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「いよいよ、三ヶ月後、兄上の立太子式と婚儀が行われると決まった」
「それはよろしゅうございました」
兄上の立太子式と同日に、レキサンド伯爵令嬢との婚儀を開く事の認可が、ようやく降りた。
母方祖父であるリーストーム公爵率いる貴族派が、あれやこれやと反対意見を述べて先延ばしにしてきたが、肝心のもう一人の王位継承者である俺にその気がゼロである事、成人王族として兄上がコツコツと積み上げて来た輝かしい実績、兄上の婚約者であるクロエ・レキサンド伯爵令嬢の国民間の人気で、抵抗しきれなくなったのだ。
レキサンド伯爵令嬢は、第一王子の婚約者という身分を活用して、救済院や孤児院での奉仕活動に熱心に取り組んでいる。
レキサンド伯爵家は、代々、王宮医師を多く輩出している家門だ。彼女の二番目の兄も、現在、王宮医師として勤務している。
また、積み重ねて来た知識をもとに、広く弟子を取って、育成に励んでいる事でも有名だ。
レキサンド伯爵令嬢は、各地を訪問する際に、実家で修行中の弟子を同行して経験値を積ませる一方で、貧しさから医療を受けられない人々に手を差し伸べて来た。
その事から、市井の人々の間での人気が高い。
多くの国民にとって、正妃の子であり、第一王子である兄上が次期国王となるのは当然の流れ。
むしろ、側妃の子である第二王子の俺を推す派閥がある事すら、知らないだろう。
なにしろ、婚姻以降、側妃である母コーデリアが表舞台に出る事はなかったのだから。
だからこそ、国民から、一日でも早くレキサンド伯爵令嬢との婚姻を成立させ、兄上を立太子して安堵させて欲しい、との嘆願が多く寄せられたのだ。
平民を軽んじる貴族が多いとはいえ、数で圧倒的に勝る彼らの意見を頭ごなしに無視する事はできない。
祖父達もまた、各自の領で起きた嘆願に、抗い切れなかった。
……もちろん、兄上が次期国王になる事を当然と考えている国民に、嘆願書を送る発想がある筈もなく、これらは俺の送り込んだ工作員が各地の指導者的存在に呼び掛けて行った事だ。
第一王子としてではなく王太子として婚儀を行うとなると、招待客の数も宴の規模も変わるため、最短で三ヶ月後となってしまったが、これまでの六年でほとんど準備は終えているから、問題はない筈だ。
「そこで、リタ」
「はい」
「兄上とレキサンド伯爵令嬢が、君に会いたいと希望されている」
「……わたくしに、ですか?」
リタが、戸惑うような声を上げた。
彼女は、兄上が立太子すれば俺達の婚約が破棄されるものと思っているから、彼らと親しくしておく必要性を感じていない。
「兄上は、あの超高難度曲を私と踊りきったご令嬢に興味津々でな」
「まぁ……」
「レキサンド伯爵令嬢は、君があらゆる知識に精通していると知って、今後の孤児院での教育方針を相談したいそうだ」
「過分なお言葉かと思いますが……わたくしで、よろしいのでしょうか?」
「もちろん。私は、君ほど教養豊かな女性を他に知らない」
以前、褒めた時と同じように。
リタが少し、困ったように眉を下げる。
……なぜ、そんな顔をするんだ?
「レキサンド伯爵令嬢は、アカデミー卒業後、兄上の婚約者として現場に立って来たご令嬢だから、リタの知らない知識も持っていると思う。君自身も、話して楽しい相手ではないかな」
「……はい。お誘い、ありがとうございます」
レキサンド伯爵令嬢は高位貴族のご令嬢にしては珍しく、裏表のない人だ。
友人がいない、と話していたリタの『初めての友人』にぴったりの人物だと思う。
そう話したら、兄上に「クロエが素晴らしい女性なのは確かだが、お前は随分と婚約者殿に過保護だな」とからかわれてしまったが。
兄上とレキサンド伯爵令嬢との初めての茶会は、終始、和やかに進行した。
リタは自身の知識を控えめな態度ながらも惜しみなく披露したし、救済院や孤児院でさまざまな人々と触れ合っているレキサンド伯爵令嬢はリタの白い髪を嫌厭する事はなかったし、兄上は完璧な淑女であるリタが白の令嬢というだけで社会から疎外されている状況に問題意識を感じたようだ。
一度、顔を合わせればよいと思っていたであろうリタの思惑が崩されたのは、その後。
「リタ、レキサンド伯爵令嬢から君に要望があった」
「レキサンド伯爵令嬢から……?」
「立太子式と婚儀の準備で本格的に忙しくなる前に、地方の救済院と孤児院を巡る計画を立てているらしい。その際に、同行して欲しいとの事だ」
「え……?」
レキサンド伯爵令嬢の話はこうだった。
『これまでにも、定期的に全国の救済院と孤児院の視察および援助は行ってまいりました。今後、わたくしが王太子妃となり、国政に一層関わっていく事を思うと、同じく王子妃になるフレマイア侯爵令嬢にも、現状を実際に見て知っていただきたいのです。フレマイア侯爵令嬢は、ほんの少しお話しただけでも豊富な知識と着眼点を持っていらしたので、わたくしがこれまで解決できなかった問題にも、新たな視点からご意見をいただけるのではないか、と思いまして……ぜひ、ルシアン殿下からもお願いしていただけないでしょうか?』
この婚約の残り期間が、数えるばかりになったと思っているリタ。
しかし、俺に彼女を手離す気はさらさらない。
彼女自身の才能を周囲に知らしめるためにも、すでに高評価のレキサンド伯爵令嬢と共に活動するのはよい事のように思う。
「もちろん、君の意思を無視してまで押しつけたいわけではない。だが、私は、いい機会なのではないかと思っている」
「いい機会、ですか?」
「魔力以外にも人を構成する要素はあると、頭ではわかっているつもりだったが、私は、君と言葉を交わすまで、他人の評価を無意識に、魔力量を基準に下していた。『魔力量が多いのに対して才能を発揮していない』であるとか、『魔力量の割に活躍している』であるとか、な。歴代王族の中でも魔力量が多い、と言われ続けて来たのも理由かもしれない。私にとって、魔力はわかりやすい判断基準だったから」
ちら、とリタを窺うと、彼女は静かな表情で俺を見ていた。
そこには非難も何もなく、それがむしろ、俺の罪悪感を募らせる。
「だが、君と出会ってから、魔力はあくまでも人間の一要素に過ぎないのだという事を、身をもって実感した。体術に優れた者、知識の多い者、足の速い者、力の強い者、美的感覚に優れた者……そのような個性の一つなのだ、と」
「個性……」
リタが、口の中で呟くように言った。
「……確かに、シャルイナで白の者は、歓迎されている存在ではない。平民の間では、誕生と同時に眠らせる事こそ、優しさだと思われている節もある。だが、その子が長じて、世界的な偉業を成し遂げるかもしれない。いや、歴史に名を刻む必要はない。少しの工夫があれば、他の人々と同じように平凡な幸せを得られる可能性は、十二分に存在すると思う。しかし……残念ながら、私自身がそうだったように、今のシャルイナでその考えは一般的なものではない。人々の意識を変えていくためには、今現在、立派に自身の足で立っているリタの姿を見せる事が、一番効果的なのではないか、と思った。そして、君自身のためにも……よいのではないか、と」
「わたくし自身のため、ですか……?」
「君は、素晴らしい女性だ。けれど……白の令嬢という枠に、閉じ込められているように見える。その姿は、とても窮屈そうだ。……それは、おそらく、これまでの私のせいでもあるのだろうが……今の私は、君への協力を惜しまない。兄上の立太子が決定した今こそ、枠を取り払ってみないか……?」
祈るように、リタの顔をじっと真正面から見つめる。
「…………」
リタは、唇に指先を当てて、顔を俯かせた。
(どうか、頷いてくれ)
俺の考えを押しつけたいわけではない。
けれど、この先の選択肢を、一つでも増やしていくために。
君自身もまた、今の環境から一歩、外に踏み出したいと願ってはくれないだろうか。
「……正直なところ……わたくしに何ができるか、まったくわかりません。知識こそ触れてはまいりましたが、実践は伴っておりませんので……」
慎重に、一言一言を言葉にするリタ。
「ですが、人手が不足しているところをお手伝いする程度でしたら、できるかもしれません。レキサンド伯爵令嬢のお申し入れを、お受けしたいと思います」
少し、だけ。
少しだけかもしれないが、リタは、己の殻を破ろうとしてくれているのではないか?
「ありがとう、リタ」
君も、この先の未来に、光を感じ始めてくれているだろうか。
「それはよろしゅうございました」
兄上の立太子式と同日に、レキサンド伯爵令嬢との婚儀を開く事の認可が、ようやく降りた。
母方祖父であるリーストーム公爵率いる貴族派が、あれやこれやと反対意見を述べて先延ばしにしてきたが、肝心のもう一人の王位継承者である俺にその気がゼロである事、成人王族として兄上がコツコツと積み上げて来た輝かしい実績、兄上の婚約者であるクロエ・レキサンド伯爵令嬢の国民間の人気で、抵抗しきれなくなったのだ。
レキサンド伯爵令嬢は、第一王子の婚約者という身分を活用して、救済院や孤児院での奉仕活動に熱心に取り組んでいる。
レキサンド伯爵家は、代々、王宮医師を多く輩出している家門だ。彼女の二番目の兄も、現在、王宮医師として勤務している。
また、積み重ねて来た知識をもとに、広く弟子を取って、育成に励んでいる事でも有名だ。
レキサンド伯爵令嬢は、各地を訪問する際に、実家で修行中の弟子を同行して経験値を積ませる一方で、貧しさから医療を受けられない人々に手を差し伸べて来た。
その事から、市井の人々の間での人気が高い。
多くの国民にとって、正妃の子であり、第一王子である兄上が次期国王となるのは当然の流れ。
むしろ、側妃の子である第二王子の俺を推す派閥がある事すら、知らないだろう。
なにしろ、婚姻以降、側妃である母コーデリアが表舞台に出る事はなかったのだから。
だからこそ、国民から、一日でも早くレキサンド伯爵令嬢との婚姻を成立させ、兄上を立太子して安堵させて欲しい、との嘆願が多く寄せられたのだ。
平民を軽んじる貴族が多いとはいえ、数で圧倒的に勝る彼らの意見を頭ごなしに無視する事はできない。
祖父達もまた、各自の領で起きた嘆願に、抗い切れなかった。
……もちろん、兄上が次期国王になる事を当然と考えている国民に、嘆願書を送る発想がある筈もなく、これらは俺の送り込んだ工作員が各地の指導者的存在に呼び掛けて行った事だ。
第一王子としてではなく王太子として婚儀を行うとなると、招待客の数も宴の規模も変わるため、最短で三ヶ月後となってしまったが、これまでの六年でほとんど準備は終えているから、問題はない筈だ。
「そこで、リタ」
「はい」
「兄上とレキサンド伯爵令嬢が、君に会いたいと希望されている」
「……わたくしに、ですか?」
リタが、戸惑うような声を上げた。
彼女は、兄上が立太子すれば俺達の婚約が破棄されるものと思っているから、彼らと親しくしておく必要性を感じていない。
「兄上は、あの超高難度曲を私と踊りきったご令嬢に興味津々でな」
「まぁ……」
「レキサンド伯爵令嬢は、君があらゆる知識に精通していると知って、今後の孤児院での教育方針を相談したいそうだ」
「過分なお言葉かと思いますが……わたくしで、よろしいのでしょうか?」
「もちろん。私は、君ほど教養豊かな女性を他に知らない」
以前、褒めた時と同じように。
リタが少し、困ったように眉を下げる。
……なぜ、そんな顔をするんだ?
「レキサンド伯爵令嬢は、アカデミー卒業後、兄上の婚約者として現場に立って来たご令嬢だから、リタの知らない知識も持っていると思う。君自身も、話して楽しい相手ではないかな」
「……はい。お誘い、ありがとうございます」
レキサンド伯爵令嬢は高位貴族のご令嬢にしては珍しく、裏表のない人だ。
友人がいない、と話していたリタの『初めての友人』にぴったりの人物だと思う。
そう話したら、兄上に「クロエが素晴らしい女性なのは確かだが、お前は随分と婚約者殿に過保護だな」とからかわれてしまったが。
兄上とレキサンド伯爵令嬢との初めての茶会は、終始、和やかに進行した。
リタは自身の知識を控えめな態度ながらも惜しみなく披露したし、救済院や孤児院でさまざまな人々と触れ合っているレキサンド伯爵令嬢はリタの白い髪を嫌厭する事はなかったし、兄上は完璧な淑女であるリタが白の令嬢というだけで社会から疎外されている状況に問題意識を感じたようだ。
一度、顔を合わせればよいと思っていたであろうリタの思惑が崩されたのは、その後。
「リタ、レキサンド伯爵令嬢から君に要望があった」
「レキサンド伯爵令嬢から……?」
「立太子式と婚儀の準備で本格的に忙しくなる前に、地方の救済院と孤児院を巡る計画を立てているらしい。その際に、同行して欲しいとの事だ」
「え……?」
レキサンド伯爵令嬢の話はこうだった。
『これまでにも、定期的に全国の救済院と孤児院の視察および援助は行ってまいりました。今後、わたくしが王太子妃となり、国政に一層関わっていく事を思うと、同じく王子妃になるフレマイア侯爵令嬢にも、現状を実際に見て知っていただきたいのです。フレマイア侯爵令嬢は、ほんの少しお話しただけでも豊富な知識と着眼点を持っていらしたので、わたくしがこれまで解決できなかった問題にも、新たな視点からご意見をいただけるのではないか、と思いまして……ぜひ、ルシアン殿下からもお願いしていただけないでしょうか?』
この婚約の残り期間が、数えるばかりになったと思っているリタ。
しかし、俺に彼女を手離す気はさらさらない。
彼女自身の才能を周囲に知らしめるためにも、すでに高評価のレキサンド伯爵令嬢と共に活動するのはよい事のように思う。
「もちろん、君の意思を無視してまで押しつけたいわけではない。だが、私は、いい機会なのではないかと思っている」
「いい機会、ですか?」
「魔力以外にも人を構成する要素はあると、頭ではわかっているつもりだったが、私は、君と言葉を交わすまで、他人の評価を無意識に、魔力量を基準に下していた。『魔力量が多いのに対して才能を発揮していない』であるとか、『魔力量の割に活躍している』であるとか、な。歴代王族の中でも魔力量が多い、と言われ続けて来たのも理由かもしれない。私にとって、魔力はわかりやすい判断基準だったから」
ちら、とリタを窺うと、彼女は静かな表情で俺を見ていた。
そこには非難も何もなく、それがむしろ、俺の罪悪感を募らせる。
「だが、君と出会ってから、魔力はあくまでも人間の一要素に過ぎないのだという事を、身をもって実感した。体術に優れた者、知識の多い者、足の速い者、力の強い者、美的感覚に優れた者……そのような個性の一つなのだ、と」
「個性……」
リタが、口の中で呟くように言った。
「……確かに、シャルイナで白の者は、歓迎されている存在ではない。平民の間では、誕生と同時に眠らせる事こそ、優しさだと思われている節もある。だが、その子が長じて、世界的な偉業を成し遂げるかもしれない。いや、歴史に名を刻む必要はない。少しの工夫があれば、他の人々と同じように平凡な幸せを得られる可能性は、十二分に存在すると思う。しかし……残念ながら、私自身がそうだったように、今のシャルイナでその考えは一般的なものではない。人々の意識を変えていくためには、今現在、立派に自身の足で立っているリタの姿を見せる事が、一番効果的なのではないか、と思った。そして、君自身のためにも……よいのではないか、と」
「わたくし自身のため、ですか……?」
「君は、素晴らしい女性だ。けれど……白の令嬢という枠に、閉じ込められているように見える。その姿は、とても窮屈そうだ。……それは、おそらく、これまでの私のせいでもあるのだろうが……今の私は、君への協力を惜しまない。兄上の立太子が決定した今こそ、枠を取り払ってみないか……?」
祈るように、リタの顔をじっと真正面から見つめる。
「…………」
リタは、唇に指先を当てて、顔を俯かせた。
(どうか、頷いてくれ)
俺の考えを押しつけたいわけではない。
けれど、この先の選択肢を、一つでも増やしていくために。
君自身もまた、今の環境から一歩、外に踏み出したいと願ってはくれないだろうか。
「……正直なところ……わたくしに何ができるか、まったくわかりません。知識こそ触れてはまいりましたが、実践は伴っておりませんので……」
慎重に、一言一言を言葉にするリタ。
「ですが、人手が不足しているところをお手伝いする程度でしたら、できるかもしれません。レキサンド伯爵令嬢のお申し入れを、お受けしたいと思います」
少し、だけ。
少しだけかもしれないが、リタは、己の殻を破ろうとしてくれているのではないか?
「ありがとう、リタ」
君も、この先の未来に、光を感じ始めてくれているだろうか。
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