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 兄上の立太子式と婚儀が迫っていた。
 大方の準備は終えていたとはいえ、式に参列する他国要人の出迎えや、天候に合わせた細かい調整など、多忙を極めた。
 その裏で、リタが要望した白の者の保護と、全国の産婆からの聞き取り作業が進められている。
 リタは、父達との面会以降、王城で暮らし始めた。
 表向きは、婚儀を控えて過敏になっているレキサンド伯爵令嬢の話し相手および補佐として、という事になっている。
 正直なところ、レキサンド伯爵令嬢は大舞台を前にしても緊張するようなタイプではないのだが、婚儀前という時節柄、もっとも通りのいい理由だった。
 フレマイア侯爵は、屋敷から外に出た事がない箱入り娘だから、という言い訳を今回も使ったが、兄上はまたしても、

「いずれ、彼女も王城で暮らすのだ。今から慣れておいた方がよい」

と笑顔で退けた。
 三回目の『俺』は、リタをお飾りの正妃にすると約束する事でフレマイア侯爵から婚姻の許可を得たのだろうけれど、例え、騙すためであっても、そんな台詞は口にしたくない。
 リタに辛い思いをさせてきた俺ができる事は、彼女に誠実に接し続ける事だけだ。
 また、リタには話していないが、気になる事があって、二十年ほど前に騎士団に所属していたある女性騎士の行方を捜している。
 闇属性と光属性の間に、引き合う力があるのではないか、との推測を聞いた父が、

「そういえば、以前、魔法騎士団に闇属性の女性騎士がいたな」

と思い出したのだ。
 光属性の者は、一定以上の魔力を持つ治癒魔法の適性持ちであれば、治癒魔法師になる選択しかないし、治癒魔法の適性がない者、魔力が少ない者も、医療職に就く事が多い。
 闇属性の者は、職業は自由に選択できるのだが、豊富な魔力量を活かした魔法師か騎士になる事が多い。
 そうはいっても、母数が少ない闇属性。
 騎士団全体を見ても、父が把握している歴代の闇属性は三十人ほど、中でも、女性騎士にいたっては一人だけだった。

「だから、記憶にも残っていたのだろう。魔力量は言わずもがな、剣の扱いにも長け、いずれは女性隊長になるかと期待していたのだが……突如、退職してな。あれは、いつだったか……お前が生まれた直後くらいか?」

 ……偶然、かもしれない。
 そもそも、リタの生みの母が闇属性と決まっているわけでもない。
 だが、リタが生まれる少し前まで、リタの父がいる魔法騎士団に所属していた、闇属性の女性。
 偶然も重なると裏に人の作為がある可能性が高い事を、俺はもう知っている。

「その女性騎士の名前を憶えていらっしゃいますか?」
「さすがに名前までは……」
「わかりました、こちらで調べてみます」

 珍しい闇属性の女性騎士の正体は、すぐにわかった。
 ダナイドの隣領チャムル出身の男爵令嬢アリシア・ガルトン。
 ガルトン家は、チャムル領主であるオルファム伯爵家の家臣だ。
 騎士の家系で、主君であるオルファム伯爵を守って功を上げ、男爵位に叙されたという。
 珍しい闇属性でありながら、攫われる事なく成人できたのは、貴族令嬢で護衛をつけていたからなのだろう。
 騎士の家系とはいえ、令嬢自身が騎士になるケースは珍しい。
 女性騎士は騎士団の四分の一ほど在籍しているが、ほとんどが平民からのたたき上げだ。
 そんな中、アリシアが騎士団の門戸を叩いたのは、生家が、領地収入があるわけでもないのに子だくさんだったため、給与のいい魔法騎士団で養育費を稼ぐ目的だったらしい。
 闇属性であれば、結婚相手にも事欠かなかった筈。
 持参金なしでもいい、と手を挙げる家はありそうなものだが、彼女が結婚ではなく騎士の道に進んだのは、ある男性に懸想しているからだ、と噂になっていたそうだ。

「……まさか、とは思うが……」
「えぇ、そのまさかです」

 ラルフの報告を受けて、ずきり、とこめかみが痛む。

「フレマイア侯爵か……?」
「侯爵夫人がアリシア・ガルトンと同じく男爵家出身という事で、自分にも機会があると期待していたようですね」

 同じ男爵家の出身で、片や魔力が少なく、片や闇属性なのだから、勝てると思ったのかもしれないが。

「魔力量の多寡で妻を選ぶ男ならば、初めから家門に勧められた令嬢を選んでいるだろうに」

 フレマイア侯爵は、多勢の反対を押し切ってまで、夫人を娶っている。
 社交界でも、夫人とアシュトンを溺愛している事は有名で、だからこそ、俺はリタもまた、愛されている娘なのだと思っていたのだから。

(どうしても手離したくない、という思いも、今なら理解できる)

 けれど、それは周囲を傷つけていい理由にはならない。

「とはいえ、今のところ、ただの憶測に過ぎないな。足取りを追ってくれ」
「承知しました」



 全国から情報を収集している中、俺は俺で動いていた。
 アカデミー卒業後、王宮官吏の職を得たロブ・デイヴィスを呼び出したのは、そんなある日の事。

「ルシアン殿下、お呼びですか」

 普段なら、もっと砕けた言葉遣いをするロブも、仕事中の呼び出しだからか改まった態度だ。

「ロブ。妹が欲しくはないか?」
「はい? 妹……ですか?」

 ロブは、デイヴィス公爵家の三男で末っ子だ。
 家督には関係ないから自由に進路を選べる、という理由で、幼い頃から俺がどんな道を選ぼうとも支える、と約束してくれた、数少ない信用できる人間だった。
 デイヴィス公爵家ならば、安心してリタを任せる事ができる。
 何よりも、フレマイア侯爵がどう足掻こうが、格上のデイヴィス公爵家には対抗しきれない。

「あぁ。美人だし、性格も頭もいい」
「いや、なんでまた突然」

 ロブは、探るような目で俺を見ていたが、俺がまっすぐに見返すと、パッと両手を軽く挙げた。

「あ、いいです、詳しい事は。承知しました。父と兄達には話しておきます」
「頼んだ」

 ロブにはこのやり取りだけで、単なる養女の話ではないと伝わった筈だ。
 フレマイア侯爵は、叩けば叩くほど、埃が出る。 
 リタの母親について調べようと思ったのは、貴族が平民に害をなしても大した罪には問えないが、相手が貴族ならば状況が変わって来るからだ。
 これで、リタの母親が男爵令嬢であると確定すれば、フレマイア侯爵を断罪する事も可能だろう。
 乳母の件も追及できれば、確実に追い詰められる。
 その際、リタにまで飛び火しないように、フレマイア家から籍を抜いておく必要があった。
 リタは、立太子式から一ヶ月もすれば成人年齢を迎える。
 多少、手続きが面倒ではあるものの、成人していれば生家の籍から自分の意思で抜けられる。
 成人と同時に、俺と婚姻する方法もなくはないのだが……

(結婚は、リタが望んでから、だ)

 逸る気持ちを押さえて、自分に言い聞かせる。

(誠実に、一歩ずつ。信頼を得てから。リタが、望んでから……)

 何年掛かるかわからない。
 リタの受けた苦痛が癒される日は、来ないかもしれない。
 それでも。
 過去の『俺』の罪を、あがなえるまで、向き合っていくしかない。



 兄上の立太子式は、厳かな空気の中で行われた。
 最前列に交流ある他国の貴賓が並び、その後ろの目立つ位置に、シャルイナ貴族の中でも兄上を支持している家門の当主が並んでいる。
 母方祖父であるリーストーム公爵は、公爵位にありながらも端の方で、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 次期当主となる予定の母の弟は、苛烈な性格の父親と姉を反面教師にしたのか、穏やかで争い事を嫌うタイプなので、代替わりすればリーストーム公爵家の印象も変っていく事だろう。
 兄上の支持者達は皆、誇らし気な顔で式の進行を見守っている。
 中でも背が高く、チョコレート色の髪を後ろに撫でつけているのが、リタの父であるフレマイア侯爵だ。
 アシュトンとよく似た顔立ちの彼は、俺の隣に立つリタを見つけると、すっと目を眇めた。
 フレマイア侯爵は、俺とリタの婚約は、兄上の立太子を確たるものにするため、と思っている。
 貴族派にとって都合がいい婚約者を作らないための方便なのだ、と。
 それなのに、他国の人間も来るような公式の場で婚約者として立たせているのだから、どういうつもりかと気になるだろう。
 今の彼は、リタが何も知らない娘だと思っているからこそ彼女を放置している。
 気づかれる前に、すべての片を付けてしまわなければ。

「ルシアン」
「アーロン伯父上」

 式典終了後、婚儀までの時間に、父の兄である伯父上に声を掛けられる。
 下半身が麻痺しているアーロン伯父上は、レスティアン公爵として車椅子で参席していた。
 伯父上は中立派を標榜していたが、リーストーム公爵家と王家との対立を深めないための配慮なのだと知っている。
 実際には、正妃の子であり第一王子である兄上が、順当に王になる道筋を望んでいらした。
 俺の隣でリタが深く礼を執ったのを見て、伯父上は、顔を上げるように優しく声を掛ける。

「君が、フレマイア嬢か。礼を言う」
「礼……でございますか?」

 不思議そうに繰り返すリタに、伯父上はこくりと頷くと、テラスを指差した。

「ルシアンと君と、少し話がしたい」
「かしこまりました」

 ホールと扉一枚で隔たれただけで、テラスは喧騒と切り離されている。
 伯父上は、ふぅ、と一つ息を吐いて空を見上げると、穏やかに微笑んだ。

「王宮では今、かつてない試みに取り組んでいるそうだな。フレマイア嬢の提案と聞いた」
「陛下と王太子殿下が、お心遣いしてくださったお陰でございます」
「そう謙遜する事はない。彼らの心を動かしたのは、君だ」

 伯父上はそう言うと、右脚がかつてあった場所を懐かしむように撫でる。

「私がこの体になってから、二十八年になる。初めの頃は、『なぜ、自分が』『これまでの努力はなんだったのか』と、随分と気落ちしたし、荒れもした。突然、王太子になったブラッドには、随分と迷惑を掛けた。コーデリアにも……」

 母の名前に、ぴく、と思わず肩が揺れると、伯父上は苦笑した。
 離宮に暮らす母は、国家的行事である立太子式にも、婚儀にも、招待されていない。
 王族として籍はあるが、彼女が実際に王族として扱われる事はない。

「ルシアン、お前が母親と不仲なのは知っている。彼女が、母親の責任を果たしていない事もな。許してやって欲しいとは言わないが、幼い頃から、王妃になる事だけを望まれて生きて来た女性だ。突然、未来が変わったと言われても、受け入れる事は難しかっただろう」

 幼い頃に婚約を結んだ伯父上と母は、良好な関係を築き、睦まじかったのだと聞いている。

「もちろん、当時は、躊躇いなく私を切り捨てた彼女に対して、恨みもあった。もっとも辛い時にこそ支えて欲しかったのに、後ろを振り返ってすらくれなかったのだからな。だが……今では、可哀想な事をした、と思うようになった。コーデリアは、王妃になるために政略的に結ばれた婚約であっても、愛ある夫婦になる事を望んでいたのに、正妃の座も、想いあう夫婦も、どちらも叶える事ができなかったのだから。そう思えるようになったのは、妻の支えがあったからだ」

 レスティアン公爵夫人となった女性は、子爵家出身の光属性のご令嬢だった。
 治癒魔法師になれるほどの魔力量はなかったが、アカデミー卒業後、人々の助けになりたいと医療職に従事。
 伯父上の事故後、献身的に支え続けた事で、二人は心を通わせた。

「自分が選んだ道を、自分の思うように歩めなくなってから、それまで視界に入っていなかった人々の姿が見えるようになった。国を、民を、支えるのが王だと言いながら、私は結局、自分の目に映った世界しか知らなかったのだとわかった。以来、公爵として、福祉に力を入れて来たつもりではあったが、まだまだ足りていなかった事を、王宮の試みを聞いて気づかされた」

 伯父上が、右手をリタに差し出す。

「もし、良かったら、私にも協力させてくれないだろうか。レキサンド伯爵家ほどではないが、我が家にも医療関係者との繋がりはある。福祉に関しては、シャルイナの中でもっとも力を入れているとの自負もある。臣籍降下したとはいえ、王兄の身分にも使い道はある。人々の耳目を集めるよい看板になれるだろう」

 リタは、ちらりと俺の顔を見た後、そこに何を汲み取ったのか、微笑んで伯父上の手に手を重ねた。
 俺と伯父上の間に、複雑な感情があったのは事実だ。
 けれど、伯父上が母の事を、「可哀想」だと言った言葉に、何かが吹っ切れた気がした。
 どんなに辛かった過去があろうとも、いつまでもそこで足踏みをしている必要はない。
 この先の未来を、自分で選んでいけばいい。

「お申し出を、有難く受け入れさせていただきます」
「良かった。これから、よろしく。そして……我が甥を、頼んだよ」
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