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第一章 報酬は一千万

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 その夜瑞紀は、自室でスマホを手にしていた。眺めているのは、聖と行くことになった、映画の宣伝サイトだ。

(映画なんて、いつぶりだろ……)

 あの後も、会話は順調に弾み、食事は無事に終わった。大成功とも言うべきなのに、心はざわつく。それは、次の行き先が映画館だからだ。

 演劇部時代、瑞紀は何度となく主役を務めた。顧問も他の部員もその実力は認めてくれ、担任からは真剣に、演劇で有名な大学への進学を勧められた。

 だが、瑞紀は断った。その理由は、家庭環境にあった。瑞紀の両親は、瑞紀が中一の時に、交通事故で亡くなった。以来瑞紀は、親戚の家をたらい回しにされた。バースがオメガ、というせいもあっただろう。ようやく落ち着いたのが、母親の妹の家で、瑞紀は高校時代をそこで過ごした。

 しかし、大学へ進学しなかったのは、単なる遠慮ではなかった。叔母もその夫も優しい人柄で、むしろ進学を勧めていたくらいだ。真の理由は、同居していたいとこ……壮介そうすけにあった。

(――あの、クソアルファがっ)

 瑞紀はスマホを放り出すと、ベッドに横たわった。思い出すのも忌々しい、二つ年上のアルファのいとこ。高校時代三年間、瑞紀は壮介にレイプされ続けたのだ。

『言えるもんなら、言ってみろよ。誰だって、お前より俺を信用する。仮に疑われても、発情ラットになったって言えば、責められやしないさ』

 初めて犯した後、壮介は平然とそう言った。何も言い返せなかったのを覚えている。壮介は、両親や周囲の大人の前では品行方正を装っており、信用は厚かった。事実、三年間、二人の関係には誰も気付かなかったのだ。それに何より、ここを追い出されたらもう行き場は無い。それがわかっていたから、瑞紀は耐え続けたのだった。

 壮介は、大学進学後も引き続き実家に住み、瑞紀を犯し続けた。唯一の救いは、避妊してくれたことだ。もっともそれは、単に彼が厄介事を避けたかったからだろうが。

 そんなわけで瑞紀は、高校卒業後、逃げるようにその家を出た。何も知らない叔母や教師らは残念がったが、瑞紀は黙って就職した。しかし、壮介から解放されて安堵したのも束の間、就職した会社は、わずか一年で倒産した。転職先はなかなか見つからず、ついには売り専ボーイに身を落とした瑞紀からは、いつの間にか演劇への情熱が消え去っていたのだった……。

 その時、放り出したスマホが、不意に着信音を告げた。画面を見ると、知らない番号が表示されている。警戒しつつ応答すると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んで来た。

『無事に終わったそうね。ご苦労』

 瑞紀は、反射的に起き上がると、ベッドの上に正座していた。小田桐みどりではないか。

(直接、かけて来るなんて。何かやらかしたか、俺……?)
 
 今日の経緯は、すでに西尾経由で報告してあるというのに。何か気になることでもあったのだろうか、と瑞紀は緊張が走るのを感じた。

(てか西尾さん、勝手に俺の番号教えんなよ……)
 
 やや焦った瑞紀だったが、みどりの声音は案外落ち着いていた。

『次の約束も取り付けたのですって? 結構よ。その調子で続けてちょうだい』
「恐れ入ります。頑張ります」

 どうやら、文句があるわけでは無さそうだ。瑞紀は、安堵した。
 
『ところで、あなた方が食事をした店だけれど。選んだのはあの子?』
「はい、そうですが」
 
 すると通話口からは、深いため息が聞こえてきた。

『あんなマイナーな店。これだから、あの子はわかっていないわ』

 みどりは、ぶつぶつ呟いている。

『困るわねえ……。いえね、あなたにはこの際お伝えするけれど、実は聖の相手には、HOTELブランの社長のご子息を考えているのよ』

 HOTELブランは、同じ小田桐ホールディングス傘下のホテルである。

『あそこは、飲食部門が強いのよ。とにかく、コスパが良い。私としては、是非小田桐ホテルと合併させたいの』

(コスパ、ねえ)
 
 おもてなしに心を砕く聖の方針からすれば、それは相容れないことだろう。うちのグループの経営陣はわかってくれない、という聖の台詞が蘇った。 

『その足がかりとして、二人の縁組を考えているのだけれど、どうも聖の考えは違うのよね』
「でも……」

 思わず口走りかけて、瑞紀はハッとした。

(俺、今何を言おうとした……?)

  『その土地を最大限に楽しんで欲しい』という聖の言葉に、瑞紀は確かに共感したのだ。だが、それをみどりに伝えたところでどうなる。自分の任務は、一年間聖と良好な関係を築くこと、それだけだ。余計な口を差し挟むべきではない。 

『とにかく、結婚だけは何としても成立させるわ』

 幸いにも、瑞紀の小さな反論はみどりの耳には入っていなかったらしく、彼女はきっぱりと宣言した。
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