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一章

六、

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 何度も謝ってくるアイラを無視するように逃げてから、もう二週間も経った。最初の一週間はいつものように寮へとやって来るアイラも、今週に入ってからは一度も来ていない。
 きっと山科が止めてくれているのだろう。一度仕事先に一人でやって来たアイラから逃げて、危うく一般人にぶつかりそうになったところをたまたま通りがかった山科に助けてもらった。
 勝手なことはしないでくれと山科に叱られはしたが、追いついたアイラとの間に流れる微妙な空気を感じ取られ、俯いた頭頂部に鼻で笑うかのような短い息がかかる。また怒られてしまうのかな、と身構えていたのに、山科は一つ貸しだと告げてアイラを連れ帰っていった。
 アイラが来るようにならなければ、山科の印象はずっと真面目そうな人、というだけで終わっていただろう。実際に真面目であるのだろうが、こうしてイレギュラーなことに対応してくれるとは思っていなかった。
 それからは寮でも、ランダムに変わっていく仕事先でも見かけない。ちゃんと押し止めてくれていることに感謝しつつ、研究者に作った貸しがどのような形で回収されるのかと少しだけ怖くなる。
 逸瑠は太陽も沈んで暗くなった道を歩きながら、ポケットの中で震える端末を取り出す。今日の仕事は遺品整理の方で、ぱんぱんに詰まった段ボール箱を何往復もして運んだから二の腕がぷるぷると震えていた。
 特にブランドに対してこだわりのない逸瑠は、いつも量販店で最低限の洋服だけ買い出しをお願いしている。今羽織っている黒いブルゾンは今年に買い替えたもので、細かい傷もついていない。
 ポケットから携帯端末を取り出して見てみると、液晶画面には「山科」の二文字が表示されていた。仕事の関係で連絡を取り合うことはあるものの、こうして電話が掛かってくるのは初めてだ。
 何かあったのだろうか、と訝しみながら通話ボタンを押し、首を傾げながらも耳にあてる。聞こえてきたのは馴染み深くなってしまった男の声で、その上機嫌さに若干引いてしまった。
「どうかしました? 仕事ならさっき終わって連絡もしましたけど」
『お疲れ様です。だけど、今日はちょっと関係ない話なんですよ』
 いや、どちらかというと本命か。
 そう言葉を繋げる山科に、今度は反対側に首を傾げた。仕事とは関係がなく、どちらかと言えば本命。アイラが頻繁に来るようになって顔を合わせることも増えたが、接点というほどの接点もない相手からのなぞかけに、逸瑠は立ち止まって続く言葉を待った。
 アイラのことを言われるのかとも身構えたが、それはすぐに違うだろうと思い直す。おそらく二人は同じように転生について研究している同僚なのだと思うのだが、見るからに相性は悪そうだ。
 送迎は基本運転手の仕事だが、山科が一緒にやって来ることもある。そのときの様子を見ている限りでは、自由奔放に好き勝手しているアイラに不満を抱いている、という感想を抱いた。
 二人の仕事内容は知らないが、ちゃんと真面目に働いているだろう山科に対して、アイラは嫌悪の対象になるのかもしれない。きちんと授業を受けている生徒が不真面目な子に対して苛立つのと同じなのだろうと、逸瑠は自身の経験則でそんな風に思っていた。
 アイラはマイペースに過ごしているから気にはしていないだろうが、山科の方はずっとぴりぴりしている。逸瑠が間に入って取り持つようなことはしないが、なるべくなら関わりたくないとどうしても口数が少なくなっていた。
 それは多分他の住人も思っていることで、アイラを迎えに山科がやって来ると仁木を筆頭にみんなはそそくさと自室に逃げていく。福原なんかは面白がって眺めている節もあるが、二人が揃ったところに話し掛ける人間はいない。
 だからアイラとの件ではないのだろうが、そうなるといよいよ電話の意味が分からない。何だろうか、と浮かばない予測に、少し先にある公園へと移動した。
 この話が長くなるのかは山科のさじ加減だが、ずっと端末を持っている指先が外の空気に冷やされて痛い。何か温めてくれるものでも買おうと自販機を求めて公園へと足を進めると、ようやく電話口から衣擦れの音が聞こえてきた。
『永藤さん。二回目の転生に挑戦してみませんか?』
 紅茶か、コーヒーか。久し振りにココアを選んでもいいな、とどうでもいいことを考えていたせいで、最初何を言われたのかが分からなかった。電話の向こう側から、二回目の転生、なんて夢みたいな言葉が発せられなかっただろうか。
「え……? 二回目の転生、って、そんなこと、できるんですか……?」
『挑戦と言っても今は実験段階で、今度も失敗してしまうかもしれない。それでも永藤さんがまだ転生を望んでいるなら、賭けてもいいんじゃないかと思うんですよ』
 感情のこもっていない声色に淡々と告げられて、なんだか現実味が湧いてこない。山科の言葉遣いはいつも丁寧だが、それが今は恐ろしいもののように感じられた。
 転生は一度きり。成功しても失敗しても一度きりで、だからこそどんなに劣悪な環境に転生しても帰ってくることは出来ない。脱落者がこうして死んだ人間としてひっそりと生きているのも、その一度きりという部分があるからだ。
 研究がどこまでいっているのかは聞かされない。週に二度も三度も顔を合わせていたアイラが仕事の話をしてくることはなく、守秘義務があるのかと逸瑠が質問することもない。
 本当に仕事をしているのかと不満になるくらい喋りに来ていたアイラに、そんなとこまで進んでいたのかと胸倉を掴みたくなった。逸瑠の願いを知っていて、どうしてあの美しい男は何も言わなかったのだろうか。
「それは、俺が実験台って意味でもありますよね……?」
 公園に点在しているベンチに腰掛けて、何も見えない夜空を見上げる。今日は晴れているはずなのに月も星も見えなくて、はぁと白く濁った吐息だけがふわふわと伸びていった。
 もし本当に進んでいるのなら、アイラが自分に話さない利点はない。山科の言葉を借りるなら実験台として、逸瑠は丁度良い人間だろう。今でこそ母親に会ってどうするのか、という思いはあるけれど、可能性があるのならと頭の片隅で考えてしまう。
『……試す価値はあると思いますよ』
 淡々と告げられていく耳障りの良い言葉に、逸瑠は真っ先にアイラの姿を浮かべていた。転生してしまったら二度と会えない男に、ぐらりと揺れる身体がそのままの勢いでベンチに倒れ込んだ。
 誰も見ていないのをいいことに、ベンチに沈み込んだまま仰向けになる。どこまでも広がっていく夜空に月も星も見えなかったが、逸瑠の視界には光る何かが映った。銀色の光が真っ直ぐに伸びていて、その先に待っている何かから逃げるように瞼を閉じる。
 試す価値はあるといっても、また失敗に終わるかもしれない。今は転生出来なかっただけで五体満足の身体は残っているけれど、次もそうだとは決まっていない。今度こそ四肢が切断されてしまうかもしれない。
 それでも、アイラの次に思い出したのは母親だ。あれだけショックを受け、捨てられたと嘆いていたのに。どうしてと聞いた先で待っているのは地獄だと分かってはいても、抱えていた願望はそう簡単に捨てられるものではない。
 ふわふわと上ぼっていく仄かな吐息に、返事を待っているだろう電話口に向かってそっと吐息を吐き出す。それだけで何事かを察したのか、電波の向こう側で小さく笑う音が聞こえた。

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