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一章 長年の恋が終わった
さよならは言わなかった。
しおりを挟むそもそもの話、俺が中学の時に陸上をやろうと思ったきっかけは茅原椎名との出会いがあったからだった。颯爽と駆け抜ける彼女の姿、風に靡く長く綺麗な茶が少し混じったような黒髪。そのどれもが輝いて見えた――――。
小学生の頃なんて正直男子と女子で体格差なんてないし何ならむしろ女子のほうが強いまである。それでもそんな強さよりも可愛さや綺麗さの方が際立っていた彼女に憧れない奴は居ない。
小学生あるある、好きな奴をいじめたがる男子。
その典型的な被害者は彼女だったんだろうと思う。
可愛い顔に男子よりも速い足、そんな相手を男子は妬み半分、好き半分の気持ちでちょっかいを出した結果彼女は学校に来なくなった。
「ねえ――駿、私ってゴリラ女なのかな……」
そういった彼女の泣き姿を俺はそう簡単に忘れることなんて出来無い。
「そんなことないよ――」
「駿だけだよ、私にそう言ってくれるのは」
泣きはらしたような顔で精一杯の笑顔を作る。そんな痛々しいような切ないような……そんな彼女の顔を見ていられなかった。
だけど、その当時の俺は何も言えなくって、ただただ悲しそうな表情の彼女の傍にいてあげることしか出来なかった。
「椎名よりも速くなって、男子にそんなこと言わせないようにする」
「ありがとうね……」
無理に笑わなくてもいいのに、彼女はその痛々しい笑顔をやめなかった。
――――――しかし、その数日後椎名は俺らの小学校から転校していった。
小学生の立場だ。今みたいにスマホなんて持っていないし、彼女との連絡手段は家にあった電話。それももう使えない。
彼女は俺らの知らないところで苦しんで、そして居なくなった――――。
さよならも言わずに……。
だから俺は中学校に入った瞬間から陸上部に入ることを決めていた。
それを叶えることが唯一、椎名が救われる気がしたから。
「懐かしいねここ」
「そうだね、ここだったな」
いい忘れたさよならの代わりに、「おひさ~」と彼女は帰ってきた。
きっとあの日さよならを言わなかったことすらこの日のための伏線だったのかもしれない。
「ねえ、私は変われたかな?」
ひょこっと体を寄せる。
そしてようやく俺は彼女の方に目を向ける。
あの頃の長い髪は変わらずに今も綺麗なまま残っている。それがなぜだか無性に安心した。無論彼女の変化はそれだけでなく、俺よりも大きかったあの時の身長が逆転するように俺と彼女の身長は頭一個分変わっていた。
「すごい変わったよ」
頭一個分変わって見える高さが変わったからだろうか、何故かあの頃よりも椎名は綺麗に見えた。
「あのあとさ、俺陸上部に入ったよ」
「本当に入ったんだ」
「でもさ。あの頃お前を馬鹿にしていじめてた奴らは最初から椎名が居なかったかのように平気な顔して生活してて少しだけうんざりとした気持ちにさせられたよ」
「そんなもんなんだよね」
「だけどさ、なん……ていうか……さ」
自然とこみ上げてくる感情が俺の心を揺さぶる。
それは悲しさとかじゃなくて、どこか心の奥が温まるような、そんな優しい感情。
「お帰り……椎名」
「うん。ただいま駿」
温かかった感情は涙となって頬を伝う。
それでもそんな感情は嫌じゃなくて、むしろどこか嬉しかった。
「なんで駿が泣くのさ……ねぇ……」
「ごめん、な……あの時……助けてやれなくて……」
「ううん、駿が悪かったわけじゃない……」
彼女の瞳からも優しさが雨となって溢れ出てくる。
俺らは二人して涙を流しながら笑いあっていた。
嫌な気持ちはしない。だって、これは悲しさじゃないから……。
さよならはいわなかった。だから俺らはまたここで会うことが出来たのかもしれない――。
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