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【短編】亡国のシャテリエ王女は前世の最愛に地獄を見せる
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「許さぬ。我が祖国、我が家族を滅ぼした者ども。そろって地獄に突き落としてやる」
意識を取り戻したシャテリエ王女は、誓った。
***
シャテリエ・レヴァンシェはレヴァンシェ王国の第七王女である。十五歳で隣国のヴァンディエール王国に嫁いできた。
「ジョセフ・ヴァンディエール第一王子、お前には地獄を見せてやる」
シャテリエはうっそりと笑った。
シャテリエの記憶が正しければ、今日が婚礼の日だ。前世ではジョセフとはうまくいっていなかった。ジョセフには好きな女性がいたからだ。フィリパという頭の軽い女だ。
「まずはお前だ、フィリパ。たかが男爵令嬢の分際でヴァンディエール王国を牛耳り、我がレヴァンシェ王国を滅ぼす一端を担った。見ておれ、小娘。おのれの分際を思い知らせてやる」
「シャテリエ様、お時間でございます」
ジョセフの侍従が扉を開けた。
シャテリエは花も恥じらう可憐な姫の微笑みを浮かべる。
(誰をもトリコにしてくれる)
「シャテリエ、手を」
ジョセフがこわばった顔で手を差し出す。シャテリエは頬をバラ色に染め、目に涙を浮かべた。
(殺してやる)
「ジョセフ殿下……」
震えるシャテリエのか細い手を、ジョセフが力強く握った。涙をひとつぶ。この男はこういうのが好きだ。
「なぜ泣くのだ、シャテリエ……」
「ジョセフ殿下とフィリパ様の仲を裂くことが心苦しいのです……。今なら間に合います。どうかわたくしとの結婚はお取りやめになって……」
(できるものならやってみろ。お前は我が国の金が必要なはず)
「シャテリエ……。フィリパはただの……」
「フィリパ様はただ、ジョセフ殿下の愛を頼りに生きていらっしゃるのですね。参りましょう。フィリパ様の元に。今なら間に合います」
シャテリエは知っている。フィリパはこのときリューク第二王子と一緒にいるのだ。
シャテリエは強引にジョセフの手を引っ張った。シャテリエは階段の踊り場につくと、階段を上っていく。前世はジョセフに連れられて階段を降りた。そのときチラリと見上げた先にあった絡み合う足。あの足の意味は今なら分かる。
「フィリパ……。リューク……。そなたたち、まさか」
フィリパとリュークはパッと離れる。紅潮したフィリパの頬、乱れた髪、取れた口紅。ジョセフは青ざめた。
ジョセフはふたりの言葉を聞こうともせず、シャテリエの手を引っ張ると早足で階段を降りていく。
「あっ……」
シャテリエは階段でつまずき、すんでのところでジョセフに抱き留められる。
「すまない。我を忘れていた。足をくじいていないか?」
「いいえ、わたくしの足など、ジョセフ殿下の心の痛みに比べるべくもありません。ジョセフ殿下、フィリパ様はきっとお寂しかったのです。もう一度おふたりでお話になってはいかがでしょう?」
「いや、もういいのだ。側近からはフィリパの素行の悪さを何度となく告げられていた。私は恋に溺れてフィリパの本当の姿を見ていなかった。情けないことだ」
ジョセフは優しくシャテリエの手を両手で包んだ。
「シャテリエ、こんな情けない男だが、私を夫と認めてもらえるだろうか」
「ジョセフ殿下、もちろんです。わたくしはジョセフ殿下の幸せだけが望みです。もしわたくしが隣に立つことを許されるのであれば、これほど嬉しいことはございません」
シャテリエはハラハラと涙を流した。白雪のようなシャテリエのまろい頬を、清らかな涙が濡らす。ジョセフは思わずシャテリエをかき抱いた。
(チョロい、バカなやつ。)
シャテリエは後ろに控えている侍従や護衛の視線を意識しながら、弱々しく微笑んだ。男たちの顔が赤らむ。前世ではシャテリエを冷たくあしらった身の程知らずのバカ者どもだ。今世ではせいぜい振り回してやる。お前らは健気な乙女が好きであろう。これがそれだ。
シャテリエは涙をそっとぬぐうと、花がほころぶように笑みを浮かべる。
「我が命尽きるまで、ジョセフ殿下に永遠の愛を捧げましょう」
「シャテリエ……。ああ、なんということだ。私は既にかけがえのない愛を得ていたというのに、たったの今まで気づいていなかったとは。シャテリエ、許してくれるかい?」
「許すもなにも……。わたくしが一方的にお慕いしていたのです」
ジョセフは喜びで体を震わせた。そっとシャテリエを抱えると、ゆっくりと階段を降りていく。
「で、殿下。降ろしてくださいませ。わたくし重とうございます。わたくし自分で歩けます」
「何を言うか。そなたは羽のように軽いぞ。そして、私のことはジョーと呼んでくれないか」
「ジョー……。嬉しい。わたくしのことはシャーリーと呼んでください」
シャテリエは恥ずかしそうにジョセフの胸に顔をうずめた。
シャテリエの顔は憎悪で歪んでいる。
(わたくしをシャーリーと呼んだのは家族だけだった。決して許しはしない)
その日、ジョセフ・ヴァンディエール第一王子とシャテリエ・レヴァンシェ第七王女は、婚礼の場で、並み居る貴族を赤らませるほどの仲睦まじさを見せつけた。
***
「ふ、たわいもない」
シャテリエはだらしなく口を開けて寝ているジョセフの体を押しのけた。前世ではためらって使わなかった薬をもったのだ。
「お前などにこの体を好きにさせるものか」
シャテリエは薬を丁寧に太ももに巻いたベルトに戻す。
「アンリお姉さまは正しかった。心を蕩けさせ、言いなりにさせるまで、決して他国の男など信頼すべきではなかった」
シャテリエがためらい、手をこまねき、後手に回ったそのせいで、祖国が蹂躙され家族が虐殺されたのだ。今回は決してためらわない。そのまず第一歩がジョセフを薬漬けにすることだ。
「お前はもう、わたくし抜きでは生きられぬよ。わたくしの傀儡として愚かにおれ」
シャテリエは、ジョセフが触れた体の場所すべて、丁寧に濡れた手拭きで清めた。
ジョセフの寵愛を笠に着て、シャテリエは少しずつヴァンディエール王国を掌握していった。
なに、簡単なことだ。前世でフィリパがしていたことを、もう少し洗練させて行えばいいだけのこと。フィリパが得るはずだった聖女の称号も、とっくにシャテリエが掌中に収めた。
所詮はただの男爵令嬢。王女として深謀遠慮を巡らせる訓練を受けてきたシャテリエにとっては、相手にもならない雑魚であった。
(前世の己を張っ倒してやりたいぐらいだ。ジョセフの愛を求めてただ泣くだけの能無しであった)
愛を求めない今世では、ジョセフが無用な愛を押し付けてくる。さあ、お前が前世で愛してやまなかったフィリパをやってやる。父上、母上、お姉さま、お兄さま、シャテリエは仇を討ちます。
シャテリエは、跪いて許しを請うフィリパを悲し気な目で見つめる。
「フィリパ……。なぜお前はリュークを殺そうとした」
ジョセフが厳しくフィリパを糾弾する。
「わ、わたしはそんなこと……。その女、その魔女のせいよ」
フィリパが檀上のシャテリエを指さし、憎々し気に叫ぶ。
「まあっ、シャテリエ聖女様になんということを」
「頭がおかしいのであろう」
「少し光の魔力を持っているからといって、勘違いしておったのだ」
「シャテリエ聖女様には到底及ばない力のくせに」
「たかが男爵令嬢の分際で、なんたる身の程知らず」
「殺せ」
「殺せ」
「殺せ」
観衆はフィリパを蔑み、唾を吐く。
フィリパは暴れ、強引に押さえつけられ、ギロチン刑にかけられた。シャテリエはなにひとつ感じなかった。
(まずひとり)
たかが、虫が一匹死んでいっただけのこと。
***
「陛下、お体の具合はいかがですか?」
シャテリエはベッドに横たわる王を見舞った。王はすっかりやせ細った腕を持ち上げる。
シャテリエは思わずかけよって、しっかりとその腕を抱きしめ頬ずりする。
「陛下、なんておいたわしい……。もしよろしければレヴァンシェ王家にだけ伝わるハチミツを試していただけませんか。少しでも召し上がっていただきませんと」
シャテリエは持ってきたハチミツをひとさじ舐めて、毒見をしてみせる。
「シャテリエ、ありがとう。それではひとさじだけ」
シャテリエは王の口に手ずからハチミツを運ぶ。
(バカめ。王族は毒に慣らしているに決まっているであろう。お前は今日死ぬのだ)
王は静かに息をひきとり、とむらいの鐘が鳴った。
「父上、父上……。なぜこんな急に」
「ジョセフ殿下、いえ、ジョセフ陛下。お気を確かに。この国を導けるのはあなただけです」
「シャテリエ、おお我が愛。私と共にこの国を導いてくれるか?」
「もちろんです。どのような苦難の道もひるまず、ジョセフ陛下につき従います」
十七歳、若き王の誕生であった。
(これでふたり。前世ではこのころ祖国が攻め込まれた。今はわたくしがこの国を踏みつけにする番)
シャテリエの邪魔になる忠臣は少しずつ葬り去られた。巧妙に罠を張り、前王毒殺の疑いをかけていったのだ。
ジョセフとシャテリエの周りは、シャテリエに忠誠を誓う者たちだけになった。少しずつレヴァンシェ王国の手のものが増えている。
王太后、ジョセフの実母もひっそりと消された。
(これで王族はジョセフとリュークを残すのみ)
「シャテリエ殿下ですか……?」
リュークは見えない目をシャテリエに向ける。毒により視力を失ったのだ。
「ええそうよ。リューク」
「次は僕の番なのですか?」
「ええそうよ、リューク」
「理由をうかがっても?」
「言ったところで、あなたには理解できないわ」
シャテリエは憐れみをこめてリュークを見る。
「そうね、ただひとつ言えるとしたら……。わたくしも以前、なぜと聞いたわ。あなたは答えなかったわ」
フィリパにそそのかされ、嬉々としてレヴァンシェ王国に攻め入ったリュークの猛々しさは、今世ではまったく見られない。シャテリエが家族の命乞いをしたとき、せせら笑って蹴りつけたふてぶてしさはどこにもない。
今世のリュークはただの弱いガキだ。
「これを飲めばいいわ。それでおしまい。」
リュークは飲もうとするが、手が震えて瓶を持てない。
「手伝ってあげて、クリス」
シャテリエの忠実なクリスは、リュークの手を支え口に瓶をあてがった。
虫は弱々しく体を震わせると、パタリと動きを止めた。
シャテリエは冷めた目でリュークを見下ろす。なんの感慨もわかない。
シャテリエとクリスはゆっくりと玉座の間に向かう。
「これであとはジョセフだけね」
「ジョセフは殺さないんだろう?」
「そうよ。この世の地獄を見せてあげるって誓ったのですもの」
ふたりは玉座の間についた。衛兵がうやうやしく扉をあける。玉座の間は静かだった。
「嬉しいかい、シャーリー」
「嬉しくないわ、クリス」
クリスがシャテリエを抱きしめ、髪を優しくすく。
「後悔しているの?」
クリスの声に少し心配の色がまじる。
「もちろんしてないわ。何度だってやるわ。何度だって」
「そう」
「わたくしたちの子どもがヴァンディエール王国の王になるわ」
「そうだね」
クリスの手がシャテリエのお腹をそっとなでる。
「それをジョセフは見ているの」
「そうだね」
シャテリエはかすかに笑った。
「レヴァンシェ王家の血がヴァンディエール王国を継ぐのよ」
「小さいときから見ていた従妹をやっと守れた」
クリスはそっとシャテリエにキスをする。
「信頼できるのは家族だけだわ」
「そうだね」
シャテリエは爪先立ってクリスにキスを返す。
「わたくしが怖い? クリス」
「怖いと思う?」
シャテリエはクリスの肩に頭を預ける。
「そうね、わたくしの手は血で濡れているもの」
「僕の手も血まみれだ。なにを怖がることがある」
シャテリエは手のひらを見つめる。クリスはシャテリエの白い手を強く握った。
「この子を守るためならどこまでもやるわ」
「そうだね。僕らの血が、この国を統べる」
「ジョセフはそれを見ていればいいわ」
「殺してくれ」
玉座に座るジョセフがかすれた声で懇願する。
ジョセフの薬の量は少しずつ減らしている。今日は比較的、意識がはっきりしている。
「殺さないわ」
「お願いだ、シャーリー。殺してくれ」
「あなたにシャーリーって呼ばれたくないわ。あなたはずっとそこで見ているのよ」
シャテリエはクリスから体を離す。
「空っぽの玉座で、ただひとり」
シャテリエはクリスの手をとると、ふたりでゆっくりと玉座の間を出て行った。
誰もいない部屋で、ジョセフは泣くこともできず、ただぼんやりとしていた。
<完>
意識を取り戻したシャテリエ王女は、誓った。
***
シャテリエ・レヴァンシェはレヴァンシェ王国の第七王女である。十五歳で隣国のヴァンディエール王国に嫁いできた。
「ジョセフ・ヴァンディエール第一王子、お前には地獄を見せてやる」
シャテリエはうっそりと笑った。
シャテリエの記憶が正しければ、今日が婚礼の日だ。前世ではジョセフとはうまくいっていなかった。ジョセフには好きな女性がいたからだ。フィリパという頭の軽い女だ。
「まずはお前だ、フィリパ。たかが男爵令嬢の分際でヴァンディエール王国を牛耳り、我がレヴァンシェ王国を滅ぼす一端を担った。見ておれ、小娘。おのれの分際を思い知らせてやる」
「シャテリエ様、お時間でございます」
ジョセフの侍従が扉を開けた。
シャテリエは花も恥じらう可憐な姫の微笑みを浮かべる。
(誰をもトリコにしてくれる)
「シャテリエ、手を」
ジョセフがこわばった顔で手を差し出す。シャテリエは頬をバラ色に染め、目に涙を浮かべた。
(殺してやる)
「ジョセフ殿下……」
震えるシャテリエのか細い手を、ジョセフが力強く握った。涙をひとつぶ。この男はこういうのが好きだ。
「なぜ泣くのだ、シャテリエ……」
「ジョセフ殿下とフィリパ様の仲を裂くことが心苦しいのです……。今なら間に合います。どうかわたくしとの結婚はお取りやめになって……」
(できるものならやってみろ。お前は我が国の金が必要なはず)
「シャテリエ……。フィリパはただの……」
「フィリパ様はただ、ジョセフ殿下の愛を頼りに生きていらっしゃるのですね。参りましょう。フィリパ様の元に。今なら間に合います」
シャテリエは知っている。フィリパはこのときリューク第二王子と一緒にいるのだ。
シャテリエは強引にジョセフの手を引っ張った。シャテリエは階段の踊り場につくと、階段を上っていく。前世はジョセフに連れられて階段を降りた。そのときチラリと見上げた先にあった絡み合う足。あの足の意味は今なら分かる。
「フィリパ……。リューク……。そなたたち、まさか」
フィリパとリュークはパッと離れる。紅潮したフィリパの頬、乱れた髪、取れた口紅。ジョセフは青ざめた。
ジョセフはふたりの言葉を聞こうともせず、シャテリエの手を引っ張ると早足で階段を降りていく。
「あっ……」
シャテリエは階段でつまずき、すんでのところでジョセフに抱き留められる。
「すまない。我を忘れていた。足をくじいていないか?」
「いいえ、わたくしの足など、ジョセフ殿下の心の痛みに比べるべくもありません。ジョセフ殿下、フィリパ様はきっとお寂しかったのです。もう一度おふたりでお話になってはいかがでしょう?」
「いや、もういいのだ。側近からはフィリパの素行の悪さを何度となく告げられていた。私は恋に溺れてフィリパの本当の姿を見ていなかった。情けないことだ」
ジョセフは優しくシャテリエの手を両手で包んだ。
「シャテリエ、こんな情けない男だが、私を夫と認めてもらえるだろうか」
「ジョセフ殿下、もちろんです。わたくしはジョセフ殿下の幸せだけが望みです。もしわたくしが隣に立つことを許されるのであれば、これほど嬉しいことはございません」
シャテリエはハラハラと涙を流した。白雪のようなシャテリエのまろい頬を、清らかな涙が濡らす。ジョセフは思わずシャテリエをかき抱いた。
(チョロい、バカなやつ。)
シャテリエは後ろに控えている侍従や護衛の視線を意識しながら、弱々しく微笑んだ。男たちの顔が赤らむ。前世ではシャテリエを冷たくあしらった身の程知らずのバカ者どもだ。今世ではせいぜい振り回してやる。お前らは健気な乙女が好きであろう。これがそれだ。
シャテリエは涙をそっとぬぐうと、花がほころぶように笑みを浮かべる。
「我が命尽きるまで、ジョセフ殿下に永遠の愛を捧げましょう」
「シャテリエ……。ああ、なんということだ。私は既にかけがえのない愛を得ていたというのに、たったの今まで気づいていなかったとは。シャテリエ、許してくれるかい?」
「許すもなにも……。わたくしが一方的にお慕いしていたのです」
ジョセフは喜びで体を震わせた。そっとシャテリエを抱えると、ゆっくりと階段を降りていく。
「で、殿下。降ろしてくださいませ。わたくし重とうございます。わたくし自分で歩けます」
「何を言うか。そなたは羽のように軽いぞ。そして、私のことはジョーと呼んでくれないか」
「ジョー……。嬉しい。わたくしのことはシャーリーと呼んでください」
シャテリエは恥ずかしそうにジョセフの胸に顔をうずめた。
シャテリエの顔は憎悪で歪んでいる。
(わたくしをシャーリーと呼んだのは家族だけだった。決して許しはしない)
その日、ジョセフ・ヴァンディエール第一王子とシャテリエ・レヴァンシェ第七王女は、婚礼の場で、並み居る貴族を赤らませるほどの仲睦まじさを見せつけた。
***
「ふ、たわいもない」
シャテリエはだらしなく口を開けて寝ているジョセフの体を押しのけた。前世ではためらって使わなかった薬をもったのだ。
「お前などにこの体を好きにさせるものか」
シャテリエは薬を丁寧に太ももに巻いたベルトに戻す。
「アンリお姉さまは正しかった。心を蕩けさせ、言いなりにさせるまで、決して他国の男など信頼すべきではなかった」
シャテリエがためらい、手をこまねき、後手に回ったそのせいで、祖国が蹂躙され家族が虐殺されたのだ。今回は決してためらわない。そのまず第一歩がジョセフを薬漬けにすることだ。
「お前はもう、わたくし抜きでは生きられぬよ。わたくしの傀儡として愚かにおれ」
シャテリエは、ジョセフが触れた体の場所すべて、丁寧に濡れた手拭きで清めた。
ジョセフの寵愛を笠に着て、シャテリエは少しずつヴァンディエール王国を掌握していった。
なに、簡単なことだ。前世でフィリパがしていたことを、もう少し洗練させて行えばいいだけのこと。フィリパが得るはずだった聖女の称号も、とっくにシャテリエが掌中に収めた。
所詮はただの男爵令嬢。王女として深謀遠慮を巡らせる訓練を受けてきたシャテリエにとっては、相手にもならない雑魚であった。
(前世の己を張っ倒してやりたいぐらいだ。ジョセフの愛を求めてただ泣くだけの能無しであった)
愛を求めない今世では、ジョセフが無用な愛を押し付けてくる。さあ、お前が前世で愛してやまなかったフィリパをやってやる。父上、母上、お姉さま、お兄さま、シャテリエは仇を討ちます。
シャテリエは、跪いて許しを請うフィリパを悲し気な目で見つめる。
「フィリパ……。なぜお前はリュークを殺そうとした」
ジョセフが厳しくフィリパを糾弾する。
「わ、わたしはそんなこと……。その女、その魔女のせいよ」
フィリパが檀上のシャテリエを指さし、憎々し気に叫ぶ。
「まあっ、シャテリエ聖女様になんということを」
「頭がおかしいのであろう」
「少し光の魔力を持っているからといって、勘違いしておったのだ」
「シャテリエ聖女様には到底及ばない力のくせに」
「たかが男爵令嬢の分際で、なんたる身の程知らず」
「殺せ」
「殺せ」
「殺せ」
観衆はフィリパを蔑み、唾を吐く。
フィリパは暴れ、強引に押さえつけられ、ギロチン刑にかけられた。シャテリエはなにひとつ感じなかった。
(まずひとり)
たかが、虫が一匹死んでいっただけのこと。
***
「陛下、お体の具合はいかがですか?」
シャテリエはベッドに横たわる王を見舞った。王はすっかりやせ細った腕を持ち上げる。
シャテリエは思わずかけよって、しっかりとその腕を抱きしめ頬ずりする。
「陛下、なんておいたわしい……。もしよろしければレヴァンシェ王家にだけ伝わるハチミツを試していただけませんか。少しでも召し上がっていただきませんと」
シャテリエは持ってきたハチミツをひとさじ舐めて、毒見をしてみせる。
「シャテリエ、ありがとう。それではひとさじだけ」
シャテリエは王の口に手ずからハチミツを運ぶ。
(バカめ。王族は毒に慣らしているに決まっているであろう。お前は今日死ぬのだ)
王は静かに息をひきとり、とむらいの鐘が鳴った。
「父上、父上……。なぜこんな急に」
「ジョセフ殿下、いえ、ジョセフ陛下。お気を確かに。この国を導けるのはあなただけです」
「シャテリエ、おお我が愛。私と共にこの国を導いてくれるか?」
「もちろんです。どのような苦難の道もひるまず、ジョセフ陛下につき従います」
十七歳、若き王の誕生であった。
(これでふたり。前世ではこのころ祖国が攻め込まれた。今はわたくしがこの国を踏みつけにする番)
シャテリエの邪魔になる忠臣は少しずつ葬り去られた。巧妙に罠を張り、前王毒殺の疑いをかけていったのだ。
ジョセフとシャテリエの周りは、シャテリエに忠誠を誓う者たちだけになった。少しずつレヴァンシェ王国の手のものが増えている。
王太后、ジョセフの実母もひっそりと消された。
(これで王族はジョセフとリュークを残すのみ)
「シャテリエ殿下ですか……?」
リュークは見えない目をシャテリエに向ける。毒により視力を失ったのだ。
「ええそうよ。リューク」
「次は僕の番なのですか?」
「ええそうよ、リューク」
「理由をうかがっても?」
「言ったところで、あなたには理解できないわ」
シャテリエは憐れみをこめてリュークを見る。
「そうね、ただひとつ言えるとしたら……。わたくしも以前、なぜと聞いたわ。あなたは答えなかったわ」
フィリパにそそのかされ、嬉々としてレヴァンシェ王国に攻め入ったリュークの猛々しさは、今世ではまったく見られない。シャテリエが家族の命乞いをしたとき、せせら笑って蹴りつけたふてぶてしさはどこにもない。
今世のリュークはただの弱いガキだ。
「これを飲めばいいわ。それでおしまい。」
リュークは飲もうとするが、手が震えて瓶を持てない。
「手伝ってあげて、クリス」
シャテリエの忠実なクリスは、リュークの手を支え口に瓶をあてがった。
虫は弱々しく体を震わせると、パタリと動きを止めた。
シャテリエは冷めた目でリュークを見下ろす。なんの感慨もわかない。
シャテリエとクリスはゆっくりと玉座の間に向かう。
「これであとはジョセフだけね」
「ジョセフは殺さないんだろう?」
「そうよ。この世の地獄を見せてあげるって誓ったのですもの」
ふたりは玉座の間についた。衛兵がうやうやしく扉をあける。玉座の間は静かだった。
「嬉しいかい、シャーリー」
「嬉しくないわ、クリス」
クリスがシャテリエを抱きしめ、髪を優しくすく。
「後悔しているの?」
クリスの声に少し心配の色がまじる。
「もちろんしてないわ。何度だってやるわ。何度だって」
「そう」
「わたくしたちの子どもがヴァンディエール王国の王になるわ」
「そうだね」
クリスの手がシャテリエのお腹をそっとなでる。
「それをジョセフは見ているの」
「そうだね」
シャテリエはかすかに笑った。
「レヴァンシェ王家の血がヴァンディエール王国を継ぐのよ」
「小さいときから見ていた従妹をやっと守れた」
クリスはそっとシャテリエにキスをする。
「信頼できるのは家族だけだわ」
「そうだね」
シャテリエは爪先立ってクリスにキスを返す。
「わたくしが怖い? クリス」
「怖いと思う?」
シャテリエはクリスの肩に頭を預ける。
「そうね、わたくしの手は血で濡れているもの」
「僕の手も血まみれだ。なにを怖がることがある」
シャテリエは手のひらを見つめる。クリスはシャテリエの白い手を強く握った。
「この子を守るためならどこまでもやるわ」
「そうだね。僕らの血が、この国を統べる」
「ジョセフはそれを見ていればいいわ」
「殺してくれ」
玉座に座るジョセフがかすれた声で懇願する。
ジョセフの薬の量は少しずつ減らしている。今日は比較的、意識がはっきりしている。
「殺さないわ」
「お願いだ、シャーリー。殺してくれ」
「あなたにシャーリーって呼ばれたくないわ。あなたはずっとそこで見ているのよ」
シャテリエはクリスから体を離す。
「空っぽの玉座で、ただひとり」
シャテリエはクリスの手をとると、ふたりでゆっくりと玉座の間を出て行った。
誰もいない部屋で、ジョセフは泣くこともできず、ただぼんやりとしていた。
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タリーシャが食い気味で答えると、あと一歩で間に合わなかった陛下が、会場の入口で「ああー」と言いながら膝から崩れ落ちた。田舎領地で育ったタリーシャ子爵令嬢が、ヴィシャール第一王子殿下の婚約者に決まったとき、王国は揺れた。王子は荒ぶった。あんな少年のように色気のない体の女はいやだと。タリーシャは密かに陛下と約束を交わした。卒業式までに王子が婚約破棄を望めば、婚約は白紙に戻すと。田舎でのびのび暮らしたいタリーシャと、タリーシャをどうしても王妃にしたい陛下との熾烈を極めた攻防が始まる。
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