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【短編】100通目のラブレター ~モテモテ伯爵令息と幼馴染令嬢のじれじれ両片思い~
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「あのルテティアさま」
可憐な少女が声をかけてきた。
「これ、フェルデン様にお渡しくださいませ」
キラキラな瞳に真っ赤な顔。またか。ルテティアは心の中でつぶやいた。
「わかりました。フェルデン様にお渡ししておきます。あの、お名前は?」
「ケイトリンです! よろしくお願いします」
ケイトリン様はルテティアに手紙を大事そうに渡すと、何度もお礼を言って去っていった。
ルテティアは家に帰り自分の部屋に入ると、奥の窓を開けた。窓際に置いてあるベルを鳴らすと、向かいの部屋の窓が開いた。ボサボサ頭で瓶底メガネをかけ、お気に入りの着古した部屋着を着た幼馴染が立っている。
「ティア、遅かったね。なかなか帰ってこないから心配していたんだよ」
ルテティアはため息をつく。
「帰ろうと思ったら、またお嬢様たちにつかまったのよ。フェルは次の舞踏会に誰と参加するかって聞かれたのよ」
フェルデンは少し首をかたむけて言った。
「もちろんティアとだよ」
「わたし、誘われていませんけど」
「えっ」
急にワタワタし始めたフェルデンは
「少し、少しだけ待っていてくれる? いますぐそっちに行くから」
フェルデンは窓を閉じカーテンを引いた。
数分後、フェルデンが玄関にやってきた。ボサボサだった髪は美しくなでつけられ、正装に身を包んだフェルデンが跪いて、優しくルテティアの手を取る。見上げる瞳はまるで夜空の一番星のようにきらめいている。
慣れているとはいえ、たった数分でよくここまで化けられるものだ。ルテティアは呆れながらも感心する。
「ルテティア子爵令嬢、私フェルデンに次回の舞踏会のエスコート役をお許しください」
「許します」
フェルデンはほんわりと笑うとルテティアの手に口づけをした。後ろでバタバタと人が倒れる音がするが無視だ。
「はい、これ。ケイトリン様からの手紙」
ルテティアはケイトリン様から預かった手紙をフェルデンの手に押し付けた。
「ああ、いつもありがとう」
フェルデンは気にもとめずに手紙を上着の内ポケットにしまう。
「入れてくれないの? ティアとゆっくり話がしたいな」
とろける笑顔でのたまうフェルデン。後ろで何かが割れる音がした。
ぷるぷる震える侍女にうながされ、ルテティアは仕方なくフェルデンを客間に案内する。
「お茶はいつものでいい?」
「うん。できればルテティアが入れたお茶が飲みたいな」
ズキューン 誰かの胸が撃ち抜かれた音が聞こえた。遠くで、鼻血がーと叫ぶ声が聞こえる。
しばらくすると執事がお茶を運んできた。どうやら誰が持っていくかで侍女たちがもめたようだ。
「ダントフの茶葉で濃いめ、砂糖もミルクもなしで、薄切りレモンを浮かべればいい?」
フェルデンはニコニコしながらうなずいた。
幸せそうな笑顔で紅茶を飲むフェルデンを見ながらルテティアは口を開いた。
「フェル、もうこういうのやめにしようと思うんだ」
フェルデンが少し困惑した顔をする。
「フェルに色んなお嬢様たちからの手紙を渡してきたけど、もう大台まであと一通じゃない。さすがにやりすぎだと思うのよね。フェルはそろそろ誰かひとりを選んで腰を落ち着けた方がいいと思う。いくら幼馴染とはいえ、子爵令嬢のわたしが伯爵令息のフェルデンのそばにいるのはよく思われてないし」
フェルデンがカップを優雅な仕草で受け皿に置いた。
カチカチと受け皿が音を立てている。
「舞踏会のエスコートも次回が最後でいいよ。今まで気を使ってくれてありがとうね。幼馴染だからって甘えすぎていたと思う。もう幼馴染の関係は終わりにしよう」
フェルデンの眉がピクリと動いた。
ルテティアは堪え切れなくなって、フェルデンに別れを告げると部屋に戻った。侍女たちが何かもの言いたげだったけど、何も聞きたくない。
今まで散々色んな人に好き勝手言われたのだ。もうたくさんだ。
フェルデンとは赤ちゃんのときからのつき合いだ。子爵家と伯爵家と身分差はあるが、フェルデンのご両親は理解のある方たちなので、フェルデンがわたしと遊ぶのを快く認めてくれた。
フェルデンは小さいときは体が弱くてしょっちゅう風邪をひいていた。そんなときは、お互い窓越しに話したものだ。元々のフェルデンの部屋は、屋敷のもっと奥の方だったらしいけど、フェルデンがどうしてもって頼み込んで、本来なら使用人の部屋のところに移ってきたのだ。
冬は窓を開けられないから、フェルデンが糸電話というものを作ってお互いの部屋をつないだ。どちらかが家に帰ってきたら、窓際のベルを鳴らすのも、いつの間にか習慣になった。一方の部屋でベルを鳴らすと、もう一方の部屋のベルも鳴るのだ。フェルが作った魔道具だ。フェルは変なところで凝り性なのだ。
フェルは思春期になると、ぐんぐん背が伸びた。元々きれいな顔だったのだけど、そこに精悍さが加わって、絶妙な魅力を放っている。
その頃からフェルデンにまとわりつく女の子が増えていった。
本来のフェルデンは、部屋で魔導書を読んだり魔道具を作ったりするのが好きな人だ。部屋の中でのフェルデンは小汚い恰好をした冴えない魔導士だ。
屋敷の人に泣いて頼まれているみたいで、一歩外にでると、貴公子とはかくやといわんばかりの麗しぶりだ。完全に詐欺である。
あるとき、わたしは高位貴族のご令嬢たちに囲まれた。
「あなた、たかだか子爵の身分で、伯爵令息のフェルデン様につきまとうのはおやめなさい」
「フェルデン様がご迷惑にお思いなのが分からないのかしら」
「エスコート相手がいないからといって、フェルデン様にいつも頼み込んでいるらしいわね。恥を知りなさい」
「あなたみたいな貧相な方は、麗しいフェルデン様に釣り合わないわ。」
わたしは黙って聞いていた。悲しかった。ただの友達の関係さえ許されない年齢になってしまったのか。もう一緒にいてはいけないとそのとき思った。
わたしの侍女が呼びにいったらしく、フェルデンが駆け寄ってわたしをかばってくれた。
「ご令嬢の方々、これはどういった事態でしょうか?」
いつもは穏やかなフェルデンが、そのときはものすごく冷気を出していて、わたしは思わず逃げ出したくなった。フェルデンにがっちりつかまれていて、逃げられなかったけど。
ひとりの令嬢が勇気を出してフェルデンに言った。
「ルテティア様に、フェルデン様に近づきすぎだと申し上げていたのです。婚約関係ではない貴族男女の距離ではございませんので」
フェルデンはルテティアの肩をぎゅっと抱き寄せると冷たい笑顔でご令嬢を見つめた。ご令嬢はビクッと一歩後ずさりする。
「私にとってルテティアは幼いころから共に時を過ごしたかけがえのない存在です。ルテティアを尊重しないご令嬢とは今後一切お会いしません」
そう言い放つと、フェルデンはルテティアを連れて屋敷へ戻ったのだ。
そのときのことが、どのように曲解されたのか分からないけれど……。それ以来、フェルデンに会いたい人は、ルテティアを通すという不文律がお嬢さまがたの間でできあがったらしい。そして、ルテティアの元にはお嬢さまたちからの手紙がせっせと届けられる。
どうしてこうなった。
フェルデンを問い詰めたけれど、フェルデンはうるさい虫が減って魔道具の研究に没頭できてありがたいと言ったのだ。
「わたしは? わたしの気持ちはどうなるわけ?」
思わず出そうになった本音はぐっと飲み込んで、お腹の中で溶けて消えていった。
でも、そんな日々ももう終わりだ。九十九の手紙をフェルデンに届けてきた。もういいだろう。十分働いた。
手紙を渡すときにお嬢さまたちの顔にはいつも同じ言葉が浮かぶ。
「どうしてあなたなんかに」
分かります。分かりますとも。わたしだって望んでやっているわけではありませーん。ルテティアは声を大にして叫びたい。そんなことは許されないけれども……。
気まずくてフェルデンと顔を合わせないまま舞踏会の日がやってきた。
侍女がウキウキとしながら新しいドレスを見せる。
「いつも通り、フェルデン様のお見立てです。」
ドレスを着たルテティアは、それなりにかわいく見える。でもルテティアの心は重く沈んでいた。
今日が最後の舞踏会。
自分で言ったことなのに、ルテティアの心はモヤモヤする。
「フェルデン様につきまとうのはおやめなさい」
いつかのお嬢様の声が頭に響く。
そう、その通りだ。フェルデンは年頃だ。そろそろ婚約しなければならない。わたしがそばでウロチョロしているのは、さぞ目障りであろう。お邪魔虫は今日で終わり。幼馴染の関係も今日で終わり。
憂いのお姫様の元に、いつも以上に雅な貴公子がお迎えにいらした。
「ティア……なんて美しいんだ。妖精の国から迷い出たお姫さまみたいだよ」
後ろで侍女がへたへたと崩れ落ちた。いつものことなので誰も気にしない。慣れた手つきで他の侍女に回収されていく。
「フェル、あなたもとっても素敵だわ。……ドレスとお揃いなのね」
「今日はどうしてもティアに私の瞳の色をまとってもらいたくてね」
晴れた春の空の色。ルテティアの大好きな色だ。
どうしてそんなことを言うのだ、悪魔か。ルテティアは赤くなった顔を扇で隠した。私の心をもてあそぶのはやめてくれないか。そう思った。あなたはもうすぐ別の女性の手を取るのよ。私の手を取るあなたを見るのは今日で最後。
ルテティアは顔を上げた。最後の夜だ、楽しもう。
会場につくと、フェルデンは女性たちに囲まれる。皆申し合わせたように一定の距離を取っている。フェルデンは周りの女性がまるで目に入っていないかのようにふるまう。
ルテティアはフェルデンと始まりのダンスを踊った。
ここまでだ、ルテティアはいつも最初しか踊らない。あとは他のご令嬢と踊るフェルデンを壁の花となって眺めるのだ。初めての舞踏会のときにそうフェルデンと約束したのだ。フェルデンは不満そうだったが、舞踏会で他のご令嬢に踊る機会を譲らないと、いつか刺される、ルテティアはそう感じていた。刺さる視線がいつかナイフに変わるであろうと。
そっと手を離し、壁際にいこうとするとフェルデンに強く引き寄せられた。
「今日はルテティアと、幼馴染として最後の舞踏会だから」
フェルデンはルテティアの腰に手を回した。
「いいだろう?」
フェルデンの誘うような目に、周囲のご令嬢さまたちが声にならない声を出して震えている。
「そうね。最後だものね」
ルテティアは小さくつぶやいて、二回目のダンスもフェルデンと踊った。
三回目も、四回目も、フェルデンはルテティアを離さなかった。
もうさすがに、喉が渇いた。ルテティアが飲み物を取りに行こうとすると、フェルデンが会場の真ん中で跪く。
「ルティ、私の最愛の人」
キャー 誰かが悲鳴を上げて倒れた。ざわめきが会場を包む。
こいつは何を言っているんだ。ルテティアはフェルデンを凝視した。ふざけているのか?
「ルテティアには幼いころからずっと私の気持ちを伝えていたつもりでいたのだが。どうも通じていないようなので、今日は手紙をしたためてきたよ」
フェルデンはポケットから空色の紙を取り出した。
ルテティアは差し出された二つ折りの紙をそっとあける。
愛するルティ
小さいときからずっとルティが好きです。
これからもルティだけを見ていたい。
結婚してください。
あなたのフェル
「他のご令嬢の方々からの九十九の手紙にはお断りの返事を出してきたよ。百通目の手紙は愛するルティからもらいたい」
フェルデンがどこからともなく、紙とペンを取り出した。
わけのわからないまま、貴族子女が見守るなか、ルテティアは震える手で返事を書いた。
愛するフェル
あなたがわたしを好きだなんて夢みたい。
わたしもずっとフェルが好きです。
結婚しましょう。
あなたのルティ
受け取ったフェルデンは部屋でしか見せない素の笑顔を見せた。
「夢じゃないよルティ。夢じゃない。ルティが好きなんだ」
やっと両想いを自覚したルテティアとフェルデンは、おずおずと抱き合った。
ふたりの両片思いを長年じれじれと見守ってきた貴族子女は、ようやく結ばれたふたりに惜しみない拍手を送った。
抱き合うふたりをそのままに、宴は続く。
◆◆◆◆◆
フェルデンは視力が極端に悪い。メガネなしだと、何もかもぼんやりと輪郭しか見えない。外出時に細かい書類等を確認する際には、少し度の弱いメガネをかけるが、屋敷内ではもっぱら瓶底メガネをかけている。このメガネをかけているときが一番落ち着くのだ。
不思議なことに、メガネをかけなくても、ルティの顔だけはくっきりと見える。
これが愛の力というものだろうか。フェルデンは考える。
きっとそうだろう。愛とは偉大なものだ。
最近、ルティがつれない。少しも一緒に出掛けてくれない。
「フェルと出かけると、またお嬢様たちに怒られるもの……」
あいつら……。どいつらかは分からないが、ルティを悲しませる全貴族女性に呪いをかけようか、フェルデンは呪いの書を探し始めた。
ルティはかわいい。顔がかわいい、声がかわいい、仕草がかわいい、食べてしまいたい。
いかんいかん。集中だぞ、フェルデン。
一体いつになったら、ルティと結婚できるのだろうか。小さいとき、ルティは王子様とお姫様の本をよく読んでいた。
「いつか白馬の王子様がルティを迎えにくるの」
ルティがそう言ったとき、フェルデンは国中の白馬と王子を抹殺しようとして、執事に止められた。執事はフェルデンのやりすぎを心配して、それ以来腹心の部下をフェルデンに張り付けている。
フェルデンは物心ついたときからずっと、ルティに「いつか結婚しようね、お姫様」と言っているが、なぜか聞き流されている。これは呪いだろうか?
ルティは、フェルデンは息をするようにキザなことを言うからもう信用できない、と言っていたが……。どういうことだろう、私はいつも本気だというのに。
一度、ルティがバカな貴族女性に囲まれて罵詈雑言をあびていたことがあった。危ういところで間に合ったが、万一ルティが泣いたら、全員あの世に送る所存であったぞ。
それ以来なぜか貴族女性からの手紙がルティを介して届けられるようになった。解せぬ。まあ。そもそも誰が誰だか分からないのだから、手紙をもらっても封を開けもしない。執事にお任せだ。見えない女性に興味など持てるわけもなかろう。
私の目にはルティしか映らない。
ああ、ルティ……。
久しぶりにルティのお茶が飲めたというのに、ルティがよく分からないことを言ってきた。婚約がどうの、幼馴染はやめるなど。不穏な感じがしたが、よく分からないので執事に相談したところ、よい助言をもらった。
「ルテティア様もお年頃です。いよいよフェルデン様との結婚を決められたに違いありません」
「なんと!」
しまった、カップが粉々になってしまった。執事がすかさず片付けてくれた。やるな。
どうすればよいであろうか。早速指輪を作って明日にでも本気の求婚をするか。
私がつぶやいていると、執事がまたしてもよい助言をくれた。
「ルテティア様は慎み深い女性です。フェルデン様がお言葉を尽くして求婚しても、ご自分はフェルデン様にふさわしくないなどとおっしゃるでしょう。」
「なぜだ。私は物理的にルティしか見えないというのに。顔の分からない他の女性と結婚するわけがないではないか」
「ルテティア様は、心無い貴族女性から苦言を呈され、すっかり委縮されております。言葉では伝わらないなら、手紙です。そして、現実が見えていない他の女性たちをけん制するためにも、舞踏会で手紙を使って求婚されてはいかがでしょう」
「さすがだな。感服したぞ。よし、最上の紙と、その夜着るにふさわしい衣装の手配をしよう」
できる執事の手配によって、完璧な夜となった。ついにルティを手に入れたのだ。
ああ、ルティ……一度たりとも手放したことはないが、今後も一切離さないから覚悟したまえ。
<完>
可憐な少女が声をかけてきた。
「これ、フェルデン様にお渡しくださいませ」
キラキラな瞳に真っ赤な顔。またか。ルテティアは心の中でつぶやいた。
「わかりました。フェルデン様にお渡ししておきます。あの、お名前は?」
「ケイトリンです! よろしくお願いします」
ケイトリン様はルテティアに手紙を大事そうに渡すと、何度もお礼を言って去っていった。
ルテティアは家に帰り自分の部屋に入ると、奥の窓を開けた。窓際に置いてあるベルを鳴らすと、向かいの部屋の窓が開いた。ボサボサ頭で瓶底メガネをかけ、お気に入りの着古した部屋着を着た幼馴染が立っている。
「ティア、遅かったね。なかなか帰ってこないから心配していたんだよ」
ルテティアはため息をつく。
「帰ろうと思ったら、またお嬢様たちにつかまったのよ。フェルは次の舞踏会に誰と参加するかって聞かれたのよ」
フェルデンは少し首をかたむけて言った。
「もちろんティアとだよ」
「わたし、誘われていませんけど」
「えっ」
急にワタワタし始めたフェルデンは
「少し、少しだけ待っていてくれる? いますぐそっちに行くから」
フェルデンは窓を閉じカーテンを引いた。
数分後、フェルデンが玄関にやってきた。ボサボサだった髪は美しくなでつけられ、正装に身を包んだフェルデンが跪いて、優しくルテティアの手を取る。見上げる瞳はまるで夜空の一番星のようにきらめいている。
慣れているとはいえ、たった数分でよくここまで化けられるものだ。ルテティアは呆れながらも感心する。
「ルテティア子爵令嬢、私フェルデンに次回の舞踏会のエスコート役をお許しください」
「許します」
フェルデンはほんわりと笑うとルテティアの手に口づけをした。後ろでバタバタと人が倒れる音がするが無視だ。
「はい、これ。ケイトリン様からの手紙」
ルテティアはケイトリン様から預かった手紙をフェルデンの手に押し付けた。
「ああ、いつもありがとう」
フェルデンは気にもとめずに手紙を上着の内ポケットにしまう。
「入れてくれないの? ティアとゆっくり話がしたいな」
とろける笑顔でのたまうフェルデン。後ろで何かが割れる音がした。
ぷるぷる震える侍女にうながされ、ルテティアは仕方なくフェルデンを客間に案内する。
「お茶はいつものでいい?」
「うん。できればルテティアが入れたお茶が飲みたいな」
ズキューン 誰かの胸が撃ち抜かれた音が聞こえた。遠くで、鼻血がーと叫ぶ声が聞こえる。
しばらくすると執事がお茶を運んできた。どうやら誰が持っていくかで侍女たちがもめたようだ。
「ダントフの茶葉で濃いめ、砂糖もミルクもなしで、薄切りレモンを浮かべればいい?」
フェルデンはニコニコしながらうなずいた。
幸せそうな笑顔で紅茶を飲むフェルデンを見ながらルテティアは口を開いた。
「フェル、もうこういうのやめにしようと思うんだ」
フェルデンが少し困惑した顔をする。
「フェルに色んなお嬢様たちからの手紙を渡してきたけど、もう大台まであと一通じゃない。さすがにやりすぎだと思うのよね。フェルはそろそろ誰かひとりを選んで腰を落ち着けた方がいいと思う。いくら幼馴染とはいえ、子爵令嬢のわたしが伯爵令息のフェルデンのそばにいるのはよく思われてないし」
フェルデンがカップを優雅な仕草で受け皿に置いた。
カチカチと受け皿が音を立てている。
「舞踏会のエスコートも次回が最後でいいよ。今まで気を使ってくれてありがとうね。幼馴染だからって甘えすぎていたと思う。もう幼馴染の関係は終わりにしよう」
フェルデンの眉がピクリと動いた。
ルテティアは堪え切れなくなって、フェルデンに別れを告げると部屋に戻った。侍女たちが何かもの言いたげだったけど、何も聞きたくない。
今まで散々色んな人に好き勝手言われたのだ。もうたくさんだ。
フェルデンとは赤ちゃんのときからのつき合いだ。子爵家と伯爵家と身分差はあるが、フェルデンのご両親は理解のある方たちなので、フェルデンがわたしと遊ぶのを快く認めてくれた。
フェルデンは小さいときは体が弱くてしょっちゅう風邪をひいていた。そんなときは、お互い窓越しに話したものだ。元々のフェルデンの部屋は、屋敷のもっと奥の方だったらしいけど、フェルデンがどうしてもって頼み込んで、本来なら使用人の部屋のところに移ってきたのだ。
冬は窓を開けられないから、フェルデンが糸電話というものを作ってお互いの部屋をつないだ。どちらかが家に帰ってきたら、窓際のベルを鳴らすのも、いつの間にか習慣になった。一方の部屋でベルを鳴らすと、もう一方の部屋のベルも鳴るのだ。フェルが作った魔道具だ。フェルは変なところで凝り性なのだ。
フェルは思春期になると、ぐんぐん背が伸びた。元々きれいな顔だったのだけど、そこに精悍さが加わって、絶妙な魅力を放っている。
その頃からフェルデンにまとわりつく女の子が増えていった。
本来のフェルデンは、部屋で魔導書を読んだり魔道具を作ったりするのが好きな人だ。部屋の中でのフェルデンは小汚い恰好をした冴えない魔導士だ。
屋敷の人に泣いて頼まれているみたいで、一歩外にでると、貴公子とはかくやといわんばかりの麗しぶりだ。完全に詐欺である。
あるとき、わたしは高位貴族のご令嬢たちに囲まれた。
「あなた、たかだか子爵の身分で、伯爵令息のフェルデン様につきまとうのはおやめなさい」
「フェルデン様がご迷惑にお思いなのが分からないのかしら」
「エスコート相手がいないからといって、フェルデン様にいつも頼み込んでいるらしいわね。恥を知りなさい」
「あなたみたいな貧相な方は、麗しいフェルデン様に釣り合わないわ。」
わたしは黙って聞いていた。悲しかった。ただの友達の関係さえ許されない年齢になってしまったのか。もう一緒にいてはいけないとそのとき思った。
わたしの侍女が呼びにいったらしく、フェルデンが駆け寄ってわたしをかばってくれた。
「ご令嬢の方々、これはどういった事態でしょうか?」
いつもは穏やかなフェルデンが、そのときはものすごく冷気を出していて、わたしは思わず逃げ出したくなった。フェルデンにがっちりつかまれていて、逃げられなかったけど。
ひとりの令嬢が勇気を出してフェルデンに言った。
「ルテティア様に、フェルデン様に近づきすぎだと申し上げていたのです。婚約関係ではない貴族男女の距離ではございませんので」
フェルデンはルテティアの肩をぎゅっと抱き寄せると冷たい笑顔でご令嬢を見つめた。ご令嬢はビクッと一歩後ずさりする。
「私にとってルテティアは幼いころから共に時を過ごしたかけがえのない存在です。ルテティアを尊重しないご令嬢とは今後一切お会いしません」
そう言い放つと、フェルデンはルテティアを連れて屋敷へ戻ったのだ。
そのときのことが、どのように曲解されたのか分からないけれど……。それ以来、フェルデンに会いたい人は、ルテティアを通すという不文律がお嬢さまがたの間でできあがったらしい。そして、ルテティアの元にはお嬢さまたちからの手紙がせっせと届けられる。
どうしてこうなった。
フェルデンを問い詰めたけれど、フェルデンはうるさい虫が減って魔道具の研究に没頭できてありがたいと言ったのだ。
「わたしは? わたしの気持ちはどうなるわけ?」
思わず出そうになった本音はぐっと飲み込んで、お腹の中で溶けて消えていった。
でも、そんな日々ももう終わりだ。九十九の手紙をフェルデンに届けてきた。もういいだろう。十分働いた。
手紙を渡すときにお嬢さまたちの顔にはいつも同じ言葉が浮かぶ。
「どうしてあなたなんかに」
分かります。分かりますとも。わたしだって望んでやっているわけではありませーん。ルテティアは声を大にして叫びたい。そんなことは許されないけれども……。
気まずくてフェルデンと顔を合わせないまま舞踏会の日がやってきた。
侍女がウキウキとしながら新しいドレスを見せる。
「いつも通り、フェルデン様のお見立てです。」
ドレスを着たルテティアは、それなりにかわいく見える。でもルテティアの心は重く沈んでいた。
今日が最後の舞踏会。
自分で言ったことなのに、ルテティアの心はモヤモヤする。
「フェルデン様につきまとうのはおやめなさい」
いつかのお嬢様の声が頭に響く。
そう、その通りだ。フェルデンは年頃だ。そろそろ婚約しなければならない。わたしがそばでウロチョロしているのは、さぞ目障りであろう。お邪魔虫は今日で終わり。幼馴染の関係も今日で終わり。
憂いのお姫様の元に、いつも以上に雅な貴公子がお迎えにいらした。
「ティア……なんて美しいんだ。妖精の国から迷い出たお姫さまみたいだよ」
後ろで侍女がへたへたと崩れ落ちた。いつものことなので誰も気にしない。慣れた手つきで他の侍女に回収されていく。
「フェル、あなたもとっても素敵だわ。……ドレスとお揃いなのね」
「今日はどうしてもティアに私の瞳の色をまとってもらいたくてね」
晴れた春の空の色。ルテティアの大好きな色だ。
どうしてそんなことを言うのだ、悪魔か。ルテティアは赤くなった顔を扇で隠した。私の心をもてあそぶのはやめてくれないか。そう思った。あなたはもうすぐ別の女性の手を取るのよ。私の手を取るあなたを見るのは今日で最後。
ルテティアは顔を上げた。最後の夜だ、楽しもう。
会場につくと、フェルデンは女性たちに囲まれる。皆申し合わせたように一定の距離を取っている。フェルデンは周りの女性がまるで目に入っていないかのようにふるまう。
ルテティアはフェルデンと始まりのダンスを踊った。
ここまでだ、ルテティアはいつも最初しか踊らない。あとは他のご令嬢と踊るフェルデンを壁の花となって眺めるのだ。初めての舞踏会のときにそうフェルデンと約束したのだ。フェルデンは不満そうだったが、舞踏会で他のご令嬢に踊る機会を譲らないと、いつか刺される、ルテティアはそう感じていた。刺さる視線がいつかナイフに変わるであろうと。
そっと手を離し、壁際にいこうとするとフェルデンに強く引き寄せられた。
「今日はルテティアと、幼馴染として最後の舞踏会だから」
フェルデンはルテティアの腰に手を回した。
「いいだろう?」
フェルデンの誘うような目に、周囲のご令嬢さまたちが声にならない声を出して震えている。
「そうね。最後だものね」
ルテティアは小さくつぶやいて、二回目のダンスもフェルデンと踊った。
三回目も、四回目も、フェルデンはルテティアを離さなかった。
もうさすがに、喉が渇いた。ルテティアが飲み物を取りに行こうとすると、フェルデンが会場の真ん中で跪く。
「ルティ、私の最愛の人」
キャー 誰かが悲鳴を上げて倒れた。ざわめきが会場を包む。
こいつは何を言っているんだ。ルテティアはフェルデンを凝視した。ふざけているのか?
「ルテティアには幼いころからずっと私の気持ちを伝えていたつもりでいたのだが。どうも通じていないようなので、今日は手紙をしたためてきたよ」
フェルデンはポケットから空色の紙を取り出した。
ルテティアは差し出された二つ折りの紙をそっとあける。
愛するルティ
小さいときからずっとルティが好きです。
これからもルティだけを見ていたい。
結婚してください。
あなたのフェル
「他のご令嬢の方々からの九十九の手紙にはお断りの返事を出してきたよ。百通目の手紙は愛するルティからもらいたい」
フェルデンがどこからともなく、紙とペンを取り出した。
わけのわからないまま、貴族子女が見守るなか、ルテティアは震える手で返事を書いた。
愛するフェル
あなたがわたしを好きだなんて夢みたい。
わたしもずっとフェルが好きです。
結婚しましょう。
あなたのルティ
受け取ったフェルデンは部屋でしか見せない素の笑顔を見せた。
「夢じゃないよルティ。夢じゃない。ルティが好きなんだ」
やっと両想いを自覚したルテティアとフェルデンは、おずおずと抱き合った。
ふたりの両片思いを長年じれじれと見守ってきた貴族子女は、ようやく結ばれたふたりに惜しみない拍手を送った。
抱き合うふたりをそのままに、宴は続く。
◆◆◆◆◆
フェルデンは視力が極端に悪い。メガネなしだと、何もかもぼんやりと輪郭しか見えない。外出時に細かい書類等を確認する際には、少し度の弱いメガネをかけるが、屋敷内ではもっぱら瓶底メガネをかけている。このメガネをかけているときが一番落ち着くのだ。
不思議なことに、メガネをかけなくても、ルティの顔だけはくっきりと見える。
これが愛の力というものだろうか。フェルデンは考える。
きっとそうだろう。愛とは偉大なものだ。
最近、ルティがつれない。少しも一緒に出掛けてくれない。
「フェルと出かけると、またお嬢様たちに怒られるもの……」
あいつら……。どいつらかは分からないが、ルティを悲しませる全貴族女性に呪いをかけようか、フェルデンは呪いの書を探し始めた。
ルティはかわいい。顔がかわいい、声がかわいい、仕草がかわいい、食べてしまいたい。
いかんいかん。集中だぞ、フェルデン。
一体いつになったら、ルティと結婚できるのだろうか。小さいとき、ルティは王子様とお姫様の本をよく読んでいた。
「いつか白馬の王子様がルティを迎えにくるの」
ルティがそう言ったとき、フェルデンは国中の白馬と王子を抹殺しようとして、執事に止められた。執事はフェルデンのやりすぎを心配して、それ以来腹心の部下をフェルデンに張り付けている。
フェルデンは物心ついたときからずっと、ルティに「いつか結婚しようね、お姫様」と言っているが、なぜか聞き流されている。これは呪いだろうか?
ルティは、フェルデンは息をするようにキザなことを言うからもう信用できない、と言っていたが……。どういうことだろう、私はいつも本気だというのに。
一度、ルティがバカな貴族女性に囲まれて罵詈雑言をあびていたことがあった。危ういところで間に合ったが、万一ルティが泣いたら、全員あの世に送る所存であったぞ。
それ以来なぜか貴族女性からの手紙がルティを介して届けられるようになった。解せぬ。まあ。そもそも誰が誰だか分からないのだから、手紙をもらっても封を開けもしない。執事にお任せだ。見えない女性に興味など持てるわけもなかろう。
私の目にはルティしか映らない。
ああ、ルティ……。
久しぶりにルティのお茶が飲めたというのに、ルティがよく分からないことを言ってきた。婚約がどうの、幼馴染はやめるなど。不穏な感じがしたが、よく分からないので執事に相談したところ、よい助言をもらった。
「ルテティア様もお年頃です。いよいよフェルデン様との結婚を決められたに違いありません」
「なんと!」
しまった、カップが粉々になってしまった。執事がすかさず片付けてくれた。やるな。
どうすればよいであろうか。早速指輪を作って明日にでも本気の求婚をするか。
私がつぶやいていると、執事がまたしてもよい助言をくれた。
「ルテティア様は慎み深い女性です。フェルデン様がお言葉を尽くして求婚しても、ご自分はフェルデン様にふさわしくないなどとおっしゃるでしょう。」
「なぜだ。私は物理的にルティしか見えないというのに。顔の分からない他の女性と結婚するわけがないではないか」
「ルテティア様は、心無い貴族女性から苦言を呈され、すっかり委縮されております。言葉では伝わらないなら、手紙です。そして、現実が見えていない他の女性たちをけん制するためにも、舞踏会で手紙を使って求婚されてはいかがでしょう」
「さすがだな。感服したぞ。よし、最上の紙と、その夜着るにふさわしい衣装の手配をしよう」
できる執事の手配によって、完璧な夜となった。ついにルティを手に入れたのだ。
ああ、ルティ……一度たりとも手放したことはないが、今後も一切離さないから覚悟したまえ。
<完>
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