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第二章 獣人の子供達

15話

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 男に抱えられ宙を飛んだ時、ふわりとした浮遊感が気持ち悪かった。
 シイナはなすがまま男に連れ去られていたが、ハッと気づいた時男の手の中で暴れた。
「は、離してください!私を、元の、お父さんのところに、返してください!」
 シイナがアルベリヒのことを「お父さん」と呼んだことに男はぴくりと肩を震わせた。
 男は細い路地の暗がりで立ち止まると、暴れるシイナをゆっくりと地面に下ろした。シイナはやっと地面に足をつくことができて安心した様に胸を撫で下ろした。
 そして困惑した様子で目の前の男を見た。
「お父さん、か……君は獣人だろう?」
 何故人間を父と呼ぶのかと言外に聞いていた。シイナは尋ねられていることがわからず、それでもいいことではないと思いムッとした表情を見せる。
 シイナの世界は小さな孤児院からようやく大きな世界へと羽ばたこうとしているところだった。これから勉強をしていけば人間と獣人が相入れない存在であることを十分に理解することができるだろうが、今のシイナにはそれはわからなかった。
 どうして目の前の男がシイナをアルベリヒ達から引き離したのか。どうして男がアルベリヒを父と呼ぶシイナを憎たらしげに見ているのか。シイナにはわからないことだらけだった。
「わ、私は、獣人、です。でも!お父さんは、お父さんです!」
 アルベリヒは悪い人ではない。シイナを地獄の様な世界から救い上げ、たくさんの初めてをくれた人だ。シイナにとって恩人であった。そんな恩人のことを話しながら嫌そうな顔をされればシイナだっていい気はしなかった。
「人間が、本当に獣人の父親になれると思ってるの?」
 男はシイナと対等に話すことを決めたのか、被っていたフードを自ら取り払った。そのフードの下にはシイナと同じ耳の形をした柔らかそうな毛に覆われた耳があり、また肩で雑に切り揃えられた金髪を揺らした。そして何よりもシイナと同じ瞳がシイナを睨みつける様に見つめている。
 シイナはその男の容姿に少しだけ動揺した。まるでその容姿が自分の鏡合わせの様な感じがしたからだ。
「君は、あそこの孤児院にいた子だろう?どこに行ってしまったのかと思っていたけど、まさかこんな所に連れ込まれているなんて思いもしなかった」
 男は睨みつける様な瞳をふっと和らげると優しげに微笑んだ。その表情の変化にシイナは少しだけゾッとした。
「あそこの孤児院って……」
「この街から少し離れたところにある田舎町の教会さ。あそこでは不当な人間のやり取りが行われていた。でもそんなことは俺らにとってはどうでもいいことだ」
 同じ孤児院にいた子供達を思い出す。いい思い出は確かにないけれど、だからといって切り捨てられていい子達でもなかった。
「人間が人間のことをどう扱おうと俺たちには関係ない。だけど、君は違う」
 俯いていた男は顔を上げてシイナと同じ瞳をじっと向ける。どこまでも澄んだ青色が、男の言葉こそ正しいのだと言っているようで錯覚を起こしそうだった。
「君は俺らと同じだ。俺らの仲間だ。君は俺たちと一緒にいるべきなんだ」
「……」
「人間がどれだけいい言葉で着飾ったってその本心は醜く、汚れてる。あの人間が君に何を言ったのかはわからないけど、あの人間といれば君は不幸になる」
「私は」
 目の前の男の言い分がシイナにはわからなかった。人間の醜さや愚かさはシイナだって嫌と言うほど見てきた。極限状態に陥った人間がシイナを売ることだってあった。そのどの記憶もシイナにとっては辛く、忘れたい物であった。
 だけど、シイナは知っている。アルベリヒの手の温かさ、優しさを。人の手は酷いことをする時もあるけれど、そればっかりではないことを。
 たしかに見返りのない愛なんてないのかもしれない。シイナは今も知らないだけでアルベリヒに利用されているだけなのかもしれない。それでも、連れ出したのはアルベリヒだったが、アルベリヒの家族になると決めたのは他でもないシイナ自身だった。
 シイナが自分で決めるのをアルベリヒはいつだって待っていてくれた。決して、アルベリヒの考えを押し付けられたことはなかった。
「私は、あなた達とは行かない。私はお父さんの、アルベリヒ・ポートランドの娘だから」
 強い決意を秘めた瞳で男の瞳を見つめ返す。シイナの瞳に迷いはなかった。男はその瞳から強い意志を感じ取ったのか、無意識に息を呑んだ。しばらく二人は見つめ合っていた。
「エラン!」
 大きな声で男のものと思われる名前が路地裏に響き渡る。エランと呼ばれた男はシイナからスッと視線を外すと後ろから走って駆け寄ってくる大男と痩せ細った男を見る。
「まだこんなところにいたのか!早く逃げるぞ!」
 大男がエランの手を握り、シイナの腕を掴む。力強く掴まれた腕が痛くて思わず悲鳴を上げた。思わず振り切ろうとした時、エランが何かに気がついたのか大男の手を思いっきり引っ張った。その瞬間大男の手はシイナから離れていった。
「舐めてもらっては困る」
 低くて耳馴染みのいいその声にシイナは耳をピンと立てながら顔を空へと向ける。そこには怒りを抑え込みながら獲物を構えるアルベリヒがいた。
「付けられてたのか!」
 痩せ細った男が両手を突き出し何かを呟き始める。どうやら魔法を使おうとしている様だった。
 アルベリヒは持っていた短剣を詠唱途中の男へと投げつけ牽制すると、地面に軽々と着地してすぐさまエランに攻撃を仕掛けようとする。
 それに気がついた大男がエランの影からアルベリヒを襲おうと出てくる。しかしアルベリヒはその動きを読んでいたのか大男が伸ばしてくきた手首を片手で掴み、もう片方の手を脇の下に置きぐるん、と大男の体を回し、地面に叩きつけた。
「ば、けものかよっ!」
 地面に転がされた大男は悔しそうに唇を噛み締めた。まさか自分が人間に力で負けるとは思っていなかったようだ。
 アルベリヒは地面に転がった大男へは興味も示さずエランに手を伸ばす。エランは伸びてくるアルベリヒの手を忌々しそうに一瞥すると、手が届かない様に数歩後ろに下がった。
 しかしアルベリヒの狙いはエランではなかった。エランの後ろにいたシイナだった。エランに伸ばしていた手を直前で軌道修正をし、シイナに向ける。そしてシイナをその腕の中に抱きしめると警戒する様にエラン達の方を睨みつける。
 シイナは緊迫した状況にも関わらず、アルベリヒの元に帰って来れてよかったと思った。アルベリヒがちゃんとシイナを追いかけにきてくれてよかったと場違いにも思った。
「こっちです!」
 路地の入り口から金属が擦れる音がいくつもしてきた。アルベリヒの耳にも届いたそれらの音はもちろん獣人族であるエラン達にも聞こえていた。
「時間ですね」
 痩せ細った男がアルベリヒへの警戒を解かずに呟く。その言葉に大男は起き上がりながら舌打ちをする。エランは何かを考えるそぶりをした後、シイナの方を見た。
「必ず迎えにくる。だから今はまだ待ってて」
 エランはシイナがエラン達の方を選ぶと思っているのか、そう言った。シイナは申し訳なさそうに眉を下げると首を横に振った。シイナがアルベリヒの元を離れることはないと伝えたつもりだった。
「アルベリヒ・ポートランド。お前の本心を絶対に暴いてみせる」
 そしてアルベリヒを憎しみのこもった目で睨みつけると、エラン達はその場を大きく跳躍して去っていった。
 しばらくエランたちの去って行った方を見つめているとニュートンたちが街の衛兵を連れて路地に入ってきた。
 こうしてシイナの初めての外出は、怒涛の衝撃の中終わっていった。
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