夢ノ瀬日記

夢ノ瀬 日和

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7月8日

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 太陽が怒鳴る真昼。コンクリートジャングルでまだ付き合っていた頃の彼と手を繋いで歩いていく。彼の表情は読み取れない。暑さはなく、ただ吐きそうなほどの輝きが私を包もうとしていた。

「最近、眠れないんだよね」

 あくびをした彼になんとなく伝える。手はいつの間にか外れている。汗が至る所から吹き出し、池でも作れそうだ。

「働きもしない。筆も取らない。言い訳ばかりでラクばかりなのに?」

 唐突に後ろから大きな壁が流れて、彼を吹き飛ばした。彼の全身はあらぬ方向へ折れ曲がっている。うつ伏せになっているはずなのに首は依然として私の方へと向けていた。左手はちぎれているし、足は骨が突き出して美しい白と艶やかな赤黒せきこくに彩られている。

「お前のせいだからな」

 普段から温厚であまり私へ怒りを露わにすることがなかった彼の冷たい声。彼だけには嫌われたくなかった。もう遅いけれど。

「ごめんなさい」

 ノイズ混じりの汚い音が私の喉から発せられる。暴れる自己嫌悪から逃れるように彼の元へ歩を進める。脇腹が空くような痛みに顔をしかめる。どうしようもない私に彼がため息を吐いた。

「別れてよかった」

「うん。……ごめんなさい」

 ふいに後ろから背を押される。私の体は宙を舞って、どこかへ堕ちていく。ひどく響く罵詈雑言に包まれて、終わりなき落下に身を預ける。白く明るくなっていく底。だだっ広い底へこの身を打つイメージが浮かんでは消えていく。まあいい。そのまま死ねばいい。どうせ酸素と金を貪るだけの家畜以下の存在なのだから。肉も骨も使い物にならないのだから。死んでしまった方が私もラクだ。死ねばいい。死ねばいい。

「またラクばっか。お前も苦しめ」

 彼が脳の奥で囁く。大粒の涙と止まらない汗が池を作り、私の体を受け止めた。ギラギラと彼が私を見つめる。ごめんなさい。声にならない呼吸音に乗せて精一杯叫ぶ。こんな私は見られたくなかった。見苦しいだけのゴミをどこか潔癖な彼に気づかれたくなかった。まだ愛してるなんて知られたくなかった。死んでしまえ。消えてしまえ。全部無かったことにしてしまえば、きっと彼も赦してくれる。性に塗れた獣を。ワガママばかりのクズを。奈落へ堕ちきれないゴミを。彼は優しい人だから、きっと私が苦しむだけで赦してくれる。ごめんなさい。壊れた蓄音機のようにそればかりを繰り返す。


 意識が浮上したのは七夕の翌日、午後十三時。
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