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10.ウゥルペース・アウレア

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 教皇と対面し、オリガは珍しく緊張していた。

 ウゥルペース・アウレア教は近隣諸国一帯に強い影響力を持つ。ドヴァトリーニ王国をはじめとして、国教として定めている国が多い。ドヴァトリーニ王国では、政教分離がなされているが、教会の影響力は無視できない。

 教皇のひとことで、数百万もの信者が動くことを考えると、いかなオリガとて身がすくむ。

 しかし、優しそうなおじいさんにしか見えぬが。オリガは少し首をかしげる。いや、わらわのおじいさまも、普段は柔和でおっとりしておるではないか。オリガは決して油断せぬよう己を戒める。


「それで、本日はどのような? 明後日の結婚式についてですかな?」

 教皇の声は穏やかであたたかい。

「先ごろ我が国に光の力を使う者が現れました。我が国の教会司教より、聖女の認定を受けました」

 テオドールがパメラから送られてきた、聖女認定証を教皇に渡す。

「おお、それはめでたいことです。光の力の使い手は年々減っておりますからな」

「聖女は一度、こちらに巡礼をしたいと望んでおります」

「それはぜひ、歓迎しますよ」

 教皇は両手を広げて歓迎の意を表す。


「ところが不穏なうわさを聞きつけまして。聖女がけがれを受けるのではと、ためらっております」

「それはそれは、けがれとは穏やかではありませんな」

「私どもの調べによると、これらの司教や司祭、なにやらよからぬことをしているようです」

 テオドールは名前の一覧を記した紙を渡すが、教皇は受け取らない。テオドールは机の上に紙を置いた。


「よからぬことと言うと?」

「聞くところによりますと、それらの者は信者の子どもらに手をつけているようです」

「馬鹿げた流言ですな」

「根も葉もないうわさであればよかったのですが……。たまたま昨日、我々も目撃したのです。これは教皇のお耳に入れる必要があると思い、急遽このような形を取らせていただきました」


 教皇はトントンと、名前の記載された紙を指で叩いた。

「証拠は?」

「残念ながら、公の場で証言する者はいないでしょう。それはここでの生活を捨てると同義。生半可な覚悟でできることではありません」

 教皇はトントントントンと指で机を叩き続ける。

「これは、確かに捨ておけん。事実だとしたら許し難き蛮行。神のお膝元で、神の僕たる司祭がなんということを……」



「失礼ですが、教皇。このような些事、わたくしの方で処理しておきます」

 後ろに控えていた司教がスッと近寄ると、教皇の持つ紙に手を伸ばす。いかにも切れ者といった怜悧な雰囲気の司教だ。教皇はしばしためらったのち、紙を司教に渡した。

「少々お時間をいただきますが、きちんと対応いたしますので、ご安心ください」

 司教がなだめすかすような口調で告げる。ワガママな王族のお戯れにつき合っているんだぞ、そういう風にオリガには聞こえた。オリガは膝の上で拳をきつく握りしめる。

「ダメです。それでは遅すぎます。時間なんてありません。今すぐ、その名前の者を隔離してください」

 オリガの訴えを聞き、司教は目を細めると、にこやかに微笑む。

「何を子供のようなことをおっしゃいますやら。物事はそのように単純ではありません。大人のことは大人に任せておきなさい、お嬢さん」

 オリガは机のふちをつかんだ。

「子どもが被害者なのです。子どもの私が主張して何が悪いのですか? どうか聞いてください。売り物の陶器が割れたとか、そういう話ではないのですよ。陶器なら作り直せばいい、お金で解決ができます。でも、子どもの尊厳が踏みにじられたら、その子の心はもう治らないのです。心は作りなおせない。今、どこかで子どもが傷つけられようとしているのに、黙って見ているおつもりですか?」


 司教は、やれやれという風に肩をすくめて首をふる。司教が口を開こうとしたとき、それを教皇が遮った。

「私が誓いましょう。神の御名によって、すみやかにこの者らを隔離しましょう。そして調べた上でしかるべき対応をする。私が今誓えるのはここまでです」

 司教は不満のようだが、口をつぐんだ。教皇は、部屋の外で護衛をしている宗教騎士のひとりを呼ぶ。

「これらの者を今すぐ宮殿に連れてくるように。それぞれ見張りをつけた上で、別々の部屋に入れて待たせておきなさい」

 騎士は紙の名前を見ると、記憶したのか紙は教皇に返して出ていった。

「さあ、それでは今日はここまでです。明後日の結婚式でお会いしましょう」

 教皇は落ち着いた口調で言うと、安心させるようにオリガを見てうなずいた。


◇◇


「これでよかったのじゃろうか」

 宮殿を出て、オリガはポツリとつぶやいた。

「初動としては十分だと思う。あとは教皇の動きを見て、できることをやるだけだ。聖女パメラの巡礼を口実にすれば、私たちで調査もできるし、滞在も延ばせる。ここでしばらく新婚旅行をしてもいい。父上の許可はとっている」

 テオドールの言葉にオリガは顔を赤らめた。すっかり後回しにしていたが、いよいよ明後日にはテオドールと結婚するのだ。

 できればスッキリした気分で式を挙げたいものじゃ、茜色の空を見ながらオリガは密かに願った。


◇◇


 その夜、オリガはテオドールの腕の中で目を覚ました。

 宿を取り囲む人の気配。ベッドを出ようとして、テオドールに止められる。

「オリガ、ここは聖域に近い。暴力はいけない。ましてや血を流すのは禁忌だ」

 オリガは絶望した。たいていのことを腕力で解決してきた己は、力を封じられるとただの無力な公爵令嬢だ。テオドールを守れない。

「オリガ、いくら教皇庁とはいえ、一国の王子を手荒には扱えない。流れに身を任せよう」

 テオドールの言葉に、オリガは渋々うなずく。

 しばらくすると、扉が叩かれハリソンが宗教騎士を部屋に入れる。


「ドヴァトリーニ王国第一王子テオドール殿下で間違いないでしょうか?」

「ああ」

 テオドールは淡々と答える。

「教皇がお呼びです。礼拝堂までご足労いただけますか?」

「分かった。すぐ支度する。オリガ」

 テオドールはしがみついているオリガを優しく叩く。

「いやじゃ。絶対に離れない」

 オリガは更に力を強くして、テオドールに絡みついた。木に登った猿のようなまぬけな格好だが、気にしている場合ではない。

「オリガ」

 テオドールが困った顔でオリガを見下ろす。

「オリガ・ロッセリーニ公爵家令嬢でしょうか。お望みであればご同行いただくよう、教皇から指示を受けております」

 オリガはテオドールにしがみついたまま、頷いた。

「行く」


◇◇


 騎士団に連れられて、三人は宮殿に連なる円形の礼拝所へと入っていった。中心にある黄金の狐像の周りに、教皇や司祭、そして怯え切った子どもたちが座っている。三人は教皇の隣に座らされた。


「ようこそいらっしゃいました。それでは断罪を始めましょう」

 先ほどオリガを子ども扱いした司教が大きく両手を広げて、皆を見回す。

「誰しも罪があるといいますが、今日はたくさんの罪人がいますね。神の前で罪を懺悔しましょうね」

 司教が子どもに言い含めるように、ゆっくりと話す。


「もっとも重い罪は、神に仕える身でありながら、無垢な子どもを醜い欲望のはけ口にした者です。除籍処分の上、教皇庁から追放が妥当でしょう」

 いいのではないか、オリガは思った。


「次に重い罪は、この事態を招いた教皇です。職務怠慢で教皇を辞任、司教からやり直しが適当ではないでしょうか」

 オリガは首をひねった。オリガにはよく分からなかった。教皇をいきなり辞任に追い込むのはやりすぎではないだろうか。


「次、子どもたち。哀れな被害者です、その通りです。ですが考えてみてください。ひとりひとりがすぐに大きな声で抵抗していれば? もしくは親に相談していれば? そうすれば次の犠牲者は出なかったかもしれない。それに、子どもたちから誘ったという証言もある」

「あなたはさっきから何を言っているのですか? 子どもたちには何の罪もありません。あなたが言っているのは、悪をなす側の勝手な屁理屈です。論理のすり替えです。そんな言い分がまかり通るわけがないでしょう」

 オリガはたまりかねて、大声で反論する。


「まあ、それならそれで構いません。私にとっては些細な違いです。さあ、次の段階に進みますよ。世界を統べる新教皇の誕生です。ええ、私ですとも。私こそが新しい世界を導くにふさわしい、そのやる気のない老人よりははるかに」

 司教は教皇を指差した。

「教皇は手ぬるいのですよ。世界で最も大きな力を手にしておきながら、なんら有効に使おうとしない。宝の持ち腐れです。私ならその力で悪を糾弾し、善なるものだけの世界を作れるのに。さあ、教皇の証である指輪を渡してください。手荒なまねはしたくないですからね」

 教皇は司教を見上げた。

「そなたは、いったいいつから、そのような邪な考えにとりつかれたのだ? 民のために善をなすとまっすぐ燃えていたではないか」


「いつからでしょう。分かりませんね。ただ、そうですね。虚しくなっていったのですよ。ここで祈っても届かない、世界はいつも泣き声であふれている。私にもっと力があれば、悪をこらしめ、正しく世界を導いていけるのに、とね」

 司教は悲しみに満ちた顔を向ける。

「どうです、オリガさん、私の手を取りませんか? あなたも世直しがお好きなのでしょう? 新教皇の力とあなたの武力を組み合わせて、より良い世界を作りましょう。大きな枠組みを作ってしまえば、仕組みで弱き者たちを救えるのです。全体を底上げすれば、救える人数が増えるのです」


「お前は、お前の言ってることは、正しいようで、どこかおかしい。私は、わらわはそなたの手など取らぬ」

「分かっていただけなくて残念です。だが時間はたっぷりありますから、ゆっくり考え直してもらいましょう。さあ、指輪を渡してください。私が教皇となり、祈りに答えぬ神の代わりとなって世界を統治するのだから」

 教皇はため息をつき、厳しい目を司教に向けると

「残念だよ。目をかけて、育ててきたのに。そなたたち、司教を捕らえよ」

 宗教騎士に命じる。目の前の事態に混乱して手をこまねいていた騎士たちは、司教を捕らえようと動く。

「さあ、指輪を渡せ。この子の命が惜しいのならな」

 司教は震えている子どもを引き寄せると、首に短剣を当てる。子どもの目から涙がひと粒こぼれ落ちた。


 オリガは動けなかった。この部屋に入ってから感じていた圧力が、どんどんと重みを増し、体を床に押しつけられているのだ。これは、この力は神のもの。

「バカな。お前に神の代理が務まるものか。分からぬのか? ここはこんなに神の気配が強いの……に……」

オリガの意識は暗転した。


◇◇


この猫がお前の元に戻りたいと言う
だからお前を呼んだ
お前もここにいればよい
モーとフー? 呼んでみればいい
テオドール? 人の男はダメだ
俺は人の男は嫌いだ
司教は男ばかり? そうだ意味が分からん
初めに来たやつか? あれは女だぞ
祈るのは女にしろと言っておけ
帰るのか、それならそれでもいい
ただし、お前の一部を俺に食わせろ
そうだな、この間あの男を蹴った足がいいな
あれはなかなかおもしろかった
いいさ、ゆっくり悩め
時間はたっぷりある
決めたか
そこまでして帰りたいか
ではよこせ
お前の体を食わせろ
食わせろ食わせろ食わせろ



熱い
痛い
熱い
気が狂う
テオドール
たすけて


◇◇


「……ガ、オリガ、オリガ」

「テ……オドール。泣いているのか? どこか痛いのか?」

「オリガ」

 オリガを抱きかかえ、髪に顔を埋めていたテオドールは、ガバリと顔を上げる。オリガの目をのぞき込むと、深く口づけした。

「テオドール……息が、できな……痛っ」

 オリガは絶叫した。

「オリガ、どこが痛い、教えてくれ」

「足、足が……。狐に、食われた……」


 テオドールはさっとオリガの足に目をやる。足首から先を失って血を流すオリガの右脚を見て、テオドールは真っ青になって叫ぶ。

「ウゥルペース・アウレア! 私の足を捧げる。オリガの足を返してくれ」

 テオドールは止める間もなく騎士から剣を奪い、自分の足に突き立てようとする。

「やめろ!」

 オリガが叫んだとき、黄金の狐が眩い閃光を放った。



「男の足はいらん。女の足は気に入った。代わりに俺の足をやろう。大事にしろ」

 オリガの失った足首の先に、フワリとオリガの足が戻った。

「足が戻った。わらわの足じゃが、妙な色じゃ……」

「俺の色だ。ありがたく思え」

 狐が言い、テオドールがものすごくイヤな顔をする。

 

「ウゥルペース・アウレアだと! ホンモノなのか? おお、おお、神よ、我に力を与えたまえ。新教皇となり世界を正しく導きましょう」

 司教が奇妙に光る目で黄金の狐ににじりよる。

「新教皇は女にしろ。これからずっと女だ。司教も司祭も全部女」

「それはあまりにも横暴じゃ」

「ではよきにはからえ」

 黄金の狐は動かぬただの銅像に戻った。



 オリガは足を引きずりながら、呆然としている司教に近づくと、おもむろに一発腹を殴る。

「お前のような屁理屈こね野郎は一度痛い目に合った方がいい。司教や司祭たちはどうでもいいが、よくも子どもたちの傷を土足で踏んでくれたのう」


 オリガは今度は顔を殴る。

「わらわもな、正しきことをなすため、力がほしいと願う。だがの、お前とわらわは違う。わらわは力を己で身につけようとする。お前のように、手っ取り早く他から力を奪おうとはせぬよ。お前はお前の力で人を助けよ、まずそこからじゃろう」


 オリガは次に背中を踏んだ。痛みがなくなったので、狐に返してもらった利き足で踏んだところ、おかしな感触があった。

「む、なんじゃ、おかしな感じがしたぞ」


 ギャー 悲鳴を上げながら、司教が床をゴロゴロ転げ回る。

「しまった。やりすぎたか。おい、まだ死ぬなよ」


 ベリベリッと祭服を突き破り、背中に木が生えた。木はぐんぐん伸びると、司教の頭上で実をつける。

「リンゴじゃの。わらわは絶対に食べぬぞ」

 そこにいる全員がうなずいた。




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