56 / 94
三章
12 辺境伯
しおりを挟む
「入れ」
と、低い美声が飴色の扉の向こうから聞こえて、ミリヤムは身体を緊張させると共に、ああ、ヴォルデマー様の声に似ているな、と思った。
「……いいか?」
前に立つギズルフが神妙な顔でミリヤムに言い募る。
「絶対に粗相をするな! いいか? 絶対に! だぞ!?」
「……」
彼は先程から怖い顔で何度もこう言うのだが、言う度ミリヤムにプレッシャーが掛かっていることを分かっていない。
「お相手は我等が父だ! 此処が貴様の正念場だ!! 生きるか死ぬかだ!!」
「……若様ついて来て下さるんですよね……」
青ざめた顔で見上げるとギズルフが怯えたような顔をした。
「き、貴様、何だその顔の色!?」
「ふふふ……初見ですか若様……これが人族の顔面蒼白というやつです……で? ついて来てくれるんですよね!!?」
ギズルフの服をミリヤムががっしり掴むと、ギズルフが慌てて首を縦に振った。
ギズルフはミリヤムの顔色を見て、やばい、こいつ絶対死ぬ、と思った。
「あ、ああ勿論だ! 骨は拾ってやる!」
「いえ、まず生存を考えていただけますか……」
開かれた扉を潜ると、まず、高い天井が目に入った。
正面には大きな金の格子窓の向こうに青い空。右手には豪勢な応接用のテーブルと椅子が。左手奥には五段ほど上がった上に辺境伯の物らしい執務机が。その壁面は全て天井まで圧倒される量の書物が収められている。
城の其処此処に狼の紋様があしらわれているのと同様に、この執務室の至る所にも凛々しい狼の紋が掘り込まれていた。
壁紙や垂れ幕の一つをとっても、一目で良い品だと分る。
「入りますぞ、父上」
「……失礼、致します……」
ずかずか入っていくギズルフの服を掴んだまま、ミリヤムは半ば引っ張られるようにしてその室内に足を踏み入れた。
客間を出たところから散々ギズルフに脅され(励まされ)て、もう動悸が凄い事になっている。
そもそも昼食で再び肉オンリーの膳を出されたミリヤムは、その匂いと油で胸焼けに。
(……やはし、やめておくべきだった……う……緊張で吐きそう……)
脂汗をかきながらミリヤムは後悔した。
本当はそうしようと思っていたのだが、ギズルフに「貴様は非力なくせに食事もとらずに決戦に挑むのか!?」と叱咤されて……つい乗せられてしまった。
しかも辺境伯の嫡男が用意した肉はとても良い肉らしかった。普段そんなものを食べつけないミリヤムには正直きつい。ミリヤムは思った。ギズルフには是非、人狼族の貴方様とは違い、筋肉以上に胃も非力だと理解して欲しいと……
「父上、例の娘を連れてまいりました」
「ああ……座っておれ」
「はい」
ギズルフが畏まった様子で言うと、部屋の奥から辺境伯らしき声が帰ってくる。しかし、その姿が見えない。
(あ、あれ? 辺境伯様は……?)
吐き気と緊張の二重苦に密かに呻いてたミリヤムは、どこから辺境伯の声がするのか分らなくて戸惑った。しかし室内を見渡そうとすると、ギズルフはミリヤムをくっつけたまま応接用の椅子の方へ。
「おい、あまりきょろきょろするな。挙動が不審だぞ!? 一つの粗相が命取りなのだぞ!?」
「う、うぅううぅ……」
思い切り睨み下ろされてたミリヤムは、半分は若様のせいですよ、と是非言いたかった。
と、そこに、くつくつと低く笑う声が。
「ギズルフ……あまり脅かすでない。娘、気を楽にせよ」
「は! ……はぃ……」
声はどうやら執務机の方からするようだった。短い階段の上のその空間には垂れ幕や衝立が複数あって、ミリヤムは、辺境伯がその後ろで喋っているのだろうと当たりをつける。
その後ろから、いつ噂の巨体の大人狼が出て来るかと思うとミリヤムの胃はムカムカするだけでなく、きりきりした。
(……い、胃が……死、……ん? あ、あれ……?)
ふと、ミリヤムは恐る恐る見やった先に、こんもり丸い黒犬がいるのに気が付いた。
(わんこ……?)
そのふっかり丸まるした犬は、ぴょこりと執務机の向こう側から顔を出し、ミリヤムの方を愛らしい顔で見ている。
大きさとしては階段下から見上げるミリヤムからも机の上に顔が出て見えるくらいだから、犬としては結構大きいと言える。
しかし……普段ヴォルデマーやギズルフといった大柄な獣人達に囲まれて、それに見慣れてしまったミリヤムには、それが相当に小さい犬のように思えた。
(辺境伯様の飼い犬……? ふかふか……あれ? あの犬……何処かで……?)
ミリヤムはその犬を、城の何処かで見かけたことがあるよう気がして首を傾げる。
犬は目を逸らす事無くミリヤムにじっとつぶらな瞳を向けている。ミリヤムはその丸いフォルムに何となくほのぼのしてしまって。なんとなくぽっちゃりローラントを思い出した。そして、あの毛並みを撫でたら緊張が和らぎそうだなと思うと触りたくて堪らなくなった。
ミリヤムは犬を手招く。
「おいでー」
「!?」
──途端、隣のギズルフがギョッとした。
「き、さま!! 阿呆か!!!」
「ぅ……」
べしっと頭を叩かれて、ミリヤムが犬を手招いた恰好のまま頭を沈める。と、つい手が出てしまったらしいギズルフが、再びギョッと己の手を見て戦慄いている。
「!? し、しま……た、叩いてしま……っ!? お、おいぃっ!! 首は……首は大丈夫かっ!!?」
慌てたギズルフはミリヤムの襟首を両手で掴んで前後に揺さぶった。
「ぅをえぇえええ!? ちょ、ゆ、揺らさないでくださぃよおおお!!!!」
首が折れたかと心配しているくせに良く揺らせるな、とミリヤムはぶんぶん振られながら薄っすら思う。
「死ぬなあああああ!!!!」
「わかさ……や、やめ……」
涙を流しながら己をぐわんぐわん揺らし続けるギズルフにミリヤムは、死ぬより先に吐く、と思った。
「ギズルフ」
そこへ低い美声がギズルフを制止する。
「やめよ。娘が目を回しておる」
「は!? 死にましたか!?」
「死んでおらぬ。娘……大丈夫か?」
(!? へ、へ、へん辺境伯様……!?)
その声の主の気配を直ぐ間近に感じたミリヤムは、くらくらする頭の中で一層動揺する。
回る目でなんとか己を覗き込んでいる辺境伯らしい影に焦点を合わせ、慌ててその問いに答えた。
「は、はぃ!! ……だ! だいじょうぶで──……」
────次の瞬間ミリヤムの目が点になる。
「…………す……?」
「少し横になっているといい。此処を使って構わぬ。ギズルフ、お前の責任だ。お前が面倒を見なさい」
「畏まりました。では膝を貸しましょう」
「!?……や、それはいいです……!」
生真面目な顔でミリヤムの頭を己の膝に乗せようとするギズルフに……思わずミリヤムは我に帰る。
そして、目の前で当たり前のように話している二人の顔を見比べて……問うた。
「あ──……の、…………辺境伯、閣下……ですか……?」
恐る恐る言うと、其処にいた人物は──ああ、と頷く。すると、もふん、とその首周りの艶やかな黒毛が波打った。薄氷のような灰の瞳がミリヤムの目を見ている。
「私がヴェルデブルク辺境伯領領主アタウルフ。……ヴォルデマーの父だ」
「…………」
その驚愕に、ミリヤムは一瞬だけ言葉を失って────しかし人生の大部分で口を野放しにして生きて来たミリヤムは──とても我慢が出来ずに──……
叫んだ。
「……っち、っ……ちっちゃっ!!!!????」
「!? な、こ、こらああああああ!!?? き、貴様あああ!!!!」
「あいてっ!!」
再びギョッとしたギズルフが大慌てで椅子を立ち、ミリヤムのおでこをぺしーんといい音で叩いた。
「だ、だって……っ」
叩かれたミリヤムはおでこを押さえ────恐る恐る、アタウルフと名乗ったその人物を──見下ろした。
「ギズルフ、やめよ。ヴォルデマーに殺されるぞ」
ミリヤムが息を呑む前で、その──先程ミリヤムが「おいで」と手招いた犬──いや、ふんわり小丸い人狼は、呆れたようにギズルフを見ている。
「!????」
ミリヤムは脂汗を大量に流しながら混乱した。目がぐるぐるしている。
「あ、おい貴様!? 怖い!! どうした気持ちが悪いほど汗をかいているぞ!? 死ぬ間際なのか!?」
「わ、わわわ若様……だ、だだだ……だって!! も、もふ、も、もっふもふ……ま、丸いっ!! ローラント坊ちゃまもかくや、という……ああ!!? ……お、思い出した……!!!」
ミリヤムは青い顔で戦慄きながら、そのこんもり丸い彼を何処で見たのか思い出した。
それは城内のあちらこちらに。何故か置いてある──丸い犬の像……
ミリヤムが此処に到着当初取りすがったのも、ギズルフに「ヴォルデマーに寵愛」などと言われて隠れたのも確か──
「……そうだ……あの犬の石像……服着てた……!! あ!? そういえば肖像画もあったような……!??」
ミリヤムは青い顔を一層青ざめさせて、それでかー!!! と、泣き叫んでいる。
何せ──この大柄なギズルフとヴォルデマー兄弟の父親である。あの厳格なアデリナの夫なのである。
ミリヤムもまさか──辺境伯がこんなふうだとは思わなかった。
「お前……父上に向かって無礼だぞ!!」
「だ、だ、だ、だって……私達の領では、辺境伯様は怖くて牙と爪が鋭くて、眼光も凄まじく、睨まれるとヒキガエルになるって!!!」
ギズルフの背に縋ってそう訴えると、ギズルフは眉間に皺を寄せる。
「それはお爺様だ!!」
「へぇ!?」
思わずミリヤムの声が裏返った。辺境伯が、うむ、と頷く。
「先代領主、我が父は確かにそのような風体であった。大層強く、厳しいお方だったのでその様な噂が」
「!? で、では本当に……あ……あ、貴方様が……」
「ああ」
辺境伯は、すっかり恐れおののいているミリヤムに向かって頷いてみせた。
「私が、真に、ヴォルデマーの父である」
辺境伯は、黒い毛並みが一緒だろう? と、もっふりな顔に似合わぬ美声で微笑む。
「………………」
ミリヤムはもう一度絶句して──それから目を見開き、壮絶な表情でギズルフを見上げた。
「……んで……」
「ん?」
「何で言って下さらなかった!! この、若様め!!!!」
「!?!?」
ミリヤムは──
「辺境伯様に……ヴォルデマー様のお父様に……! “おいでー”とか言っちゃったじゃありませんかぁああああ!!!」
と、泣いていた。
と、低い美声が飴色の扉の向こうから聞こえて、ミリヤムは身体を緊張させると共に、ああ、ヴォルデマー様の声に似ているな、と思った。
「……いいか?」
前に立つギズルフが神妙な顔でミリヤムに言い募る。
「絶対に粗相をするな! いいか? 絶対に! だぞ!?」
「……」
彼は先程から怖い顔で何度もこう言うのだが、言う度ミリヤムにプレッシャーが掛かっていることを分かっていない。
「お相手は我等が父だ! 此処が貴様の正念場だ!! 生きるか死ぬかだ!!」
「……若様ついて来て下さるんですよね……」
青ざめた顔で見上げるとギズルフが怯えたような顔をした。
「き、貴様、何だその顔の色!?」
「ふふふ……初見ですか若様……これが人族の顔面蒼白というやつです……で? ついて来てくれるんですよね!!?」
ギズルフの服をミリヤムががっしり掴むと、ギズルフが慌てて首を縦に振った。
ギズルフはミリヤムの顔色を見て、やばい、こいつ絶対死ぬ、と思った。
「あ、ああ勿論だ! 骨は拾ってやる!」
「いえ、まず生存を考えていただけますか……」
開かれた扉を潜ると、まず、高い天井が目に入った。
正面には大きな金の格子窓の向こうに青い空。右手には豪勢な応接用のテーブルと椅子が。左手奥には五段ほど上がった上に辺境伯の物らしい執務机が。その壁面は全て天井まで圧倒される量の書物が収められている。
城の其処此処に狼の紋様があしらわれているのと同様に、この執務室の至る所にも凛々しい狼の紋が掘り込まれていた。
壁紙や垂れ幕の一つをとっても、一目で良い品だと分る。
「入りますぞ、父上」
「……失礼、致します……」
ずかずか入っていくギズルフの服を掴んだまま、ミリヤムは半ば引っ張られるようにしてその室内に足を踏み入れた。
客間を出たところから散々ギズルフに脅され(励まされ)て、もう動悸が凄い事になっている。
そもそも昼食で再び肉オンリーの膳を出されたミリヤムは、その匂いと油で胸焼けに。
(……やはし、やめておくべきだった……う……緊張で吐きそう……)
脂汗をかきながらミリヤムは後悔した。
本当はそうしようと思っていたのだが、ギズルフに「貴様は非力なくせに食事もとらずに決戦に挑むのか!?」と叱咤されて……つい乗せられてしまった。
しかも辺境伯の嫡男が用意した肉はとても良い肉らしかった。普段そんなものを食べつけないミリヤムには正直きつい。ミリヤムは思った。ギズルフには是非、人狼族の貴方様とは違い、筋肉以上に胃も非力だと理解して欲しいと……
「父上、例の娘を連れてまいりました」
「ああ……座っておれ」
「はい」
ギズルフが畏まった様子で言うと、部屋の奥から辺境伯らしき声が帰ってくる。しかし、その姿が見えない。
(あ、あれ? 辺境伯様は……?)
吐き気と緊張の二重苦に密かに呻いてたミリヤムは、どこから辺境伯の声がするのか分らなくて戸惑った。しかし室内を見渡そうとすると、ギズルフはミリヤムをくっつけたまま応接用の椅子の方へ。
「おい、あまりきょろきょろするな。挙動が不審だぞ!? 一つの粗相が命取りなのだぞ!?」
「う、うぅううぅ……」
思い切り睨み下ろされてたミリヤムは、半分は若様のせいですよ、と是非言いたかった。
と、そこに、くつくつと低く笑う声が。
「ギズルフ……あまり脅かすでない。娘、気を楽にせよ」
「は! ……はぃ……」
声はどうやら執務机の方からするようだった。短い階段の上のその空間には垂れ幕や衝立が複数あって、ミリヤムは、辺境伯がその後ろで喋っているのだろうと当たりをつける。
その後ろから、いつ噂の巨体の大人狼が出て来るかと思うとミリヤムの胃はムカムカするだけでなく、きりきりした。
(……い、胃が……死、……ん? あ、あれ……?)
ふと、ミリヤムは恐る恐る見やった先に、こんもり丸い黒犬がいるのに気が付いた。
(わんこ……?)
そのふっかり丸まるした犬は、ぴょこりと執務机の向こう側から顔を出し、ミリヤムの方を愛らしい顔で見ている。
大きさとしては階段下から見上げるミリヤムからも机の上に顔が出て見えるくらいだから、犬としては結構大きいと言える。
しかし……普段ヴォルデマーやギズルフといった大柄な獣人達に囲まれて、それに見慣れてしまったミリヤムには、それが相当に小さい犬のように思えた。
(辺境伯様の飼い犬……? ふかふか……あれ? あの犬……何処かで……?)
ミリヤムはその犬を、城の何処かで見かけたことがあるよう気がして首を傾げる。
犬は目を逸らす事無くミリヤムにじっとつぶらな瞳を向けている。ミリヤムはその丸いフォルムに何となくほのぼのしてしまって。なんとなくぽっちゃりローラントを思い出した。そして、あの毛並みを撫でたら緊張が和らぎそうだなと思うと触りたくて堪らなくなった。
ミリヤムは犬を手招く。
「おいでー」
「!?」
──途端、隣のギズルフがギョッとした。
「き、さま!! 阿呆か!!!」
「ぅ……」
べしっと頭を叩かれて、ミリヤムが犬を手招いた恰好のまま頭を沈める。と、つい手が出てしまったらしいギズルフが、再びギョッと己の手を見て戦慄いている。
「!? し、しま……た、叩いてしま……っ!? お、おいぃっ!! 首は……首は大丈夫かっ!!?」
慌てたギズルフはミリヤムの襟首を両手で掴んで前後に揺さぶった。
「ぅをえぇえええ!? ちょ、ゆ、揺らさないでくださぃよおおお!!!!」
首が折れたかと心配しているくせに良く揺らせるな、とミリヤムはぶんぶん振られながら薄っすら思う。
「死ぬなあああああ!!!!」
「わかさ……や、やめ……」
涙を流しながら己をぐわんぐわん揺らし続けるギズルフにミリヤムは、死ぬより先に吐く、と思った。
「ギズルフ」
そこへ低い美声がギズルフを制止する。
「やめよ。娘が目を回しておる」
「は!? 死にましたか!?」
「死んでおらぬ。娘……大丈夫か?」
(!? へ、へ、へん辺境伯様……!?)
その声の主の気配を直ぐ間近に感じたミリヤムは、くらくらする頭の中で一層動揺する。
回る目でなんとか己を覗き込んでいる辺境伯らしい影に焦点を合わせ、慌ててその問いに答えた。
「は、はぃ!! ……だ! だいじょうぶで──……」
────次の瞬間ミリヤムの目が点になる。
「…………す……?」
「少し横になっているといい。此処を使って構わぬ。ギズルフ、お前の責任だ。お前が面倒を見なさい」
「畏まりました。では膝を貸しましょう」
「!?……や、それはいいです……!」
生真面目な顔でミリヤムの頭を己の膝に乗せようとするギズルフに……思わずミリヤムは我に帰る。
そして、目の前で当たり前のように話している二人の顔を見比べて……問うた。
「あ──……の、…………辺境伯、閣下……ですか……?」
恐る恐る言うと、其処にいた人物は──ああ、と頷く。すると、もふん、とその首周りの艶やかな黒毛が波打った。薄氷のような灰の瞳がミリヤムの目を見ている。
「私がヴェルデブルク辺境伯領領主アタウルフ。……ヴォルデマーの父だ」
「…………」
その驚愕に、ミリヤムは一瞬だけ言葉を失って────しかし人生の大部分で口を野放しにして生きて来たミリヤムは──とても我慢が出来ずに──……
叫んだ。
「……っち、っ……ちっちゃっ!!!!????」
「!? な、こ、こらああああああ!!?? き、貴様あああ!!!!」
「あいてっ!!」
再びギョッとしたギズルフが大慌てで椅子を立ち、ミリヤムのおでこをぺしーんといい音で叩いた。
「だ、だって……っ」
叩かれたミリヤムはおでこを押さえ────恐る恐る、アタウルフと名乗ったその人物を──見下ろした。
「ギズルフ、やめよ。ヴォルデマーに殺されるぞ」
ミリヤムが息を呑む前で、その──先程ミリヤムが「おいで」と手招いた犬──いや、ふんわり小丸い人狼は、呆れたようにギズルフを見ている。
「!????」
ミリヤムは脂汗を大量に流しながら混乱した。目がぐるぐるしている。
「あ、おい貴様!? 怖い!! どうした気持ちが悪いほど汗をかいているぞ!? 死ぬ間際なのか!?」
「わ、わわわ若様……だ、だだだ……だって!! も、もふ、も、もっふもふ……ま、丸いっ!! ローラント坊ちゃまもかくや、という……ああ!!? ……お、思い出した……!!!」
ミリヤムは青い顔で戦慄きながら、そのこんもり丸い彼を何処で見たのか思い出した。
それは城内のあちらこちらに。何故か置いてある──丸い犬の像……
ミリヤムが此処に到着当初取りすがったのも、ギズルフに「ヴォルデマーに寵愛」などと言われて隠れたのも確か──
「……そうだ……あの犬の石像……服着てた……!! あ!? そういえば肖像画もあったような……!??」
ミリヤムは青い顔を一層青ざめさせて、それでかー!!! と、泣き叫んでいる。
何せ──この大柄なギズルフとヴォルデマー兄弟の父親である。あの厳格なアデリナの夫なのである。
ミリヤムもまさか──辺境伯がこんなふうだとは思わなかった。
「お前……父上に向かって無礼だぞ!!」
「だ、だ、だ、だって……私達の領では、辺境伯様は怖くて牙と爪が鋭くて、眼光も凄まじく、睨まれるとヒキガエルになるって!!!」
ギズルフの背に縋ってそう訴えると、ギズルフは眉間に皺を寄せる。
「それはお爺様だ!!」
「へぇ!?」
思わずミリヤムの声が裏返った。辺境伯が、うむ、と頷く。
「先代領主、我が父は確かにそのような風体であった。大層強く、厳しいお方だったのでその様な噂が」
「!? で、では本当に……あ……あ、貴方様が……」
「ああ」
辺境伯は、すっかり恐れおののいているミリヤムに向かって頷いてみせた。
「私が、真に、ヴォルデマーの父である」
辺境伯は、黒い毛並みが一緒だろう? と、もっふりな顔に似合わぬ美声で微笑む。
「………………」
ミリヤムはもう一度絶句して──それから目を見開き、壮絶な表情でギズルフを見上げた。
「……んで……」
「ん?」
「何で言って下さらなかった!! この、若様め!!!!」
「!?!?」
ミリヤムは──
「辺境伯様に……ヴォルデマー様のお父様に……! “おいでー”とか言っちゃったじゃありませんかぁああああ!!!」
と、泣いていた。
10
お気に入りに追加
2,136
あなたにおすすめの小説
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました
まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました
第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます!
結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。