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リタとの二回目の面会を翌日に控えた夜。
彼女について調査するよう指示していたラルフから、最初の報告があった。
「現時点で判明した事をご報告いたします。フレマイア侯爵令嬢は、お生まれになってから殿下とのご婚約が結ばれるまで、フレマイア侯爵領であるダナイドでお過ごしでした。殿下とのご婚約成立後は、王都のフレマイア邸で暮らしていらっしゃいます」
俺が、リタの兄であるアシュトン・フレマイアと初めて会ったのは、婚約の半年前の事。
王家に男児が生まれると、五歳くらいから同世代の高位貴族の令息と年に数回、顔を合わせる機会が設けられる。
将来の側近候補として、遊び相手や学友を選定する目的だ。
当然、侯爵家の生まれであるアシュトンにもその資格があったのだが、病弱だったアシュトンはダナイドから王都に移動する事ができなかったため、他の令息よりも初めての登城が遅かった。
登城時、既に十一歳になっていたアシュトンは、体が弱かったという話が信じられないほどに体格がよく、社交の経験がそれまでないというのに、まったく物怖じしない子供だった。
高い魔力を示す濃い髪色を鼻に掛ける様子が少々目につくのと、両親にすべてを肯定されて育ったためか周囲を見下すような傲慢さが透けて見えたけれど、その程度の子供ならば、高位貴族にはごろごろいる。
側近候補として不適であると切り捨てるほどでもないうえ、フレマイア侯爵家の影響力は無視できないものがあったので、集まりには必ず招待したし、アカデミーでも学友の一人に数えられている。
とはいえ、俺自身はアシュトンとは個人的に馬が合わない。
どれだけ高い魔力を持っていようとも、活用できなければ意味はない。
それなのに、ただ魔力量が多いだけで己を過信する彼の傲慢さは、アカデミー卒業を前に、一層鼻につくものになっているからだ。
アシュトンは、騎士団幹部であるフレマイア侯爵の嫡男として、将来の幹部候補と見做されている。
実力の有無はともあれ、卒業後は父親の後を追って騎士団に所属する事になっているから、当たり障りのない関係を続けていきたいと思ってはいるのだが。
「では、フレマイア嬢は家族と離れて暮らしていた期間があるという事か?」
それ自体は、珍しい事ではない。
仕事や社交のために両親は王都と領地を行き来し、子供達はアカデミー入学まで基本的に領地で暮らす、というのはよくある話だ。
おそらく、アシュトンが王都に来たのは、アカデミー入学準備のためだったのだろう。
だが、リタはアカデミーに入学していないうえに社交の場にも出て来ないのだから、俺との婚約がなければ、そのまま、領地で暮らし続けていたのではないだろうか。
「そのようです。王都のフレマイア邸の使用人は領地に赴く事がないため、ダナイドでフレマイア侯爵令嬢がどのように過ごされていたのかはまだわかっておりません。とりあえず、領地に諜報員を派遣した他、王都フレマイア邸にも使用人を数人潜り込ませております」
「わかった」
シャルイナの身分制度の構造上、家を継ぐ男児が優遇されるのは事実だ。
だからこそ、各家門の男児の情報は出回りやすいのだが、女児は大々的に婚約者を探しているのでもない限り、表に出る情報は少ない。
だが、それにしても、リタの情報はあまりにも断片的だ。
「家庭教師の件はどうだ?」
「それが……やはり、殿下のおっしゃる通り、王族にも指導できるような家庭教師が、フレマイア家と契約を結んだ形跡はございませんでした。来週になれば、フレマイア邸に潜り込んだ者からもう少し詳細な情報が入るかと」
「そうか……」
リタと顔を合わせる前に少しでも彼女の情報を、と思ったのに、却って、彼女が何者なのかわからなくなった気がする。
「まずは、調査の結果を待つべきだな」
今の俺に判断できるのは、目の前のリタの能力だけだ。
「殿下、お招きありがとうございます」
リタのドレスは、今日も既製品を直したものだった。
ダンスを合わせると話しておいたからか、踝丈のドレスに高いヒールを合わせている。
王族に匹敵する所作、と踏まえたうえで見てみると、指先から爪先まで神経が行き届き、それでいて自然体な彼女は、正に王子妃教育を受けた令嬢にしか見えなかった。
これまで、フレマイア侯爵から王家に、家庭教師の打診は一切なかったにもかかわらず。
一体、フレマイア侯爵はどこから、彼女を指導した家庭教師を見つけてきたというのだろう?
「まずは、基本のダンスから合わせよう」
ダンスはあまり、好きではない。
王族として困らない程度には身に着けているけれど、楽しいと思えた事がない。
クリフォード兄上によると、俺のダンスは相手への配慮が不足しているのだそうだ。
パートナーとなる令嬢を美しく見せる、であるとか、令嬢が動きやすいように動く、であるとか。
そもそも、興味を持てない相手に配慮する、という事が、どうにも俺には難しい。
認めたくはないが、結局のところ、俺も母に似て自分勝手な人間に過ぎないのだろう。
「音楽を」
卒業パーティよりも少人数ではあるものの、この日のために楽団を手配しておいた。
彼らに合図すると、パーティのファーストダンスで踊る一番基本の曲が流れ出す。
遅くも早くもないテンポに、休憩が必要だ、と言い切る事ができる程度の長さ。
婚約者ならば二曲以上続けて踊っても構わないし、社交の場であるのだから婚約者以外の相手と踊っても構わないのだけれど、俺は今回、リタが他の令息と踊る事を認める気はなかった。
リタはアカデミーの学生ではなく、あくまでも俺の婚約者としてパーティに参加する。
ならば、俺の許可なくして、他の令息がダンスに誘う事はできない。
誘う者が現れたとしても、
「彼女は疲れているから、遠慮して欲しい」
と求めるつもりだ。
――まぁ、そもそもの話として、白の令嬢であるリタをダンスに誘う者がいるのかどうかもわからないのだが。
それくらい、シャルイナにおいて、白の者は遠巻きにされる存在なのだから。
そして、俺もまた、リタのエスコートを理由に他の令嬢と踊らないつもりだった。
「一曲、お相手願えますか」
「喜んで」
形式的なやりとりの後、向き合って一礼。
ちらり、と視線をやると、腰を落とす角度から両腕の広げ方まで、リタの所作は完璧だった。
すい、と寄り添うように回された腕には、他の令嬢達のような媚びが一切ない。
こうして近づいてみると、リタは思った以上に小柄だ。
高いヒールを履いているというのに、頭の先が、ようやく俺の胸あたりだろうか。
確かに俺は同年代の中で長身な方だが、リタは貴族令嬢の中でも極めて小柄だろう。
魔導器官を持っていない事が原因で、発育が悪いのだろうか?
栄養が不足している平民と、たいして変わらない体格に思える。
けれど、リタのすっと背筋の伸びた堂々とした態度のためか、それほどに小柄であるとはこれまで感じていなかった。
これだけ体格差があると、十分に配慮しないと振り回す事になってしまうのだが、リタに恐れる素振りはない。
音楽に乗って、まず、一歩目のステップを踏む。
ダンスの教師にいつも「歩幅が広すぎる」と注意されているのに、気負った様子のないリタに気を取られて、頭では気を遣わねばと考えていた筈が、修整する事なく踏み込んでしまった。
しかし、リタは焦った様子もない。
ふわり、と組んでいる彼女の体を軽く感じた。
重心の移動、歩幅、呼吸。
いつになく楽に踊れて、その軽やかさに心まで軽やかになってくる。
(……なんだ? これは……)
そう、俺は今、確かに「楽しい」と感じている。
元々、体を動かすのは好きなのだ。
ダンスだけが好きではなかったのは、体格も体力も劣る異性と合わせなくてはいけないから。
俺が強引なせいでついてこられないのか、それとも、わざとなのか、ふらついて媚びるように縋りついて来る令嬢を支えるのが、煩わしかったからだ。
だが、リタとは、「合わせよう」と欠片も思っていないというのに、ぴたりとすべてが合っている。
(……まさか……)
理由がリタにあるのは、明白だった。
リタは、基本のダンスでありながらお手本通りに忠実に踊る事ができない俺の癖に、淡々と合わせている。
(まるで、何度も俺と踊った事があるかのような)
何十回、何百回とパートナーを務めれば、これだけ体格差が合っても、合わせられるのかもしれない。
しかし、もちろん、俺とリタが踊ったのは、今日が初めてだ。
彼女は、組んだだけで俺の癖を読み取ったとでもいうのか……?
一体、どのような天賦の才なのか。
「二曲目は、テンポの早い曲にしてもいいか?」
「ご随意に」
楽団に目を向けると、指揮者が頷いて曲を変える。
テンポが早くステップが複雑なため、令嬢達には人気がない曲だ。
しかも、基本のダンスとは異なり、決まったステップではなく、いくつかの動作を音楽に合わせて自由に組み替える事ができる。
いかに女性がリードするパートナーを信頼して身を委ねる事ができるか。
複雑なステップについていくだけの技術があるか。
それらを問われるダンスは、参加希望者が少ない分、フロアを広く使って踊る事ができるので、うまくはまれば、俺とリタが良好な婚約関係を築いていると示す事ができる筈だ。
彼女を試すつもりで、大胆にオーソドックスなステップとは異なる動きを入れてみた。
けれど、リタは一瞬の遅れもなく、ぴたりと合わせてくる。
俺との間に信頼関係がある筈もないのに、躊躇う事なく、身を委ねるその豪胆さ。
繊細な容姿に比べて、彼女の精神は鋼のように強くたくましい。
(楽しいな)
子供のように大胆不敵に、我儘にステップを踏む。
他人を慮る事が苦手でも、我が事だけを考えて動ける立場ではない。
自分で思っていた以上に、この環境は俺を鬱屈した感情に閉じ込めていたらしい。
それを、一気に解放した気分だった。
思わず、ふ、と笑いが漏れ出ると、リタは意外そうに目を瞬かせた。
「殿下……?」
「いや、楽しい、と思ってな。ダンスを楽しく感じたのは初めてだ」
「……それは、よろしゅうございました」
微かに。
だが、確かに、リタが微笑む。
彼女が笑うのを、初めて見た。
常に口角を上げて微笑みの表情を作っているリタだけれど、その微笑みが仮面に過ぎない事はよくわかっている。
それも含めて王子妃教育を受けた令嬢にしか見えないのだけれど、今の笑みは、彼女の心の発露に見えた。
(……なんだ……)
彼女も、笑えるんじゃないか。
「ダンスは完璧だな」
俺がどう動こうと食いついて来るので、最後の方は、半ば躍起になって難しいステップとターンを入れたのだが、リタは一度も音を上げなかった。
さすがに息を切らした彼女に、休憩のために椅子を勧めると、素直に腰を下ろす。
「ありがとうございます」
「師は誰だ? 余程、厳しい練習を積んで来たと見える」
俺とリタが一度もダンスを合わせた事がない以上、考えられるのは、彼女のダンス教師が、俺の癖を踏まえたうえで指導して来た、という事だ。
王族が人前で踊る機会は決して少なくないのだし、ダンス教師同士の横の繋がりもあるだろうから、俺の教師から情報が流れている可能性もある。
「そうですね……」
リタは、少し考えるように、唇に指を当てた。
考える時に唇に指を当てるのが、癖なのかもしれない。
思わず、その白く細い指先を注視する。
「……強いて申し上げれば、メイナード・オルグレン様でしょうか」
「……それは、近代ダンスの祖と呼ばれる人ではないのか? 百年前の」
「さようですね。わたくしはこれまで、家庭教師についた事がございませんので……すべては、書物から得た知識のみです」
「………………は?」
頭が、理解を拒否した。
あれだけ踊れて、書物から学んだだけ、だと?
いや、それ以前にリタはなんと言った?
家庭教師についた事がない……?
それはまさか、淑女教育も受けていないという意味か……?
「父が、殿下にどのようにお話されているのかは存じ上げませんが、わたくしは名目上の婚約者ですので、これまで、王子妃教育どころか淑女教育も受けるよう求められた事がございません。ですが、個人的な考えから、わたくしにできる事をできる範囲で、と書物から学びを進めて参りました。アカデミーにこそ通ってはおりませんが、これまで、学びに不自由した事はないのです」
(嘘だろう……?)
学問ならば、まだわかる。
だが、挨拶の時に腰を落とす深さや、両腕を広げる角度、口角の上げ方は、文章だけで身につくものではない。
目の前に手本があり、不足な点を指摘される事で身につけていくもののはずだ。
そうでなければ、教師など要らないではないか。
何よりも、実技であるダンスを書物のみで学んだなどと、到底、納得できる事ではない。
百歩譲って書物で学んだのが事実としても、実際に様々なパターンを踊って来なければ、お手本通りに整った基本形しか知らないはず。
それをなぜ、教師だけでなく兄上にも指摘されるほどの悪癖がある俺に、合わせられるんだ……?
王族に虚偽の申し出をするとは、と憤って見せるべきなのか。
明らかに胡乱な目を向けている俺に気づいているのに、リタは平然と微笑んでいる。
これ以上、何を問うたところで、俺は彼女の言葉を信じられないだろうし、彼女もまた、真実を話はしないのだろう。
ラルフの調査を待つ事にして、一つ溜息を吐くと、
「……そうか」
と答えるに留めた。
リタ・フレマイア。
六年前の印象は、眩いほどに白い髪しか残っていない。
しかし、六年振りに再会した彼女は、一筋縄ではいかない令嬢だった。
彼女について調査するよう指示していたラルフから、最初の報告があった。
「現時点で判明した事をご報告いたします。フレマイア侯爵令嬢は、お生まれになってから殿下とのご婚約が結ばれるまで、フレマイア侯爵領であるダナイドでお過ごしでした。殿下とのご婚約成立後は、王都のフレマイア邸で暮らしていらっしゃいます」
俺が、リタの兄であるアシュトン・フレマイアと初めて会ったのは、婚約の半年前の事。
王家に男児が生まれると、五歳くらいから同世代の高位貴族の令息と年に数回、顔を合わせる機会が設けられる。
将来の側近候補として、遊び相手や学友を選定する目的だ。
当然、侯爵家の生まれであるアシュトンにもその資格があったのだが、病弱だったアシュトンはダナイドから王都に移動する事ができなかったため、他の令息よりも初めての登城が遅かった。
登城時、既に十一歳になっていたアシュトンは、体が弱かったという話が信じられないほどに体格がよく、社交の経験がそれまでないというのに、まったく物怖じしない子供だった。
高い魔力を示す濃い髪色を鼻に掛ける様子が少々目につくのと、両親にすべてを肯定されて育ったためか周囲を見下すような傲慢さが透けて見えたけれど、その程度の子供ならば、高位貴族にはごろごろいる。
側近候補として不適であると切り捨てるほどでもないうえ、フレマイア侯爵家の影響力は無視できないものがあったので、集まりには必ず招待したし、アカデミーでも学友の一人に数えられている。
とはいえ、俺自身はアシュトンとは個人的に馬が合わない。
どれだけ高い魔力を持っていようとも、活用できなければ意味はない。
それなのに、ただ魔力量が多いだけで己を過信する彼の傲慢さは、アカデミー卒業を前に、一層鼻につくものになっているからだ。
アシュトンは、騎士団幹部であるフレマイア侯爵の嫡男として、将来の幹部候補と見做されている。
実力の有無はともあれ、卒業後は父親の後を追って騎士団に所属する事になっているから、当たり障りのない関係を続けていきたいと思ってはいるのだが。
「では、フレマイア嬢は家族と離れて暮らしていた期間があるという事か?」
それ自体は、珍しい事ではない。
仕事や社交のために両親は王都と領地を行き来し、子供達はアカデミー入学まで基本的に領地で暮らす、というのはよくある話だ。
おそらく、アシュトンが王都に来たのは、アカデミー入学準備のためだったのだろう。
だが、リタはアカデミーに入学していないうえに社交の場にも出て来ないのだから、俺との婚約がなければ、そのまま、領地で暮らし続けていたのではないだろうか。
「そのようです。王都のフレマイア邸の使用人は領地に赴く事がないため、ダナイドでフレマイア侯爵令嬢がどのように過ごされていたのかはまだわかっておりません。とりあえず、領地に諜報員を派遣した他、王都フレマイア邸にも使用人を数人潜り込ませております」
「わかった」
シャルイナの身分制度の構造上、家を継ぐ男児が優遇されるのは事実だ。
だからこそ、各家門の男児の情報は出回りやすいのだが、女児は大々的に婚約者を探しているのでもない限り、表に出る情報は少ない。
だが、それにしても、リタの情報はあまりにも断片的だ。
「家庭教師の件はどうだ?」
「それが……やはり、殿下のおっしゃる通り、王族にも指導できるような家庭教師が、フレマイア家と契約を結んだ形跡はございませんでした。来週になれば、フレマイア邸に潜り込んだ者からもう少し詳細な情報が入るかと」
「そうか……」
リタと顔を合わせる前に少しでも彼女の情報を、と思ったのに、却って、彼女が何者なのかわからなくなった気がする。
「まずは、調査の結果を待つべきだな」
今の俺に判断できるのは、目の前のリタの能力だけだ。
「殿下、お招きありがとうございます」
リタのドレスは、今日も既製品を直したものだった。
ダンスを合わせると話しておいたからか、踝丈のドレスに高いヒールを合わせている。
王族に匹敵する所作、と踏まえたうえで見てみると、指先から爪先まで神経が行き届き、それでいて自然体な彼女は、正に王子妃教育を受けた令嬢にしか見えなかった。
これまで、フレマイア侯爵から王家に、家庭教師の打診は一切なかったにもかかわらず。
一体、フレマイア侯爵はどこから、彼女を指導した家庭教師を見つけてきたというのだろう?
「まずは、基本のダンスから合わせよう」
ダンスはあまり、好きではない。
王族として困らない程度には身に着けているけれど、楽しいと思えた事がない。
クリフォード兄上によると、俺のダンスは相手への配慮が不足しているのだそうだ。
パートナーとなる令嬢を美しく見せる、であるとか、令嬢が動きやすいように動く、であるとか。
そもそも、興味を持てない相手に配慮する、という事が、どうにも俺には難しい。
認めたくはないが、結局のところ、俺も母に似て自分勝手な人間に過ぎないのだろう。
「音楽を」
卒業パーティよりも少人数ではあるものの、この日のために楽団を手配しておいた。
彼らに合図すると、パーティのファーストダンスで踊る一番基本の曲が流れ出す。
遅くも早くもないテンポに、休憩が必要だ、と言い切る事ができる程度の長さ。
婚約者ならば二曲以上続けて踊っても構わないし、社交の場であるのだから婚約者以外の相手と踊っても構わないのだけれど、俺は今回、リタが他の令息と踊る事を認める気はなかった。
リタはアカデミーの学生ではなく、あくまでも俺の婚約者としてパーティに参加する。
ならば、俺の許可なくして、他の令息がダンスに誘う事はできない。
誘う者が現れたとしても、
「彼女は疲れているから、遠慮して欲しい」
と求めるつもりだ。
――まぁ、そもそもの話として、白の令嬢であるリタをダンスに誘う者がいるのかどうかもわからないのだが。
それくらい、シャルイナにおいて、白の者は遠巻きにされる存在なのだから。
そして、俺もまた、リタのエスコートを理由に他の令嬢と踊らないつもりだった。
「一曲、お相手願えますか」
「喜んで」
形式的なやりとりの後、向き合って一礼。
ちらり、と視線をやると、腰を落とす角度から両腕の広げ方まで、リタの所作は完璧だった。
すい、と寄り添うように回された腕には、他の令嬢達のような媚びが一切ない。
こうして近づいてみると、リタは思った以上に小柄だ。
高いヒールを履いているというのに、頭の先が、ようやく俺の胸あたりだろうか。
確かに俺は同年代の中で長身な方だが、リタは貴族令嬢の中でも極めて小柄だろう。
魔導器官を持っていない事が原因で、発育が悪いのだろうか?
栄養が不足している平民と、たいして変わらない体格に思える。
けれど、リタのすっと背筋の伸びた堂々とした態度のためか、それほどに小柄であるとはこれまで感じていなかった。
これだけ体格差があると、十分に配慮しないと振り回す事になってしまうのだが、リタに恐れる素振りはない。
音楽に乗って、まず、一歩目のステップを踏む。
ダンスの教師にいつも「歩幅が広すぎる」と注意されているのに、気負った様子のないリタに気を取られて、頭では気を遣わねばと考えていた筈が、修整する事なく踏み込んでしまった。
しかし、リタは焦った様子もない。
ふわり、と組んでいる彼女の体を軽く感じた。
重心の移動、歩幅、呼吸。
いつになく楽に踊れて、その軽やかさに心まで軽やかになってくる。
(……なんだ? これは……)
そう、俺は今、確かに「楽しい」と感じている。
元々、体を動かすのは好きなのだ。
ダンスだけが好きではなかったのは、体格も体力も劣る異性と合わせなくてはいけないから。
俺が強引なせいでついてこられないのか、それとも、わざとなのか、ふらついて媚びるように縋りついて来る令嬢を支えるのが、煩わしかったからだ。
だが、リタとは、「合わせよう」と欠片も思っていないというのに、ぴたりとすべてが合っている。
(……まさか……)
理由がリタにあるのは、明白だった。
リタは、基本のダンスでありながらお手本通りに忠実に踊る事ができない俺の癖に、淡々と合わせている。
(まるで、何度も俺と踊った事があるかのような)
何十回、何百回とパートナーを務めれば、これだけ体格差が合っても、合わせられるのかもしれない。
しかし、もちろん、俺とリタが踊ったのは、今日が初めてだ。
彼女は、組んだだけで俺の癖を読み取ったとでもいうのか……?
一体、どのような天賦の才なのか。
「二曲目は、テンポの早い曲にしてもいいか?」
「ご随意に」
楽団に目を向けると、指揮者が頷いて曲を変える。
テンポが早くステップが複雑なため、令嬢達には人気がない曲だ。
しかも、基本のダンスとは異なり、決まったステップではなく、いくつかの動作を音楽に合わせて自由に組み替える事ができる。
いかに女性がリードするパートナーを信頼して身を委ねる事ができるか。
複雑なステップについていくだけの技術があるか。
それらを問われるダンスは、参加希望者が少ない分、フロアを広く使って踊る事ができるので、うまくはまれば、俺とリタが良好な婚約関係を築いていると示す事ができる筈だ。
彼女を試すつもりで、大胆にオーソドックスなステップとは異なる動きを入れてみた。
けれど、リタは一瞬の遅れもなく、ぴたりと合わせてくる。
俺との間に信頼関係がある筈もないのに、躊躇う事なく、身を委ねるその豪胆さ。
繊細な容姿に比べて、彼女の精神は鋼のように強くたくましい。
(楽しいな)
子供のように大胆不敵に、我儘にステップを踏む。
他人を慮る事が苦手でも、我が事だけを考えて動ける立場ではない。
自分で思っていた以上に、この環境は俺を鬱屈した感情に閉じ込めていたらしい。
それを、一気に解放した気分だった。
思わず、ふ、と笑いが漏れ出ると、リタは意外そうに目を瞬かせた。
「殿下……?」
「いや、楽しい、と思ってな。ダンスを楽しく感じたのは初めてだ」
「……それは、よろしゅうございました」
微かに。
だが、確かに、リタが微笑む。
彼女が笑うのを、初めて見た。
常に口角を上げて微笑みの表情を作っているリタだけれど、その微笑みが仮面に過ぎない事はよくわかっている。
それも含めて王子妃教育を受けた令嬢にしか見えないのだけれど、今の笑みは、彼女の心の発露に見えた。
(……なんだ……)
彼女も、笑えるんじゃないか。
「ダンスは完璧だな」
俺がどう動こうと食いついて来るので、最後の方は、半ば躍起になって難しいステップとターンを入れたのだが、リタは一度も音を上げなかった。
さすがに息を切らした彼女に、休憩のために椅子を勧めると、素直に腰を下ろす。
「ありがとうございます」
「師は誰だ? 余程、厳しい練習を積んで来たと見える」
俺とリタが一度もダンスを合わせた事がない以上、考えられるのは、彼女のダンス教師が、俺の癖を踏まえたうえで指導して来た、という事だ。
王族が人前で踊る機会は決して少なくないのだし、ダンス教師同士の横の繋がりもあるだろうから、俺の教師から情報が流れている可能性もある。
「そうですね……」
リタは、少し考えるように、唇に指を当てた。
考える時に唇に指を当てるのが、癖なのかもしれない。
思わず、その白く細い指先を注視する。
「……強いて申し上げれば、メイナード・オルグレン様でしょうか」
「……それは、近代ダンスの祖と呼ばれる人ではないのか? 百年前の」
「さようですね。わたくしはこれまで、家庭教師についた事がございませんので……すべては、書物から得た知識のみです」
「………………は?」
頭が、理解を拒否した。
あれだけ踊れて、書物から学んだだけ、だと?
いや、それ以前にリタはなんと言った?
家庭教師についた事がない……?
それはまさか、淑女教育も受けていないという意味か……?
「父が、殿下にどのようにお話されているのかは存じ上げませんが、わたくしは名目上の婚約者ですので、これまで、王子妃教育どころか淑女教育も受けるよう求められた事がございません。ですが、個人的な考えから、わたくしにできる事をできる範囲で、と書物から学びを進めて参りました。アカデミーにこそ通ってはおりませんが、これまで、学びに不自由した事はないのです」
(嘘だろう……?)
学問ならば、まだわかる。
だが、挨拶の時に腰を落とす深さや、両腕を広げる角度、口角の上げ方は、文章だけで身につくものではない。
目の前に手本があり、不足な点を指摘される事で身につけていくもののはずだ。
そうでなければ、教師など要らないではないか。
何よりも、実技であるダンスを書物のみで学んだなどと、到底、納得できる事ではない。
百歩譲って書物で学んだのが事実としても、実際に様々なパターンを踊って来なければ、お手本通りに整った基本形しか知らないはず。
それをなぜ、教師だけでなく兄上にも指摘されるほどの悪癖がある俺に、合わせられるんだ……?
王族に虚偽の申し出をするとは、と憤って見せるべきなのか。
明らかに胡乱な目を向けている俺に気づいているのに、リタは平然と微笑んでいる。
これ以上、何を問うたところで、俺は彼女の言葉を信じられないだろうし、彼女もまた、真実を話はしないのだろう。
ラルフの調査を待つ事にして、一つ溜息を吐くと、
「……そうか」
と答えるに留めた。
リタ・フレマイア。
六年前の印象は、眩いほどに白い髪しか残っていない。
しかし、六年振りに再会した彼女は、一筋縄ではいかない令嬢だった。
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周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
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