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五章 -触れ合う関係-

陽だまりの香り

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 夕食を食べ終わった後、風呂から出ると透は居間で眠ってしまっていた。 
 どちらが先に入るかで揉めたものの、透を先に入らせておいて本当によかったと思う。


「朝も早かったし仕方ないよな」


 気持ちよさそうな横顔で眠る彼女の横にはトランプやウノ、カルタなどたくさんの物が並べられている。正直、いつまで起きているつもりだったのかと呆れてしまう。

 そして、なんとなくその寝顔をぼーっと眺めていると後ろから声がかかった。
 

「風呂は出たのかい?なら、ちょうどよかった。その子を寝室まで運んでおくれ」

「わかりました。案内してもらってもいいですか?」

「ああ。ったく、本当に手間のかかる子だよ」

 
 おばあさんのその顔は、不機嫌そうながらも、少し楽しそうにも見える。
 手間のかかる子ほど可愛いということなのかもしれない。

 俺は、安らかな寝息をたてる透を起こさないようにそっと抱きかかえると、おばあさんの後を出来る限り揺らさないようにしながら追いかけていく。


「ほら、そこに寝かせておくれ」

「わかりました」


 言われた通りの場所にゆっくりと透を降ろし、薄い掛布団をかけてあげると干したて特有の陽だまりの香りが微かに漂ってきた。
 それに、暗くてよく見えないが、きっとしばらく主のいなかったこの部屋もきちんと掃除がされているのだろう。
 
 
「ありがとうよ。私じゃもう抱えるのが大変なくらい大きくなっちゃったから。ほんと、子供が育つのはあっという間だねぇ」

  
 部屋の襖を音を立てないように閉めた後、廊下をおばあさんと歩いているとお礼の言葉とともにそんなことを言われる。
 まだ俺にはわからないが、子供の成長を見守る保護者、それはいったいどんな気持ちなのだろう。その声には、喜びと、寂しさ、そのどちらもが含まれているような気がした。


「いえ、これくらいは全然大丈夫です。他にもできることがあれば何でも言ってください」

「…………そうかい。じゃあ、また色々と頼もうかね」

「はい、俺にできることなら」


 お互いそれほど自分から話す方でもないのだろう。ただ黙って廊下を歩く。
 ふと外を見ると、灯りがほとんどないからだろう。夜空がいつもより綺麗に見えた。

 俺は、その光景に、もしかしたら、邪魔するもののいない場所で、月や星達もはしゃいでいるのかもと下らないことを考える。


「今日はあんたもゆっくり休みな。明日から働くことになるんだからね」

 
 やがて、俺の部屋の前で立ち止まると、ぶっきらぼうながらも気遣うような声をかけられる。

 
「ありがとうございます」

「いいってことさ。その分働いてくれればね」 


 それだけ言い、早足に去っていくそのピンと伸びた背中を見届けた後、俺は布団を広げ寝る準備を始めた。

 
 おばあさんは、一見、とても気難しく近寄りがたいような雰囲気を与える。

 だけど、本当は全然そんなことは無くて、その実とても優しい人なのだろう。
 
 会ってからほとんど時間もたっていないし、わかりづらさもあるけれど、そう思う。


「おやすみ」


 それだけ言って体を横たえると、やっぱりそこからは陽だまりの香りがした。
 

 


◆◆◆◆◆




 
 翌日、かけていた目覚ましの音で目が覚める。


「ねむ」


 めちゃくちゃ眠い。
 だがさすがに、初日から寝坊するわけにはいかないので勢いをつけて体を起こすと、顔を洗うために流し場の方へ向かう。


「なんか、いい匂いがするな」


 食欲を刺激するような美味しそうな香りが鼻をくすぐる。
 俺は、逸れそうになる歩みを何とか戻しながら顔を洗った後、匂いに誘われ台所の方へ向かった。




「おはようございます」

「ああ」

「うん。おはよう!」
 

 やはり、朝食を作っていたようだ。そこには、包丁で野菜を刻むおばあさんと、汁物だろうか、お玉で鍋をかき混ぜている透がいた。
 お互い慣れているのだろう。その邪魔し合わない立ち位置が、ここが彼女の実家だということを改めて感じさせる。
 

「何か手伝えることはありますか?」

「いらないね。邪魔だから居間で黙って座ってな」

「もう、おばあちゃん!でも、本当にいいから。誠君は待ってて」

「わかりました」


 特にできることは無いようなので大人しく居間の方でのんびりと過ごす。

 昨日は気づかなかったが、庭には小さい池があるようで、そこでは鯉達が何か食わせろとでもいうように口をこちらに向けていた。
 
 俺が、その姿になんとなく親近感を覚えながらただ眺めていると、思った以上に時間が経っていたらしい。透が料理を持ってこちらにやってくる。


「あははははっ、変な顔。口が半開きになってるよ」


 どうやら、気づかぬうちに口がだらしなく開いていたようだ。透はこちらを見ると、震えた手でお盆を置いた後、腹を抱えて笑い出す。


「なあ、鯉さん達や。あんなこと言われてるけどいいのかい?そうかい、嫌かい。可哀想に」

「鯉じゃなくて誠君のことだからね?あは、あははっ。お腹痛い」


 とぼけて答えるとさらにツボにハマってしまったようで透がお腹に手を当てて背を丸めながら笑っている。
 愉快そうな声が部屋を満たし、爽やかな朝日がなおさら眩しく見えた。


「はぁ。あんた達、まだ朝なのにほんと仲が良いねぇ。こっちは何も食べてないのに胃もたれしちまいそうだよ」
 
 
 料理を運んできたおばあさんがほとほと呆れたというような顔でため息をつく。
 どうやら、昨日よりはさすがに品数が少ないようで、これで全て運び終えたらしい。それを置くと彼女も腰を掛けた。


「だって誠君が、変なこと言うから」

「え?」

「あははっ。もう!その顔やめてよ」

「ほら、バカなことしてないで、さっさと食べるよ」

「「はーい」」

 
 そう窘められ、二人で返事をする。
 確かにこのまま話しているとせっかくの料理が冷めてしまうので、全員で手を合わせる。


「「「いただきます」」」 


 湯気の立ち昇るみそ汁にそっと口をつけると、首から胸元へとその温かさが流れ込んでいき、ほっと心が落ち着く。

 この家に来てまだ二度目の食事、慣れたと言うにはさすがに早すぎるだろう。

 それでも俺は、田舎の実家というものの雰囲気に既に何となく安らぎを覚えていた。
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