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第一章 甘えるということ

6話

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 ナナと一緒に食堂に向かった。シイナにとってこの屋敷は広すぎて、移動するだけで一苦労だった。道中いろんな部屋があり、その部屋を一つずつ覚えていくのかと思うと、ちゃんと覚えられるのか不安に感じるほどだった。
 ナナはキョロキョロと辺りを見渡しながら歩くシイナのスピードに合わせてゆっくりと歩いてくれた。
 そして長い時間をかけてようやく食堂に辿り着く。食堂の扉は開いており、中ではメイドや執事が食事の準備を進めていた。その中心にはアルベリヒが無表情で座っていた。
 アルベリヒはシイナが部屋の入り口に到着するのを見つけてシイナのことをじっと見つめた。シイナはアルベリヒに見つめられて思わず体を硬直させる。そして無意識にナナの服の端をきゅっと握った。
「こっちに来なさい、シイナ」
 アルベリヒは立ち上がりシイナを呼んだ。シイナはナナの方に顔を向け、ナナが小さく頷くのを見て恐る恐るアルベリヒの方へと足を踏み出した。
 忙しなく食事の準備をする使用人たちにぶつからないようにゆっくりとアルベリヒに近づく。シイナは気が付いていなかったが、使用人たちはシイナが足を踏み出しのを見て一時的に手を止めていたため、シイナの気遣いは無用であった。
 アルベリヒのそばに来るとアルベリヒは膝を折って目線を合わせる。
「おはよう、シイナ。昨日はよく眠れたか?」
「ぁ……はい」
 緊張でからからに乾いた喉からなんとか言葉を搾り出す。シイナの返答を聞いたアルベリヒは小さく頷いた。
「それならいい。何か不自由はないか?」
 不自由、と聞いてシイナはぶんぶんと勢いよく顔を横に振る。孤児院の時は他の子供達と床で雑魚寝をしていた。それに比べればふかふかで暖かいベッドに寝れただけ十分だった。これ以上何かを望むのはバチが当たりそうだとも思った。
「まだ来たばかりだからな。もしもこの先何かあれば遠慮せずに言いなさい」
 この先何かあることがあるのだろうかとシイナは思った。すでに十分すぎるくらいのものを与えてもらっている。寝て起きて、実は夢だったと分かった時に立ち直れないだろうと思うほどにここは居心地が良かった。
「さぁ、食事にしよう」
 アルベリヒはシイナを持ち上げるとシイナには大きすぎる椅子に座らせた。突然持ち上げられたシイナは耳をピンと立ててびっくりした様子を見せた。
 長いテーブルを囲むように八脚の椅子が等間隔で並んでいた。シイナが座った場所のテーブルの上には湯気の立つスープと新鮮そうな野菜のサラダ、暖かそうなパンと出来立てのベーコンとスクランブルエッグが綺麗なお皿に盛り付けられて置かれていた。
 シイナは生まれてからこれまで暖かいご飯を食べたことがなかった。それどころか酷い時は一日一食、固くて乾いたパンだけの日もあった。そのため、目の前に並ぶご馳走に目を輝かせて食いつくように見つめた。
 アルベリヒは小さく笑うとシイナの横に腰掛けた。
「好きなだけ食べるといい」
 ご馳走に釘付けになっているシイナの頭を優しく撫でる。シイナはアルベリヒに頭を撫でられてようやくはっとしたように前のめりになっていた体を元に戻した。そして恥ずかしそうにもじもじと下を向いた。
 しばらくそうした後、シイナはアルベリヒの方を向いた。まるで本当にこのご飯を食べてもいいのかと聞いているようだった。その視線の意味を汲み取ったのか、アルベリヒはシイナの前に並べられたスプーンを手に取りスープを掬った。そして息を吹きかけてスープを少し冷ますとシイナの口元へと持っていく。
 シイナは少し悩んだ後、差し出されたスプーンを口に含んだ。アルベリヒは器用にシイナの口の中にスープを流し込むとすっとスプーンを引き抜いた。
 シイナの口の中に流れ込んだスープは程よく温かく、すり潰されたジャガイモのざらざらとした食感が舌を滑る。
 初めて口にする食感にシイナは目を丸くする。そしてあまりのおいしさに思わず笑顔を見せた。
 この屋敷に来てから初めて見せた表情だった。
 その表情を目の前で見たアルベリヒは僅かに目を見開き、その後すぐにいつもの無表情に戻り、もう一度スープを掬ってシイナの口元に運ぶ。
 今度はシイナも戸惑うことなくそのスープに口をつけた。他の人から見れば親鳥と雛鳥のように見えていたが、シイナは美味しいご飯に夢中でそんなことに気がつくこともなかった。
「スプーンやフォークの使い方はわかるか?」
 二口目を堪能しているとアルベリヒがスプーンを差し出してきた。シイナはそのスプーンを受け取るとこくりと頷いた。
 シイナは受け取ったスプーン使ってスープを掬い上げる。湯気の立つスープはこれまで食べたどの食べ物よりも美味しかった。こんなに美味しいものを食べさせてもらってもいいのかと不安になる気持ちがなかったわけではないが、美味しいものを食べたい気持ちには勝てなかった。
 シイナがゆっくりとではあるが食事を始めたのを見て、アルベリヒも自身の目の前に置かれた料理に手をつけ始めた。
 
 食事が進むにつれてシイナの手は初めほどの勢いがなくなっていった。シイナとしては出されたものは全て食べたかったのだが、これまでの食生活の酷さから食事の半分もしないところでお腹がいっぱいになってしまった。
 孤児院では出された食事はたとえ故意に床に落とされたとしても全て食べなければいけなかった。そうしないと大人たちに躾と称して罰を与えられた。
 その記憶がシイナに無理を強いていた。
 お腹がいっぱいでこれ以上食べられないと分かっていても、ゆっくりとではあるが食べ進めた。
 その様子に気がついたアルベリヒは無理に食べようとするシイナの手を掴み止めた。シイナは泣きそうな顔でアルベリヒを見上げた。
「無理はしなくていい。食べられるだけでいい。残すことは決して悪いことではない」
 余計なことは言わず、アルベリヒは必要なことだけシイナに伝えた。それでもシイナは申し訳なさそうに食器に残された料理を見つめる。アルベリヒもシイナの考えがわかったのか、シイナから手を離すとその手をシイナの食事へと手を伸ばした。
「もったいないと思うのなら私が食べよう。それなら少しは気にならないか?」
「……ごめんなさい」
 シイナは泣きそうになりながら小さく呟いた。全て食べれなかったことも、その処理をアルベリヒに押し付けてしまったことも、全てがシイナの心に重くのしかかる。
「どうして謝る?」
 アルベリヒの言葉にシイナは困惑した表情を見せる。アルベリヒが何を言ってるのか汲み取ることができなかった。
「シイナ、私たちは家族になった。シイナができないことを家族である私がしてあげることは何もおかしいことじゃない」
 当然のことのようにアルベリヒは話す。
「家族とは支え合うものだ。シイナが一人で無理することも嫌な思いをすることもない」
 アルベリヒは髪をすくようにシイナの頭を撫でる。
「ここに、シイナを害するものはいない。怯える必要はない。だから謝る必要もない」
 アルベリヒの言葉はシイナが全てを理解するには難しかった。
 シイナは家族を知らない。ずっと孤児院を転々とし、その先々で獣人だからと大人たちからは目をつけられ、同じ子供たちからは遠巻きにされてきた。
 ずっと一人だったシイナには誰かが手を差し伸べてくれること自体、あり得ないことだった。
(家族……家族って、なんだろう)
 孤児院の窓から小さな子供とその家族が手を繋いで歩いている姿を見たことがあった。子供はその大人のことを信頼しているのか屈託のない笑顔で話しかけて、話を聞いていた大人も笑顔だった。
 その関係が一体どうやって成り立つのか、シイナにはずっと疑問だった。
(家族って、難しいことじゃないのかな)
 アルベリヒはシイナがアルベリヒの言葉を飲み込むまで根気強く待った。しかし考えすぎたシイナの頭はパンクしそうだった。
「あ……ご、ごめんなさい!」
 そしてシイナはアルベリヒから逃げるように立ち上がると食堂から走って逃げ出した。突然のことにアルベリヒの手は宙で彷徨い、そばに控えていたナナや他の使用人も反応できなかった。
「だ、旦那様」
 固まるアルベリヒに恐る恐るナナが声をかけた。
「すぐにシイナ様を探してきます!」
「いや、待て」
 そして返事を聞く前にシイナと同じように飛び出そうとするナナをアルベリヒが止める。ナナは様子を窺うようにアルベリヒを見る。
 アルベリヒは深く息を吐くと静かに立ち上がった。
「私が行こう。お前たちは仕事に戻ってくれ。……ナナ、君はニュートンを呼んできてくれ」
「……畏まりました」
 アルベリヒの出した指示を元に各々が動き出す。それを確認したアルベリヒはシイナを探すために食堂の外へと出ていった。
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