かろう…罪作りだな、マーティアス卿。
 真っ赤に燃えるような髪は、長めに伸ばした前髪を後ろに流している。
 そのお陰で、真っ青な瞳がよく映えていた。
 通った鼻筋、きりりとした太目の眉毛、日に焼けた肌に白く輝く歯。
 爽やかだ…。
 流石、爽やか担当攻略対象者のお父さん(推定)…!
 それにしても。
 と、ちらり、と壁際に控えるハイネを見遣る。
 いつも通り、クローディアスの世話をしていたら、いつになく慌てた様子のハイネがやって来て、
「リリエンヌ様に、お目通りを願う者がお見えです。お約束はございませんが、如何なさいますか」
と言われた時には、驚いた。
 何しろ、『じゃない方』王子妃の私のご機嫌取りに来るような暇人は、これまでいなかったのだから。
 ルーカス様に対する私の影響力等、あるわけがない、と言うのが社交界の一般常識だろうし、アーケンクロウ公爵家が、私と距離を置いているのは、誰もが知る所だ。
 アーケンクロウ家との縁を望む人間にとっても、私は大して使い道のない人間なのだ。
「…本日は、どのようなご用件でしょう?ロザリンド様から、何か御用が?」
「いえ。ロザリンド妃殿下には、どうぞ、内密にお願い致します」
 おや?
 おやおや?
 タウンゼント陣営に属するマーティアス卿が、ロザリンド様に内密に、ですって?
 ハイネの顔にも、思案気な表情が浮かんでいる。
 何だろう、何か、厄介事に巻き込まれる予感が…。
 でも、私の鉄壁の仮面に揺るぎはない。
 これだけは、ラダナ夫人に感謝してもいい。
「そう。判りました。では、この場だけのお話と言う事で伺いましょう」
「有難うございます。…実は…アルバート殿下の事なのですが」
 お、おぉっと…いきなり、核心、かな…?
 マーティアス卿は、思い切ったように一つ息を吸い込んで、話し始めた。
「先日、両陛下とクローディアス殿下、アルバート殿下の初対面にお供させて頂いた時に、大きな衝撃を受けました。クローディアス殿下と、アルバート殿下のご様子が、素人目にも全く、異なっておりましたので」
 あぁ…うん、それは、何となく判る、かな…。
 クローディアスは、起きている時間の殆どを私と過ごしている。
 疲れさせない程度に、と心掛けているけれど、声を掛け、笑い掛け、肌に触れ、抱き締め、運動させ…と、とにかく、色んな刺激を与えている。
 公務の準備はあるものの、前世と違って家事をしなくていいから、ワーキングマザーの中では、時間の余裕がある方だ。
 意識して触れ合うようにしているのは、外部からの刺激が赤ちゃんの成長に必要だ、と言う持論があるから。
 アルバートは、大勢の乳母達に囲まれているらしいけれど、彼女達の役割は飽くまで、身辺の世話。
 この世界の人は、言葉を話し出すまでの赤ちゃんに対して、積極的な刺激を与える必要性を感じていない事を、ジェマイマ達と話していて気づいた。
 食事を与え、おむつを替え、風呂に入れて清潔にしていれば、そのうち育つ、って感じかな?
 言葉を発するようになって「人間らしく」なるまでは、何と言うか、人間と言うよりも、動物の世話をしている、ように、私には見えてしまう。
 いや、動物でも愛玩動物には、話し掛けるものだと思うのだけどね。
 そもそも、ここでは、愛玩動物と言う概念が一般的ではないのだ。そこまでの生活の余裕がない、と言い換えてもいい。
 初めの頃、おむつ交換や授乳、沐浴の度に、私がクローディアスに言葉で説明する姿を、ジェマイマ達は奇妙なものを見る目で見ていた。
「おしっこ一杯出たねぇ。おしりキレイキレイしましょうね」
「お腹空いたのかな。美味しいの飲もうか」
「お風呂に入ろう。さっぱりするよ~」
 別に、意識して話し掛けていたわけじゃない。
 ただ、クローディアスの顔を見ると、自然に口をついただけだ。
 でも、「妃殿下は、何をしてらっしゃるのですか?」と尋ねられて初めて、この世界では赤ちゃんに話し掛けない事を知った。
 彼女達は、意地悪で赤ちゃんに話し掛けなかったわけじゃない。
 必要性を感じなかった、と言うのと、貴族階級の使用人は無駄口を利いてはいけないから、無言が習慣づいていただけの話。
 前世のとある王様が、生まれたばかりの赤ちゃんを集めて行った実験の話を、うろ覚えだけど覚えている。
 赤ちゃんの身辺の世話をし、食事を与える。でも、話し掛けない、目を合わせない、笑い掛けない。
 言葉を知らずに育った赤ちゃんは、どんな言葉で話し出すのかを調べる目的だったっけ。
 生きる為に必要な世話はするけれど、人間らしい交流を一切禁じたらしい。
 そしたら、赤ちゃん達は、食べ物の栄養は足りてるのに、十分に清潔なのに、一歳のお誕生日を待たずに全員亡くなったそうだ。
 人が育つには、抱き締める腕と言葉(音声だけではなく、表情やスキンシップも伝達手段だよね)が必要、と言うお話。
 泣く、と言うのは、赤ちゃんの自己主張であり、唯一の言葉だ。
 その言葉に応じる人がいる事で、赤ちゃんは「自分」が出来ていく。
 応える人がいなければ、心が育っていかないのだと思う。
 それが、頭の片隅にあるから、私はクローディアスに話し掛けるし、抱き締める。
 直接、愛を伝えようと頑張っている。
 愛してる、大好き、と言葉にしているのは私なのに、クローディアスの小さな手が私に触れる度に、同じだけの気持ちが返されているように感じるのは、何故なのだろう。
 これが、気持ちが通じ合う、って事なのかな。
 先日、初めて会ったアルバートは、乳母チームから十分な世話を受けていた。
 けれど、母親であるロザリンド様とも、父親と言われている(敢えて、こう言うけど)セドリック様とも接触が一切ないって事は、無言が美徳の乳母達から、どれだけの外的刺激を受けているものやら不明。
 見た目だけなら、ぷっくぷくに丸々としてて、思わずつんつんしたくなってしまう位のマシュマロ具合だったし、お肌もつるつるのプルプルで、丁寧に世話されているのがよく分かった。
 でもね…表情、とか、手足の動き、とかが、クローディアスと比べると控えめだったのは確かだ。
 無表情とは言わないし、身動ぎ一つしないとも言わない。
 隣にクローディアスがいなければ、気にもならなかったかもしれない。
 だけど、クローディアスの方が明らかに体のサイズが小さい分、違和感と言うか、
「あれ…?」
と感じる人も、いたと思う。
 生後三ヶ月とは言え、毎日の積み重ねと言うものは、目に見えるのだ。
 …ただねぇ。
 この世界では、アルバートの乳母チームのやり方が、主流なのよねぇ…。
 暫し、自分の考えに浸っていた私は、目の前のマーティアス卿に目を遣ると、意識を彼に向け直した。
「マーティアス卿の目には、お二人の殿下の様子が、異なるように見受けられたのですね」
 取り敢えず、一度、受け止める。
「はい。お恥ずかしながら、私はこれまで、子供とは全て、同じようなものだと思っておりました。アルバート殿下の生育環境に疑問を持った事もございません。ですが、クローディアス殿下は、明らかに…その、何と表現すればよいのか判らないのですが…」
 マーティアス卿は、言葉を探すように宙を見て、納得の行く言葉を見つけたのか、表情を明るくした。
「そう、愛されている、満たされている、と言う感じを受けたのです」
「まぁ」
 思い掛けない言葉に、思わず、口が開き掛け、慌てて扇子で隠す。
 え、やだ、第三者から見ても、うちの子、愛されちゃってるの判る?
 満たされてるって感じる?
 やだぁ、嬉しい~!
「そう見えたのでしたら、嬉しいわ」
 内心の動揺を押し隠して微笑むと、マーティアス卿は何故か、赤面した。
 何、王子妃らしくなかった?
「わ、たしは…タウンゼント家を主家と仰ぎ、仕えて来た家の者として、王子殿下であるアルバート殿下にも、お仕えする事を求められております。これまでは、御身の護衛を考える事が任務と思っておりましたが、健全な成長を望む事もまた、私の役目なのではないか…と、愚考致しました。クローディアス殿下のように、愛されて育つ事が、最も重要なのでは、ないか、と」
 しどろもどろになりながらのマーティアス卿の話は、彼のアルバートへの個人的な思い入れを表しているように聞こえてしまう。
「…育児の方法に、正解はございませんわ。ロザリンド様にはロザリンド様のお考えがございましょう。アルバート殿下の乳母達は、わたくしから見ても、とても丁寧に世話をしていると思います。子供の成長には、個人差もございますし、クローディアスがせっかちさんなのかもしれませんわ」
 取り敢えず、私にロザリンド様を貶すつもりはない、と言う主張はしておこう。
 ほら、マーティアス卿はロザリンド様と相思相愛説、まだ可能性あるし。
「そう、なのかもしれません。ですが…ロザリンド妃殿下は、アルバート殿下に関心をお持ちではありません」
「マーティアス卿…!」
 ダメ、それ、声に出しちゃダメなヤツ…!
 壁に耳あり障子にメアリーって言うでしょ?!って、障子のないこの世界では、言わないんだっけ…?!メアリー!メアリー、何処にいるの?!
 蒼白になって、彼の言葉を押し留めようとした私に、マーティアス卿は何やら、決意の顔を向けた。
「…リリエンヌ妃殿下、私は…」
 その時だった。
 バンッ、と、応接間の扉が乱雑に開かれ、息を切らしたルーカス様が登場したのは。
「…アレン・マーティアス!俺の妻に何をしている…!」


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