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四章 -近づく関係-

氷室 誠 四章⑦

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 見開かれた透の目をジッと見つめる。
 
 やがて、狼狽(うろた)えたように視線が安定しなくなる彼女は、最後に俯いた。


「……………………言えないよ」

 
 諦めたような自嘲的な笑みを浮かべてそう否定の言葉を口にする。


「こんなこと言ったら、さすがの誠君だって、絶対に私のこと拒絶するもん」


「それに、とんでもなく非現実的で、頭がおかしい女だって思うに決まってる」


「だったら、言わない方がいいじゃない!そう思って、無理してでも、帰ろうと思ってたのに!!」


 要領を得ない、彼女の心の叫びがあふれ出る涙とともに吐きだされていく。


「拒絶なんかしない。例え、それがどんなことであっても」


 俺は、関わる相手は自分の意志でちゃんと選んでいる。
 だから、どんなことがあろうと自分で責任を持つし、並大抵のことでは関係を断つつもりはない。


「でも、そんなの…………」

「一つだけ聞かせてくれ」  


 相手の言葉を遮るようにしてはっきりと言う。


「透は、どうしたい?」

 
 変わった関係。でも、俺が言うことは変わらない。


「前にも、言ったはずだ。透がやりたいことをすればいいって。もしそれが、言いたくないってことなら俺はその意志を尊重する」


 自分を押さえつけて、周りに流され生きているように見える彼女にもう一度、ちゃんと聞こえるようにそれを言葉で伝える。


「だけど、そうじゃないなら。本当は言いたいって思うなら話してくれ。何でも聞くし、拒絶もしないから」


 彼女はその言葉を聞くと、少しずつ泣き笑いのような顔になっていく。
 
 そして、そのまま俺の胸に頭を押し付けると、ポツポツとくぐもった声で話し始めた。






「私ね、昔から。記憶は無いけど、たぶん、生まれた時からずっと人の心が、読めるの」





「比喩でもなんでもなくて、本当に読めちゃうの。漫画みたいに」





「だからね。ずっと、周りの心を、誠君の心も含めて読んで、ズルしてたの」





「勝手に人の心を覗いて、知らないふりをして、計算して、すり寄っていく、そんな醜い女なの。みんなが言う、素敵な蓮見さんなんてどこにもいないの」





 
 正直、驚きはある。だけど、こんなに泣いている彼女が、それを好きで使っているとは、とても俺には思えなかった。





「誠君にとって大事な人達の心も勝手に見て、欺いてた。早希ちゃんに気が合うなんて言わせて、瑛里華さんに気が利くなんて言わせて、自分だけのことを考えて。あんなに良い人たちの、その心からの綺麗な言葉を!私は、恥知らずにも黙って受け取ってた」






「だから!!だから…………優しい誠君だって、早希ちゃん達だって絶対に私のことを拒絶すると思って、私は!」

 



 悩み、悲しみ、葛藤。抱きしめれば折れてしまいそうなほどに細い体にはたぶんそんなものがたくさん詰まっているのだろう。

 だから、俺は少し悩んだ後、彼女の体をそっと、壊れ物を触るように抱きしめ、髪の毛を漉(す)くように頭を撫でた。昔から、泣き虫だった妹を宥めている時みたいに。

 同い年の女の子にするのはどうかと思ったけど、それが一番良いと思ったから。





「大丈夫、大丈夫だから」




 
 頭に触れた瞬間、跳ねた体に優しく言い聞かせるように言葉を囁くと、彼女は声をあげて泣いた。



 涙の分だけ、彼女の心が晴れればいい。

 雨にでも降られたのかと思うほど、濡れた服の重さを感じながら、俺はそのままずっと彼女の頭を撫で続けた。

 
 














◆◆◆◆◆













 バスは、もう無い。不思議そうな顔をして通り過ぎる運転手の顔を何度見ただろうか。

 途中、ベンチに座った後、家族に遅くなるとだけ連絡を入れ、俺達はずっとそうしていた。


「………………ありがとう、聞いてくれて」


 少し前から泣き止んだものの、頑なに顔を上げない透を不思議に思うが、困ることでもないので、特に何かを言うことはやめた。


「いいさ。これくらい」

「これくらい、か。やっぱり、すごいね、誠君は」

「そうか?」

「そうだよ。気持ち悪いとか、気味が悪いとか、心を読まれて嫌だとかそういうことは思わないの?」


 確かに、心を読まれないならそれに越したことは無い。だけど、それが生まれた時から、自然にできてしまうのなら仕方ないと思ってる。
 
 心臓を動かすなとか、瞬きをするなと言われてもできないのと一緒だ。


「自分が欲しいと思って手に入れたもんじゃないんだろ?」

「…………うん。でも、実際に読んでるのは私の意志なの」


 言わなくてもいいことを言うところが律義な透らしいなと苦笑する。器用なのに、不器用、本当に面白いやつだ。


「それでもだよ。だって、自分で好んでそれを使うようなやつは、こんなに泣かないだろ?本当は消し去れるものなら、消し去りたい。違うか?」

「…………うん。私は、普通の女の子になれるものならなりたい」

「なら、仕方ないさ。むしろ、透も被害者みたいなもんだ」


 欲しくもない能力を与えられて、それを悪用するわけでもなく、ただただ自己嫌悪感を募らせ、自分を自分で切り刻む。

 そんな残酷な人生を歩まされるなら、彼女こそ被害者なんじゃないかと俺は思う。誰が加害者かはわからないけれど。


「…………………………………………被害者?私が?」

「俺は、そう思うよ」

「本当に?本当に、そう思うの?」

「本当の、本当に、そう思うよ」


 どうやら、雨はまだ続くようだ。夏の夜の温かさとはまた違う温もりを胸で感じながら、俺はそうやって雲一つない星空を見上げた。
 



 



 

 

 時間は確かめていないのでどれだけ時間が経ったかは分からない。
 
 だけど、一人で家に帰せるような時間では無いのは確かだ。最悪、まだ親父が起きている間に送ってもらおうと声をかける。


「一回、俺の家に戻らないか?」

「…………顔合わせづらいかも」

「大丈夫だって、たぶんうちの家族はみんな気にしてないから」

「本当に?」

「保証する。心なんて読めなくても、家族のことくらいは、手に取るように分かるさ。それに、もしさっきの話を伝えたいなら、俺はその隣にいるよ」


 受け入れてくれるという確信がある。それに、たとえもし受け入れて貰えなかったとしても、俺は、俺の付きあう人間は自分で選ぶ。例え、誰に、それこそ家族に反対されても。


「…………ありがとう。嬉しい」

「そりゃ、よかった。じゃあ、これで前弁当忘れた時の借りは返したってことにしといてくれるか?」

  
 そう軽口を叩くと、服に顔を押し付けながら彼女は笑い出した。泣いてるのとはまた違う振動が少し心地いい。

 
「あははははっ。いいよ、もうとっくに返してると思うけど」

「一食一飯の恩っていうだろ。それくらい大事なのさ」

「一宿一飯でしょ?」

「なら、前泊まったから、それで釣りは無しだ」

 
 下らない明るい会話が、闇夜に響く。それが俺には嬉しい。
 それこそ、悲しく泣いてるより何百、何千、何万倍、ずっといいから。

 
「………………………………私、誠君に会えて、本当によかった」

「そりゃ光栄だ。じゃあ、そろそろ、帰ろう」

「うん」


 立ち上がると、すぐに背中側に回り俺を押していく透。


「おいおい、歩きづらいだろ?なんだよ?」

「このまま行くの。後ろも見ちゃダメだから」

「なんで?」

「内緒」

「まぁ、いいか」 


 よくわからない注文だが、歩けないわけでもない。

 それが彼女のしたいことなら、それでいい。

 言葉になんかしなくても、行きよりも近い、体温を感じるほどの距離が、彼女の意志を物語ってるんだろうし。
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