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閑話
SS お父様とメイド服①
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辺境伯家の凛々しいナイスミドルな人狼執事長様は困っていた。
これまでは、城で問題を発生させる者はといえば伯の嫡男だった。
だが……伯の次男がめでたく妻を迎えると……その様相が変化を見せることになる。
困ったことに……
「……伯の嫡男は“実弟の奥方”という非常に口やかましい新装備を背に担ぎ、より手がつけられなくなった。さらにはその“実弟の奥方”は執事長様に何度叱られてもメイド服を着て……って、新装備? 装備って、まあなんでしょうねぇ、私めとうとうペットから武器に格下げですか……」
やれやれとため気を落としたのは、ミリヤムだった。
ミリヤムは、サンルームの花壇のふちに腰掛けて、赤茶の背表紙の書付に視線を落としていた。
たった今読み上げた文章通り、性懲りもなくメイド服を身につけて。ついでに手にはハタキが握られているし、腰元辺りにはくたりとよく使い込まれた雑巾も挟まれていた。
育児中の気晴らしにと、双子が眠った隙に部屋を出てきたミリヤムは、廊下の隅を掃除しようとして、この誰かが落したらしい書き付けを拾った。堅い表紙の表には“日報”の文字が。
どうやら使用人の誰かが落して行ったらしい。
届け先を知りたくて中身を開くと、真っ先に恐らく自分の事だろうなぁ……と思われる内容が書かれていて……
「……まあ、いくら世間広しと言いましても、“実弟の嫁という新装備”なんて呼ばれ方する女性はそう多くはないでしょうしねぇ……」
ミリヤムは真面目くさった顔でふむと頷いた。
この場合、彼女にとって、これを誰が書いたかはあまり問題ではない。
それよりも──……
「そうですか……私め、ナイスなミドルの執事長様を困らせていましたか……うーん……」
ミリヤムは日報を閉じて眉間に縦じわを作る。
心当たりはいっぱいある。ありすぎる。
だがここのところ、育児に追われていたミリヤムには彼等の事にまで気を回している余裕がなかった。
しかしよくよく考えてみると、執事長たち城の使用人からしてみれば、ヴォルデマーの妻がメイド服で辺りを徘徊し、彼らが止めるのも聞かず、そこら中拭き掃除して回ること自体迷惑行為であったことだろう。
しかもミリヤムはとにかく目ざとかった。
城の廊下を歩いていても目に付いた汚れは見逃さないし、衛兵や小さな小姓達が服の裾をはみ出させていようものなら彼女の目は、それはもう敏感にそれを察知した。
勿論、その面倒な娘に、目をつけられたと気がついた人狼兵たちは、慌てて服の裾を直しボタンを隠そうとする。が──ミリヤムは、この時ばかりは人狼たちをも唸らせる身体能力を発揮し、あっという間にそれをがっしり鷲掴む。
ミリヤムは、相手がどんなイケメン人狼青年だろうが、愛らしく瞳をウルウルさせた小姓達だろうが容赦はしない。シャツはぎゅうぎゅうインされる。ボタンが外れていようものならその場で縫い付けられる。ミリヤムは彼等の身だしなみを整える為ならば、躊躇なく彼等の服の中に手を突っ込んだ。
しかし、別に彼女はその度人狼兵たちが『ひぃっ!?』と叫ぶのを楽しんでいるわけではない。
ただただ、昔、自身が職場の上役に仕込まれた通りの教えに従って身体が自然と動くのだ。即ち──『主人の身の回りは完璧に美しくせよ』という教えにである。衛兵や小姓達が城で衣服をだらしなく着ているようなことは以ての外というわけだ。
おまけにミリヤムは『使用人は空気となって主人に仕えるべし』とも教え込まれている。『空気に服を正されようとも誰も気にしないだろう』……と、いうのがミリヤムの使用人的残念思考なのであった……
「はー……しかしそうですか、皆様はそれがお気に召さないと……でもアデリナ様には『貴女のお陰で段々皆が進んで身を正すようになったわ』ってお褒め下さったのに……うーん……」
「そうなの? でも──やっぱりメイド服のままっていうのはどうかと思うんだけど……」
「はぁ、左様で……城下の皆さんにも親しみやすさでは振り切れてる、とまずまずの評判だったんですがねぇ…………ん? あれ???」
それ本当に評判いいのか? という突っ込みはさて置き。ミリヤムはぽかんと口を開けた。
今、聞こえないはずの声が──と、疑問の声と共に隣へ視線を走らせる、と──……
己のすぐ隣。花壇の淵に、穏やかな顔で腰を下ろしている人物がいる。
その人物は、背景に咲き乱れる豪華な花たちをも霞ませて、にこにことミリヤムに向かって微笑んでいた。
途端ミリヤムの顔がぎょっとして。脳はまだ正しく現状を把握していなかったが、身体はみょんっと飛び上がった。
花壇の淵から撥ね跳んだ身体は、その勢いのまま床のタイルに向かってダイブして行く────
「っ!?」
けれどもミリヤムは。床に頭突きをする直前、腕を引かれ引き止められる。
身体が重力に逆らって。視界が回って目も回る。
「お、ぉおおおおお!?」
「おやおや……大丈夫?」
……気がつくと。ミリヤムは金の髪の青年の腕の中にいた。
青年は前髪が触れそうな距離でミリヤムの顔を覗き込んでいる。
「良かった間に合って。駄目だよミリーもうちょっと身の安全を考えた動きをしてくれないと……」
間に合わなかったら怪我をしてしまうでしょう? と、ほっとしたように笑うその彼を見て、やっと目の焦点があったミリヤムが、うっ!? と呻いて目を瞑る。
「あっ!! 輝きがっ、眼球を焼く!! ……あれ!? 死ぬほど眩いと思ったら……坊ちゃまじゃありませんか!?!?」
腕の中で、今にも目の玉を転がし落としそうに見開いている娘を──フロリアンが笑う。
「久し振りだね、ミリー。部屋を訪ねたんだけど、不在だったから探しに来たよ」
フロリアンは微笑みながらミリヤムをそっと解放し、それから娘の姿を見て首を傾げた。
「ねえミリー……話の続きなんだけど。この間私が贈った服はどうしたの? 普段着にするようにって手紙に書いておいただろう? 掃除するのは止めないけれど、せめて衣装だけでも変えたらどうかな」
どうあってもせかせか働いていないと気がすまない娘の性質をよく知る青年はそう言った。そうすれば、辺境伯家の執事達も少しは安心するのではというフロリアンに、しかしミリヤムはきょとんとした顔を向ける。
「え? 服? ですか? ……ああ! 坊ちゃまが下さったあの素敵に可憐なお洋服たちですか? 勿論大事にしておりますよ。大事に枕元に飾り奉っております。神棚的に。」
「………………ミリー……」
「ひっ!? や、やめて下さい、坊ちゃま!! 憂いに満ちたお顔が美しすぎる! 天に召されそう!!」
フロリアンは、そんなものを夫婦の寝室の枕元に飾られたらヴォルデマーだって、さぞ迷惑なことだろうなぁと思った。
……それで? と、一頻り悶え終わって幾らか落ち着きを取り戻した己の養女に、フロリアンは問う。
「どうしていつまでもそのメイド服を着ているの? 私の贈った服は……まあ……ミリの好きにすれば良いとしても……ヴォルデマー様だって色々用意してくださっているんでしょう?」
「はあ……」
フロリアンの言葉にミリヤムが困ったような顔つきになる。
その顔を見て、フロリアンは内心でおや? と思う。何やら心の中に何かを秘密を抱えているような、そんな顔つきなのだ。先程の興奮状態からの急落振りに、フロリアンも少々戸惑った。
「ミリー? ……その服に何かあるの……?」
「……それは……」
ミリヤムは少しだけ俯いて、自分が身につけているエプロンに手を添えた。ミリヤムの指がその縫い目を所在無さげになぞるのを見て──フロリアンの青緑の瞳が瞬いた。
(あ……)
その瞬間彼は思い出した。ミリヤムは表情をぽとりと何処かに落としてしまったような顔をしている。
(そうか……アリーナ……)
その懐かしい人物が脳裏に浮かんだ瞬間、フロリアンの胸にも少しだけ侘しい感情が沸き起こる。彼の澄んだ泉のような色の瞳が曇り、ミリヤムに向けられた。
今、彼の目の前で彼女が身につけているメイド服は──アリーナ、つまりミリヤムの母親が、娘に最後に仕立てて贈ったものだった……
それは病で命を落としたフロリアンの乳母でもあったアリーナが、生前まだ元気だった頃のことだ。
彼女が忙しい合間をぬって作ったその服を、ミリヤムはずっと身につけ大切にして来たのか。──そう察したフロリアンは、当時の事を思い出して密やかなため息をついた。
ミリヤムの頭にそっと手が伸ばされる。
「ごめんね……それは昔アリーナから貰ったあの服だったんだね……」
「……はい」
寂しさを滲ませた声にミリヤムがこっくりと頷く。
「もう随分昔の事だから……すっかり忘れていたよ……」
なんで忘れてしまっていたんだろう。フロリアンは少し悲しくなって、その悲しみを分け合った娘の栗色の髪を優しく労わるように撫でた。
「でも……そうならそうと、皆さんに言ってみたらよかったんじゃない? 母親の形見だと知れば、皆さんも少しは理解してくれるんじゃないかな……ヴォルデマー様にはお伝えしなかったの?」
「はい……」
「……どうして?」
フロリアンが首を傾げると、ミリヤムは歪めた顔を上げる。
「ミリー……」
「だって!! 言える訳無いじゃないですか……!! この服を母が仕立ててくれたのは……もうっ、十年くらい前の事なんですよ!?」
「うん、そうだけど……」
母の死の思い出が、今でも彼女をそんなに苦悩させているのか、とフロリアンが心配そうに眉尻を下げる。
と──そんな彼の前で、唐突にミリヤムが床の上に身を投げ出した。それを見たフロリアンが目を丸くする。
「ミリ!?」
娘は床の上で「言えません!」と嘆き声を上げる。
「だって、だって私め……!! その頃から………………その頃から、全っ然っサイズが……サイズが変わってないんです!!!!」
「……………………え……」
ミリヤムを助け起こそうとしたフロリアン動きがぴたりと止まる。その、足元で……ミリヤムは悔しげに床を打っていた。
「ヴォルデマー様にどうして言えましょうか! 貴方様の嫁は……十代の初めの頃から身体つきが全然変わってないのですと……言えるわけが……身長はまだしも……私はまっ平らです、って、宣言するようなものではありませんか!? は、恥ずかしすぎる!!」
「…………」
ひー!! と顔を両手で覆う娘を、フロリアンは思わず無言で見つめてしまった。
そうしてうっすらと、何故自分がミリヤムの母が仕立てたメイド服のことを忘れていたのか理解する。そもそも、十年以上前に仕立てられたその服を、よもやミリヤムが今も着ているなどとは思いもよらなかったのである。当然十代から二十代へと成長していくなかで、服だって大きいものへ変わっていて当然だと──無意識に思ってしまっていたのだろう。
「…………なる、ほど……?」
「ううう……そんな事を言ってしまえば、ヴォルデマー様に呆れられ、若様に爆笑され、アデリナ様たちには『この子、私の孫の母として大丈夫かしら、だって平らなのよ? 双子の乳は足りるの?』……とか心配されそうではありませんか!?」
「…………」
「私めときたら……出産したっていうのに、殆ど、いえ、少しくらいは服もきついかな? って思いますけど、それで事足りる程度しか……膨らまなくて……」
「……分かった。分かったからもうやめようかミリー……」
そこまで行って、やっとフロリアンがミリヤムを止めた。彼は珍しく少し慌てた様子で、その栗毛の娘を床から立ち上がらせた。
「ミリー……駄目だよ、年頃の娘が……嫁いだとはいえそういうことを大声で言うの……」
見ると、少し離れた場所で控えていた衛兵やフロリアンの護衛たちが居たたまれなさそうな顔で立っている。
だが、『ヴォルデマー様には言えない、恥ずかしくて』と喚く娘は、きょとんと養父の顔を見上げている。
「はあ、そうですか? 別に彼等に聞かれても。私達、ズボンにシャツを突っ込んだりしてる仲ですし──」
平然と応える娘に──
いや、そりゃあどんな仲だよ、と居合わせた兵達は皆、心の中で激しく突っ込みをいれるのであった……
つづく。
これまでは、城で問題を発生させる者はといえば伯の嫡男だった。
だが……伯の次男がめでたく妻を迎えると……その様相が変化を見せることになる。
困ったことに……
「……伯の嫡男は“実弟の奥方”という非常に口やかましい新装備を背に担ぎ、より手がつけられなくなった。さらにはその“実弟の奥方”は執事長様に何度叱られてもメイド服を着て……って、新装備? 装備って、まあなんでしょうねぇ、私めとうとうペットから武器に格下げですか……」
やれやれとため気を落としたのは、ミリヤムだった。
ミリヤムは、サンルームの花壇のふちに腰掛けて、赤茶の背表紙の書付に視線を落としていた。
たった今読み上げた文章通り、性懲りもなくメイド服を身につけて。ついでに手にはハタキが握られているし、腰元辺りにはくたりとよく使い込まれた雑巾も挟まれていた。
育児中の気晴らしにと、双子が眠った隙に部屋を出てきたミリヤムは、廊下の隅を掃除しようとして、この誰かが落したらしい書き付けを拾った。堅い表紙の表には“日報”の文字が。
どうやら使用人の誰かが落して行ったらしい。
届け先を知りたくて中身を開くと、真っ先に恐らく自分の事だろうなぁ……と思われる内容が書かれていて……
「……まあ、いくら世間広しと言いましても、“実弟の嫁という新装備”なんて呼ばれ方する女性はそう多くはないでしょうしねぇ……」
ミリヤムは真面目くさった顔でふむと頷いた。
この場合、彼女にとって、これを誰が書いたかはあまり問題ではない。
それよりも──……
「そうですか……私め、ナイスなミドルの執事長様を困らせていましたか……うーん……」
ミリヤムは日報を閉じて眉間に縦じわを作る。
心当たりはいっぱいある。ありすぎる。
だがここのところ、育児に追われていたミリヤムには彼等の事にまで気を回している余裕がなかった。
しかしよくよく考えてみると、執事長たち城の使用人からしてみれば、ヴォルデマーの妻がメイド服で辺りを徘徊し、彼らが止めるのも聞かず、そこら中拭き掃除して回ること自体迷惑行為であったことだろう。
しかもミリヤムはとにかく目ざとかった。
城の廊下を歩いていても目に付いた汚れは見逃さないし、衛兵や小さな小姓達が服の裾をはみ出させていようものなら彼女の目は、それはもう敏感にそれを察知した。
勿論、その面倒な娘に、目をつけられたと気がついた人狼兵たちは、慌てて服の裾を直しボタンを隠そうとする。が──ミリヤムは、この時ばかりは人狼たちをも唸らせる身体能力を発揮し、あっという間にそれをがっしり鷲掴む。
ミリヤムは、相手がどんなイケメン人狼青年だろうが、愛らしく瞳をウルウルさせた小姓達だろうが容赦はしない。シャツはぎゅうぎゅうインされる。ボタンが外れていようものならその場で縫い付けられる。ミリヤムは彼等の身だしなみを整える為ならば、躊躇なく彼等の服の中に手を突っ込んだ。
しかし、別に彼女はその度人狼兵たちが『ひぃっ!?』と叫ぶのを楽しんでいるわけではない。
ただただ、昔、自身が職場の上役に仕込まれた通りの教えに従って身体が自然と動くのだ。即ち──『主人の身の回りは完璧に美しくせよ』という教えにである。衛兵や小姓達が城で衣服をだらしなく着ているようなことは以ての外というわけだ。
おまけにミリヤムは『使用人は空気となって主人に仕えるべし』とも教え込まれている。『空気に服を正されようとも誰も気にしないだろう』……と、いうのがミリヤムの使用人的残念思考なのであった……
「はー……しかしそうですか、皆様はそれがお気に召さないと……でもアデリナ様には『貴女のお陰で段々皆が進んで身を正すようになったわ』ってお褒め下さったのに……うーん……」
「そうなの? でも──やっぱりメイド服のままっていうのはどうかと思うんだけど……」
「はぁ、左様で……城下の皆さんにも親しみやすさでは振り切れてる、とまずまずの評判だったんですがねぇ…………ん? あれ???」
それ本当に評判いいのか? という突っ込みはさて置き。ミリヤムはぽかんと口を開けた。
今、聞こえないはずの声が──と、疑問の声と共に隣へ視線を走らせる、と──……
己のすぐ隣。花壇の淵に、穏やかな顔で腰を下ろしている人物がいる。
その人物は、背景に咲き乱れる豪華な花たちをも霞ませて、にこにことミリヤムに向かって微笑んでいた。
途端ミリヤムの顔がぎょっとして。脳はまだ正しく現状を把握していなかったが、身体はみょんっと飛び上がった。
花壇の淵から撥ね跳んだ身体は、その勢いのまま床のタイルに向かってダイブして行く────
「っ!?」
けれどもミリヤムは。床に頭突きをする直前、腕を引かれ引き止められる。
身体が重力に逆らって。視界が回って目も回る。
「お、ぉおおおおお!?」
「おやおや……大丈夫?」
……気がつくと。ミリヤムは金の髪の青年の腕の中にいた。
青年は前髪が触れそうな距離でミリヤムの顔を覗き込んでいる。
「良かった間に合って。駄目だよミリーもうちょっと身の安全を考えた動きをしてくれないと……」
間に合わなかったら怪我をしてしまうでしょう? と、ほっとしたように笑うその彼を見て、やっと目の焦点があったミリヤムが、うっ!? と呻いて目を瞑る。
「あっ!! 輝きがっ、眼球を焼く!! ……あれ!? 死ぬほど眩いと思ったら……坊ちゃまじゃありませんか!?!?」
腕の中で、今にも目の玉を転がし落としそうに見開いている娘を──フロリアンが笑う。
「久し振りだね、ミリー。部屋を訪ねたんだけど、不在だったから探しに来たよ」
フロリアンは微笑みながらミリヤムをそっと解放し、それから娘の姿を見て首を傾げた。
「ねえミリー……話の続きなんだけど。この間私が贈った服はどうしたの? 普段着にするようにって手紙に書いておいただろう? 掃除するのは止めないけれど、せめて衣装だけでも変えたらどうかな」
どうあってもせかせか働いていないと気がすまない娘の性質をよく知る青年はそう言った。そうすれば、辺境伯家の執事達も少しは安心するのではというフロリアンに、しかしミリヤムはきょとんとした顔を向ける。
「え? 服? ですか? ……ああ! 坊ちゃまが下さったあの素敵に可憐なお洋服たちですか? 勿論大事にしておりますよ。大事に枕元に飾り奉っております。神棚的に。」
「………………ミリー……」
「ひっ!? や、やめて下さい、坊ちゃま!! 憂いに満ちたお顔が美しすぎる! 天に召されそう!!」
フロリアンは、そんなものを夫婦の寝室の枕元に飾られたらヴォルデマーだって、さぞ迷惑なことだろうなぁと思った。
……それで? と、一頻り悶え終わって幾らか落ち着きを取り戻した己の養女に、フロリアンは問う。
「どうしていつまでもそのメイド服を着ているの? 私の贈った服は……まあ……ミリの好きにすれば良いとしても……ヴォルデマー様だって色々用意してくださっているんでしょう?」
「はあ……」
フロリアンの言葉にミリヤムが困ったような顔つきになる。
その顔を見て、フロリアンは内心でおや? と思う。何やら心の中に何かを秘密を抱えているような、そんな顔つきなのだ。先程の興奮状態からの急落振りに、フロリアンも少々戸惑った。
「ミリー? ……その服に何かあるの……?」
「……それは……」
ミリヤムは少しだけ俯いて、自分が身につけているエプロンに手を添えた。ミリヤムの指がその縫い目を所在無さげになぞるのを見て──フロリアンの青緑の瞳が瞬いた。
(あ……)
その瞬間彼は思い出した。ミリヤムは表情をぽとりと何処かに落としてしまったような顔をしている。
(そうか……アリーナ……)
その懐かしい人物が脳裏に浮かんだ瞬間、フロリアンの胸にも少しだけ侘しい感情が沸き起こる。彼の澄んだ泉のような色の瞳が曇り、ミリヤムに向けられた。
今、彼の目の前で彼女が身につけているメイド服は──アリーナ、つまりミリヤムの母親が、娘に最後に仕立てて贈ったものだった……
それは病で命を落としたフロリアンの乳母でもあったアリーナが、生前まだ元気だった頃のことだ。
彼女が忙しい合間をぬって作ったその服を、ミリヤムはずっと身につけ大切にして来たのか。──そう察したフロリアンは、当時の事を思い出して密やかなため息をついた。
ミリヤムの頭にそっと手が伸ばされる。
「ごめんね……それは昔アリーナから貰ったあの服だったんだね……」
「……はい」
寂しさを滲ませた声にミリヤムがこっくりと頷く。
「もう随分昔の事だから……すっかり忘れていたよ……」
なんで忘れてしまっていたんだろう。フロリアンは少し悲しくなって、その悲しみを分け合った娘の栗色の髪を優しく労わるように撫でた。
「でも……そうならそうと、皆さんに言ってみたらよかったんじゃない? 母親の形見だと知れば、皆さんも少しは理解してくれるんじゃないかな……ヴォルデマー様にはお伝えしなかったの?」
「はい……」
「……どうして?」
フロリアンが首を傾げると、ミリヤムは歪めた顔を上げる。
「ミリー……」
「だって!! 言える訳無いじゃないですか……!! この服を母が仕立ててくれたのは……もうっ、十年くらい前の事なんですよ!?」
「うん、そうだけど……」
母の死の思い出が、今でも彼女をそんなに苦悩させているのか、とフロリアンが心配そうに眉尻を下げる。
と──そんな彼の前で、唐突にミリヤムが床の上に身を投げ出した。それを見たフロリアンが目を丸くする。
「ミリ!?」
娘は床の上で「言えません!」と嘆き声を上げる。
「だって、だって私め……!! その頃から………………その頃から、全っ然っサイズが……サイズが変わってないんです!!!!」
「……………………え……」
ミリヤムを助け起こそうとしたフロリアン動きがぴたりと止まる。その、足元で……ミリヤムは悔しげに床を打っていた。
「ヴォルデマー様にどうして言えましょうか! 貴方様の嫁は……十代の初めの頃から身体つきが全然変わってないのですと……言えるわけが……身長はまだしも……私はまっ平らです、って、宣言するようなものではありませんか!? は、恥ずかしすぎる!!」
「…………」
ひー!! と顔を両手で覆う娘を、フロリアンは思わず無言で見つめてしまった。
そうしてうっすらと、何故自分がミリヤムの母が仕立てたメイド服のことを忘れていたのか理解する。そもそも、十年以上前に仕立てられたその服を、よもやミリヤムが今も着ているなどとは思いもよらなかったのである。当然十代から二十代へと成長していくなかで、服だって大きいものへ変わっていて当然だと──無意識に思ってしまっていたのだろう。
「…………なる、ほど……?」
「ううう……そんな事を言ってしまえば、ヴォルデマー様に呆れられ、若様に爆笑され、アデリナ様たちには『この子、私の孫の母として大丈夫かしら、だって平らなのよ? 双子の乳は足りるの?』……とか心配されそうではありませんか!?」
「…………」
「私めときたら……出産したっていうのに、殆ど、いえ、少しくらいは服もきついかな? って思いますけど、それで事足りる程度しか……膨らまなくて……」
「……分かった。分かったからもうやめようかミリー……」
そこまで行って、やっとフロリアンがミリヤムを止めた。彼は珍しく少し慌てた様子で、その栗毛の娘を床から立ち上がらせた。
「ミリー……駄目だよ、年頃の娘が……嫁いだとはいえそういうことを大声で言うの……」
見ると、少し離れた場所で控えていた衛兵やフロリアンの護衛たちが居たたまれなさそうな顔で立っている。
だが、『ヴォルデマー様には言えない、恥ずかしくて』と喚く娘は、きょとんと養父の顔を見上げている。
「はあ、そうですか? 別に彼等に聞かれても。私達、ズボンにシャツを突っ込んだりしてる仲ですし──」
平然と応える娘に──
いや、そりゃあどんな仲だよ、と居合わせた兵達は皆、心の中で激しく突っ込みをいれるのであった……
つづく。
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