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風龍の玉
白い小鳥荘-1
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彼が目を覚ました途端、修道女は開口一番に言った。
「ごめん! ベルツッ!!」
ぱんっ、と両手をあわせ、丁寧に頭を下げる彼女に、鳶色の髪に鳶色の瞳をした偉丈夫は、訝しむように顔のまま小首を傾げ―――その直後に後頭部の痛みに呻くこととなった。
潔いくらいに短く刈り上げた短髪に、真っ直ぐな眼差し。「馬鹿みたいに真っ直ぐ」と名高いこの街の騎士団長たる彼、ベルツ・エンレイクは今年28歳になる男性だ。
まだ若いとはいえ、騎士の叙勲を受けてからすでに5年近く。以来、心血を注いでこの街の治安維持に努めてくれている彼は、女子どもに優しいこともあって、相当に信頼の厚い存在である。極限にまで鍛え抜かれた身体は相当に重く、リアナとシリーの二人では引きずるのがやっとといったところではあったのだが、幸いなことに近くを通りかかった数名の街人たちの協力もあって、徒歩5分のここまで連れてくるのは、そう大変なことでもなかった。
だがしかし、彼は修道女に殴られる直前も含め、どうにも記憶がはっきりとしないらしく、頭を抱えて呻いている。多分だが、頭にたんこぶもできていたし、痛むのだと思う。それもかなり。
「こ、ここは……」
「わしのうちじゃよ」
「倒れなすったあんたを引きずって、リアナ嬢ちゃんとシリーさんがここまできなすったんじゃ」
リアナの下宿先のアパート。その管理人夫婦は目を覚ました彼に対し、口々に説明の言葉を述べた。
彼はしばらく放心したかのように老夫婦の言葉を繰り返していたのだが、不意にようやく―――直前に何が起こったのかを思い出したらしく、「うおっ!」と小さく叫んだかと思うと、その場に居直り、頭を下げた。
「申し訳ないっ、シリー殿! いや、某、婦女子をつけるようなつもりは一切なく!」
みるみるうちに真っ赤に染まった頬。殴られたのは騎士団長の方だというのに、しきりに謝っているのも彼の方。
これまたどうしたものかと悩んでいると、今度謝罪の言葉を発したのは、修道女の方で、謝罪合戦が始まってしまった。
「こっちこそ、ごめんなさい」、「いやいや、某が悪ぅござった」、「いいえ、悪いのは私です」、「いいや、こっちだ!」……
リアナは管理人である老婦人の手伝いをしながらお茶を入れていたのだが、部屋に入った途端、平身低頭。床に頭をこすり付けるかのように謝罪を繰り返している二人を目の当たりにして、言葉を失ってしまった。
「どうしよう?」と困った顔を老紳士に向けると、彼はいささかわざとらしすぎる咳払いをして、頭を下げつけている二人の注意を自らに集める。
「御両人。お二方の相性が良いことはこの街の皆が存じておりますが、わしらの家でいつまでその仲のよさを見せ付けられるおつもりか?」
「ち、ちがっ―――」
「そそそそっ、それがっ―――某とシリー殿は、けけけっ、決してそのような疚しい関係ではござらんッ!!!」
二人とも首まで真っ赤にしての反論に、なんだか老婦人とリアナはほっこりとした気持ちを覚えてしまい、視線を合わせながらに苦笑してしまった。
老紳士はと言うと、これまた意味ありげに「ほっほっほ」と笑い―――残された二人は居たたまれない様子で、視線を逸らしながら肩を落としている。ちなみに、二人が赤い顔をしたままであることは言うまでもなかった。
「お二方、お茶が入りましたよ」
「おば様―――い、いただきます」
「某も、頂こう」
「はい、どうぞ」
老婦人の言葉に天の助けとばかりに縋りついた二人はリアナが手渡そうとしたお茶に二人同時に手を伸ばし、こつりと指と指とを触れさせる。途端、再び二人は視線を交わしあい、またもや顔が真っ赤。修道女など、騎士団長と指が触れ合った瞬間、その指に電流が流れたかのような顔でびくっ、と過剰なほどの反応をして見せたほどだった。
そわそわとした二人がそのなんだか微妙に甘い雰囲気を纏っていられたのは、そう長い時間ではなかった。不意に修道女がくすり、と笑ったかと思うと、彼女は笑いながらに言った。
「ご、ごめん。なんか、私らしくない―――よね」
「いいや。某も―――その」
―――つい2週間ほど前。この騎士団長が公衆面前で、修道女に告白した話はあまりにも有名であった。
皆が集まるミサが開始される中、衆目を集める騎士団長が彼女に大束の花束を手渡し、「結婚してください!」と叫んだという逸話は、すでに騎士団における「伝説の告白」として街を駆け巡り、その詳細があちこちで噂されている。噂の修道女曰く、「本人が言い逃げしたせいで返事はまだ」とのことらしいのだが、いやに乙女乙女した修道女の姿を見ていると、いつもの男勝りな彼女とのギャップでえらく彼女が愛らしく見える。
なお、返事は衆目の集まるところでは「できるわけがないでしょう」というのが本人の言なのだが、騎士団長側はそれに気づいているのかいないのか。騎士団長人は実際にはシリーと目を合わせるだけで挙動不審に陥るほど純情一途なカタブツであり、そもそも告白できたこと自体奇跡だと部下たちが褒めそやしているそうである。
最終的な落としどころとしてはその部下たちと修道女とが話し合い、無理やりにでも騎士団長と修道女との間で話し合いが持てるように取り繕うのではなかろうかと思うのだが、それがいつになるのかはまだ不明である。
―――シリー先生、可愛い。
どうして世の中の女の子は恋をすると、こんなにも可愛らしくなれるのだろう。
「恋」というものを知らないリアナは首を傾げるばかりなのだが、ユーグを追いかけている恋する女の子達然り。この修道女然り。特にこの修道女など、人前での普段の姿が豪快すぎるためなのか、こういった姿は目を見張るレベルで驚かされる部分がある。
「返事はまだ」だなんて言って誤魔化してはいるものの、その回答はすでに決まっているのだろう。あとは、本当に、どのタイミングでそれをどう伝えるかだけで。
まぎれもなく、「お似合い」としか言いようのない二人には、ぜひともそのまま幸せになってほしいものなのだが、修道女が結婚してしまう、となると、それはつまり、修道女事態を辞めるということにも繋がる。ずっと仲良しだった人々と切り離されるような―――不意に猛烈な寂しさがこみあげてきて、リアナの胸中は実に複雑だった。
だがしかし、リアナがその言葉を修道女に送るのは「まだ」でいいようである。それまでに親離れならぬ姉離れの心づもりをしておかねば、と思いながら、リアナの心にふっと浮かんできたのは、いつもの幼馴染の顔だった。
―――ユーグも、寂しがってくれるかな。
修道女にとっては、ユーグですら「やんちゃ盛りの子ども」の一人という認識しかなく、他の修道女や神父たちが、彼への扱いをそれとなくソフトなものにしている中、一人だけ他の子どもたちとわけ隔てなく接していたこともあり、ユーグも修道女には気を許していた。
この複雑な胸中を分かり合える相手は彼だけだろうか、と思いながらその、修道女の相手である騎士団長の顔を盗み見れば、その顔が今まで見たことがないほど優しい表情であることに驚かされる。想い人の前でだけ見せる騎士団長の顔。騎士団のメンバーから「鉄槌の鬼」として広く知られているこの少々強面のこの男が修道女に向けるまなざしはどこまでも優しくて甘い。
今も、老婦人に手渡された甘栗の殻をやけどしないように割り、隣にいる修道女に手渡している様は、これまた「誰だろう?」と別人である可能性を疑ってかからねばならぬほどであった。
「それで、シリーさん、今日はどんな用事で?」
「あ、そうでした! またユフィから手紙が届いたので、渡しにきたんです!」
「あらまぁ、嬉しいこと」
修道女が懐から取り出した手紙を、老婦人は満面の笑顔で受け取った。手紙の主は、彼女たちの一人娘からのものだそうである。この街から遠く離れたティルティス領に嫁いだという彼らの娘は、龍神教と深いかかわりを持つ存在らしく、その伝でたまに手紙を送ってくるらしい。普通に郵便に出すとそれなりの送料を取られてしまう手紙も、龍神教の信者同士のネットワークを使えば無料で、しかもかなり早く届けることが出来るという話だった。
修道女の用事はそれで終了したのだが、彼女はそれを渡し終えた後、騎士団長へと向かい、こほんと咳払いをする。
「で、ベルツ。あんたは私達になんの用事だったわけなの?」
「いや―――その……そ、某はシリー殿のことが心配で……」
「心配?」
「はい。あの「連続婦女暴行事件」の件で―――げふっ!」
「ベルツ! あんたもう少し慎みなさい!!」
修道女の言葉に、騎士団長は目を白黒とさせていた。容赦なく彼の腹へと決まった修道女の鋭すぎる一撃は、一瞬彼の呼吸さえも止めてしまっていたらしく、彼は苦しげな顔でごほごほと咳き込んですらいたほど。
「ふじょ……ぼう、こう?」
不意に呟いた言葉だったが、騎士団長のそれは単なる「暴力」というには何かを含んでいるようで―――それが性的な物を示唆していることに気づかされ、リアナはぽかん、と口を開いたままになってしまった。
本来なら「狙われているのが女性ばかり」という時点で気づくべきだったはずなのだが、リアナの想像にそれはなかったのだ。
―――だから、ユーグも、ラルゴさんたちも心配していたのか。
より力のない女を狙った卑劣な犯行―――で、あることは分かっていたはずなのだが、それが単なる暴力ではなく、性的な暴力であることに気づかされたリアナは衝撃をうけていた。
改めて昨晩の、人気のない裏路地で後をつけられていたように感じた事件を思い出し、リアナは肌を粟立たせた。店主夫妻と、幼馴染、そして修道女たちの過保護にすら感じていた気遣いの原因をようやく理解し、リアナは納得する。その後、不意に心の底まで冷えるような恐怖を感じ、言葉を失ってしまった。
おそらく、彼らはリアナがある種の誤解をしていることに気づいていただろう。気づいてはいたのだけれど、それらのことをリアナに言わなかったのには訳がある。
ちょうど半年ほど前―――春の終わりに、リアナはとある男性にしつこく付き纏われ、ストーカー行為を受けていたのだ。
この国では、きちんとした成人として扱われる16歳の手前、おおよそ2~3年前に定職に就くことが多く、その間の年齢の若者たちは「準成人」と呼ばれている。正式に国で定めた法律上では準成人は13歳、そして、その3年後、16歳の年明けを待って成人となり、一応国としても正式な成人の儀式を執り行うこととなっている。
リアナは言葉の吸収こそ早かったものの他国出身、おまけに保護者なしの孤児院出身、ということが災いして職探しに難航、結局就職できたのは14歳になってからだった。孤児院を出るのは準成人を卒業するまで、となっているので問題はなかったのだが、それでも周囲の14歳と比べると、自分は1年分のハンディを抱えているのだと思い、とにかく周囲の同年代の娘たちと同じぐらいに成長しようと躍起になっていた。
当時のリアナは孤児院を出て、準成人として認められていたとしても、たかだか14歳の少女でしかなかった。
そんな時期にいい年をした男性に付け回され、生活を脅かされ―――すっかり気を滅入らせてしまったのである。一時期は、仕事にも出ていけないほどに疲弊していたのだが、持ち前の責任感の強さが災いし、そういうわけにもいかず無理に無理を重ねてしまい、体調を完全に崩してしまった。
当時は精神的にはかなり追い詰められていた。隣に住んでいるシングルマザーの女性がリアナの様子がおかしいことに気づいて、さっさと青鹿亭の店主や客達に手回しをしてくれたおかげでその男性の異常行動は止んだのだが、その後すぐに彼から告白をされてしまい、リアナは訳が分からなくなってしまったのだ。
強い不快感を伴うその告白に耐え切れず、リアナはその場で嘔吐した。彼が真剣だったかもしれない告白に対し、あまりに失礼ではあったものの、どうしても、その彼の気持ちは幼いリアナの心に受け止められるようなものではなく―――先に心が悲鳴を上げた。
以来、リアナの前でその手の話題はぱったりと途絶え、この半年間ほどは下ネタ程度はあるものの、それ以上の話はリアナの前では厳禁と言う扱いになっていたのだ。
酒場で働く身の上で、それは致命的ではないだろうか、と思いつつも、それでもどうにか生活が回っているのは一重に、青鹿亭の客層と、その店主夫妻のおかげである。
「ええ……そ、そのあの、前回の男とは違いますよ!?」
「当たり前でしょう!」
「リアナさんが狙われているわけではないんです。その―――実に無差別な犯行、で……こ、こっちも最善が尽くしているのですが………」
犯人にたどり着く有力な手がかりはなく、騎士団の総力を挙げて犯人の検挙に務めているのが今の段階であり、とにかくリアナは夜に街を出歩かないほうがいい、といわれた。無論、修道女だとて例外ではない。
「そうじゃのぉ。しばらくリアナ嬢ちゃんは、ラルゴの店に泊り込んだほうがよかろうて」
「そうねぇ。もし手紙や荷物なんかがあれば、わたしたちが預かっててあげるから、どうかしら? 一度相談してみたほうがいいと思うの」
「……はい。明日にでも、ラルゴさんに相談してみます」
こくり、と頷いたリアナは胸が不思議に―――嫌な感じにざわめくのを感じていた。
じわじわとせり上がってくる嘔吐感。息苦しさを覚えて胸元を押さえて、服をぎゅっと握り締める。
―――ユーグ。
「怖い」と思った。どうしても、あの―――飄々とした顔の、幼馴染に会いたい、と思った。
けれど、そんなこと願えるはずもない。彼は、孤児の娘ごときが願っていい存在ではないのだ。
―――今度こそ、自分で、どうにかしなきゃ。
前を向いているはずなのに、背後にひたり、と忍び寄るうすら寒さを感じ、リアナはその顔に笑顔を浮かべながら何かの陰に怯える夜を過ごすことになってしまった。
「ごめん! ベルツッ!!」
ぱんっ、と両手をあわせ、丁寧に頭を下げる彼女に、鳶色の髪に鳶色の瞳をした偉丈夫は、訝しむように顔のまま小首を傾げ―――その直後に後頭部の痛みに呻くこととなった。
潔いくらいに短く刈り上げた短髪に、真っ直ぐな眼差し。「馬鹿みたいに真っ直ぐ」と名高いこの街の騎士団長たる彼、ベルツ・エンレイクは今年28歳になる男性だ。
まだ若いとはいえ、騎士の叙勲を受けてからすでに5年近く。以来、心血を注いでこの街の治安維持に努めてくれている彼は、女子どもに優しいこともあって、相当に信頼の厚い存在である。極限にまで鍛え抜かれた身体は相当に重く、リアナとシリーの二人では引きずるのがやっとといったところではあったのだが、幸いなことに近くを通りかかった数名の街人たちの協力もあって、徒歩5分のここまで連れてくるのは、そう大変なことでもなかった。
だがしかし、彼は修道女に殴られる直前も含め、どうにも記憶がはっきりとしないらしく、頭を抱えて呻いている。多分だが、頭にたんこぶもできていたし、痛むのだと思う。それもかなり。
「こ、ここは……」
「わしのうちじゃよ」
「倒れなすったあんたを引きずって、リアナ嬢ちゃんとシリーさんがここまできなすったんじゃ」
リアナの下宿先のアパート。その管理人夫婦は目を覚ました彼に対し、口々に説明の言葉を述べた。
彼はしばらく放心したかのように老夫婦の言葉を繰り返していたのだが、不意にようやく―――直前に何が起こったのかを思い出したらしく、「うおっ!」と小さく叫んだかと思うと、その場に居直り、頭を下げた。
「申し訳ないっ、シリー殿! いや、某、婦女子をつけるようなつもりは一切なく!」
みるみるうちに真っ赤に染まった頬。殴られたのは騎士団長の方だというのに、しきりに謝っているのも彼の方。
これまたどうしたものかと悩んでいると、今度謝罪の言葉を発したのは、修道女の方で、謝罪合戦が始まってしまった。
「こっちこそ、ごめんなさい」、「いやいや、某が悪ぅござった」、「いいえ、悪いのは私です」、「いいや、こっちだ!」……
リアナは管理人である老婦人の手伝いをしながらお茶を入れていたのだが、部屋に入った途端、平身低頭。床に頭をこすり付けるかのように謝罪を繰り返している二人を目の当たりにして、言葉を失ってしまった。
「どうしよう?」と困った顔を老紳士に向けると、彼はいささかわざとらしすぎる咳払いをして、頭を下げつけている二人の注意を自らに集める。
「御両人。お二方の相性が良いことはこの街の皆が存じておりますが、わしらの家でいつまでその仲のよさを見せ付けられるおつもりか?」
「ち、ちがっ―――」
「そそそそっ、それがっ―――某とシリー殿は、けけけっ、決してそのような疚しい関係ではござらんッ!!!」
二人とも首まで真っ赤にしての反論に、なんだか老婦人とリアナはほっこりとした気持ちを覚えてしまい、視線を合わせながらに苦笑してしまった。
老紳士はと言うと、これまた意味ありげに「ほっほっほ」と笑い―――残された二人は居たたまれない様子で、視線を逸らしながら肩を落としている。ちなみに、二人が赤い顔をしたままであることは言うまでもなかった。
「お二方、お茶が入りましたよ」
「おば様―――い、いただきます」
「某も、頂こう」
「はい、どうぞ」
老婦人の言葉に天の助けとばかりに縋りついた二人はリアナが手渡そうとしたお茶に二人同時に手を伸ばし、こつりと指と指とを触れさせる。途端、再び二人は視線を交わしあい、またもや顔が真っ赤。修道女など、騎士団長と指が触れ合った瞬間、その指に電流が流れたかのような顔でびくっ、と過剰なほどの反応をして見せたほどだった。
そわそわとした二人がそのなんだか微妙に甘い雰囲気を纏っていられたのは、そう長い時間ではなかった。不意に修道女がくすり、と笑ったかと思うと、彼女は笑いながらに言った。
「ご、ごめん。なんか、私らしくない―――よね」
「いいや。某も―――その」
―――つい2週間ほど前。この騎士団長が公衆面前で、修道女に告白した話はあまりにも有名であった。
皆が集まるミサが開始される中、衆目を集める騎士団長が彼女に大束の花束を手渡し、「結婚してください!」と叫んだという逸話は、すでに騎士団における「伝説の告白」として街を駆け巡り、その詳細があちこちで噂されている。噂の修道女曰く、「本人が言い逃げしたせいで返事はまだ」とのことらしいのだが、いやに乙女乙女した修道女の姿を見ていると、いつもの男勝りな彼女とのギャップでえらく彼女が愛らしく見える。
なお、返事は衆目の集まるところでは「できるわけがないでしょう」というのが本人の言なのだが、騎士団長側はそれに気づいているのかいないのか。騎士団長人は実際にはシリーと目を合わせるだけで挙動不審に陥るほど純情一途なカタブツであり、そもそも告白できたこと自体奇跡だと部下たちが褒めそやしているそうである。
最終的な落としどころとしてはその部下たちと修道女とが話し合い、無理やりにでも騎士団長と修道女との間で話し合いが持てるように取り繕うのではなかろうかと思うのだが、それがいつになるのかはまだ不明である。
―――シリー先生、可愛い。
どうして世の中の女の子は恋をすると、こんなにも可愛らしくなれるのだろう。
「恋」というものを知らないリアナは首を傾げるばかりなのだが、ユーグを追いかけている恋する女の子達然り。この修道女然り。特にこの修道女など、人前での普段の姿が豪快すぎるためなのか、こういった姿は目を見張るレベルで驚かされる部分がある。
「返事はまだ」だなんて言って誤魔化してはいるものの、その回答はすでに決まっているのだろう。あとは、本当に、どのタイミングでそれをどう伝えるかだけで。
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だがしかし、リアナがその言葉を修道女に送るのは「まだ」でいいようである。それまでに親離れならぬ姉離れの心づもりをしておかねば、と思いながら、リアナの心にふっと浮かんできたのは、いつもの幼馴染の顔だった。
―――ユーグも、寂しがってくれるかな。
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この複雑な胸中を分かり合える相手は彼だけだろうか、と思いながらその、修道女の相手である騎士団長の顔を盗み見れば、その顔が今まで見たことがないほど優しい表情であることに驚かされる。想い人の前でだけ見せる騎士団長の顔。騎士団のメンバーから「鉄槌の鬼」として広く知られているこの少々強面のこの男が修道女に向けるまなざしはどこまでも優しくて甘い。
今も、老婦人に手渡された甘栗の殻をやけどしないように割り、隣にいる修道女に手渡している様は、これまた「誰だろう?」と別人である可能性を疑ってかからねばならぬほどであった。
「それで、シリーさん、今日はどんな用事で?」
「あ、そうでした! またユフィから手紙が届いたので、渡しにきたんです!」
「あらまぁ、嬉しいこと」
修道女が懐から取り出した手紙を、老婦人は満面の笑顔で受け取った。手紙の主は、彼女たちの一人娘からのものだそうである。この街から遠く離れたティルティス領に嫁いだという彼らの娘は、龍神教と深いかかわりを持つ存在らしく、その伝でたまに手紙を送ってくるらしい。普通に郵便に出すとそれなりの送料を取られてしまう手紙も、龍神教の信者同士のネットワークを使えば無料で、しかもかなり早く届けることが出来るという話だった。
修道女の用事はそれで終了したのだが、彼女はそれを渡し終えた後、騎士団長へと向かい、こほんと咳払いをする。
「で、ベルツ。あんたは私達になんの用事だったわけなの?」
「いや―――その……そ、某はシリー殿のことが心配で……」
「心配?」
「はい。あの「連続婦女暴行事件」の件で―――げふっ!」
「ベルツ! あんたもう少し慎みなさい!!」
修道女の言葉に、騎士団長は目を白黒とさせていた。容赦なく彼の腹へと決まった修道女の鋭すぎる一撃は、一瞬彼の呼吸さえも止めてしまっていたらしく、彼は苦しげな顔でごほごほと咳き込んですらいたほど。
「ふじょ……ぼう、こう?」
不意に呟いた言葉だったが、騎士団長のそれは単なる「暴力」というには何かを含んでいるようで―――それが性的な物を示唆していることに気づかされ、リアナはぽかん、と口を開いたままになってしまった。
本来なら「狙われているのが女性ばかり」という時点で気づくべきだったはずなのだが、リアナの想像にそれはなかったのだ。
―――だから、ユーグも、ラルゴさんたちも心配していたのか。
より力のない女を狙った卑劣な犯行―――で、あることは分かっていたはずなのだが、それが単なる暴力ではなく、性的な暴力であることに気づかされたリアナは衝撃をうけていた。
改めて昨晩の、人気のない裏路地で後をつけられていたように感じた事件を思い出し、リアナは肌を粟立たせた。店主夫妻と、幼馴染、そして修道女たちの過保護にすら感じていた気遣いの原因をようやく理解し、リアナは納得する。その後、不意に心の底まで冷えるような恐怖を感じ、言葉を失ってしまった。
おそらく、彼らはリアナがある種の誤解をしていることに気づいていただろう。気づいてはいたのだけれど、それらのことをリアナに言わなかったのには訳がある。
ちょうど半年ほど前―――春の終わりに、リアナはとある男性にしつこく付き纏われ、ストーカー行為を受けていたのだ。
この国では、きちんとした成人として扱われる16歳の手前、おおよそ2~3年前に定職に就くことが多く、その間の年齢の若者たちは「準成人」と呼ばれている。正式に国で定めた法律上では準成人は13歳、そして、その3年後、16歳の年明けを待って成人となり、一応国としても正式な成人の儀式を執り行うこととなっている。
リアナは言葉の吸収こそ早かったものの他国出身、おまけに保護者なしの孤児院出身、ということが災いして職探しに難航、結局就職できたのは14歳になってからだった。孤児院を出るのは準成人を卒業するまで、となっているので問題はなかったのだが、それでも周囲の14歳と比べると、自分は1年分のハンディを抱えているのだと思い、とにかく周囲の同年代の娘たちと同じぐらいに成長しようと躍起になっていた。
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当時は精神的にはかなり追い詰められていた。隣に住んでいるシングルマザーの女性がリアナの様子がおかしいことに気づいて、さっさと青鹿亭の店主や客達に手回しをしてくれたおかげでその男性の異常行動は止んだのだが、その後すぐに彼から告白をされてしまい、リアナは訳が分からなくなってしまったのだ。
強い不快感を伴うその告白に耐え切れず、リアナはその場で嘔吐した。彼が真剣だったかもしれない告白に対し、あまりに失礼ではあったものの、どうしても、その彼の気持ちは幼いリアナの心に受け止められるようなものではなく―――先に心が悲鳴を上げた。
以来、リアナの前でその手の話題はぱったりと途絶え、この半年間ほどは下ネタ程度はあるものの、それ以上の話はリアナの前では厳禁と言う扱いになっていたのだ。
酒場で働く身の上で、それは致命的ではないだろうか、と思いつつも、それでもどうにか生活が回っているのは一重に、青鹿亭の客層と、その店主夫妻のおかげである。
「ええ……そ、そのあの、前回の男とは違いますよ!?」
「当たり前でしょう!」
「リアナさんが狙われているわけではないんです。その―――実に無差別な犯行、で……こ、こっちも最善が尽くしているのですが………」
犯人にたどり着く有力な手がかりはなく、騎士団の総力を挙げて犯人の検挙に務めているのが今の段階であり、とにかくリアナは夜に街を出歩かないほうがいい、といわれた。無論、修道女だとて例外ではない。
「そうじゃのぉ。しばらくリアナ嬢ちゃんは、ラルゴの店に泊り込んだほうがよかろうて」
「そうねぇ。もし手紙や荷物なんかがあれば、わたしたちが預かっててあげるから、どうかしら? 一度相談してみたほうがいいと思うの」
「……はい。明日にでも、ラルゴさんに相談してみます」
こくり、と頷いたリアナは胸が不思議に―――嫌な感じにざわめくのを感じていた。
じわじわとせり上がってくる嘔吐感。息苦しさを覚えて胸元を押さえて、服をぎゅっと握り締める。
―――ユーグ。
「怖い」と思った。どうしても、あの―――飄々とした顔の、幼馴染に会いたい、と思った。
けれど、そんなこと願えるはずもない。彼は、孤児の娘ごときが願っていい存在ではないのだ。
―――今度こそ、自分で、どうにかしなきゃ。
前を向いているはずなのに、背後にひたり、と忍び寄るうすら寒さを感じ、リアナはその顔に笑顔を浮かべながら何かの陰に怯える夜を過ごすことになってしまった。
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つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
色々と疲れた乙女は最強の騎士様の甘い攻撃に陥落しました
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