七龍の恋物語

いちや

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風龍の玉

領主の館-1

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 目を覚ました寝台の上で、リアナはしばし目を瞬かせた。
 ふかふかのベッドはおそらく最高級の羽毛。シーツの中身までは確認できないので推測でしかないのだが、真っ白な寝具はまるで雪のように穢れなく、一点の汚れも見つからなさそうだった。
 リアナが着せられているレースとフリルがふんだんにあしらわれた豪奢な夜着は、まるで羽のように軽く、着ていないのと同じくらいに心もとないのに、とても暖かい。深く考えるまでもなく最上級の品である。

 心地よいベッドの柔らかさと天使の羽毛のような極上の衣服。さらに、ぐるり、と周囲を見回せば、そこは恐ろしいくらいに最上級の空間だった。
 周囲が薄暗いので調度品の等級までは判別不可能だが、とにかく床にいっぱいに広がる柔らかな毛足の長い絨毯。家具自体の数は少なく、空間的にはぽっかりと寂しい気もするのだが、そのいずれもがアンティーク調の一点物だと分かる見事な部屋との一体感。だとすれば、この空間の使い方も、物が少ないのはわざとであり、あえてそれだけ自由に広々とした空間を使用できるのだということを示しているのだということが分かる。

 一目見て、そこはとんでもなく豪華な部屋、だった。

 靴が無かったので行儀が悪いと思いながらも、そのまま床に足をつける―――途端、毛足の長い絨毯からくすぐったい感覚が広がり、リアナは思わず足を引っ込めた。それでも、そろり、そろり、と足を絨毯の上に踏み出し、あたりを探る。
 時計がないので時刻は分からないものの、今が「夜」ということだけは分かった。
 自分の意識が途切れる前の最後の記憶を探り、不意に思い出す。

 ―――そうだ、あの人。

 ナイフで肩を切り裂かれた感覚。自分を見ているようで見ていない、あの独特の目つき。
 ぞくり、と湧き上がってくる怖気と吐き気に思わずその場に手をついてしまいそうになったのだが、その直後に思い出したのは、幼馴染の顔。そして、その後に聞こえた店主の声と、店主妻がこちらへと駆け寄ってこようとしていた姿。
 とりあえずは助かったのだと思うと、安堵感から息が零れた。次いで、その後どうなったのだろうか、という疑問が沸き起こったのだが、きょろりきょろりと、あたりを見回し、ふっと思いつく。

 ―――ここ、ユーグ、の家?

 リアナの思いつく限りでの最上級がユーグという存在。領主の館になど招かれたことなどないため、それが正解かどうかは分からなかったものの、そう間違った方向ではなかろうと思いながら立ち上がる。
 不意に隣室から人の声と思しき音が洩れ聞こえ来ることに気づいた。

 ぱたぱたと駆け寄ってしまったものの、その音は扉によって阻まれている。
 果たして他人宅の部屋の扉を勝手に開けてしまっていいものかどうか、おとなしくベッドで待っているべきではなかろうか? そもそも、靴もなしに部屋の中を歩くことは、はしたないことなのではなかろうか、と思ってしまうと、そうそう無造作に扉を開けることはできなかった。
 どうしよう、と扉の前で逡巡していると、先ほどの音声が耳で拾えた。

「―――さま」
「明日………には、僕から……すよ」
「……畏まりました」

 ―――ユーグと、あと一人はだれ?

 片方の声の主は、すぐ分かった。けれど、それと話す存在の声はいうと、聞き覚えがあるような気こそするものの、ひとまず、女性の声だとしか分からなかった。

 やはり、リアナをこの部屋へと連れ込んだのはユーグだろう。
 そう思ってすぐ、扉の閉じる音が聞こえた。推測だが、先ほどの女性の方が部屋を出ていったのだと思う。今ならユーグだけだし、隣室を訪れても無作法を怒られたりはしないはず。なら、この扉を開けてもいいだろうか、とドアノブに触れたり、ためらったりを繰り返すこと数秒。

「リアナ。立ち聞きをするのは悪い子だよ」
「っ!」

 その声には明らかに、戸の向こう側にいるはずのリアナを認識したうえで放たれていた。
 びくっ、と身体を震わせた後、おそるおそると扉を開く―――と、隣の部屋の中央では、大きめのソファにどっかりと腰をおろしたユーグがいた。

「ユーグ?」
「おはよう、リアナ。体の調子はどう?」
「う、うん……なんともない」

 そういえば肩口を切られたのだった、と思い、改めて肩口付近に触れてみたのだが痛みはまるでない。ほんのわずかに襟元をまくって確かめてみたのだが、傷跡もなく、綺麗な白い肌があるだけだった。
 扉を後ろ手に閉めて、ユーグの方へと近づいていくと、彼はようやくのことで頬を緩めた。

「そう、よかった」

 ため息と共に零れだした言葉には本物の安堵が滲んでおり、同時に近づいてはじめてリアナはユーグの目元に隈が浮かんでいることに気づかされた。
 リアナは今まで完全に休んでいたのだが、ユーグは違う。あれから何時間が経過しているのかもわからなかったが、おそらく今の今まで事後処理に追われていたのだろう。
 改めて申し訳ない、という気持ちと共に、何がどうなったのだろうか、という不安が入り混じった。けれど、疲れている彼にそれを問いただすのは、と躊躇いもあったし―――何より、こうして対面してようやく思い出したのだが、リアナとユーグは険悪な状態で別れてから、これが初めての顔合わせである。
 今更ながらに何から口にしていいのか、と不安に思った。

 一方で、唇を開きかかったリアナがその場ですぐさま口を噤んだことに、ユーグもまた気づいていた。そして、くすりとその頬を緩める。

「おいで、リアナ」

 とん、と隣の空間をすすめてくるユーグにためらいを覚えつつ、リアナは素直にその場に着席した。
 じっと見つめる萌黄色の瞳には、いつものような柔らかな光だけしかなく、激しい感情はカケラも見られない。

「なにから話そうか―――」





 くたり、と幼馴染の体から力が抜けた。明らかに店主妻の姿をその視界に収め、その眼差しに自分を心配する色しかないことを確認したうえでの結果に驚かされつつ、ユーグはあわてず騒がず、その体を抱きとめる。
 その後すぐさま近づいてきて目の前で転がっている―――もはやほぼボロキレ同然の男を拘束したのは当然ながら憲兵たち+ベルツたちは一様に声を上げ「誰だこれ!?」と叫びまくっている。

「この間からの連続婦女暴行事件の犯人―――付け加えるなら、以前、リアナのストーカーをしてて外国に放逐された、どこぞの元貴族、かな?」
「「はぁ!?」」

 同時に驚きの声を上げたのは店主と店主妻の二人である。
 ベルツの方は完全に表情を凍り付かせ、憲兵たちは事件が記憶にある者もいたらしく、まともに顔をしかめていた。

 ―――これで騎士の側は完全に徹夜が決定した。

 憲兵たちは問題となる人物を引きずっていって牢屋に放り込めばとりあえず仕舞としてもいいのだが、今回の事件は貴族サイドが犯人、ということもあってそれなりに対処が必要となってくる。まずは、問題の男の監督責任者である父親、もしくは、跡を継がせた後であるのならこの男の兄弟姉妹への連絡。ついで、その寄り親となる存在と、さらに、その寄り親の親への連絡および根回し。さらには領主に対しても一部始終を報告せねばならないので、一通りの報告書なども大至急で作成する必要がある。
 犯人が捕まったとなれば今までの被害者および被害者家族に対しても連絡が必要であり―――はっきり言って、仕事は数え上げればキリがない。
 なお、最悪なのはこの犯人の引き取りが拒否された場合、もしくは徹底的に犯人を庇い立てして反攻に出られた場合であり、その際にはもれなくさらに連続して2,3日の徹夜が予想される。そうならないためにも、寄り親たちから圧力をかけて頂くことが先決だが、あまりやりすぎると今度は意固地になられて騒動が大きくなりかねないので、やはりこれにも相当な対応が要求されることとなる。

 もっとも、その前に気は進まないものの、犯人の人命保護の方を行う必要があるだろう。再度言うが気は進まないものの、店主と店主妻は二人してユーグと同じく今にも男を殺そうしかねない勢いで、睨みつけており、「隙あらば」といった表情であったし、そもそもからして、ユーグの魔術により体を切り刻まれ、自身が持っていたナイフで刺され、ついでに体中を木箱やら空き瓶やらで殴られている男はすでに瀕死の領域であった。
 さすがに憲兵たちも騎士たちも荒事に関しては慣れっこ。これぐらいの怪我人の相手ぐらいいつものことだと、手慣れており、てきぱきと手際よく男を縛り付け、引っ立てていく様はさすがであったが、その姿に同情したいと思う気持ちはカケラもわかなかった。

 「隙があれば、殺してやりたい」という気持ちはユーグも一緒だったが、犯人が死亡していたのでは後処理が面倒すぎる。また、そのせいで心優しい幼馴染が―――リアナが心の傷を作ってしまわないかどうかだけが気がかりだった。最悪、犯人については適当に煙に巻いてしまうこともありだとは思うのだが、リアナも犯人が例のストーカー事件の男だと気づいていた風に見えたし、有耶無耶にするには相当な労力がいる。
 それぐらいなら順当通りの裁きを受けさせる方が良い。

 ―――ただし、「表向きは」ってつくんだけどね。

 少なくともこの男はもうこの国ではやっていけない。憲兵にも、騎士たちにも、そして、その裏側にも精通している店主と店主妻、果てには領主の息子である自分にも完全なる敵として認定されているような存在である。こっそり隣国あたりにまでは手を伸ばし、手配書もどきをばらまいてやろう、などと考えつつ、ユーグは完全に気を失っている幼馴染の体を抱きかかえた。

 ―――リアナ。

 抱き上げた瞬間にユーグが実感したのは彼女の軽さ、であった。同年代と比べて大分鍛えている方なのだから当然なのだが、相も変わらず幼馴染の体はひどく軽くて頼りない。ましてや今は服の肩口や襟のあたりに血がにじんでいることもあって、その姿だけで怒りが再燃しそうであった。
 ひとまずは無事でよかった、と何度目になるかもわからない安堵の息を零す。

「若様。うちの娘、返してくれないかしら?」
「それは問題ないけど、怪我してるし、今の時間帯なら、僕の家に連れてく方が良い治療は受けさせてあげられる、って約束できるよ」
「……」

 わずかに店主妻が唇を尖らせる。ぎらついた黒い瞳からは、こちらの真意を必死に確かめようとする色がうかがい知れたのだが、それが嘘だけでもないことは彼女にも理解できているようだった。

「……手は出すなよ?」
「さすがに弱みに付け込むような真似はできないよ」

 店主妻の代わりに応えたのは騎士たちの方を手伝っていた店主の方だった。ほんのりと、服の袖に血がついているところを見ると、本当に―――カザリル伯を殴る、ぐらいはしてきたらしい。

 「しない」のではない、「できない」。

 不平不満顔の店主妻の肩を抱く店主はその回答に、一つうなずいて見せ、ひらひらと手を振った。

 かくして明日の昼には必ずリアナの様子を一度報告しに来ることを約束し、ユーグはそのまま彼女を連れて自宅へと急いだのであった。
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