29 / 87
第二章 さなぎ
(11) 過去の傷
しおりを挟む
「美樹が言うには、アンタらの活動に、本当は自分も加わりたいようだった。昔から運動と同じくらい歌うことが大好きで、幼稚園の歌の時間や、小学校の音楽の時も、思い切り音を外しながら、大きな声で元気よく歌っていたらしい。
だが、あいつが変わってしまったのは小三の時だ。それまでの音楽の担任は優しい人で、音程を無視して歌っているあいつを叱ることもせず、元気がいいといつも褒めていた。でも年が変わって担任が変わると、最初の授業でそいつは言い放った。『あなた、音外し過ぎよ。ほかのみんなの迷惑になるから、気をつけなさい』ってな」
「そんな、ひどい……」
「まあな。で、そう言われた瞬間、あいつは初めて自分の歌を直視した。自分が歌えば、周りに迷惑がかかる。今までみたいに好き勝手歌うことはできない。そう考えていくうちに、幼いあいつは段々音楽の授業で歌うのが怖くなっていった。まっすぐ立って、他のやつらと一緒に歌うことに恐怖を感じ始めたんだそうだ。だから次第に声もか細くなって、ついには人前で歌わなくなってしまった。歌うことは、今やあいつにとっては単なる苦痛でしかないんだ」
やがて野薔薇ちゃんは、わたしの方に向き直ると真っ直ぐな眼差しで言った。
「会ったばかりで図々しいのを承知で、一つだけ頼みがある。美樹は過去の傷を抱えて、それで好きだったことを我慢しながら生きてる。確かにあいつにとっちゃ、昔のトラウマは相当キツいものなんだろう。それはあいつにしかわかんないことだ。
でも、あいつ、私に全部喋った後でこんなこと言ってたんだ。『うちも、いつかは勇気、出したいんだけどね』って。
だからさ、どうか美樹のこと、ちょっとでもいいからこれからも構ってやってくれよ。能天気でどうしようもないほど臆病だけど、あれでも私の数少ないダチだから」
野薔薇ちゃんは、すべて言い終えてから深々とわたしに頭を下げる。
そんな彼女に、大事な話を聞かせてくれたことへの感謝の気持ちをストレートに伝えた。
「うん、わかった! 美樹ちゃんのこと、教えてくれて本当にありがとう。野薔薇ちゃんってさ、すごく友達想いなんだね」
次第に野薔薇ちゃんの顔が赤くなっていく。
うっせぇ、とどもりながら足早に去っていく彼女に笑顔で手を振ると、わたしもその場を後にした。
その夜、再び部屋にナナ様を呼ぶ。
またしてもイヤな顔一つせず、すぐ目の前に現れてくれた。
「どうしたの、桜良?」
昼間、野薔薇ちゃんから聞いた話を手短に伝えてから、試しに尋ねてみる。
「ねえ。やっぱり美樹ちゃんは、何にもしないでそのままの方がいいのかな」
するとナナ様は、呆れたように私に微笑みながら問い掛けた。
「そのようにわざわざ聞いてくるってことは、そうしたくない気持ちの方が強いのよね?」
まんまと見透かされてしまい、率直に自分の気持ちを伝える。
「確かに、美樹ちゃんの過去の傷を今更掘り返すのは、わたしにとってもかなり怖いことだよ。もしうまくいかなかったら、最悪、お互い傷つけ合ってしまうかもしれない。
でも、初めて会った時、美樹ちゃんバスケしながら歌ってたの。その歌、わたし聞いててすごく好きだったんだ。きっと美樹ちゃん自身、本当は今もやっぱり歌うことが好きで、できることなら自分の歌を好きになりたいと思ってるはず。人前でみんなと歌うのって、最初は怖いかもしれないけど、それさえ克服できればまた好きな歌を歌えるようになる。美樹ちゃんは、心のどこかできっと強く望んでるんだ。あの時見たもやが、何よりの証拠だよ!」
そして、改めてナナ様に決意を述べた。
「わたし、歌いたい。美樹ちゃんと一緒に、歌ってみたいよ!」
「そう。思いが固まったみたいね。だったら、わたしが出来るアドバイスはただ一つだけ。こういうのは、あまり焦っちゃダメ。相手の気持ちも考えて、一緒にゆっくりと少しずつ克服していきましょう。そうすれば、きっと彼女の過去も清算出来て、一緒に前へと進めると思うわ」
「わかった。ありがとね、ナナ様!」
ナナ様がいなくなった後、暗い部屋で一人じっと考える。
心の中は、底知れぬ熱い思いで満ち溢れていた。
だが、あいつが変わってしまったのは小三の時だ。それまでの音楽の担任は優しい人で、音程を無視して歌っているあいつを叱ることもせず、元気がいいといつも褒めていた。でも年が変わって担任が変わると、最初の授業でそいつは言い放った。『あなた、音外し過ぎよ。ほかのみんなの迷惑になるから、気をつけなさい』ってな」
「そんな、ひどい……」
「まあな。で、そう言われた瞬間、あいつは初めて自分の歌を直視した。自分が歌えば、周りに迷惑がかかる。今までみたいに好き勝手歌うことはできない。そう考えていくうちに、幼いあいつは段々音楽の授業で歌うのが怖くなっていった。まっすぐ立って、他のやつらと一緒に歌うことに恐怖を感じ始めたんだそうだ。だから次第に声もか細くなって、ついには人前で歌わなくなってしまった。歌うことは、今やあいつにとっては単なる苦痛でしかないんだ」
やがて野薔薇ちゃんは、わたしの方に向き直ると真っ直ぐな眼差しで言った。
「会ったばかりで図々しいのを承知で、一つだけ頼みがある。美樹は過去の傷を抱えて、それで好きだったことを我慢しながら生きてる。確かにあいつにとっちゃ、昔のトラウマは相当キツいものなんだろう。それはあいつにしかわかんないことだ。
でも、あいつ、私に全部喋った後でこんなこと言ってたんだ。『うちも、いつかは勇気、出したいんだけどね』って。
だからさ、どうか美樹のこと、ちょっとでもいいからこれからも構ってやってくれよ。能天気でどうしようもないほど臆病だけど、あれでも私の数少ないダチだから」
野薔薇ちゃんは、すべて言い終えてから深々とわたしに頭を下げる。
そんな彼女に、大事な話を聞かせてくれたことへの感謝の気持ちをストレートに伝えた。
「うん、わかった! 美樹ちゃんのこと、教えてくれて本当にありがとう。野薔薇ちゃんってさ、すごく友達想いなんだね」
次第に野薔薇ちゃんの顔が赤くなっていく。
うっせぇ、とどもりながら足早に去っていく彼女に笑顔で手を振ると、わたしもその場を後にした。
その夜、再び部屋にナナ様を呼ぶ。
またしてもイヤな顔一つせず、すぐ目の前に現れてくれた。
「どうしたの、桜良?」
昼間、野薔薇ちゃんから聞いた話を手短に伝えてから、試しに尋ねてみる。
「ねえ。やっぱり美樹ちゃんは、何にもしないでそのままの方がいいのかな」
するとナナ様は、呆れたように私に微笑みながら問い掛けた。
「そのようにわざわざ聞いてくるってことは、そうしたくない気持ちの方が強いのよね?」
まんまと見透かされてしまい、率直に自分の気持ちを伝える。
「確かに、美樹ちゃんの過去の傷を今更掘り返すのは、わたしにとってもかなり怖いことだよ。もしうまくいかなかったら、最悪、お互い傷つけ合ってしまうかもしれない。
でも、初めて会った時、美樹ちゃんバスケしながら歌ってたの。その歌、わたし聞いててすごく好きだったんだ。きっと美樹ちゃん自身、本当は今もやっぱり歌うことが好きで、できることなら自分の歌を好きになりたいと思ってるはず。人前でみんなと歌うのって、最初は怖いかもしれないけど、それさえ克服できればまた好きな歌を歌えるようになる。美樹ちゃんは、心のどこかできっと強く望んでるんだ。あの時見たもやが、何よりの証拠だよ!」
そして、改めてナナ様に決意を述べた。
「わたし、歌いたい。美樹ちゃんと一緒に、歌ってみたいよ!」
「そう。思いが固まったみたいね。だったら、わたしが出来るアドバイスはただ一つだけ。こういうのは、あまり焦っちゃダメ。相手の気持ちも考えて、一緒にゆっくりと少しずつ克服していきましょう。そうすれば、きっと彼女の過去も清算出来て、一緒に前へと進めると思うわ」
「わかった。ありがとね、ナナ様!」
ナナ様がいなくなった後、暗い部屋で一人じっと考える。
心の中は、底知れぬ熱い思いで満ち溢れていた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
世界の終わり、茜色の空
美汐
ライト文芸
当たり前の日々。
平和で退屈で、でもかけがえのない日々が、突然跡形もなく消えてしまうとしたら――。
茜と京と朔は、突然世界の終わりを体験し、そしてなぜかそのときより三日前に時を遡っていた。
当たり前の日々が当たり前でなくなること。
なぜ自分たちはこの世界に生きているのか。
世界が終わりを迎えるまでの三日間を繰り返しタイムリープしながら、生きる意味や仲間との絆を確かめ合う三人の高校生たちの物語。
魔竜を封じる部室にて!!
秋月 銀
ライト文芸
日ノ宮学園の七不思議は、他の学校に比べて少しばかり異色であった。
第一の不思議『池に眠る人魚』
第二の不思議『体育館で笑う魔女』
第三の不思議『文芸部室に封印された魔竜』
第四の不思議『屋上で吠える人狼』
第五の不思議『図書館に閉じ籠もる悪魔』
第六の不思議『出入り口を見守る天使』
そんな七不思議にホイホイつられて、第三の不思議当該地である廃部寸前の文芸部に入部してしまったシュウ。幸か不幸か、同じ理由で文芸部に入部したのは彼だけではなく、全員で七不思議の解明へと乗り出していくことになったのだが━━━━しかして彼らの本当の目的は別にあったのだった。
第七の不思議『六つの不思議を解明した者は、永遠の愛と出会う』
つまり、恋人がいない文芸部員は『永遠の愛』と出会って最高の青春を謳歌する為に、七不思議の解明に乗り出していたのだった!!
七不思議を発端に動き出す、文芸部員達の青春ラブコメディ。
※1話の文量は基本2000字前後にするつもりなので、拙い文章ではありますが気軽に読んで下さい。
※特に文章量が多くなった話には★印をつけています。
※基本は午前午後12時のどちらかに更新します。余裕がある時は両方更新します。
※誤字脱字などがありましたら、ご指摘頂けると幸いです。
地球と地球儀の距離
来条恵夢
ライト文芸
ショート・ショート、あるいは、断片。
書いた時期が随分と前のものもあって(学生時代と働き出してとで差はあるのかないのか)、いろいろです。
(貯金が尽きたら一旦終了。再開は未定)
なんとなくでも楽しんでもらえれば幸い。
透明の「扉」を開けて
美黎
ライト文芸
先祖が作った家の人形神が改築によりうっかり放置されたままで、気付いた時には家は没落寸前。
ピンチを救うべく普通の中学2年生、依る(ヨル)が不思議な扉の中へ人形神の相方、姫様を探しに旅立つ。
自分の家を救う為に旅立った筈なのに、古の予言に巻き込まれ翻弄されていく依る。旅の相方、家猫の朝(アサ)と不思議な喋る石の付いた腕輪と共に扉を巡り旅をするうちに沢山の人と出会っていく。
知ったからには許せない、しかし価値観が違う世界で、正解などあるのだろうか。
特別な能力なんて、持ってない。持っているのは「強い想い」と「想像力」のみ。
悩みながらも「本当のこと」を探し前に進む、ヨルの恋と冒険、目醒めの成長物語。
この物語を見つけ、読んでくれる全ての人に、愛と感謝を。
ありがとう
今日も矛盾の中で生きる
全ての人々に。
光を。
石達と、自然界に 最大限の感謝を。
【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語
ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ……
リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。
⭐︎2023.4.24完結⭐︎
※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。
→2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる