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04.記憶のオルゴール

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 小さな田舎町だった。
 花と風車くらいしか見所がないような、穏やかな町並み。
 石化世界に閉じ込められる前のことだ。
 私はそんな田舎町に目的もなく滞在していただけだ。だけど町の片隅の静かな一角で、窓ガラス越しにずっと下を向き続けている男の人が見えた。

 何をしているかはわからないけど、手元でずっと何かいじってるみたいだ。
 真剣で、姿勢はほとんど変わらなくて。だけどほんの時折、こもっていた熱を吐き出すみたいに一息つく。
 来る日も来る日も、同じ場所にいる。
 いつ見ても、同じことをやり続けている。
 それくらい、ずっと何かに夢中になっていた。

 ある日、珍しくガラス越しの姿がなかった。
 寝てるのかな。しばらく待ってみたけど、戻ってこない。
 数日待ち続けた。それでもいつもの姿は戻ってこなかった。
 ところでここって何のお店なんだろう。いつも店の奥で何か作業してるってことなんだろうけど。
 背伸びして、窓の中を覗いてみた。
 棚に何かたくさん置かれてるみたいだけど。暗くてよくわからない……。

「気になる?」
「わっ」

 後ろから声をかけられた。
 見上げると、いつもの男の人が立っていた。空色の髪に、優しそうな笑み。腕には大きな荷物を抱えている。

「最近、外からよく見てた子。君だよね?」

 男の人は言いながら荷物をいったん置いて、店の扉の鍵を開ける。
 荷物を運び入れて、明かりを点ける。よく見えなかったお店の中が、ぱっと明るくなった。
 窓越しに中を眺めていると、男の人は棚に置いてあったものを手に取って、窓を開けた。

「オルゴール。興味ある?」

 私に見せてくる。
 それは木製の小箱だった。ちょっと装飾があしらってある、小物入れみたいな――
 男の人が蓋を開けてみせると、音が鳴り出した。キンキン、チラチラした、小鳥のくちばしがぶつかったくらいの小さな音。
 数秒で止まったと思ったら、また繰り返し鳴り出した。
 なんだろう、これ。オルゴールって何?
 よくわからなくて、でも恐る恐る男の人を見上げると、彼は子供みたいに無邪気に微笑んだ。

「冷やかしは御免だけど、君ならいいよ。中に入っておいでよ」

 ――その笑顔があまりにも嬉しそうだったから。
 もっと、見てみたくなった。

 お店の中では、一つだけカウンターの奥に置かれたオルゴールがあった。
 他のはちゃんと明るいところに置いてあるのに。なんでこれだけ。

「あ、それは……」

 開けてみようとしたら、彼が先に手に取った。

「昔、母への贈り物用に作ったやつだよ」

 ちょっと待って、と言いぜんまいを巻いてから、しゃがんで私の手にオルゴールを乗せてくれた。

「開けてみて」

 おっかなびっくり、蓋を開けてみる。
 また鈴のような、鐘のような。鼻先にキンと響いて少しだけ跳ねて、ゆっくりと胸に沁み入るような細く高い音が鳴り出す。
 それと一緒に、箱の中ではくるくると小さなお人形が回っていた。

「恥ずかしいなあ。技術が全然、まだまだだ」
「……そうなの?」

 私がじっと見つめていると、彼はもどかしそうに頭を掻く。

「やろうとしたことが多すぎた。出来もしないのにあれもこれもと詰め込んで、結局どれも中途半端。バランス悪いよ」

 彼は照れくさそうに笑いながら、箱の中を指差す。
 棚にあるものとどう違うんだろう。小首を傾げる。

「……でもね。こんなのでも喜んでくれたんだよ。昔から。母だけは、どんなに下手くそでも喜んで飾ってくれたから」

 オルゴールという小箱の音。ぜんまいのキリキリという小さな作動音。
 簡単な機械仕掛けなんだろう。ぜんまいが戻るのに合わせて人形も回っているだけだ。

「まあ、そりゃ親だし、たいした気持ちはないと思うんだけどね……」

 だけどそれを見つめる彼の目は……なんだろう。
 なんだか不思議な、遠い目をしているような。

「どうやって作ったの?」
「どうやって?」
「このお人形は何? お花は? なんであるの?」

 聞くと、彼はきょとんとする。
 お人形も、お花模様も、なんでそれがあるのかが気になる。どうしてこの形をしているんだろう。
 困ったような顔をしていた彼だったが、じっと見つめる私と目が合うと、一つ一つ指を差して語り出した。
 どれもモチーフになるものがあるらしい。何をどうして、どう作りたかったのか。話すうちにいつの間にか、とっくにぜんまいは戻り終えていた。

「昔見た景色を、開いた瞬間にすぐに思い出せるように。こう、まるで今この瞬間目の前に広がってるかのように、瞼の裏に蘇るような感じで、作りたくてね」

 彼は目を閉じて語る。
 まさに今、きっと彼の中では、思い描く景色が蘇っているんだろう。

「再現……したかったんだけど。当時の僕には難しかった。今でも難しいと思うけど」

 最後にはやっぱり、照れくさそうに笑った。
 昔の景色。それはどんな景色だったのか。
 彼の母親はどんな人だったのか。
 どんなものを作りたかったのか。
 何も知らないしわからない。
 開けた瞬間に思い出せるもの――それは、きれいなのか他愛もないものなのか。どんな感情が呼び起こされるものなのか。
 もう一度ぜんまいを回してみる。またゆっくりと、同じ音、同じものが簡単な機械仕掛けで作動するだけ。
 だけど静かに刻まれていた気がする。彼の思い出らしきものが。
 同じ分だけの時が動く。
 この中だけで繰り返される。
 この箱の中だけ、違う時間が流れているみたい――

「きれい……」
「本当? ありがとう」
「うん……」

 それは、小さな胸の昂りだった。

「すごく、きれい……」

 この感情の正体はわからない。
 ただただ、その小さな箱の世界を見つめた。
 さっきまでは、よくわからないものだった。
 オルゴールっていうのも知らなかったし、きれいな音が鳴る、飾り付きの小箱ってだけだった。
 だけど今は。
 手の中のオルゴールをきゅっと握りしめる。
 私にも、何かが見えてくるようで。
 何かが、聴こえてくるようで。
 全然知らないものなのに。
 これ。
 “これ”が――

「欲しい」

 ぎゅ、と胸の内に抱く。

「これ、ちょうだい」

 今手の中にあるこれを、手離したくなくなった。

「……ごめんね。それは売り物じゃないんだ」

 彼は苦笑い気味だった。

「あげられない。でも別のオルゴールなら……」
「これがいい」

 首を振って、もう一度オルゴールを見つめる。

「これがいいの」

 他のものじゃ嫌だ。
 今これを手離したら、私の中に芽生えた小さな気持ちごと、失われてしまう気がして。

「だめだよ。返して」

 彼は少し強めの声を出す。

「ね?」

 困ってる顔だ。
 ……でも、嫌だ。
 離したくない。
 私だって、欲しい。
 これがいい。
 他のものじゃなくて。
 今の気持ちを、そのまま胸に抱いて、持って帰りたい。


 ……あれが欲しい。
 どうしてこんなに胸が高鳴るんだろう。
 輝いて見えて止まらない。
 すべてがキラキラしてる。
 手から離れてしまったら。

「……奪うつもりはない」

 あれは、彼のお母さんのためのもの。
 そのための贈り物だ。

「同じものが欲しいだけなの」

 それくらいわかってる。
 だから。
 同じものを手にできれば、手離さずにいられる。
 ずっと、この気持ちを感じていられるはずだから――

 私は――複製魔法を使った。

 ※ ※ ※ ※ ※

「この状況を変える方法を考えてみた」

 石化した大地にて。
 しばらく静かに灰色の空を見上げていた彼が言う。

「複製魔法を使えるなら、僕らの複製を作ってみないか?」
「……はあ?」

 突拍子もないことを、突然。

「記憶ごと複写されれば、効率は二倍だ。試行する数も稼げるし、シエラがたくさんいればこの世界ごと石化が解けるかもしれない」

 ……口が開いたまま塞がらない。

「あれ? それだと意識って分離するのか? 複製された僕らは意識まで複製される……? 別人として生きるのか? どうなるの?」

 彼は疑問をいくつも思い浮かべるものの。

「シエラ。どう思う?」

 私は、言葉が出てこなかった。
 何から、言えばいいのやら……。

「なにそれ……。生き物を複製しろってこと? 私と、君を?」
「できるの?」
「できるできないの以前に」

 私は帽子を押さえて、呻くように口を開く。

「とんでもないこと言うね。倫理観ないの?」
「この状況で倫理観だの言ってたら始まらないよ?」

 事も無げに平然としている彼を見て、はぁー、と深いため息をつく。
 若干乾いた笑いも混じっていたかもしれない。

「じゃあ質問だ。グレイン」
「……あれ。そういえば名前。僕、伝えたっけ?」

 グレインの疑問は無視して、続ける。

「複製魔法は、君にとってどんな魔法?」

 彼はきょとんとして、すぐに答える。

「……便利?」
「そうじゃなくて。もう少し思考して。もっとこう、さっきまで考えてたみたいに」

 それは表面的なことだ。

「易々と使っていいのかどうかとか」
「緊急時だよ?」
「そうじゃなくて」

 もどかしくて語気が強くなる。

「たとえば自分の大切なものを複製された場合――どう思う?」

 率直に口にした。

「きっと、いい気分ではないはずだよ。場合によっては憎むかもしれない」

 この彼は、きっとおぼえていない。
 そうであっても、聞かずにはいられない。

「それを、自分たちの複製なんてものを作ったら……」

 言葉を止める。
 彼は少し目を逸らして考えていた。想像してみたのか、倫理観を考えたのか、その頭の中はわからない。

「でも、緊急時……」
「ああ、もう!」

 変わらずきょとんと言われて、地団駄を踏むように立ち上がった。

「もういい。わかった」
「わかった? 何を? あ、シエラが何者なのか!?」

 がしっと肩を掴まれて、期待の眼差しで見られる。

「……ある意味。そうだけど」

 俯きながらそう答えた。

「今の私じゃ話にならないんだってことに気づいた」
「今の私?」
「それは君も同じ」

 グレインを見上げる。
 何も理解していない瞳が瞬きする。私の両肩に添えられた手の温度も、重みも。
 それもすぐに意味がなくなる、こんな状態では。

「今の君じゃ、話ができない。私のことをおぼえていないから」

 諦めたように目を伏せて、手を払う。
 伝わらなくていい。複製された今の君に伝えても意味がないから。

「思い出してもらう。次の世界でまた会おう。グレイン」

 ざあ、と風が吹いて私の髪を巻き上げて、束の間。
 二人は、一人と一つに分かれる。
 私の目の前には、ただの石像という物体に変わり果てたものがあるだけだ。
 この風は私が魔法を発動した反動で生まれるものだ。
 ここに風は吹かない。時が過ぎることはない。何をしたところで積み重ねられることはないし、変化することもない。

 私がこの場所にたどり着くと、あのオルゴールはいつも役目を終えたように石化して砕けてしまう。
 それが意地悪だ。グレインだって最初の私と同じで記憶が抜け落ちているようだし、そんな状態で問答したって何も始まらない。
 再び、別の世界でオルゴールの音色にたどり着くまで。
 そのときが本当に、話ができるときだと思うから。

 ※ ※ ※ ※ ※

 生き物。自分たちの複製、か。
 まったく本当に、とんでもないことを言う。
 複製というものを、彼が一番に怒らなくちゃいけないはずなのに。
 フェアじゃない。
 私だけがおぼえているのが。
 彼は何度だって私に問いかけてきた。
 だったら、思い出させてやろうじゃないか。
 それでようやく、対等だ。

「……これで最後にする」

 複製世界をただ眺めていただけだった私は、立ち上がる。
 久しぶりに動いた気がする。時間の概念はないはずなのに。
 チーリィが声を上げようとした気配を感じた。が、振り返らなかった。

 今までの世界の欠片を掻き分けるようにして進む。足下から波紋が広がり、ちゃぷん、と水のように足先が浸かる。
 波を立てて、地面としての境目が消える。これまでの欠片のすべてを呑み込んで、最後だと定めた複製世界に身体が引きずり込まれていく。

 今までのすべてを融合して、同じ場所に立とう。
 観測者じゃなくて、ここから下りて、そうしてちゃんと。
 対等な、君に会いに行こう。
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