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第3話 レーヴェン皇女殿下

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 窓枠を掴み、屋根に飛び上がった俺は、セドリックではなく、レーヴェン皇女殿下に視線を向けた。

 レーヴェンは筋肉隆々とした短髪男と対峙していた。相手にも一応は騎士道精神があるらしく、馬を降りて正々堂々と一騎打ちを挑もうとしている。

 帝国の第一皇女殿下は、戦場の死神として恐れられるほどの実力者。彼女は女性らしいドレスには興味を示さず、幼少の頃から軍服を身にまとっていた。

 幼い頃、俺は何度か帝国の舞踏会で彼女を見かけたことがあった。あれはまだ俺が8歳で、彼女が18歳の頃だったと思う。

 当時の彼女も美しく、その圧倒的な存在感は子供の俺をも魅了していた。

 しかし、彼女の軍服姿は男尊女卑が根強い帝国貴族たちには受け入れがたいものだったようだ。当時8歳だった俺の目から見ても、彼女は孤立していた。

 舞踏会の華やかな会場でただ一人、軍服をまとった少女が壁にもたれかかっている光景。その異様な情景は、101回目の今でも鮮明に覚えている。

 彼女の赤い瞳が、まるでガラス細工のように冷たく、鋭く輝いていたことを。

 当時も、彼女は今のような漆黒の軍服に身を包んでいた。

「パウロよ、私を裏切ったこと、地獄で後悔することになるぞ」
「すべては貴方ご自身の責任だ。軍服など脱ぎ捨て、女としての幸せを願えば良かったものを」
「文句ならば神にでも言え。私の性別を間違った神にな」
「黙れッ―――!」

 皇女殿下は頭上から振り下ろされた強烈な一撃を、腰から引き抜いたサーベルで受け止めた。飛び散る火花、彼女の華奢な身体の一体どこに、あれ程の力があるというのだろう。

「よそ見をしている場合かっ!」

 馬からこちらに飛び移ったセドリックが、縦横無尽に剣を振り回してくる。その攻撃を躱しながら、俺は馬車から素早く飛び降りた。同時に彼も飛び降りる。

 セドリックの年齢は俺と同じ、18か19歳ぐらいだろうか。その年齢にしてはなかなかの腕前だが、所詮は10代の剣術。見た目は18歳でも、俺のように数百歳の経験があれば、その攻撃を避けることは容易い。

「くそっ、なぜ当たらないんだ!」

 その程度の攻撃も避けられないとなれば、アーロンに笑われてしまうだろう。剣帝なる師匠なら、罰として素振り100万回は確実だろうな。思い出すだけでゾッとする。

 セドリックとは違い、あのパウロという男はそれなりに腕があるようだな。戦場の死神として名高い皇女殿下と打ち合うことができるのだから、中々大したものだ。それでも、皇女殿下にはかなわないだろう。俺の見立てでは、レーヴェンはまだ実力の半分も発揮していないように思える。その一方で、パウロは最初の一太刀から全力を出し切っているようだ。

 案の定、パウロは押され始めていた。

「うぐっ……」
「どうした、パウロ? 貴様はその程度の実力で私を殺るつもりだったのか?」
「女の分際でっ、なめるなァッ!」

 怒りに駆られたパウロの突進を華麗にかわし、レーヴェンが足を引っ掛ける。パウロは無様に転び、その喉元に刀の切っ先が突きつけられた。

「――うっ……」
「もう一度問う、誰の差し金だ」
「……レーヴェン、お前は女だ。女が皇帝になることは不可能だ!」
「言いたいことは、それだけか?」
「決して誰も認めない。女の皇帝など断じてだれ――」

 パウロがすべての言葉を吐き終える前に、彼の喉から真っ赤な鮮血が噴き出した。
 彼女の黒い瞳には、悲哀や憎しみの感情が交錯しているように見えた。

「そんな、パウロさん!?」

 セドリックは俺を無視し、何かを伝えようとするパウロに駆け寄った。そのまま膝をついてパウロを抱きかかえるが、かすれた声は不鮮明で、ほとんど聞き取れなかった。

「どうして、なぜだッ!」

 パウロの目からは完全に光が消えた。

「うわあああああああああああああああああああああっ」

 人目を気にせず泣き叫ぶセドリックに、レーヴェン皇女殿下の冷徹な視線が突き刺さる。

「去れ。次に会えば容赦はしない」
「……くっ。お待ちください!  パウロさんは、ずっと皇女殿下のことを慕っていました!  皇女殿下も気づかれていたはずです!」
「くだらん」

 吐き捨てるレーヴェンに対して、セドリックは叫ぶことをやめなかった。

「アンタは自分を愛してくれた男を殺したんだ!」
「私は私を殺そうとした男を殺しただけだ。それとも何か、女は慕ってくれる男にならば、喜んで心臓を差し出すとでもいうのか。バカか貴様」
「違うっ! パウロさんがやらなければ誰かがやるんだ。それならせめて自分の手で……これはパウロさんの殿下に対する愛だったんだ!」

 どんな愛だよ!?
 と、思わず心のなかでツッコんでしまった。

「お前たちは、私を真に慕ってくれた者たちを手にかけた」

 彼女はとても儚げに、地に倒れた臣下たちに視線を向けた。その姿は、かすかに震えているようにも見える。

「お前たちは、私の敵以外の何者でもない」
「……っ」
「私の気が変わらんうちに、さっさと去れ」

 セドリックはパウロの亡骸を抱え、馬に騎乗する。御者を追いかけ、森に入っていた仲間、ルータスという者を追いかけるように走り出した。
 去り際。

「いつか貴方には、必ず神の裁きが下ることでしょう」

 自己中心的な言葉を吐き捨てて、去っていく。どこまでも勝手な奴だと思った。

「………」

 そして、現在。
 俺はレーヴェン皇女殿下に睨まれている。彼女の目は、狂人を観察するかのように冷酷だった。

「あの状況で逃げ出さず、私を観察し続けるとは、貴様どこの狂人だ」

 口ではそう言っているが、サーベルを鞘にしまい込む様子から、こちらに敵意がないことが伝わってくる。

「俺のこと……じゃなくて。私を覚えてはおられませんか?」
「しらん」

 即答かよ!
 まあ無理もないか。最後に会ったというか、一方的に見ていたのは10年前だからな。しかも、こちらはまだ8歳と子供だったのだ、覚えていなくて当然か。

「私は元ランナー国の第一王子、ランス・ランナウェイと申し上げます、皇女殿下」

 俺は帝国の皇女殿下に敬意を表して頭を下げた。

「他国の、それも王家の者が堂々と帝国領内を闊歩するか」
「元ですから。今はただのランスです」
「元……?」

 怪訝な表情をする皇女殿下に状況を説明しようとしたのだが、

「……うぅっ」
「テレサ!?」

 死んでいると思われていた臣下の一人が、わずかに動いた。
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