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最終章 魔法は世のため、人のため

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  一時間後、真純はルチアーノやジュダらと共に、平民向け教育機関第一校に到着した。ルチアーノと共に馬車を降り立つと、すかさず近衛騎士らが寄り添う。中心となって控え立つのは、団長コッサートと、最近の人事で昇格した副団長ペサレージだ。

「うわあ、すごく変わりましたね……」

 厳かにそびえ立つ建物を見上げて、真純は思わず感嘆のため息を漏らした。実はこの建物は、元々パッソーニの屋敷だったのだ。ルチアーノは、彼が所有していた数多くの屋敷を没収し、一部を約束通り夫人のラウラに提供した後、残りを公共施設へと改装した。ちなみにラウラは現在、かねてからの恋人と共に、幸せに暮らしているとのことである。 

「確かに、教育施設らしくなりましたな」

 ボネーラも同調する。建物からは、パッソーニの趣味だったけばけばしい調度品が全面的に取り払われ、代わりに机や椅子、書棚の類がそろえられた。各部屋は、集団授業を受ける部屋、自習室、図書室の三種類に分類されている。ルチアーノは、真純から現代日本の教育機関について知識を仕入れ、参考にしたのだ。

「ま、問題は中身だ。頑張って、我が国の平均識字率を上げねばな」

 真剣に頷くと、ルチアーノはおもむろに建物内へと入った。まずは、開校式だ。集まった平民の生徒は、約五十名。その中には、期待に顔を輝かせたエレナの姿もあった。

 ルチアーノは、彼らに激励の言葉をかけると、すぐさま教室へと移らせた。五つの部屋に分かれ、集団授業が始まる。講師は、退団した元近衛騎士たちだ。真純たちは、ルチアーノに同行して、各授業を見学することにした。

 一つ目の部屋に入ると、真純はおやと思った。講師の顔に、覚えがあったのだ。かつてクオピボでジュダを狙い、ルチアーノに右腕を落とされた男だ。右袖からは義手らしきものがのぞいていて、真純はほっとした。騎士の道は断念したけれど、新たにここでの仕事を頑張るつもりなのだろう。その顔からは、気合いが十分に感じられた。

「はい、基本の綴りは……」

 講師は、教本を手に、張り切って喋っている。だが真純は、すぐに落胆した。講師の態度は、どう見ても威圧的なのだ。ルチアーノも同様に感じたらしく、首を振った。

「改善の余地多し、だな」

 同じ現象は、他の教室でも見られた。講師は皆、家柄の良い元近衛騎士たちである。対する生徒は、平民。無意識に見下げているとしか考えられなかった。

 そうこうしているうちに、休憩時間になる。ルチアーノは、学校長と話をすると言って、教室を去った。真純は廊下へ出ると、遠巻きに生徒たちを観察した。皆、教材を読み返したり、講師に質問したりと、熱心な様子だ。すると、エレナがやって来た。

「マスミ様! お久しぶりです。とうとう、念願の教育機関に入れましたわ」
「うん、おめでとう」

 真純は、彼女に微笑みかけた。

「けど、もうあのクッキーが食べられないのは残念だな」

 勉強に専念するため、エレナは間も無く、王宮の厨房を辞めるそうなのだ。

「その点なら、ご心配なく。レシピは、しっかりと後任に伝授しますわ」

 そしてエレナは、思いがけない名前を告げた。彼女に代わって厨房で働くのは、パオラだというのだ。王妃の手先となって、真純を陥れる手伝いをした侍女である。偽証などの罪でしばし投獄されていたが、盗癖の噂がすっかり広まったため、釈放された後も侍女として雇う人間が見つからなかったのだという。

「そんなわけで、厨房へ。今度働き口を無くしたら大変だと、さすがに理解しているようで、頑張っていますよ。食材を盗んじゃダメよと、釘を刺しておきましたし」

 エレナは、明るく語った。そこへ、フィリッポとジュダがやって来た。

「おや、エレナさん。お久しぶりじゃないですか」
「前から、文字を習いたいって言ってたもんなあ。どうだ、初授業は?」

 二人から声をかけられ、エレナは嬉しげに礼を述べたが、ふと顔を曇らせた。

「ルチアーノ陛下には、感謝しか無いのですが。ただ先生方が、ちょっと……。例えばあの女の子は、厨房の同僚なのですけど」

 エレナは、教室内で教材を読んでいる一人の生徒を指した。エレナと同世代の、若い女性だ。

「先ほど質問に行ったところ、全く理解できなかったと。何て言ったらいいんでしょう、その……。先生は、私たち平民が何の基礎知識も無いということを、今ひとつわかってらっしゃらない気がしますわ」

 ジュダは、ははあという顔をした。
                                            
「貴族ってのは、当たり前のように教育を受けてきてるからなあ」
「けれど、それはけしからんですね。教師というのは、生徒の立場を配慮しないと」
 
  そう言うとフィリッポは、くるりと踵を返した。真純は、驚いて声をかけた。

「フィリッポさん? どこへ行くんです?」
「理解できないまま帰宅したのでは、何のための学校だかわからないでしょう。そのお嬢さんの疑問を、私が解決して差し上げるんです」
 
  フィリッポは、さっさと教室へ入ると、エレナの同僚の元へスタスタと歩いて行った。突然話しかけられた彼女は、一瞬戸惑ったようだったが、すぐに教材を差し出した。フィリッポが、何事か説明し始める。二言、三言喋っただけで、彼女はパッと顔を輝かせて頷いた。どうやら、疑問はすぐに解決したようである。

「無事、理解していただけましたよ」

 フィリッポは、すぐに戻って来ると、けろりと告げた。エレナが、頭を下げる。

「ありがとうございます。そういえばフィリッポ様は、元々は家庭教師をなさっていたんでしたね」
「ええ、平民相手のね。私も平民出身で同じ立場ですから、生徒の悩みを理解しやすいんですよ。当時は筆談でしたが、今はマスミさんのおかげで、話せるようになりましたし」

 フィリッポがにこりとする。するとそこへ、数人の生徒たちが、恐る恐るといった様子で近寄って来た。皆、若い女性だ。

「あの! すみません。先ほど、質問に答えられているのを聞いたんですけど。とてもわかりやすいご説明ですね」

 一人が勇気を出したように、フィリッポに話しかけた。やや顔を赤らめている。

「よかったら、なのですけど。私たちにも、教えていただけませんか?」
「もちろんですよ」

 フィリッポが、にこやかに微笑む。女性たちは、こぞって教材を差し出し始めた。

「じゃあ、私はここで失礼しますね。自習して来ます」

 エレナは一礼すると、去って行った。フィリッポは、集まって来た一人一人に、愛想良く教えている。するとジュダが、むっとしたように口を尖らせた。

「何だよ。優しい教え方も、できるんじゃねえか。俺に魔法を教えた時は、悪魔みたいな形相で怒鳴ってたくせに。おまけに最後は、蛍火呼ばわりしやがって」

「だからそれは、陛下も仰ってたじゃないですか。愛情ゆえだって。一生懸命だからこそ、厳しい言い方になったんでしょう」

 真純はそう言ってなだめたが、ジュダは肩をすくめた。

「そうかあ? 相手が若い女だから、鼻の下伸ばしてるんじゃねえの」

 確かにフィリッポの周囲には、次々と女性生徒が集まっている。「宮廷魔術師様ですって」「背も高いし、クールな雰囲気で素敵ね」という囁きも聞こえた。ジュダは、そんな女性たちをにらみつけている。もしや、と真純は思った。

「ジュダさん、ひょっとして寂しい、とか? 今までお兄さんみたいだったフィリッポさんを、盗られたみたいで?」
 
  するとジュダは、呆れたような表情を浮かべた。

「マスミ……。お前、鈍いにも程があるぞ?」
「何がです?」

 今日は、よく鈍いと言われるな、と真純は思った。本日二度目だ。

「……まあいい。ところで、前から言おうと思ってたんだが」

 ジュダは、柔らかく微笑んだ。

「いい加減、改まった話し方は止めろよ。俺とお前、大して年変わんないだろ。それに……」

 そこへ、フィリッポが戻って来た。群がっていた女性たちは、いつの間にやら姿を消している。

「お疲れ様です。もう全員の質問に答えたんですか?」

 感心した真純だったが、フィリッポはかぶりを振った。

「まさか。半数は、自発的に退散したんですよ。私が、宮廷魔術師の給料はこれまでの半額になった、ととたん、急にね」

 パッソーニがこれまで高額の報酬を得すぎていたため、フィリッポは自ら引き下げを申し出たのだ。とはいえ、平民の間にはそこまで伝わっていなかったのだろう。女性たちはてっきり、フィリッポを高給取りだと思い込んでいたに違いない。

(つまり質問はこじつけで、女性たちはフィリッポさんを狙ってた、ってことか……)

 まるっきり金目当て、というわけでも無いのだろうが。一部の女性が囁いていた通り、フィリッポは長身で、外見も悪くない。おまけに優秀な魔法の使い手とくれば、さぞ魅力的に感じることだろう。

 そこで真純は、ジュダとの会話が途中だったことを思い出した。

「あ、ごめん。じゃあ、これからは気楽な喋り方をするってことで」

 真純は、慌てて彼の方へ向き直った。

「それから、何を言いかけてたの?」

 ジュダは、ふっと笑った。

「こう言おうとしてたんだ。俺たちは、もう友達だろって」

 真純は、思わず顔をほころばせていた。

「うん。そうだね!」

 二人を見守っていたフィリッポも、穏やかな微笑を浮かべる。真純は、しみじみと考えていた。

(まだまだ、課題は多いけれど。やっていける自信はある。多くの仲間がいるんだから……)
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