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第五章 誰が宰相を殺したの?

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  約二十分後。真純は、歓声を上げていた。

「うわぁ、広い……」

 ルチアーノに連れて来られたのは、王宮内にある図書館だった。面積は、大学図書館の五倍はあるだろうか。数百、いや数千はあるだろう書棚が整然と並び、それぞれの棚は、足元から天井近くに至るまで、本で埋め尽くされている。

「この三日間、ほったらかしで悪かった。退屈しているのではと思ってな」

 書棚の間を優雅に歩き進みながら、ルチアーノが言う。いえ、と真純は答えた。

「それでわざわざ、連れて来てくださったのですか? お忙しいのに、すみません」
「私も捜している書物があるので、気にするな。それより、ここにはあらゆる種類の書物があるぞ。マスミ殿は、どのようなものが読みたい?」
「そうですねえ……」

 膨大な本類を眺めながら、真純は思案した。

「やはり、薬学に関するものが読みたいですね」
「そうではないかと思った。この列は、全てそうだ」

 ルチアーノは立ち止まると、前面の書棚類を指した。端から端まで、全部薬学書だという。

「遠慮せず、好きなだけ読むといい」
「本当ですか!? ありがとうございます」

 ルチアーノの言葉に、真純は目を輝かせた。

「ああ。ただし、フィリッポのように無理はするなよ?」

 そう言うとルチアーノは、真純をじっと見つめた。

「それにしてもそなたは、どうしてそんなに薬学に興味があるのだ?」
「人の役に立つのが好き、ということもありますけど……」

 真純は、ちょっと迷ってから話し始めた。

「実は僕、元の世界では、父と二人暮らしでした。母は、僕が五歳の時に病気で亡くなったんです」

 眼帯を着けていない方のルチアーノの瞳が、大きく見開かれた。

「それがきっかけだったのか」
「はい。もう少し正確にお話しすると、母の死の原因は、投薬ミスでした。いわゆる医療過誤、と僕らの世界では呼ぶんですけど……。医師が間違えたんです」

 ルチアーノは、眉をひそめた。

「何と、ひどいことだ……。その者は、さぞ重い罪に問われたのであろうな?」
「いえ」

 真純は、かぶりを振った。

「僕らの世界では、すぐに処罰、とかにはならないんです。法律に詳しい専門家を雇って、裁きを受けさせ、判断を下す人間がいて、初めてその人は罰せられるんです。それには、途方も無いお金と時間がかかります」

 真純は、当時のことを思い出していた。母の遺影を前に悔し泣きする父親と、彼を説得しようとするスーツ姿の男。今にして思えば、あれは弁護士だったのだろう。

「身内を殺された者が、殺した者を裁かせるのに、金を払う必要があると? マスミ殿の世界は進んでいると思っていたが、一体どうなっておるのだ」

 ルチアーノは、わけがわからないといった様子だ。そうですよね、と真純は呟いた。

「僕も、昔はそう思っていました……。でも、それが現実でした。父は、お金ならいくらでも払うと言いましたが、時間と労力がかかると、専門家に反対されたんです。結局、病院からは償いの意味でお金はもらいましたが、病院や医師が裁かれることはありませんでした」

 示談で終わらせたのだと知ったのは、真純がある程度成長してからだった。

『男手一つで小さいお子さんを育てるのは、大変でしょう。その上裁判なんて、負担がかかりすぎます。しかも、勝てる見込みは少ない』

  父は、そう弁護士に説得されたのだという。渋々受け入れた父だったが、真純の目には、彼はその決断を後悔していたように見えた……。

「薬は、服用の仕方を間違えると恐ろしいと、僕は実感したんです。だから、薬の飲み方を指導する仕事に就こうと考えました。薬剤師、と向こうでは呼ぶんですけど」

 安定した職業に就いて、父を安心させたいという思いもあった。ルチアーノが、神妙に頷く。

「そのような事情であったか……。マスミ殿も、母君を亡くしていたとは知らなかった。私と同じだな」

 真純は、返事に迷った。同じ、と表現していいものかと思ったのだ。ルチアーノの方が、早くに母親に死なれた上、ずっと苦しい思いをしてきたというのに。だが、ルチアーノから出て来た台詞は逆だった。

「同じとは言えぬか。マスミ殿の方が、よほど辛かったであろう。私の母が亡くなったのは、私にかけられた呪いが原因。その呪いの主はすでに罰を受けたが、そなたの母君を死に追いやった者は、罰せられなかったのであろう?」

 そう言うとルチアーノは、不意に真純を抱き寄せた。幼子にするように、ぽんぽんと頭を撫でる。その手は温かく、真純はうっとりと瞳を閉じた。

(久しぶりだな。殿下の体温を感じるのって……)

 思えば、王宮入りして以来、ルチアーノには抱かれていない。モーラントにいた頃を懐かしく思い出していた真純だったが、次のルチアーノの言葉に固まった。

「叶うものなら、そなたの世界へ行き、母君を殺した者に極刑を与えたい……」

 囁くような小声ではあったが、本気ではないかと思えるほどの凄みを含んだ声音だった。真純は、慌ててルチアーノの腕から逃れると、ぶんぶんと首を振った。

「すみません、余計な話をしました! 僕のために怒ってくださるのはありがたいですけど、もう忘れてください。それより今は、ボネーラさんのお父さん殺しの犯人を特定しませんと」
「忘れることはあり得ぬが……。まあ今は、確かにそうだ」

 ルチアーノは、腕を組んだ。 

「実に不可解だ。宰相殺しによって利益を得た者は、明らか。恐らくは、その者が犯人。だが殺人現場の目撃者はおらず、手口がわからぬ」
「何だか、童謡の歌詞を思い出しました」

 真純は、ふと呟いていた。ルチアーノが、首をかしげる。

「童謡?」
「はい。僕の国のものではありませんが……。鳥が、殺されるんです。そして森の皆が、お葬式の役割分担を決めるんですが……」

 子供の頃に聞いた歌の記憶を、真純は辿った。

 ――誰が殺したの?
 ――誰が死ぬところを見たの?
 ――誰が血を受け止めたの?

 それぞれに対して、アンサーがあるのではなかったか。おぼろげながらも思い出した歌詞を語ると、ルチアーノは興味深げに耳を傾けてくれた。

「殺した者と、血を受け止めた、利益を得た者は見当がつくが、死ぬところを見た者だけがわからぬと、そういうことだな……。まあ、根気よく調べるしかあるまい」

 ルチアーノは、図書館内を見渡した。

「これだけの書物があるのだ。きっと、何か参考になるものがあるだろうよ」
「それにしても、こんなにたくさんあるのに、魔術書は無いんですね」

 真純は、思わず呟いていた。出生問題もさることながら、呪いが完全に解けないことには、ルチアーノは王位を継承できない。回復呪文の追求も、残る課題であった。

「まったくだ。パッソーニめ、どこに隠したのやら」

 ルチアーノは相づちを打ったが、さほど焦っている様子は無かった。

「とはいっても、奴を無事捕まえさえすれば、ありかを吐かせることはできる。そう案ずるな」
「ああ、それもそうですね。そうしたら、回復呪文がわかりますね!」

 真純は、ぽんと手を叩いた。ジュダが、無事ニトリラで、焼き討ちの証拠をつかんでくれるとよいのだが。あるいは、宰相殺しの方でもいい。 
 
「うむ。なのでマスミ殿は、読書でもして、ゆったりと構えておれ。薬学書以外も、自由に読んで構わぬゆえ」

 ルチアーノは微笑むと、くるりと踵を返した。そういえば、彼も捜し物があるのだったか、と真純は思い出した。引き留めて、悪かったかもしれない。

 ルチアーノが、図書館の奥へと消えて行く。そんな時、真純は彼の小さな呟きを耳にした。

「……それに。回復呪文がわからなくても、それはそれで……」

 え、と思った時には、ルチアーノの姿はもう見えなくなっていた。


※出典:マザー・グース『誰がコック・ロビンを殺したの?』
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