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【短編】捨てられた公爵令嬢ですが今さら謝られても「もう遅い」

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「すまなかった、ヤシュナ。この通りだ、どうか王都に戻って助けてくれないか」


 一度たりとも頭を下げたことのない、傲岸不遜なザイード第一王子が、公爵家令嬢ヤシュナに深々と頭を垂れた。


「お断りします。あなた方が私に対して行った数々の仕打ち、決して許すことはありません。今さら謝ったところで、もう遅い。ばーーーーーか」


 ああ、言ってやった。ずっと言いたかったこの言葉。少しだけ心が晴れた。
 侍女がさっと壺を渡してくれる。


「この無能なボンクラ王子、己の頭で考えなさいな。とっとと王都に戻って借金返済の当てでも探してはいかが? こうしてる間にも利息はどんどん積み上がっていますわ、王家の破産宣告も間もなくかもしれませんわね。ああ、必要なら身売り先を紹介いたしますわ。元王子をいたぶりたいという嗜好をお持ちの好事家もいらっしゃいますからねぇ」


 サラサラサラーっと王子の頭に塩をかけてやる。思わず飛びかかろうとする王子の首に鋭い切っ先が赤い筋をつけた。

「大丈夫よアル、王子はもうお帰りです、お見送りしてくれる?」

 宗教騎士団長は王子の腕をつかむと修道院から追い出した。

「ではごきげんよう。破産宣告を楽しみにしております」

 礼はとらない。立ったまま馬車を見送ると、皆で塩をまいた。

 なにごとか、という表情をしながらヤギたちが寄ってきて、地面の塩をおいしそうになめる。


 王家に尽くし続け、裏切られた年月にようやく終止符が打たれた。ヤシュナは青い空に向かって拳を突き上げた。




 ヤシュナが初めてザイードに会ったのは五歳のときだった。王家と四大公爵家の、五歳以上の子女のみが参加を許される秘儀の場であった。儀式の日は朝から何も食べられず、水を飲むことだけが許される。聖水で身を清め、頭から足首まですっぽり覆う黒い衣装をまとう。

 ヤシュナは空腹でややぼんやりとしていた。神官に案内され薄暗い部屋に入ると、既に王子と三人の令息が集まっていた。皆無言のまま、神官に説明される通りに神への奉仕を始める。

 ヤシュナたちが清める御神体は黒い鳥の彫像である。円状に四つの鳥が等間隔で並び、真ん中に一際大きな鳥が鎮座している。王子が真ん中の鳥、周りの四つの鳥をヤシュナたち公爵家子女が清めるのだ。

 器に入った聖水に白い布をつけ、固くしぼって丁寧に鳥を清める。一刻ほど清めたところで、神官が終わりにするよう合図した。

 部屋を出ると神官は静かに告げた。

「王家と四大公爵家で毎日御神体を清めてください。兄上や姉上ともお話しになり、順番を決めてください」

 神官が出て行くと、ザイードが皆の顔を見回して言った。

「最初のひと月は五人でやらないか。上に兄姉がいるものは交代でよい。私とヤシュナは長子であるから、毎日務めなければならないが」

 公爵家の四人は顔を見合わせうなずいた。

「そういたしましょう」

 ザイードは満足気にほほえんだ。

 ひと月の間、ヤシュナは毎日休むことなく清めを果たした。手慣れた五人であれば半刻ほどで終えることができた。清めの後は五人で朝食をとるのが日課となった。

 半年後、ザイードとヤシュナの婚約が決まった。たったの五歳で、と母は反対したが、王妃教育には時間がかかるとの、陛下からのお言葉があった。ザイードとヤシュナは目を合わせ、はにかみながら笑い合った。


 半年が過ぎたあと、新たに五歳となった公爵家令嬢が加わった。ベルという名の愛らしい幼女であった。ベルが鳥を清めると、部屋の中に光が満ちた。このようなことは今まで一度もなかった。神官が慌てて出て行き、司教と共に戻ってきた。


 ベルは聖女と認定された。


 その年は稀に見る豊作であった。教会は聖女ベルのお力によるものだと広く知らしめた。幼き聖女ベルは誰よりも敬われる存在となった。


「ベルは聖女の務めが大変だから、月に一度の清めで充分であろう」

 ザイードがそう言ったとき、残りの皆はうなずいた。幼い身に多数の奉仕を担わされているベルの、せめてもの支えになりたい、そう思った。


 ベルが月に一度鳥を清めると、部屋には清廉な光が満たされ、王国は潤った。
 
 ベルがふた月に一度鳥を清めても、王国は潤った。

 いつしかベルは年に一度清めを行うようになった。それは聖女の清めの日と定められ、王国民が御神体と聖女に祈りを捧げることが義務づけられた。王国は豊かな国となった。



 一方、ヤシュナは毎日欠かさず清めを続けている。ヤシュナが十歳になったとき、毎日の清めを行うのは、ヤシュナと弟のカルルクのみとなった。

「姉さま、父上に話してザイード殿下との婚約を解消してください」

 あるときカルルクが思い詰めた目をしてヤシュナに言った。

「姉さま、殿下は聖女ベルと結婚する気だって、学園で皆がうわさしている。姉さまは、殿下と聖女ベルの仲を邪魔する悪女だって……」

「知っているわ。私もできれば婚約を解消したいわ。一度父さまに聞いたのよ」

 ハッとヤシュナを見つめるカルルク。

「ダメだったの。父さまは既に、陛下に婚約解消を申し出られていたのよ。そして、その申し出は退けられたわ。……陛下と、そしてザイード殿下がこの婚約を続けるとおっしゃったの」

 呆気に取られた表情でカルルクがヤシュナの腕をつかむ。

「どうして? どうしてだよ? 殿下はもう何年も姉さまに手紙ひとつ書かないではないか。贈り物もなく、舞踏会には聖女ベルと共に参加されている」

「いつもカルルクには苦労をかけるわ、ごめんなさいね」

 ヤシュナはカルルクの癖のある髪を優しくなでた。

「そんなことはなんでもないんだ。舞踏会でもお茶会でも、僕はいつだって姉さまと共に行くよ」

「ありがとうカルルク。私はいいのよ、時期を見て、改めて婚約解消を申し出るわ」

 カルルクは納得していないようだったが、ヤシュナの顔を見てそれ以上言うことはしなかった。


 ヤシュナとて到底受け入れられる事態ではないのだ。この婚約を続ける利点が、ヤシュナにも公爵家にも全くない。むしろ聖女ベルに仇なす者と、いわれなき批判を受けているのだ。

 はあ……。

 
 カルルクには言わなかったが、王家からはさらにひどい提案をされたのだ。

「聖女ベルは神への奉仕で王妃教育を受ける余裕はない。ヤシュナは引き続き王妃教育を受け、ゆくゆくは聖女ベルを支えてやってほしい」

「それは、聖女ベル様が正妃となり、ヤシュナを側妃となす、そういうことでしょうか?」

 父は怒りのあまり倒れそうになるのをこらえて、陛下に詰め寄ったそうだ。

「ベルは愛があれば地位などいらぬと申しておる。なんと健気なことであろうか。ヤシュナを正妃とし、ベルを側妃としようと思う。ただし、ヤシュナとは白い婚姻である」

 父は何も言わず立ち去った。王家への忠義の心は粉々に砕かれた。



 そうして、父とヤシュナを中心に、密かに王家を見限る準備が進められた。国境沿いの領地に少しずつ財産を移し、国境警備の強化という名目で宗教騎士団を結成した。この国には魔物は出ないが、隣国から魔物が侵入しようとする際には討ち取る必要がある。そのように奏上すれば、宗教騎士団の設立はすんなりと認められた。



 卒業式の後の舞踏会で、ヤシュナはザイードから断罪された。聖女ベルに対する今までの行いを、生徒たちの前で伝えられたのだ。言いがかりにすぎない、心ある生徒たちは分かっていた。だが、誰も口に出す者はいなかった。


「ヤシュナ、そなたとの婚約を破棄する」

 ザイードは告げ、隣のベルは笑った。

 ヤシュナはただ、「はい」とだけ答えた。



 ヤシュナはその足で神殿に向かった。神官はヤシュナを見ると静かにうなずいた。

 ヤシュナは今朝清めたばかりの部屋に入った。部屋は静謐な空気が流れ、柔らかな光が満ちている。


 毎朝ヤシュナとカルルクのみが鳥を清めた。あるときからヤシュナが清めると、鳥がほんのりと光るようになった。神官は目をわずかに大きくみひらいた。聖女ベルのような強き光ではない、柔らかな包み込むような光であった。


 ヤシュナは御神体に近づくと跪き、息をそっと止め、持ち上げた。ヤシュナより大きなその彫像は、ぶるりと震えると小さな鳥の姿になって、ヤシュナの頭巾の中に入り髪の中に埋もれる。

 五羽の鳥を髪の中に匿い、ヤシュナは部屋を出た。

「ヤシュナ様、私も後から参ります」

 長年に渡って、ヤシュナの清めを見守っていた神官は、静かにそう告げるとヤシュナを見送った。


 
 その日、公爵家はかねてから計画していた通り、王都の屋敷を空にして、辺境の領地へと旅立った。


 神殿にはまだ彫像が立っている。公爵家が密かに造らせた贋物である。今や清めを行う者は誰もおらず、気づかれぬまま時は過ぎてゆく。



 公爵家が王都を引き払ってしばらくすると、徐々に王都周辺の実りが悪くなった。年に一度の清めの日、御神体は光らなかった。だが、それは機密として闇に葬られた。

 
 王都周辺からじわじわと飢餓が広がっていく中、ヤシュナが住む公爵家の領地周辺は年々豊かになっていった。王都周辺から、公爵家領地付近へ移住する民が増えていった。


「本当の聖女は、ベル様ではなくヤシュナ様であったそうだ」
 
 そう人々はささやきあった。



 ヤシュナとカルルクは今でも毎日清めを行っている。



<完>
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