上 下
7 / 35

第7話 お化け屋敷

しおりを挟む
「おお!」

 意外なことに、執事に案内されて中に入ると、外観がお化け屋敷とは思えないほど室内は整然としていた。もちろん、お化け屋敷としては整然としているという意味だけれども。

「何とか、殿下が到着される前にはそう考えておりましたが、申し訳ございません」
「気にするな。むしろ五人でよくここまでしてくれたものだ。遠目から屋敷が見えた時はあきらめていたが、これなら問題なく住むことができそうだ」
「お心遣い感謝致します」

 この執事は、心からレーヴェンを尊敬しているようだ。彼の目は涙で滲んでいた。侍女たちも、主君であるレーヴェンに会えたことが嬉しいようで、先程から笑顔が絶えない。

 やはり、彼女の人柄は、噂とはかなり異なるようだ。

 レーヴェンの艶やかで神秘的な黒髪が揺れるたび、薔薇のような魅惑の香りが鼻先をくすぐる。まるで幸せそのものが香りとなって存在するかのようで、この贅沢な香りを一生嗅いでいたいと思うほどだ。口にするとなんだか変態っぽいので、死んでも口にするつもりはない。

「これは凄いな」

 ギャラリールームのような場所を抜けて辿り着いたのは食堂だった。ここがお化け屋敷であることを忘れるほど、壮大な食堂が広がっていた。

 約五メートルの長いテーブルには、巧妙にデザインされた蝋燭立てが均等に配置されている。豪奢なシャンデリアが天井に吊り下げられ、壁には巨大な鏡面が埋め込まれていた。壁に飾られた美しい絵画は、おそらく有名な画家によるもので、その中にはレーヴェンの肖像画も含まれていた。

「食事をする場所は清潔でなければなりません。殿下の寝室と食堂は特に丁寧にお手入れしております」
「うむ。ハーネスの心遣いにはいつも感謝している」

 レーヴェンもこの状況に満足しているようで、ゆっくりと頷いた。ちなみに、執事の名前はハーネスというらしい。

「とても美しい絵だな。俺の審美眼によると、これは帝国一の画家が描いた。違うか?」

 自信たっぷりに答えると、なぜかハーネスが恥ずかしそうに謙遜した。

「?」
「あちらは私がササッと描いたものでございます」
「え…………描いた?」
「ここには何もなかったため、ちょっとした趣味で描いてみました」
「面倒をかけたな」
「いえ、とんでもございません」

 ハーネスはものの5分でこの肖像画を描いたという。冗談も休み休み言え。

「こ、これ、ほんとうにハーネスさんが描いたのですか?」
「お恥ずかしい限りです」

 信じられない…。ランナー国なら間違いなく引っ張りだこの画家になるだろう。しかも、わずか5分で…。この執事、一体何者だよ。

「さあ、ランス殿もお座りください」

 俺は深呼吸して心を落ち着かせ、角の上席に腰を落ち着かせたレーヴェンの近くに座った。一応最低限のマナーは覚えている。

 このような長いテーブルでの食事では、地位の高い者が上座に座り、少人数の場合には上座に近い席で食事をするのがマナーだ。対面に座ることは避ける。反対側に座るのは使用人や奴隷など、通常は長いテーブルに座る資格のない低い身分の者だ。また、反対側に座ることは、お近づきになりたくないか、あるいは暗黙のうちに嫌味や嫌がらせのメッセージを含むことがある。注意が必要だ。

「こちらは北のポスタル地方で作られた赤ワインでございます」
「うむ。口の中に北の心地よい風が吹き抜けたような、爽やかな酸味が癖になるな」

 レーヴェンがワインのテイスティングを終えると、侍女が絶妙なタイミングで料理を乗せたワゴンを運んできた。

「え、もう出来たのか!?」

 到着したばかりなのに、侍女は温かいスープを提供してくれた。

「う、うまい! これは絶品だ!」

 ただのコンソメスープかと思いきや、オニオンとビーフの濃厚な旨味が凝縮され、ピリッとしたスパイシーな余韻が残る絶品のコンソメスープだった。長い旅で疲れた体を芯からほっこり温めてくれる。
 まさに極上の一品だ。

「さすが、帝国のシェフだな」
「これを作ったのは恐らくロレッタだ」
「ロレッタさんという、凄腕のシェフか」
「いや、さっき会っただろ? 眼鏡をかけたメイド長だ」
「メ、メメメメイド長がこれをっ!?」

 バカなっ!
 一介のメイドがこれを作ったというのか。
 その事実をランナー国のシェフたちが知れば、間違いなく泣いてしまうレベルだ。

 その後も、メイド長のロレッタが作る極上の料理が続々と登場する。
 湖で釣ったという新鮮な魚介類を使用したポワソン、メインディッシュ前のお口直しのソルベなど、どれも非常に美味しいものばかり。

 そして、極めつけは……。

「マジかよ!?」

 鉄板を運んできて、目の前で肉を焼き始めた。火魔法を使いながら、手際よく焼いていく。

 メイドが魔法を使う……? 一体何の冗談だ?
 魔法は一石二鳥で身につくようなものではない。平民出身の人々の中にも、魔法を使える者は確かにいるが、なぜ魔法を習得した者がメイドなんてやっているのだ。理解ができない。

 冒険者にでもなれば、彼女なら引っ張りだこだっただろうに。

「ロレッタは、私の幼馴染みなのだ」
「え……幼馴染み?」

 俺が不思議そうな顔でロレッタを見つめていたからだろう。グラスを傾けたレーヴェンがメイド長について語りはじめた。

「彼女の家系は代々、私たち皇族に仕えてくれていてな。帝国にとって特別な一族であり、私の親友でもある。ランスも仲良くしてやってくれ」
「特別な一族……」

 皇族から特別な一族と言われる使用人の家系? まさか、それはもはや通常の使用人とは異なる存在なのではないかと、俺は理解できない思いだった。

 俺から見たメイド長のロレッタは、地味な女性という印象だった。眼鏡の奥に隠れた瞳は切れ長で、どこか無表情に思えた。それは8歳の頃、舞踏会場でレーヴェンを見たときに感じた感覚に近いと思う。実際のレーヴェンはずっと人間らしい存在だったのだが、もしかしたら、ロレッタとも話してみたら、印象が変わるかもしれない。

 メイド長が目の前で調理してくれたメインディッシュは、本当に絶品だった。
 帝国という国に改めて驚かされた。

 食事の後、ハーネスの勧めで風呂に入った。半壊状態の浴室は新鮮で、個人的には結構好みかもしれない。

「パウロ殿たちをけしかけた者は――」
「恐らく弟たちの誰かだろうな」

 風呂から上がり、屋敷内を歩いていると、とある部屋からレーヴェンとハーネスの声が聞こえてきた。気になり、俺はその扉の前で立ち止まり、聞き耳を立ててしまう。

「帝都には私を快く思わぬ貴族たちも……!」
「ねずみですかな」
「――そこに居るのは誰だッ!」

 やばい、部屋の前で盗み聞きしていることがバレてしまった。
 ドアが開き、おろおろする俺の前に、レーヴェンが怒りの表情で立っていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

1000歳の魔女の代わりに嫁に行きます ~王子様、私の運命の人を探してください~

菱沼あゆ
ファンタジー
異世界に迷い込んだ藤堂アキ。 老婆の魔女に、お前、私の代わりに嫁に行けと言われてしまう。 だが、現れた王子が理想的すぎてうさんくさいと感じたアキは王子に頼む。 「王子、私の結婚相手を探してくださいっ。  王子のコネで!」 「俺じゃなくてかっ!」 (小説家になろうにも掲載しています。)

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

完結 幽閉された王女

音爽(ネソウ)
ファンタジー
愛らしく育った王女には秘密があった。

処理中です...