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五章 -触れ合う関係-

騙されやすい彼

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 透が泣いている間、どうすることもできず、そのまま玄関で立ち尽くしていた時。

 洗濯物を取り込み終えたのだろう、後ろからおばあさんのものだと思われる足音が聞こえてきた。


「ん?あんた達、そんなところで何してんだい?」


 遥さんであることを一瞬期待するが、やはりそううまくはいかなかったらしい。
 俺は、頭の中で話すことをまとめると、勢いが大事だと覚悟を決めて話し始めた。


「実は、透を泣かせてしまったんですが、これには事情がありまして。一度話だけ聞いてもらえないでしょうか」


 ある意味さっきまでの重圧がトラウマ級に体に刻まれてしまっているんだろう。思った以上に早口になってしまい焦りが濃くなる。


「はぁ?泣かせた?」


 冷たさを感じる鋭い視線に、思わず唾を飲み込んだ。

 これは、まずいかもしれない。
 こんなの逆に怪しすぎる。やましいところがあるような焦りっぷりだ。

 なんとか態勢を立て直さないと、そう思って再び口を開こうとした時、俺の目の前に手が出され動きを制される。


「いや、もういい」

「いえ、すいません。どうか、話だけでも聞いて欲しいんですが」

 
 最後通牒のような言葉に絶望する。だが、言い募ろうとする俺に対し、彼女は呆れたようなため息をつくだけで、特段怒っているようには見えなかった。


「そんなに慌てなくていいさね。怒らないから安心しな」
 
「え?ほんとですか?」

「ああ。それに事情も言わなくていい。聞くだけ時間の無駄になりそうだからね」

「本当にいいんですか?」

「いいって言ってるだろ。しつこいやつだね」


 気にはなるものの、藪蛇を突くことになりそうなのでやめよう。
 
 そして、口を閉ざす俺の横を通り過ぎたおばあさんは、数歩歩いた後、何故か再び立ち止まりこちらを振り返った。


「ああ、そうだ」


 なんだろう。やっぱり、考えが変わったのだろうかと身構える俺に対し、次に聞こえた声はまるで同情するかのように優し気なものだった。 


「どうせ、もう泣いてないだろうさ。あんまり、甘やかし過ぎるとあんたが大変だよ」

「え?」


 一瞬、その言葉の意味を理解するのに時間がかかるも、透の肩が一瞬跳ね、どうやら、その言葉が本当らしいと分かる。
 
 俺は、やれやれとため息をつきながら立ち去っていく姿を見届けながらゆっくりと胸のあたりにあるつむじに視線を向けた。


「透?」

「………………あはは、バレちゃった」


 しばらく、そのまま見つめていると、頭をもぞもぞとさせていた透が観念したように顔をあげた後、舌をチロリと出した。
 その姿は、まるでいたずらがバレた子供のようだ。


「はぁ。完全に騙された」

「最初泣いてたのは本当だよ?でも、なんか、居心地良すぎて」

「おいおい。こっちは、おばあさんに殺されると思って言い訳すら考えてたんだぞ」

「ごめんね?やっぱ怒ってる?」


 もともと怒ってなどいないが、急に弱気そうな上目遣いを見せる透に小言を言う気すら失せてしまう。
 
 甘やかしすぎはダメだと言われたばかりなんだが、どうにも俺は甘いらしい。


「いや、いいさ。涙は女の武器っていうしな」 


 それに、学校での透は空気を読み過ぎるところがあった。人の気持ちを汲んで自分を犠牲にするくらいに。

 なら、今くらいは少しばかり甘やかしてあげたもいいだろう。ずっと張り詰めていたら、大変だろうしな。


「…………誠君って、なんていうか、包容力がすごいよね」

「そうか?手のかかる妹がいるとみんなこんなもんじゃないのか?」

「そうなのかな?たぶん、そうじゃない気がするけど」


 包容力というものはいまいちよく掴めないが、本気で怒ることはほとんど無いし、早希と意見がぶつかると諦めて譲ることも多い。

 世間の兄というものはだいたいこんなものかと思っていたが違うのだろうか。
 あまり、考えたことは無かったが。 


「まっ、別に悪いことじゃないないならそれでいいじゃないか」

「ふふっ。誠君らしいね」
 
「面倒くさがりなだけだよ。ほら、そろそろ行こう」
 
「うん」


 さすがに、玄関にずっと突っ立っているわけにもいかないので遥さんがいるであろう庭の方に二人で歩いていく。


「すごいな。椅子まで準備してある」

「途中でハル姉の家から持ってきたんだ」


 外には立派なバーベキューコンロに、キャンプで使うような椅子が既に置かれていた。
 
 しかもその横では、タオルを頭に巻いた遥さんが袖を捲りながら火おこしをしていて、とても様になっている。

 何故、豆腐店のタオルなのかはよくわからなかったけれど。


「やっと来たか。あははっ、そういえば今度は、玄関でイチャついてたらしいな」

「おばあさんに聞いたんですか?」

「ああ、ばあさんが梅干し食べたそうな顔してたから聞いたんだよ。そしたら、また二人の世界作ってたみたいなこと言ってたからさ」

「あー、そんなつもりは無かったんですけどね」

 
 別にイチャついていたわけでは無いのだが、改めて他の人に言われると少し恥ずかしい。 
 俺が頭を掻きながら遥さんから視線を逸らすと、顔に出づらくともそれが伝わったようで彼女は大きな声で笑い出した。


「あはははっ。照れてんのか?可愛いやつだな」


 さらに顔に熱が集まるのがわかる。恐らく、顔も仄かに赤くなっているのだろう。遥さんの笑い声が強くなっていく。


「勘弁してください」

「あははっ!照れんなって」


 そして、ふと遥さんが俺の頭に手を乗せようとした時、急に立ち位置を変えた透が、まるで白刃取りのようなポーズでその動きを阻止した。


「ダメだから」

「ひぃ、あっは、腹痛い…………ちょ、つねんなって。いや、悪かったよ。ついな」

「ハル姉でも、ダメだから」

「はいはい。そんな睨まなくってもわかったから。まっ、私は火の番するから、こっちの方は誠に頼むわ」

  
 手をひらひらとさせながら、こちらを不機嫌そうに見てくる透を残して遥さんが去っていく。
 

「…………誠君」

「俺が悪いのか?」

「ふん」

「いや、ごめんって。機嫌直してくれよ」

 
 理不尽な怒りではあるものの、言い返すのは悪手だろう。

 俺はそのまましばらくの間お姫様のご機嫌取りに勤(いそ)しむことになった。
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